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17/21

番外編  ある日の午後に

 夏が過ぎ、再び冬が近づいて来た頃、上のお姉様の婚姻の日取りが決まったと知らされました。

 お姉様と私は5つ程年が離れているため、ヘッセニアほど普段から一緒にいたわけではありません。

 どちらかといえば穏やかな性格のお姉様は、妹達の相手をするよりも、黙って一歩さがり見守るというような方でした。

 活発なお兄様方も、おとなしいお姉様には小さな淑女に対するような態度をとられていて、私たちにするようにいたずらをしかけたり、一緒になって外で走り回るということもなかったような気がします。

 それでも、冬の寒い日に暖かな部屋で本を読んでくれたり、まだ社交界に出ることが出来ない私たちに舞踏会でのことを話してくれたり、体調を崩して寝こんだ時には母親の代わりに付き添ってくれたりする、優しく頼りになる方でしたから、私もヘッセニアも、お姉様を慕っていました。

 そんなお姉様の婚約者である方も、お姉様同様穏やかな方です。

 お会いしたのは数えるほどですが、大きな体を屈めて、ぎごちなく挨拶する姿に、不思議と好印象だったのを覚えています。

 お土産と称して頂いた、領地の特産であるという毛織物で作られた柔らかな毛布も見事なもので、冬の寒い日などは今でも手放せません。

 もっとも、ヘッセニアに言わせれば、贈り物が毛布っておかしいとのことでした。女の子は、可愛いものや綺麗なものが好きなのだから、どうせもらうならば衣服の方がよかった、と。

 確かにその頃のヘッセニアは、お姉様の真似をして、綺麗で華やかな髪飾りなどを欲しがっていた時期でしたから、子供らしく口を尖らせて私に文句を言う姿は微笑ましいものがありましたけれど。

 結局、もらった毛布をしっかり使っているところをみると、口で言うほど嫌がってはいなかったのでしょう。

 次にその方が来られたときには、笑顔でお礼を言っていましたし。

 それに、その頃の私もヘッセニアも、漠然とですがわかっていました。

 貴族の令嬢の多くは、政略結婚です。

 親が決めた相手が自分の好みであるとは限りませんし、運が悪ければ、極端な年齢差があったり、性格が良くない方と結婚しなければならない場合もあります。

 お姉様は相手がどんな方でも誠心誠意尽くすと思いますが、やはり妻を大事にしてくださる方と一緒になってほしいと思うのです。

 その点、婚約者であるハシント様は、私やヘッセニアから見ても、優しそうな方に見えました。

 二人の間に愛情があるのかどうかは私にはわかりませんでしたが、少なくともお姉様に対してひどいことをする方には思えなかったのです。

 お姉様も、ハシント様と話されている時は、普段とは違う華やいだ顔をしています。

 二人が並んでいるところを見ていると、あまりにも穏やかな空気に、ほっとすると同時にどこか気恥ずかしくなるのも事実でした。

 だから思うのです。

 お姉様には幸せになってほしい――例え家同士の都合による政略結婚だったとしても。

 それが、私とヘッセニアの、ささやかな願いでした。

 

 

「今日は、なんだかやけに慌ただしいな」

 東屋にいた私のところにふらりとやってきたのは、オルランド様でした。

 忙しかったのでしょう。

 オルランド様がここに来られるのも、久しぶりでした。

 見れば、どこか疲れたような顔をしています。

 いつもならば持ってきたお土産を見せるか、私の手元にある刺繍の感想を口にされるのに、どちらもありません。

「人の出入りもあるようだし、今日は邪魔かと思ったんだが、アディはあいかわらずここにいたからな。まあいいかと勝手に解釈して案内してもらったが、本当のところ、どうなんだ?」

 これもいつものように堂々と遠慮無く私の前に座り、屋敷の方を見ながら尋ねてきます。

「上の姉が正式に結婚することになったのです。今日はその準備のために、仕立て屋が来ているので、母達は忙しいのですよ」

 お姉様は本来こういうことで騒ぐのは好きではないのでしょうが、お母様がはりきっているのです。古参の侍女達も総動員して、生地を選んだり、合わせる装飾品をどうするかと、こちらが驚くくらいに、夢中な様子でした。

