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「ああ、お前の言いたいことは、大体わかっているよ」

 そう私に向かって言った2番目のお兄様は、観念したかのように肩を竦めました。

「ならば、話は早いです。説明してください」

 詰め寄る私の息が少しばかり切れているのには理由があります。

 朝食後、私を避けるかのようにこそこそしていた2番目のお兄様を、ずっと探していたからです。

 散々屋敷内をうろうろして、ようやく捕まえることが出来たのは、裏口へと続く廊下でのことでした。

 普段ならば、表の玄関から皆に見送られて仕事に行くというのに、あからさますぎます。

 しかも、いつもより出かける時間が早すぎます。

「でも、ここで話すのはまずいよな。……庭に出るか」

 何が何でも逃がさないという私の気迫に気がついているのでしょうか。

 それとも、私がはしたなく掴んでいるお兄様の外套が皺になるのが気になるのか。

 しぶしぶ、というよりは、どこか楽しそうに見えることに不安を覚えますが、お兄様からの提案を受け入れることにします。

 確かに、屋敷内では誰の耳があるかわかりません。

 昨日のオルランド様の様子からも、王都にいることが知られるのはまずいでしょう。私だって、未婚の男女で二人きり、しかも片方は寝間着姿だったという事実は誰にも知られたくありません。

 例え、一緒にいた相手が婚約者だったとしても。

「わかりました。庭で話しましょう」

「だったら、東屋に行くか。あそこなら、周りに人が隠れられる場所もないから、ちょうどいい。少し寒いけどな」

 私がいつも利用していた中庭の東屋は、冬の間は寒すぎて誰も近づきません。周りに遮るものが何もないからです。今日のような風のない日はよいですが、雪が降ったり風が吹いたりすると、そこにいるだけで凍ってしまいそうになるのですから。

「上着を着て、暖かくしておいで。先に行って待っているから」

 お兄様は出かける支度をしていますから、外套を着ていますが、私は部屋着のままです。

 このまま外に出れば、本当に凍り付いてしまうでしょう。

「逃げないでくださいね」

 念を押すように言うと、お兄様は苦笑しながらもうなずきました。



 急いで支度をして庭に出ると、お兄様は身をすくませながら、私を待っていました。

 防寒着を着込んでいるとはいえ、冬の朝は寒いのです。

「お待たせしました、お兄様」

 着膨れしてしまっている私も、今は見栄えよりも暖かさを重視した姿です。

 話がどれくらいになるかわかりませんでしたし、風はないとはいえ、今日の空は雪でも落ちてきそうなほど暗いのです。

「いろいろ言いたいことはあるけれど、いくらなんでも夜中に未婚の令嬢の部屋に殿方を忍び込ませる手引きはだめでしょう」

 私はまずそのことを口にしました。

 お兄様のことです。また同じことをしでかしそうなのです。

 ですが、私の怒りに、お兄様の方は、にやにや笑うだけで、反省しているようには見えません。

「寝ているから、アディには会えないかもとは言ったんだぞ。それでもいいって言ったのは、オルランド殿だ」

「そういう問題ではないでしょう」

「でも、アディは昔から寝付きがよくて、眠りも深いじゃないか。オルランド殿が来たことに気がつかないだろうって、思っていたんだがな」

 確かに、子供の頃は、一番に眠くなり、起きるのも最後でした。

 一度寝たら起きないからと、お兄様が私の髪をぐしゃぐしゃにして泣かせたのも、顔に染料でいたずら書きをしたことも、よーく覚えていますとも。

「それに、実際は起きていたんだろう。お互いに、よかったじゃないか」

「よくありません! もっと他に方法がなかったのかと、問い詰めたい気持ちでいっぱいです」

 壁をよじ登るという危険なことをしなくても、こっそり屋敷内に招き入れる方法はあったはずです。

 お兄様のお部屋は1階で、外へと通じる扉もありました。

 そこから私の部屋までは階が違うとはいえ、離れているわけでもありません。

「屋敷内を歩く方が、見つかりやすいじゃないか。誰にもオルランド殿の姿を見られたくなかったんだ」

 そんなことはわかっています。

 そもそも、私がオルランド様と会っていたことも、秘密にしなければいけないことなのでしょう。

 お兄様がこのことで謝るつもりも譲るつもりもないようですし、結果的には会ってよかったのですから、納得するしかないのでしょうけれど。

 気になることは、他にもあります。

「お兄様がそこまでオルランド様と親しいとは思ってもみませんでした」

 同じように王宮に勤めているわけですから、以前より顔見知りではあったはずです。

 ですが、オルランド様は、武官です。近衛になる前は、騎士の宿舎と仕事場を往復するばかりで、文官として王宮内で働くお兄様に会う機会もあまりないでしょうし、近衛になってからは、詰め所の場所も王族の居住区と近くなり、ますますお兄様と接する場は減ります。

