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 殿下への挨拶も済ませ、ようやく落ち着いた私は、隣で面白そうに笑っているオルランド様を見上げると、ため息とともに、肩の力を抜きました。

「緊張しました」

 伯爵令嬢としてテオバルド殿下を前にした時は、父親の隣で型どおりの挨拶を述べればいいだけでした。こちらから挨拶以外の言葉を口にするのは礼儀に反することでしたし、話し掛けられたとしても、当たり障りのないことばかりだったはずです。

 それが、今回はどうでしょう。

 型どおりの挨拶をした私に向かって、興味津々という顔をされたテオバルド殿下は、それをこの場で聞くのですかという突っ込んだ質問を、次々と口にされたのです。

「余計なことまで、話すはめになった気がします。オルランド様も、助けてくださればよかったのに」

 次々と、こちらが考える暇も与えずに質問をされるものですから、ついうっかり本心を答えそうにもなりました。

 どこまで話していいのか不安になって、オルランド様を見ても、すました顔で沈黙したまま――目は笑っていましたから、きっと面白がっていたに違いないのです。

「あの方の口のうまさは、誰も太刀打ちできないからな。信任厚い側近でさえ、振り回されているくらいだ」

「まあ。想像がつきません」

 いつも暖かな笑みを浮かべて穏やかに話される方だと思っていたのに。

「いい人ではないが、忠誠をささげるに値する方だとは思っている」

 オルランド様は誇らしげです。

 その珍しい様子に、この人は騎士という仕事――近衛であることを大切に思っているのだと理解しました。

 今の表情を初めてみるように、オルランド様には、いろいろな顔があるのかもしれません。

 きっと、私が知らないオルランド様は、まだたくさんいるのでしょう。

「ああ、曲が変わったな」

 ふいに、オルランド様が呟きました。

 言われてみれば、さきほどまで耳障りではない程度に流れていた音楽の調子が変化しています。

「ダンスが始まるようですわ」

 それぞれが、それぞれの相手を伴い、しずしずと大広間の中央に集まっています。

 その中心にいるのは、ダンス好きで知られる国王陛下夫妻です。

 私たちも、二人で参加しているわけですから、ここで踊らないと、おかしく思われるでしょう。

 オルランド様が踊られる姿を実は見たことはないのですが、貴族ですから、普通ならば踊れるはずなのですが。

「そういえば、アディは、ダンスは得意なのか?」

「はい。昔から、踊ることは、大好きなのです」

「実は、俺もなんだ。面倒だから、最近では公の場で踊ることはなかったんだが」

 確かに、容姿や職業柄、女性にはもてそうですから、踊らずにいれば、大変なことになったかもしれません。

 貴族令嬢は、いつでも条件のいい相手を探しているのです。一人でふらふらと舞踏会に現れた独身男性を、放っておくはずがないのですから。

「アディ」

 オルランド様が、私に向かって手をさしのべます。

「一曲、お相手をお願いできますか?」

 きちんとした貴族らしい仕草と言葉に、私は笑ってしまいました。当たり前のことですが、オルランド様は騎士である前に、貴族です。

 礼儀作法はそれなりにたたき込まれているのは当然なのですが、なんだか似合いません。

 衣服だって、こんな堅苦しい正装よりも、騎士服の方が、彼らしい気がします。

「……笑われる理由がわからないんだが」

 つい笑ってしまうという、とても失礼なことをしてしまったことに気付き、私は慌てて表情を引き締めました。

「ひょっとして、似合わないと思ったんじゃないだろうな」

 言葉は不機嫌そうですが、怒っていないのは目を見ればわかります。

「そんなことはありません。オルランド様と踊れるのが、嬉しいのですわ」

「あやしいな」

「本当ですよ、あ。早くしないと曲が始まってしまいます」

 私は思いきって手を伸ばし、オルランド様の手に触れました。本来、ダンスを女性側から促し誘うのははしたないのですが、このくらいはかまわないはずです。

 妙な意味で誘っているのはないのですし。

「まあ、いいか。要するに、楽しめばいいってことだ」