「アディは、行かなくていいのか?」

「邪魔になるからと追い出されてしまいました。どんな婚姻の衣装にするのか、本当は興味があったのですけれど」

 婚姻の儀式の時に着る衣装は、花嫁の実家で仕立てるのが一般的です。

 古い時代の民族衣装と呼ばれるものを原型にするのですが、基本をちゃんと押さえていれば、比較的自由に色は選べます。

 婚姻の場合は、華やかな色が好まれるので、きっとお姉様もそのようにされるのでしょう。

 最近の流行りでは、袖口や裾に施す刺繍に小さな石を縫い付けることもあるそうです。

「それは残念だったな。今後の参考になったかもしれないのに」

 オルランド様は笑っていますが、あの場所での様子を見れば、ゆっくり様子を見ることができなくなると思うのです。

 お母様のあんな鬼気迫るような、何が何でもやりとげるとでも言いたげな決意のみなぎった顔をみれば、その本気さがわかるでしょう。

 私がうっかり余計なことを言えば、場の空気が変わりそうなくらいの迫力だったのです。

 気楽な気持ちだった私が邪魔になったとしても、仕方なかったと思っています。

 でも、ちょうどよかったのかもしれません。

 オルランド様が来られたら、お伝えしたいことがあったのです。私が忙しくしていれば、それを言い損ねてしまうところでした。

「今日、オルランド様に会えてよかったですわ」

 私は少しだけ緊張しながら、言葉を続けます。

「近いうちに正式な招待状を送りますが、オルランド様には、私の婚約者として式に出席していただきたいのです」

 婚姻の儀式に出席するのは親族のみとなります。

 配偶者や婚約者も同様に親族とみなされ、式には出るのが普通です。

 今まで、兄弟に結婚したものはおらず、しかも相手の方の領地での式となりますので、私にとっては、初めての遠出でもありました。

 これが去年までならば、ヘッセニアと同様に身軽な独り身として参加になるのでしょうが、婚約者のオルランド様が一緒なのです。

 もちろん、二人きりになることはありませんし、一緒の馬車で出かけるわけでもないのですが、あちらではいずれは夫婦になる間柄だと認識され、そのように扱われるのです。

 これに緊張せずにいるという方が無理です。

 そんなどこか高揚する気持ちを抑え、私はなるべく平静な顔をしてオルランド様を見つめました。

「領地の場所が少し遠いので、数日かかるのですが、いかがでしょうか?」

「大丈夫、ちゃんと出席するよ。それに、そういうことは早く教えてもらった方が助かる。休みも中々とれないからな」

 職場に復帰してから、休んでいた分こき使われていると言っていたのはつい最近のことでしたから、私は笑ってしまいました。

 こんなことを言っていますが、本当は、仕事に対しては真面目な方なのです。

 口で言っているほど騎士としての仕事を嫌がっていないのだと、最近ではわかってきました。

「姉上の婚約者殿は、フィゲーラス伯爵だったな。領地はコルレアだから、式はそこであるのか」

「はい。私も初めて行く場所なので、少し緊張しています」

 カレスティア家が持つ領地からも王都からも離れているので、私は一度も訪れたことがないのです。何度か訪れたお姉様によると、とても自然豊かな場所だとのことでした。

「コルレアか。懐かしいな」

 オルランド様は、何かを思い出すように目を細めました。

「コルレアに行かれたことがあるのですか?」

「ああ。まだ騎士見習いだった頃にな。ここよりもずっと寒いってのが難だったが、住んでいる人間も穏やかで、のんびりした場所だった。フィゲーラス伯爵とも話をしたことがあるが、真面目で裏表のあまりない人だと感じたから、貴族同士の付き合いには結構苦労しているかもしれないな」