 お互いが王宮勤めになる前は、お兄様は貴族が通う学校へと行っていましたし、オルランド様は騎士見習いでしたから、この頃親しくなった可能性も低いはず。

 一番考えられるのは、婚約の話が出て、オルランド様が頻繁に屋敷を訪れるようになってからですが、私が覚えている限り、二人が一緒にいたのは、晩餐の時くらいです。

 その時も、話はほとんどしていなかったように思います。

「別に親しくはないぞ。どっちかっていうと、仲は悪い方。ただ、今ちょっといろいろ関わりがあるだけだ」

「……そうですか」

「あれ? 理由は聞かないのか?」

 聞いても教えてくれないくせに。私がそう指摘すると、へらへらしていたお兄様の表情が真面目なものになりました。

「それが懸命だな。あんまりこういうことに首を突っ込まない方がいい。お前はいずれ騎士の妻になる身だ。敢えて知らないふりをして、自分と家庭を守り、ひたすら待つということをしなければいけなくなる」

 同じようなことは、他の騎士の奥様方から聞いています。

 任務などで遠く離れた土地にいても、便りもほとんどないのだと。

 中には待つことに耐えきれず、病をわずらったり離縁した人もいるという話でした。

「結構辛いぞ。……ただ待つっていうのはな」

「何をしているのか、知らされないからですか?」

「それもあるが、時には生死さえわからなくなる時もある。おまけに、普通の騎士とは違って、彼は近衛だ。主の命を守ることが最優先となるからな。極秘の行動も多い」

 今回のように、ということでしょうか。

「オルランド殿は、それでもお前に誠実でありたいと言っていた。だから、お前も、彼に対して誠実でありなさい。例え、どんなことがあっても。私から助言できるのはそれだけだよ」

 無意識に触れた耳には、昨日オルランド様から預かった耳飾りを付けています。

 未婚の女性は髪を下ろすことが多いですから、人には見られることは少ないですが、それでも何かの折には、私が左右違う耳飾りをしていることに気付かれるかもしれません。

 なるべく似たようなものを反対側には付けていますから、よほど近づかなければわからないはずですが、その危険を冒しても身につけているのは、あの方を信じると決めたからです。

 無事に帰ってくると言われたその言葉を――そして、無事でいて欲しいという私の願いを忘れないための、私なりのお守り。

「大丈夫だよ。何事も起こらないように、私たちが頑張っているんだから。オルランド殿も、自分の出来ること出来ないことはわかっている。無茶などしない人だ」

「……お兄様……」

「それでも、最悪なことが起きたなら、その時は泣けばいい。それまでは、騎士の婚約者として、歯を食いしばってでも弱いところは見せてはいけない」

 はい、と頷くと、小さな頃のように、お兄様は手を伸ばして、私をぎゅうぎゅうと抱きしめました。

「い、痛いです、お兄様!」

 訴えるとすぐに手は離れましたが、変わりに、髪の毛をぐしゃぐしゃにされました。

 ほっぺたもむにゅってされました。

「いつまでも、子供でいるわけにはいかないけれど、本当はずっと幼いままでいたかったな。大人になるとしがらみが増えすぎて、家族や大事な人よりも立場や国を優先しなければならないことばかりだ。言えないこともたくさんあるしな」

 いつかジェセニアとも似た話をしたのを思い出します。

 大人になると、出せない感情が増えていくのは仕方ないことなのでしょう。

 それでも、お兄様は私を心配してくれている。そんな人が、ヘッセニアやジェセニアだけではないということが、私は嬉しかったのです。

 だから。

「国や家のために、感情だけで動く事が出来ない私を許してくれ」

 そんな風に謝るお兄様に、大丈夫だと私は笑ってみせました。

 私は『待つ』決心をしようと思うのです。

 戦うことも、政治的なことに首を突っ込むことも出来ない私が唯一できることはそれだけです。消極的だと言う人もいるかもしれません。受け身なだけだと笑う人もいるでしょう。

 ですが、それは、それを出来る方がすればよいのです。

 私は、私にしか出来ないことをするのです。

 そして、次にオルランド様に会うときまでに、ちゃんと自分の感情と向き合えるように、もう少しだけ頑張ってみようと思うのです。

 不思議なことに、そう考えると、頭もすっきりしてきました。

 悩んでいるばかりでは何も変わらないけれど、悩まなければ、きっと先へは進めなかったでしょう。そのことが、今になってようやくわかってきました。

「だけど、お兄様。あんな淑女として恥ずかしい目には、もう合わせないでくださいね」

 もちろん、そのことだけは、ちゃんと言っておきましたけれども。

 殿方に、寝間着姿を見せるのは、やはり恥ずかしすぎますから。



 それから更に日にちが過ぎ、国内にも隣国との不穏な噂が流れ始めた頃。

 第2王子が帰国されたという知らせが私の元に届けられました。

 怪我もなく元気だということにほっとする私でしたが、それを知らせてくれたお兄様の表情の暗さに、胸騒ぎがします。

 何かあったのかと尋ねる前に、お兄様がすぐに着替えてくるようにと告げました。

「オルランド殿を含め数人の近衛は、負傷しているそうだ。オルランド殿は特に容体もよくないと聞いた。医療院に向かうから、支度を急ぎなさい」

 その言葉に、私は思わず崩れ落ちそうになりました。

 ですが、すぐに自分を叱咤すると、急いで自室へ向かいました。

 すぐ後ろにヘッセニアが張り付くようについてきて、私の着替えを手伝ってくれましたが、気ばかりがせいてしまいます。

「大丈夫よ、お姉様」

 何度もそう繰り返すヘッセニアに見送られ、私はお兄様とともに、屋敷を後にしたのでした。

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