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 医療院に付くと、控えの間には、幾人か見知った女性の顔がありました。

 恐らく、負傷した近衛騎士たちの奥方なのでしょう。

 彼女たちは、私を見ると軽く頭を下げました。青ざめた顔をしてはいますが、皆気丈な様子をしています。

 私も彼女らに礼を返すと、見習わなければと背筋を伸ばしました。

 まだ、泣いてはいけません。

 最悪のことは起きてはいないのです。ここへ来るまでの道中に、お兄様から容体は悪いが、今のところ命に別状はないと聞いているのですから。

 強い薬品の匂いにわずかに眉をひそめ、私はオルランド様がいるという部屋の前で深呼吸します。

 扉を叩くと、『どうぞ』という女性の声がしました。

 その声に聞き覚えがあるような気がして、一瞬首を傾げましたが、後ろに立つお兄様に即されて、考える間もなく、扉を開きます。

 そして、そのまま私は固まってしまいました。

 清潔な部屋の中、寝台に横たわるオルランド様の横に、見知った女性がいたからです。

 ここにいるはずのない人。

 けれども、いたことに違和感のない人。

 その人は、私とお兄様の姿を確認すると、立ち上がり深々と頭を下げました。

「バネッサ様」

 呼びかけた声がかすれてしまったのは、驚きだけではなく、彼女の容姿の変わりようにもありました。

 長かった美しい髪はざっくりと切られ、頬にはかすり傷もあります。

 身につけている服は首元さえも覆ってしまうほどきっちりとしたものでしたが、わずかに覗く手の先には包帯が巻かれていました。

「……アデライダ様」

 途方に暮れたような表情で名前を呼ばれましたが、一番戸惑っているのは私なのかもしれません。

「どうして、あなたがここに」

 呼び出されたという雰囲気ではありません。

 彼女自身も負傷していますし、そもそも身内でもなんでもないこの人が病室にいて、誰にも咎められていないというのもおかしな話です。

 助けを求めるようにお兄様の方を見ると、申し訳なさそうな顔をされました。

「彼女は、ベルグラーノ家の命令で、オルランド殿と一緒に隣国へと行っていたんだよ」

「お兄様。それは本当なのですか」

「ああ。当主と共に実際の作戦を詰めたのは私だからね」

「つまり、お兄様は知っていらしたのですね、そのことを」

 お兄様は微妙に視線を逸らした後、小さな声で『すまない』と言いました。

「彼女は、今回の件で、オルランド殿と共に、命をかけて殿下を救ってくださった。殿下が無事にこの国へ戻ってこられたのも、彼女のおかげなんだ。詳しいことは話せないが」

「そう、なのですか」

 結局、私はオルランド様の婚約者とはいっても、何も知らされず、何もかもが終わってからようやく当たり障りのないことを教えられたということなのでしょう。

 何も知らずに待つことは、お兄様が口にされた通り、こんなにも辛いのでしょうか。

 私以外の人が事情を知っていて、私だけがわけもわからない状態で、それでも耐え続けるべきなのでしょうか。

 ……わかっています。

 私には何の力もなく、状況も分からない状態で文句や愚痴を言うくらいなら、黙っていた方がいいのだと。情報はどこから漏れるのかはわからないですし、私も自分が全てを黙っていることが出来るかと言われれば、自信がありません。

 でも。

 一方では、バネッサ様のように、殿方と同じように行動できる方もいるのです。

 その違いを見せつけられた気がして、私はうなだれました。

「オルランド殿が助かったのも、彼女の適切な処置のおかげだったという。礼を言いなさい」

 お礼。

 確かに、私は婚約者として、感謝しなければいけないのでしょう。

 ……でも、出来ないのです。

 素直にお礼など、言えないのです。

 でも、無視をするには、私は貴族の令嬢である自分の誇りを捨てることはできませんでした。

「感謝いたします、バネッサ様」

 自分でも驚くほどに、冷たい声でした。ひきつったようなバネッサ様の顔に、私は泣きそうになってしまいました。

「申し訳ございません、アデライダ様」

 何を謝っているの。

 謝られるようなことをしたというの。

 そんな理不尽な思いが、わき上がってきて、私は唇をかみしめました。

 お兄様がそっと背中を支えてくれなければ、この気持ちを爆発させてしまいそうでした。

「それで、オルランド様の様子はどうなのでしょうか」

 なるべく感情を押し殺し、事務的な口調で尋ねると、バネッサ様は寝台から少し体をずらし、オルランド様の方を見つめました。

「国境を越えた辺りから、かなり無理をされていたのです。殿下が無事に王宮に入られるまではなんとか意識を保っていらしたのですが、その後倒れたきり、意識が戻らないままで……」

「そう。それで、あなたがずっとオルランド様のお世話を?」

「オルランド様が無理をされたのは、半分は私のせいです。私がいなければ、ここまでひどい怪我を負われることはなかった。だから、当然のことをしているまでです。幸い、私には医療の心得もありますから」