 オルランド様は、優雅な仕草で私の手を取ると、にやり、と唇の端をあげて笑いました。

「では、改めて。アデライダ嬢。俺と踊って頂けますか?」

「はい、喜んで」

 私は貴族の令嬢らしく、きちんとした作法に則って、オルランド様に向かって軽く腰をかがめると、心からの笑みを浮かべたのでした。



 何曲か二人で踊り、わずかに汗ばんできた頃、オルラント様が私をベランダへと誘いました。

 そこで休むのかと思いましたが、彼はそのままベランダから庭へ続く階段を降り、どんどん奥へと進んでいきます。

 その場所には覚えがありました。

 いつかオルランド様を追いかけたどり着いた場所。

 弱い彼を知ったところです。

「今日も、月が明るいな」

 確かに、空には丸く大きな月が輝いています。あの日と違うのは、最初から、ここにいるのは私とオルランド様だけということでしょうか。

「あの日から、本当にいろんなことがあったな」

 冬が来る前のあの出来事が、その後の私たちの運命を変えてしまいました。

 もし、私とオルランド様が婚約者候補として引きあわされなければ。

 もし、あの時、私がオルランド様を追いかけなければ。

 ここに二人で並んで立つことは、なかったのではと思うのです。

「オルランド様が留守の間、いろいろあったと、前に言いましたよね」

「ああ」

「女心って複雑なものだと知りましたし、もしかしたら一生味わうことがなかったかもしれない修羅場みたいな体験までしてしまいました。」

「あんたも女だろ」

「でも、私、難しいことは苦手なんです。好きならば好きだし、嫌いなら嫌いです。そういう気持ちを隠せと言われればがんばりますけれど、裏を読めと言うのは無理です」

 すねたように言うと、彼は笑いました。

「俺は、正直頭の悪い女は嫌いだ」

「……はい」

「隣に並び一生を共にするのは、俺のことを理解し、俺と共に上を目指してくれる女だと思っていた」

 その言葉に、あの美しい人の顔が浮かびます。

 彼女ならば、彼と対等になり得るでしょう。

 公私ともに彼を支えることも可能でしょう。

 でも、あの時、彼女はこの方を選ばなかった。仕えるべき主を優先してしまった。それはきっととても覚悟のいることだったのだと思います。

 貴族の女性のほとんどは、結婚して家庭にはいります。昔ほどに強引な政略結婚はなくなりましたが、それでも、職業を優先するものは少ないのです。

 貴族の娘には行儀見習いや、実家の事情で、高位の貴族で侍女として働くものもいますが、生涯独身というものはあまりいません。

「だがな。前にも言ったが、あんたといると、気が楽だ」

 同じ事を、確かに以前聞いた気がします。

「あんたの言葉は、裏を読む必要なんてないし、表情は思っていることがそのまま出ている。わかりやすくて単純だ。だから、こっちも気を回して話をしなくてもいい。本当に、どこにでもいる普通の女で、いいところも悪いところもあって、そういうのがいいと思った」

 普通、という言葉は、本来ならば、褒め言葉ではないのでしょうが、オルランド様が語る『普通』には、そのことは何ら恥じることはないのだという思いが籠もっているような気がしました。

 特別なところがあるのは、もちろんすばらしいことでしょう。

 そんな人たちが、この国を動かしていくのかもしれません。セレスティナ様がそうでしたし、それを支えるバネッサ様も、オルランド様自身も、規格外な部分もありますが、優秀な方です。

 あのようになれればと、皆思うでしょうが、そうなれない者の方が、この世の中にはたくさんいます。

 私もその一人でした。

 それでも、オルランド様が、普通な私でいいと言ってくださるのです。

「俺は、あんたへの気持ちを、自分でもはっきり掴めていない」

 それは私も同じです。まだ、私の中にあるのは、不安定な気持ちなのです。

 恋をする少し手前、という感じでしょうか。

「でも、一緒に暮らしていけるんじゃないか、愛しいという気持ちが持てるんじゃないかと、結構前から思っていたんだ」

「え?」

「なんていうか、自分を偽る必要も、強く見せる必要もないんだっていうのは、新鮮だったんだ。それに、家族になるって言ってくれた。俺のくだらない話にもつきあってくれた。真剣に無事を祈ってくれたし、待っていてくれた」

