第一章 2
パチパチッパチッ
何かが弾ける様な、でも心地良い音が耳を触れる。
それに何かとても良い、美味しそうな匂いもする。
「ぐう」
腹の虫が耐えきれずに鳴く。
その音に驚いて目を覚ました。
確か、大きな動物に襲われて逃げ惑う内に追い詰められ、もうダメだと思った瞬間、その動物が何か樹の根のようなものに足を取られて倒れ
・・・そこまでの記憶は鮮明に覚えている。
そこで安堵のあまり気を失ったのだと思い至る。
ボヤけていた頭が徐々にハッキリしてくるにつれ、置かれた状況には混乱していく。
暗い、それにやけに湿気っていて気持ちが悪い。
背中に感じるゴツゴツとした感触、見覚えのない景色、奥に見える小さな光で、かろうじてここが何処かの洞窟の中なのだろうと、判断できた。
「起きたか」
「 !! 」
不意に声を掛けられ、叫び出しそうになる。
慌てて口を手でふさぐ。
「・・・・・だれ?」
恐る恐る、何とかそれだけを声に出す
声のした方へ目を向けると、焚き火の上に大きな鍋が吊るされているのが見える。
その火の揺らめきに合わせて、更に何か大きなものがゆっくりと映る。
まだ視界が像を正しく映さない、それに暗くて良く見えない。
「腹、減ってるか?」
質問には答えず、大きなものが聞いてきた。
まだ姿は良く見えず、得体の知れない雰囲気に飲み込まれそうになる
唾を飲み込む自分の音にびっくりして
それが少し心を落ち着かせた。
少女はこくりと戸惑いながらも頷いた。
「熱いぞ」
大きな影がゆらっと動き、こちらの方へ近づいてきた。
コトッと自分の傍らへお椀のような物と、かろうじてスプーンと判別できるものが置かれた。
この大きなものが使うにはあまりにも小さなお椀とスプーンは、でこぼこでお世辞にも綺麗な形とは言い難い。
お椀の中にはスープのようなものが入っている。
一緒に差し出されたスプーンのような物でスープを混ぜてみる
固形物に当たる感触、立ち上る湯気が芳しい香りを伴う。
どうやら何か動物の肉を煮込んだもののようだ。
美味しそうな匂いが腹の虫を刺激する。
少女は堪らずかぶり付いた。
「あつっ!!」
あまりの熱さに舌を火傷してしまい、勢い余ってお椀を落としてしまった。
「あっ・・・」
「だから熱いと・・」
「体にはかかってないな」
「ゆっくり食え」
大きなものはそう言いながらお椀を拾い、よそい直した。
少女は舌をだし涙目になりながら
「あひがとうござひまふ」
と新しくよそい直したお椀を受けとる。
今度は入念に冷ましながら口へ運ぶ。
スープは塩のみで味付けされており、旨味は全て動物の肉と野草から出た出汁が主であった。
具材は他にハーブのようなものと茸が使われている。
そのスープを一口含むと、濃厚な肉汁が口一杯に広がり、ハーブの香りが鼻を抜ける。
味は濃いがしつこくない、それどころか何杯でもいけそうなほど後味がスッキリとしている。
肉に手をつける、噛み締めた瞬間ホロッと崩れ、溶けてなくなった。
得も言われぬ味と香りの大洪水に、身体の力が抜けた。
一口食べただけで骨抜きである。
そこからは無心で食べた。
一瞬で平らげ、更にもう一杯、更にもう一杯と、とにかく食べて食べて食べ尽くした。
それもそのはず、何せ三日もまともな食事にありつけていなかったのである。
更に極上の肉をふんだんに使った鍋である。無理もない。
「これは何のお肉を使っているのですか?」
先ほどまでの不安も忘れて少女は訊ねた
「一角熊だ」
「えっ!」
「お前が襲われてたヤツだ」
予想だにしない答えであった。
ポツリと呟く
「嘘・・・あんなに恐ろしい動物がこんなに美味しいだなんて・・・。」
「俺にとっちゃいつもの飽き飽きした飯だがな」
「それに動物じゃない、魔獣だ。」
「魔獣ってこんなに美味しかったのですね」
