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「ねえ、ヘッセニア。おかしくないかしら」
私が鏡をのぞき込みながらそういうと、後ろにいたヘッセニアから呆れたようなため息が聞こえました。
「お姉様。その言葉、もう10回目よ」
「でも、落ち着かないのよ。おかしいわね、普段舞踏会に行く時はここまでどきどきしないのに」
「大丈夫よ、お姉様がいくら失敗したって、オルランド様は面白がるだけだと思うし」
「それ、すごく嫌なのだけど」
実際にありそうだから、不安になります。
「嫌だわ、うっかり右手と右足が同事に出たりしそう。それに、今回はオルランド様とともに、テオバルド殿下にご挨拶に伺う予定なのよ。何か変なことをしたらどうしよう」
テオバルド殿下――第2王子には、伯爵令嬢として、公式な場で一度お話をしたことがありますが、オルランド様の婚約者として挨拶するのは初めてなのです。
今回、二人揃って舞踏会に参加することになり、出席の返事を出したあと、オルランド様から、殿下が是非会いたいと言っているがどうするかと聞かれました。
どうするも何も、お断りするという選択肢があるわけはないのです。
一応、貴族令嬢の嗜みとして、王族に対する礼儀などは習っていますが、実践したことはほんの数回。
不安にならない方が、おかしいと思うのです。
「たぶん、あの殿下ならば、オルランド様と同じく面白がると思う」
ひどい言い方です。
いくら屋敷内とはいえ、誰に聞かれるかわからないのに、そんな不敬にもあたることを口にするなんて。
顔を顰めて、一言何かを言おうとしたところで、扉を叩く音に邪魔をされてしまいました。
「ほら、きっとお迎えが来たのよ。お姉様、早く早く」
どう見ても私より浮かれているヘッセニアは、元気よく扉に向かって駆け寄ると『入りなさい』と言いながらも、自分から開けてしまいました。
はしたないとたしなめようとしたのに、恭しく頭を下げた侍女が、『オルランド様がお見えになりました』と告げたものですから、それを口に出来ません。
「やっぱりオルランド様だったわ」
跳ねるように戻ってきたヘッセニアが、私の手を取り、強引に歩きだします。
「ヘッセニア! 腕をひっぱらないで。それに、あまり慌てると転んでしまうわ」
踵の高い靴はそれでなくとも、毛足の長い絨毯にひっかかりやすいのです。
「大丈夫、お姉様は、こういうとき一度だって転んだことはないでしょう。そんなことより、お待たせするのは悪いわ。急ぎましょう」
ぐいぐいとひっぱられ――というより引きずられるようにヘッセニアに連れられた私を広間で迎えたオルランド様が笑われたのは、当然のことかもしれません。
だって、ヘッセニアはオルランド様の顔を見るなり、
「どう? 今日のお姉様は私の自信作よ!」
と挨拶も何もかも飛ばして、大声で言ったのですから。
「相変わらず元気だな、ヘッセニア嬢は」
王宮に向かう馬車の中で、一連の出来事を思い出したかのように笑うオルランド様に、私の方が恥ずかしくなってしまいました。
「最近、ずっとあのような調子なのです。申し訳ありません」
王宮主催の舞踏会の招待状が届いたのは、オルランド様の怪我がよくなり、職場復帰も近いだろうと言う時でした。
その招待状は、オルランド様にも届けられていて、そちらの方には、せっかくだから婚約者とともに出席しろと、テオバルド殿下からの伝言までついていたといいます。
それを聞いて、はしゃぎはじめたのは私ではなくヘッセニアの方でした。
何を着ていくべきか、どんな髪型にするかと、招待されている本人よりも盛り上がったのです。
「いや、別にかまわない。妹を見ているようで、楽しいからな」
オルランド様の妹、という方は、可愛らしい方で、ヘッセニアとは違う意味で活発な方でした。お菓子とドレスが大好きで、ふわふわとしていて、ヘッセニアほど理屈っぽくはありません。少し我が儘なところがあると言いますが、それもほほえましいものばかりでしたから、将来は素敵な淑女になれると思います。
「毎回あんなふうだと、確かに困るが。ところで、アディ」
オルランド様は、ふいに私の胸元に手を伸ばし、着けられた首飾りに触れました。
あまりの近さに、焦ってしまったのを見て、オルランド様は笑っています。
「思ったより、よく似合っている。あんまり派手なのは、どうかなとは思ったんだが、これにして正解だったな」
確かに、普段自分が選ぶものとは違い、大きめの青い宝石が輝く首飾りは、華やかで派手なものです。
「こういうものも好きなのですけれど、どうしても自分負けしてしまいそうで、選んだりはしなかったのです。頂いたおかげで、普段着ない色のドレスを選ぶきっかけになって、楽しかったですわ」
