第18話 魔族少女の心
この人間は、何が目的なのだろう。自分に何をさせたいのだろう。
新たな主人――レイに奴隷として買われた時から、私はずっとその事を考えていた。
宿に泊まる時に夜伽をさせるわけでもなく、強引に襲ってくるわけでもなく。
ダンジョンに入り、私を盾にするわけでもなかった。
その得体の知れなさが、私には怖かった。
何かをされる前に、逃げようと考えた。
奴隷に課された制約は僅か二つ。
主人の命令に背かない事と、主人に反意を抱かない事。
つまり、言われた事の範囲外であり、かつレイに危害を加えたりする内容でなければ、私はなんでもできる。
そこを上手く利用した、つもりだった。
レイとリリアが殺したゴブリンの解体に夢中になっている間に、コッソリと抜け出し、地上まで逃げる作戦だった。
地上まで逃げれば、私は自由だ。狭い街の中ではいつか見つかるかもしれないが、レイ以外の人間であれば見つかっても問題は無いし、最悪レイに見つかりそうになれば、街の外に逃げればいい。魔物に襲われて死ぬかもしれないが、その覚悟もあった。
しかし、私の計画は、途中で失敗した。
自由になれるという高揚感の前に私の視野は狭まり、避けられたはずの罠に引っ掛かった。
ダンジョンに入る階段を下る時、レイが私に忠告していた事だった。私はレイの話を聞いていなかったから、罠についてよく分からなかった。
結果、大量のゴブリンをおびき寄せ、囲まれる事になった。
私は死を覚悟した。
私にできる事と言えば、申し訳程度の風魔法のみ。詠唱の速度は遅いし、魔力の量も少ない。少し魔法を放てば動けなくなるし、そもそも囲まれた状況下では、魔法を詠唱する余裕も無かった。
死ぬ。
死を前にして、私の中には絶望感だけでなく、これで自由になれる、という解放感もあった。
最後まで、私は人間を恨み憎み嫌ったまま逝ける。最期まで、私は人間に心を許さなかった。
その、はずだったのに。
ゴブリンの解体を行っていたはずのレイは、大量のゴブリンの頭上を通って、私の傍までやってきた。
呆れた事に、武器も何も無いのに駆け出して、私を助けに来たと宣った。
私は驚き、呆れ、そして――何故か、嬉しかった。
人間に対してそんな感情を抱いた事がおかしくて、私はまるで照れ隠しのように、そっぽを向きながら言葉を返す事しかできなかった。
その時は、何故かはよく分からないけど、レイと一緒に死ぬのもいいかも、と思っていた。
しかし、レイには私を死なせる気は無かった。
レイは極限状態の中でできる事を考え、実行し、そして成功させた。
私の魔法を活用してゴブリンの武器を奪い、そして抵抗した。
魔力切れ寸前のお荷物となった私を庇って、傷を負いながら。
傷だらけの中で、剣を振るい続けた。
やがて、私とレイが居なくなった事に気付いたリリアも駆けつけてきた。
私は初めて人間を信じて、残った魔力を最大限使い、人間に自身を託した。気を失うほどの魔力を使い、出会ってからほんの少ししか経っていない二人の人族に、自分の命を賭けた。
人間など、恨んで憎んで、殺したいとまで思っていたはずなのに。
私は、それを信じた。
「……ん」
その結果が――これだ。
私は、木製の天井を見上げ、柔らかいベッドで寝ていた。
自分がダンジョンを脱出した事を理解し、ベッドの上で安堵する。
周りを見渡せば、部屋にある他のベッドで満足そうに眠る、黒髪の青年と、銀髪の少女の姿があった。
私を庇って負った傷は完治しており、二人は幸せそうな表情をしていた。
私はベッドから起き上がると、二人が眠るベッドに移動した。
ベッドに体重を掛け、二人の傍まで動く。
レイの頬を撫でた。
柔らかく温かくて、何故か心の奥から、愛おしいという気持ちが湧き上がってきた。
リリアの髪を撫でた。
手触りが良く美しくて、何故か心の底から、もっとリリアを知りたいという気持ちが溢れてきた。
二人の手を握った。
温かくて、確かに二人がここに存在しているという事が伝わってきた。
「……ありがとう」
自分でも聞こえないくらいの小さな声で、感謝をした。
二人の顔が、直視できなかった。
見たくないわけではない。二人の顔をもっとよく見て、もっとよく知りたいのに、顔を見れば、何故だか顔と胸が熱くなって、目を逸らしてしまう。
……なんなんだろうか、この感情は。
私は自分の心がよく分からなくなりながら、眠る二人の間に入り込み、再び眠りに就いた。
パチリ、と目が覚める。
カーテンを閉め切っているからか部屋は薄暗く、とても静かだった。
ゴブリンの包囲網を抜け出した俺とリリアは、気絶したフェードラを抱えたまま、二層を脱出し一層に上がり、そして地上まで帰ってくる事ができた。
武器の代わりにフェードラを担ぎ、その上傷を負っていた俺は、ひたすらリリアに守ってもらうのみだった。
しかしリリアは嫌な顔一つせず、度々俺の身を心配してくれた。
再び武器を失くし、治療院での治療代も支払う事になったが、無事にフェードラを罠から救えたので、後悔はしていない。
昨日の出来事を振り返っていると、ある事に気付く。
自分のものではない体温を感じている。それも、二つ分。
リリアは分かる。最近は自分から俺と一緒に寝ようとしてくるぐらい、俺の事を信頼してくれている。寝る時も体温を感じていたので、これは分かる。
しかし、もう一つ分の体温は?
俺は薄暗い部屋の中で、向かいのベッドで眠っているはずのフェードラを探した。
しかし、どこにも見当たらない。
「……んんぅ……」
自分の傍で声が聞こえた。
ふと視線を下ろすと、俺の上に乗っかる形で、フェードラが居た。小さな体に実った豊満な胸が、俺の胸に押し付けられている。
「……参ったなぁ……」
二人を起こさないよう、声を殺して呟く。
恐らく、寝惚けたフェードラが、ベッドを間違えたのだろう。
俺はフェードラを起こさないよう、ゆっくりと体を横に動かし、フェードラをリリアの傍で寝かせて、布団から出た。
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