とそのとき何かに思い至ったのか
「あっ!もしかしてあの時!」
「助けちゃいない、偶々そうなっただけだ」
遮るように、ぶっきらぼうに大きなものは答える
「でも、私はおかげでこうやって美味しい食事に出会えました。」
「それに、あなたにも」
「ありがとうございます。助けていただいて。」
少女は心を尽くして、丁寧にお辞儀をしてから、大きな影の方へとゆっくり近づく。
「礼なんかいい、気まぐれだ」
「それより、それ以上近づかない方がいい」
大きなものは大きな手を突き出し制止した。
「どうしてですか?命を救ってくださった方のお顔を拝見したいと思うのは、ごく自然な事だと思います。」
コテンと首を傾げながら少女はあまりに当然の疑問を返す。
いくら自分の姿が見えていないとはいえ、何の躊躇もなくそんなことを言いのける少女に戸惑いながら
「驚かせてしまう、ダメだ」
「そんな事は私が決める事です」
なんだ、この小さいものは、視界も悪く狭い閉鎖空間に得体の知れない大きな何かが其処にあると分かっている筈だ
もう一度語気を強めて制止するが、少女は無視して近づいてくる
「ダメだ、それ以上近づくな」
少し荒っぽく大きなものが言った。
それを聞いて少女は寧ろ、歩の速度を上げてとうとう向かいあわせの位置まで近づく。
「・・だから止めておけと」
焚き火の炎がその大きく醜い姿を映し出す。
大きなものは顔だけを手で覆い、そう言った。
映し出されたその醜悪な姿に少女はたじろいだ。
しかしそれは一瞬の間だけ、少女は直ぐに口を開いた。
「ええ、確かに一瞬驚いてしまいました。でも隠すことの程ではないと思います。」
「私はもっとちゃんと貴方を見たいです。顔を隠さないで下さい。」
ずい
少女は尚も近づく
「ダ、ダメだ」
「ダメじゃないです」
ずい
「止めておけ」
「止めません」
ずいずい
「見るな」
「見ます」
ずいずいずい
「驚くぞ」
「驚きません」
ずいずいずいずい
「恐いぞ」
「恐くありません」
ずいずいずいずいずい
「気持ち悪いぞ」
「気持ち悪くありません」
少女の顔が、覆っている手にくっつくかくっつかないかの距離まで来て
「いいからその手を退けてください!」
痺れを切らし、少女は少し語気を強めた。
ビクッとその巨体を揺らす
小さな少女に気押されるように大きな巨体の持ち主はゆっくりと、恥ずかしそうに手を降ろした。
「・・・やっぱり驚きも恐くも気持ち悪くもありません。良くある顔です。少し特徴的な。」
ニコッと笑い、少女は言った。
「…それは無理があるだろう」
「そんな事はありません。人間色んな顔がありますもの。貴方もその中の一人に過ぎません。」
少女は何の気なしにそう言葉を返した。
その少女は綿毛を吹く様なそんな軽い口調で、さも当たり前に、
『人間』
と言い放ったのだ。
それはいくら渇望しても届けられることの無かった言葉
衝撃が走る
「人間…」
まさかそんなこと
「そう…言ってくれるのか」
信じられない
「人間じゃないのですか?なら貴方は何物なのですか?」
そう問われ、胸が詰まりそうになる。
だが、そう俺は
「人間だ」
「なら当たり前じゃないですか」
彼女は屈託の無い笑顔でそう言い切った。
彼は異形の化け物としてこれまで過ごしてきた、冒険者からは追い回され、人々からは忌み嫌われ迫害を受け生きてきた。
この姿になってから、自分を見て逃げ出すか石を投げるかの二種類の人間にしか出会ってこなかった。
だからこそ、こんなにも美しい少女に自分の姿を見せたくはなかった。
自らの醜さで少女の美しい顔が酷く歪むのを見たくなかった。
恐怖を与えたくなかった。
罵倒を受けるのが怖かった。
普段から他者と接触をしないようにしてきたのは、そんな人間達の純然たる恐怖と悪意に晒されるのが恐ろしかったからだ。