「あまり騒がず、ひっそりと身内だけで処理したのはわけがある。今回のことは、あまり公にはしたくないんだ。殿下が無事に帰ってきたということだけが重要で、その過程で何があったのかは、民には伝えることはない。話が蒸し返されれば、せっかく戦が回避できたというのに、それが無駄になってしまう」

 そんなに深刻なことになっていたということに、呆然としました。

 恐らくお兄様も、ここまで私に話すつもりはなかったのでしょう。なんとか私の気持ちをなだめるためだけに、話せる範囲で教えてくれているのかもしれないのです。

「複数の近衛が隣国で怪我をしたことは、お前もよそでは話さないように」

「はい」

 私はお兄様に返事をした後、ゆっくりと音をたてないようにして、寝台に近づきました。

 固く閉じられた目元にも、敷布から出た手にも、こすれたような傷があります。巻かれた包帯の量も多く、痛々しい姿でした。

 傷が痛むのか、時々顔が歪み、熱があるためなのか肌も汗ばんでいるようでした。傍らに立つバネッサ様が手に布を持っているのは、もしかするとその汗をぬぐうためのものかもしれません。

 私は敢えて、それを見ないようにしました。彼女がずっとそうやってオルランド様の世話をしていたことを、認めたくなかったのです。

 あさましい、と思いながらも、胸の中の暗い感情を抑えることは出来ませんでした。

 他人の婚約者になれなれしくしないで、とのど元まで出そうになります。

 ただの政略結婚の相手であったはずの私が――何の愛情も持っていないと思われている私が、そんなことを口にすることそのものが、バネッサ様にとっては理不尽なことなのかもしれないのに。

 そもそも、盗るだの盗られるだの言い合っている場合ではないはずです。

 今はそんな自分の醜い感情に囚われている場合ではないのでしょう。

 怪我で苦しんでいるのは、私やバネッサ様ではなく、オルランド様です。

 無事を祈り、何事もないように願ったあの夜の気持ちは真実だったはず。ならば、今はオルランド様が元気になるのを願うべきなのです。

 全てを振り切るように、ゆっくり息を吸い込むと、私は少しかがみこんで、寝ているオルランド様の顔をのぞき込みました。

「オルランド様」

 呼びかけても、当然返事はありません。

「私も何度か話し掛けてみましたが、反応はないのです」

「……そう」

 そっと触れた指先にもやはり力はありませんでした。あの時の手の温かさを思い出し、胸が苦しくなりました。こんな姿を見ることになるなんて、あの夜は思いもしなかったのですから。

 しばらくそうやってオルランド様の様子を見ていた私の肩を、いつのまにか側に来ていたお兄様がそっと叩きました。

「あまり長居しても、よくないだろう。今日はもう帰ろう」

 そうお兄様に即されれば、私には強引にここへ残る理由はありません。

 私にも、お兄様にも、ここで出来ることはないのですから。

「バネッサ殿。後はよろしくお願いします」

 お兄様がそんなことを言うのを、私はぼんやりと聞いていました。

 お兄様でさえ、彼女がここにいることを認めている。そのことに、悲しいのか苦しいのか、わからなくなってきています。

 扉が閉まる瞬間、見えたのは、バネッサ様がオルランド様の汗をぬぐう姿でした。

 愛おしそうに、丁寧に触れる仕草と、慈しむような眼差しに、見てはいけないものを見てしまった気がして、私は慌てて外へと出てしまいました。

 その乱暴な仕草に、お兄様が驚いたように振り返ります。

「どうした?」

 問われて、浮かんだのは、罪悪感と不安。

 かつて、確かに二人は恋人同士でした。

 嫌いあって別れたのではなく、セレスティナ様によれば、誤解と臆病さが二人の仲をこじれさせたのだといいます。

 隣国で何があったのかはわかりません。

 その間、ずっと一緒だったのならば、誤解も解けたかもしれません。

 極限状態にあったとすれば、互いの大切さに気がつくことだってあるでしょう。

 そんな物語のように都合よい展開など、本当はないのかもしれないけれど、可能性は否定できないのです。

 その時、邪魔なのは私。

 婚約などしていなければ、幸せな結末だって二人にはありえたはずなのですから。

「お兄様。私は、恋人同士を引き裂く悪い女性になってしまったようですわ」

 返事はありませんでした。

 そのことにお兄様の気遣いを感じます。

 きっと今の私は何を言われても、否定し反発してしまうでしょう。お兄様相手に、怒鳴り散らしてしまうかもしれません。

 かろうじて我慢していられるのは、小さな自尊心があるからです。

 みっともない姿だけは見せたくない。

 そんな吹けば飛んでしまいそうな気持ちだけが今の私を辛うじて冷静にさせているのかもしれません。

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