舞踏会でつけてほしいと、これを渡された後、大騒ぎしたのはヘッセニアでした。
装飾品に似合うドレスと靴選びに、私よりも夢中になり、母親やお兄様方を呆れさせたくらいなのです。
そういう経緯がありますから、さきほど、自信作と、自慢げに言ったのもわかるのですが、恥ずかしことにかわりありません。
あの場には、お父様だけでなく、侍女も幾人か控えていたのですから。
でも、首飾りを頂いたことは嬉しくて、ヘッセニアほどではありませんが、自分の部屋で何度も何度も宝石箱から出して眺めていたのは、誰にも言っていません。
私は、胸元の宝石にそっと触れてから、オルランド様の耳元を盗み見ました。
あの時預かった耳飾りは、今はもうオルランド様に返し、その耳元にあります。
この宝石の色は、その耳飾りと同じもの。
特にオルランド様は何もおっしゃいませんでしたが、どういう思いがあったとしても、そのことも含めて、とても嬉しかったのです。
「本当にありがとうございます」
「お礼だよ、お礼。もらった膝掛け、暖かかったし」
療養中に役に立つのではないかと、急いで仕上げた膝掛けを気に入ってくださったのか、医療院を出て、私邸に戻ったあとも、使ってくださっていたようです。
私が私邸に訪れると、いつも膝の上にはそれがありましたし、もう一枚欲しいとお願いまでされてしまいました。
今は、オルランド様の好きな模様と色で、刺繍を入れているところです。
「それに、舞踏会に参加するのに、婚約者の令嬢が、贈った装飾品を何ひとつ身につけていないというのも、野暮な話だろう?」
「確かに、石や木ぎれや葉っぱは、身につけることもできませんものね」
自分の部屋に飾られた、他の人が見れば不思議に思われるであろう品物を思い出し、私は苦笑しました。
「だろう?」
いたずらっぽく笑ったオルランド様ですが、ふと残念そうに眉をしかめられました。
「隣国には、変な物がいっぱいあったのに、持って帰れなかったんだよな」
今回のことがなければ、きっと言葉通りにオルランド様は、見たことがないおかしな品物をお土産に持ってかえるつもりだったのでしょう。
「それについてのお話も聞かせてほしかったのですけれど、仕方ありませんよね」
表面上は友好的な関係を装っていますが、隣国との間は今微妙になっているようなのです。
互いに利益などないので、今のところ戦など起こらないとオルランド様はいいますが、絶対のことではありません。
要人に関しては、互いの行き来は途絶えたままなのです。
「次に何かあっても、もうあんな無茶はしない。それでも、もしものことがあったら――」
その先の言葉は、言われなくてもわかっています。
近衛騎士である限り、絶対に大丈夫と言う言葉は言えないのでしょう。
オルランド様にとって、一番に守らなければならないのは、私ではなく殿下です。今回のように、命をかけることもあるでしょう。死んだことさえ、すぐには教えてもらえないかもしれない。
全てを知らされず、ただ待つことのみしか出来ないことは、本当に辛く苦しいものでした。くじけるかも知れないと思ったこともありました。
これからだって、同じことを何度も思うでしょう。
それでも。
「覚悟はもう決めています。私には、家を守り、あなたの帰りを待つ――それしか出来ないのですもの」
「本当に、あんたは『普通の貴族の令嬢』なんだな」
「まあ、確かにそうですわ」
それが当たり前だと教えられ、今までそれを疑問に思ったこともありませんでした。
もし、オルランド様と婚約し、思いもよらない体験をしなければ、うやむやのまま、騎士の妻になるという自覚も持てずに結婚していたと思うのです。
今回のようなことが、結婚後に起これば、みっともなく狼狽して、泣き叫んだかもしれません。
「それならば、次は『普通の騎士の妻』を目指してみることにします」
たくさんのことが出来る人達を見て、私には、あんなふうにはなれないと、思い知らされました。
一緒に戦うことも、並んで立ち向かうことも、無理な私だからこそ、オルランド様がいつ帰ってきても同じように迎える。
私がそうありたいと思った家族は、それなのだと、気がついたのです。
「『普通の騎士の妻』か。なんだか、同僚の奥方達のように、たくましい奥さんになりそうだな。ああ、でも。もし、そうなるならば、あんたが泣くとしたら、全てが終わってから――俺がこの世界から消えた後なんだろうな。他の騎士達の奥方のように」
「どうなのでしょう」
そうならないことを祈るばかりなのですが。
でも、今は、こうやって二人で和やかに話が出来ることを、喜ぶべきなのでしょう。
未来のことなど、誰にもわかりはしないのですから。