なのに、こんなにもあっさりと自分を受け入れられたのは初めての経験であった。
戸惑う。
なんだろうこの胸の空洞を押さえつけられるような感覚は。
どう表現したらいいのかわからない。
気づくと彼は大粒の涙を溢していた。
「えっ大変!私何か無神経な事を言ってしまったでしょうか?ごめんなさい!もし貴方を傷付けてしまったのならお許しください。」
突然泣き出した大きなものにおろおろと少女は謝った。
「違う。違うんだ。」
「で、でもそんなに泣いて・・・」
「この姿になって千年余り、今までそんな風に言ってもらったことなんてなかった。そんな風に人に、優しくされたことなんてなかった」
ボロボロと溢れる涙を拭いもせず、化け物は否定した。
「あら、でも貴方は私に優しくしてくださいました。」
少女はキョトンとしてそう言った。
「優しくしようと思ってしたことではない、ただそうしただけだ。」
尚も泣きながら大きなものは言葉を返した。
「だとしたらそれは、真実の優しさです。」
柔らかく微笑み少女は続ける。
「私は偶々貴方に命を救われた。偶々安全な場所まで運んでもらえた。偶々貴方が美味しい食事を作ってくれた。それが全て偶々なのなら、それは掛け値無しにただの優しさです。」
少女は屈託のない笑顔でそう紡ぐ。
そして彼の涙を自分の袖で拭いながら訊いた。
「私はファティ、貴方のお名前を教えて下さいませんか?」
少し間をおいてから
「俺にはもう名前なんてない」
震える声でそう答える。
「あら、でしたら私が付けてもよろしいですか?」
無邪気にそう言った
「そうですねぇ」
当人の許可も取らず、ファティは首を傾げ人差し指を顎に当て考えている。
「んー、何がいいかしら」
その、歳相応な仕草はとても愛らしく無邪気な少女だ。
そのままうんうんと唸って、少し時間をかけてから急にパッと表情を変えて
「オーキー」
「というのはいかがでしょう?」
何故その名前に行き着いたのか全く不明だが
「ああ、それでいい。」
即答した
「由来はなにかあるのか?」
すでに名を無くしてから数百年が経っている彼には名前と言うものに感慨などないが、単純に何故その名前なのかが気になった
少女はクスッと笑ってこう答える。
「飼っていたチュリカの名前です」
チュリカとはこの世界で一般的にペットとして飼われているネズミのような動物だ
「なっ・・いや、そうか・・・」
名前に拘りがないとは言え流石にネズミと同じ名前というのは少々堪える。
だが一度認めたものを引っ込める訳にはいかず、複雑な気持ちになる。
そんな形容しがたい気持ちが顔に出ていたのか、少女は顔を赤くしながらクスクスと笑っている
その表情を悟られないように口元を手で隠しながら
「冗談ですよっ!」
「本当は・・」
「貴方がとっても大きい人だからです」
「・・・」
あまりの単純さにチュリカとそれほど変わらないではないかとそう思ったが
「人間的にも」
少女はそう付け加えた
「単純過ぎますか?」
顔を覗きこみ、訊いてくる。
まだ慣れないので顔を凝視するのはやめて欲しい。
恥ずかしさに顔を逸らす
この小さな少女の大きな心は彼の全てを受け入れる
こんなにも小さな少女だというのに終始押されっぱなしだ。
自らの情けなさと、胸の奥に灯る嬉しさを噛み締めながら軽く首を横に振る。
「・・・いや、それでいい」
「では、改めまして」
少女は満面の笑顔で
「はじめまして、オーキー」
大きなものは照れくさそうに
「はじめまして、ファティ」
二人は出会ってから、初めて挨拶を交わした。
第2話
お読みいただきありがとうございます。
ファティとオーキーを好きになってくれたら嬉しいなぁと親バカなヘベレケです。
次話は月曜日の朝7時ごろに投稿致します。