「オルランド様がそうおっしゃるのなら、なんだか安心できました」

 自分の目で見て、そういう方だろうとは思っていましたが、やはり不安ではあったのです。

「安心できるようなことを言ったつもりじゃないんだが……苦労する相手だと告げたようなものだぞ」

「安心、はまだしていません。でも、真面目な方だとわかっただけでも嬉しいことですから」

 結婚後に豹変する人もいると聞きます。

 あの方がそうではないと信じていますが、結婚してしまえば、よほどのことがない限り、私たち貴族は離縁することができません。そこにどうしても利害関係が絡んでくるから。

「私と同じように姉も政略結婚ですから。相手の方とはうまくいっているようですが、姉の本当の気持ちはわかりませんし。いい方よと言われるばかりで。……私は、結婚する相手がオルランド様でよかったと思っていますから、姉もそうであればいいと願うのです」

 いろいろなことがありましたが、今の私は素直にそう思っています。

 あの日、二人で幸せになることを約束してから、私にとってオルランド様は少しずつ大事な方になってきているのです。

「まったく。真面目な顔でそんなことを言われるとはな」

「オルランド様?」

「アディだけでなく、俺もあんたが結婚相手でよかったと思っている」

 オルランド様が身を乗り出し、囁くようにそう言いました。

 伸ばされた手が私の右手にそっと触れます。包み込むようなその手は、私よりもずっと大きく、手袋越しではないその感触は、いつか医療院で触れた時とは違い、力強いものでした。

 初めてではないのに、こんなふうに真面目な顔で、優しい仕草で触れられると、どうしたらいいのかわからなくなります。

「あの……」

 本当ならば、やんわりとこの手を押し返すべきなのでしょうが、なんとなくそれはしたくないと思っていまいました。

「努力しても幸せが必ず手に入るわけじゃないが、努力しなければ決して手に入らない。俺が見たところ、フィゲーラス伯爵はその努力がきちんと出来る人間だと思う」

 不思議と、オルランド様の言葉は私の中に染みこんできました。

「姉も、その努力が出来る人だと思います」

 例え、結果がどうあれ、お姉様は後悔したりしないでしょう。そして、失敗してしまったとしても、それを相手の方のせいになどしない方でもあるのです。

「そうですね。私、姉やシラント様を信じてみようと思います」

 姉が心配ならば、黙って見ているだけでなく、私も行動を起こせばいいのです。

 もっとも、それが簡単にできれば悩んだりしないのでしょうが。

「それがいい。それでもまだ不安なら、コルレアにいるときにでも、しっかり二人の様子を見ていればいいんだ」

「……はい」

 オルランド様に相談してよかったかもしれません。

 ずっと胸に引っかかっていたことに、答えが見えたような気がするのです。

「私、コルレアに行くのが楽しみになってきました」

 気持ちがすっきりすると、今度はコルレアのことが気になってきました。

 話でしか聞いたことのない場所なのです。

 皆口を揃えて、穏やかなところだと言うのですが、反対に冬は寒いとも聞きます。

 王都も十分寒いと思うのですが、それとは違う寒さなのでしょうか?