 それがとても嬉しかったのだと、オルランド様は言うのです。

「あの」

 私は、オルランド様の瞳をまっすぐに見つめました。

 正直な気持ちを口にするのは、今しかないのだと思ったからです。

「私も、最初、あなたのことが苦手でした」

 第一印象がよくなかったことを、今でも覚えています。

「でも、今は違います。あなたといることは、苦痛ではなく、穏やかで優しいものなのです。知らないことを、たくさん教えてくださることが、楽しいのです」

 それと同事に、あなたが私の前で見せてくれる、子供のような笑顔を大事にしたいと、願いました。

 一緒に過ごした、あの穏やかな時間を失いたくないとも。

 これから先がどうなるかはわかりません。

 私はまだこの方のことはよく知りませんし、彼だってそうなのでしょう。

 だから。

 ゆっくりでいいから、気持ちを近づけていければいいと思うのです。

 それが、愛情に変わらなかったとしても、悔いたりはしないでしょう。選んだのは私であり、彼でもあるのですから。

「アディ。改めて、聞きたい。こんなあやふやな気持ちを聞いて――それでも、俺についてきてくれるだろうか。俺と一緒に生きてくれるか?」

 少しだけ怯えた目をしているのは、あの人とのことがまだ心のうちにあるからかもしれません。

 バネッサ様への告白は、二度も断られたのだし、強い愛情であればあるほど、忘れるのも長くかかるということは、想像できるのです。

 ですから、私はオルランド様には必要以上には近づかず、少し距離をとった場所で、顔を見上げました。

 月明かりだけが照らすその場所は、かつてこの方があの人に最後の別れを告げられたところです。あの時とは時間も季節も違いますが、きっとこの方にとっては嫌な思い出の場所でもあるのでしょう。

 それなのに、こんなところで将来のことを話し合うなんて、オルランド様らしいのか、それとも嫌な思い出を上書きしてしまいたいのか。

 わかりませんが、私の答えは決まっています。

 少なくとも、他に誰にもみせない部分――おそらく彼の恋人でさえ知らなかった弱さを知ってしまった時から、覚悟は出来ていたのです。

「もちろんです。頼りないところばかりでしょうけれど、よろしくお願いします」

 そうして、私は淑女としてではなく、これからを一緒に歩む存在として頭を下げました。

「ありがとう」

 彼もそう言って、淑女に対する礼ではなく、同等のものに対するように軽く頭を下げました。

 これで、ようやく私たちは本当の意味で、『政略結婚の相手』ではなく、『結婚を約束した存在』になれたのかもしれません。

 ここに来るまでに、随分、長い時間がかかってしまいましたが。

「もう少しゆっくりしたいところだが、いい加減戻らないと、心配されそうだ」

 言いたいことをお互いに口にして、すっきりしたのか、オルランド様が、舞踏会の会場である建物の方を見ました。

「そうですね。戻りましょうか」

 彼は顔を引き締め、いつものふてぶてしい様子に戻り、私に手を差し出しました。

 きっと、彼の手をとった私も、淑女の顔になっているのでしょう。

「オルランド様」

 背の高いオルランド様を見上げるようにして名前を呼ぶと、思いがけないほどに優しい顔を向けられました。

「一緒に、幸せに――幸せな家族になりましょう」

 今はまだ淡い想いが、二人の間にあるだけです。

 もしかすると、些細なことで、二人の感情が行き違うこともあるかもしれません。

 苦しいことも、悲しいことも、たくさんあるかもしれません。

 けれども、いつか本当に夫婦として心が通じ合えたら。

 この思いが、お互いに真実になったら。

 そんな日が来ることを、私は月明かりの下、願うのです。

「ああ、幸せになろう」

 身をかがめたオルランド様の、囁く声の甘さに、胸の奥が熱くなります。

 もしかすると。

 この願いが叶うのは、それほど先のことではないのかもしれません。


 二人で、幸せになろう――その誓いを胸に、私たちは歩きだしたのでした。

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