 あ、でも、お姉様が結婚されるのは、春になってからです。その頃にはもう暖かくなっているでしょうから、結局どのくらい寒いのかはわからないということになります。

 少しだけ残念です。

「そういえば、コルレアは毛織物が有名だったな」

 話に合わせるようにそう言われ、私は自分の手をぼんやりと見つめながら、頷きました。

 繋がれたままの手は離れることはなく、気がつけばオルランド様が隣に移動しています。

 最近、ちょっとした隙を見て、こうやって近くに寄られるので、そのたびにどうすればいのかと迷ってしまうのですが。

「はい。コチュという生き物の毛から作られていると聞きました」

 内心の動揺を悟られないように、お姉様から聞いたことを口にします。

 コチュは育てる条件が難しく、コルレア以外ではよい毛が取れないらしいのです。

 何が原因でそうなるのか研究している人もいるらしいですが、今のところ、コチュの毛によって作られた上質な毛織物は、コルレアにしかありません。

「そのコチュっていうのが、コロコロしていて丸っこいんだ」

 コロコロしていて丸い生き物というのは、どういう感じなのでしょう。

 想像してみましたが、毛玉のようなものという発想しか出てきませんでした。

「人懐っこいから、放牧している近くで昼寝していると、寄ってきたりしてな」

「人を怖がらないのですか?」

 飼われているものですから、ある程度は慣れているのでしょうが、警戒心は持ち合わせていると思うのです。

 知らない匂いの人がいれば、あまり近づかないと思うのですが、コチュはそれが平気な生き物なのでしょうか。

 私が近づいても逃げないのならば、少し触ってみたいかもしれません。

「追い払っても寄ってくるんだよ。仕草も動きも結構可愛いんだが、ひとつ問題があってな」

 大げさに肩を竦めて顔を顰めるものですから、私はオルランド様の顔をじっと見つめました。

 オルランド様が可愛いというからには、本当に可愛いのだと思います。

 ですが、その何かを隠しているような、面白がっている目は、とても怪しいと思うのです。

 そんなに簡単に驚いたりしませんから、と思いながら、オルランド様の次の言葉を待ちます。

「実はな、そのコチュ。糞が臭いんだ。食べ物が腐ったような酸っぱいような匂いがする。しかも、それが服についたりすると、特殊な洗剤を使わないと、なかなか匂いが取れない。だから、うっかり昼寝の時に寝返りを打ったりして、その下にコチュの糞があると……」

「まあ」

 驚くまいと思っていたのに、私はつい声を上げてしまいました。

「もしかすると、オルランド様は経験済みなのですか?」

「どうだろうな、どう思う?」

 そういう部分で妙に器用なオルランド様が、誤って匂いをつけてしまったところが想像できないのです。

 ですが、騎士見習いということは、まだ若かった頃のことなのでしょうし、その頃のオルランド様が今よりももっと素直な感じだったとすれば……。

 いえ、駄目です、全然想像できません。

 私の中のオルランド様は、今のような雰囲気でしっかり固定されているのです。

 そういえば、以前セレスティナ様が、昔のオルランド様のことを言われていましたが、その時でさえ、どうしても今の姿と結びつかなかったのです。

「わ、わかりません。そもそもオルランド様の騎士見習い時代が思い浮かばないのです」

 私の言葉に、とうとうオルランド様はお腹を押さえてしまいました。

 別に、思い切り笑ってくださっても構わないのに。

 中途半端に笑いを堪えられる方が、よっぽど傷つきます。

「今と違って、素直な少年だったんだぞ」

 自慢げにそう言われても、やはり想像できません。

「女性とも、こんなふうに手を繋いだりはできないくらい純情だったし」

「し、知りません」

「信じてもらえないとは、悲しいな」

 オルランド様がじりじりとさらに近づいてきます。

 私は逃げようとしますが、手を繋がれているので、結局は動けないのです。

「今のオルランド様、すごくはしたない感じです。まだ婚約者同士ですし、誰かが見ているはずだし、こんなに近づきすぎるのは……」

 自由な方の手でオルランド様の近づいてくる体をなんとか押し返すと、意外とあっさりとひいてくれました。

 見上げると、いたずらにでも成功したかのような顔をしています。

 ひょっとしなくても、私はからかわれたのかもしれません。最近こうやって私が困るのを見て面白がっているような気がしてならないのです。

「悪い悪い。俺もちょっと浮かれているみたいだ。あんたとコルレアに行くのは、楽しいだろうと思ってな」

 そんなことを真顔で言われると、近づいて来られた時よりも恥ずかしいです。

 義務でも責務でもなく、本心から思ってくれたのだろうと、今の私ならわかるのですから、余計にです。

「あそこには、ここにはないいろいろな生き物もいるし、変わった花も咲く。何日か滞在するんだろう? せっかくだから、一緒に見て回るか?」

「よろしいのですか?」

「当たり前だろう? 結婚前だから、完全に二人きりというのは無理だろうが、可能な限り、あんたが見たことがないってものを見せてやるよ」

 まずはコチュだなと笑うオルランド様が、私よりも楽しそうです。

 釣られるように、私も嬉しくなってきました。

「いろいろ教えてくださるのを、楽しみにしていますね」

 まだ見ぬコチュの姿を想像しながら、私はたくさんの初めてを、オルランド様と共に経験できることに、幸せを感じました。

 同じ気持ちをオルランド様も持っていてくださるといいなと考えながら、いつかこの人の隣で誓いの言葉を口にする日が待ち遠しいと、そう思い始めていることを自覚したのでした。

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