第35話 オルド・イージス
オレの前に立つ影だけが、止まっていた。
黒いフードの奥。
灰色の瞳。
「……オリビア」
声に出した瞬間、胸の奥が硬くなる。
オレの拳が、自然に握られた。
目の前の女は動かない。
逃げない。
構えない。
ただ、立っている。
それが逆に、気味が悪かった。
「……何しに来た」
「......」
オリビアは答えない。
代わりに一歩だけ、近づいた。
反射的に肩に力が入る。
距離。
呼吸。
視線。
全部測る。
──戦える距離。
「……お前」
口が勝手に動いた。
「……ミラの家、燃やしたの、誰だ」
オリビアの瞳が揺れた。
ほんのわずか。
でも見逃さない。
──やっぱりてめえか。
オレの膝に力が入った。
「……違う」
オリビアは小さく言った。
でも。
何かは隠してる。
そう思った。
「じゃあ誰だ」
答えない。
その代わり、オリビアは静かに言った。
「来て」
「……は?」
オレの横を通り過ぎる。
オリビアは背を向けたまま言った。
「ついて来て」
オレは思わず叫んだ。
「おい、待て!」
オリビアは歩みを止めない。
でも、無防備な背中。
オレは舌打ちした。
「チッ。なんだよ」
白い息。
石畳。
静かな街。
オリビアは一度も後ろを見ない。
一度もオレを確認しない。
オレはたまらず声をかけた。
「オリビア。どこへ向かってる?答えろ!」
オリビアは足を止めず、少しだけ振り返った。
「教会」
一瞬オレの体に力が入った。
あの場所。
墓地。
鐘。
黒装束。
そして燃えたミラの家。
やっぱり関係してるのか。
「……そこに何がある」
「来れば分かる」
「断るって言ったら?」
その言葉にオリビアは足を止めた。
「だったら来なくていい」
風が吹き、オリビアの前髪が揺れる。
こいつ……
「……」
なんかムカつく。
すげえムカつく。
でも、胸の奥。
自然が、オレの本能が騒ぐ。
──行け。
オレは頭を掻いた。
「分かったよ」
オレはオリビアに肩を並べた。
ミラの家の前に差し掛かった時、オレとオリビアは同時に足を止めた。
敷地には黄色のテープが張られ、焦げ臭い匂いが残っていた。
オレはまた拳を握った。
「クソ……」
オリビアと目が合う。
「……行こう」
オリビアはそう言うと視線を逸らし、再び歩き始めた。
因縁の墓地。
スウェーデン初日。
初めてドラウグルにやられた場所。
初めてミラと共闘した場所。
そしてオリビア……。
割れた墓標。
えぐれた地面。
戦いの痕跡はそのまま。
でも。
何故か。
今日は、なんの気配も感じなかった。
墓地を抜け、教会の前に立った。
壁一面にルーン文字。
意味は全くわからない。
オリビアは無言のまま、静かに教会の扉を開けた。
教会に入ったオレは、目を見開いた。
目の前に大きなシンボル。
講壇。
チャーチチェア。
何もなかった。
高い天井、広い構内。
その中心に、小さな暖炉。
木製の椅子が暖炉を囲うように置かれている。
「こ、ここは?」
オリビアの口元が初めて緩んだ。
「私の、家──」
「は?」
「そして、オルド・イージスの拠点」
オルド?
イージス?
え、なんのこと?
その時、奥から大きな男の声が響いた。
「ワイルドブラッド!君か!」
刈り上げた金髪。
青い目。
鍛え抜かれた大きな体。
「オレはヴィーゴ!ヴィーゴ・ロセンベリだ!よろしくな!」
ヴィーゴ……
「——警戒するな、ワイルドブラッド!襲ったりしねえよ!」
いや、誰だお前?
《新ヴォルヴァ接触》
《ヴィーゴ・ロセンベリ》
《敵対意思:不明》
《共闘意思:不明》
すると、石造りの支柱の脇で、もうひとつの影が動いた。
「ん?」
姿を現したのは、真っ直ぐに伸びた黒い長髪。
細身の女性。
「……アイリです」
アイリ……。
「オリビア……よかったの?……」
なんか、暗い子だな。
よかったのってどういう意味だよ。
にしても新キャラ二人も出て来た。
なんなんだ、ここ。
《新ヴォルヴァ接触》
《アイリ・ルーネル》
《敵対意思:不明》
《共闘意思:不明》
オリビアが、話し出した。
「二人とも私の仲間」
「仲間って……お前ら、宗教?暗殺集団?それとも──どっちでもねえのか」
オリビアは、壁にかかっている黒い装束を指差した。
「私達は宗教団体でも、暗殺集団でもない。ヘルヘイムを監視する組織オルドイージス」
「ヘルヘイムを監視?」
「翔……座って。説明する」
オリビア。
初めてオレの名前を呼んだな。
「あ、ああ」
椅子に座ろうとした時、奥からもう一人の声が聞こえた。
「その必要はない。そいつをすぐに追い出すんだ、オリビア」
空気が、静かに冷えた。
もう一人いたのか……。
オリビアはそっと目を閉じた。
「ノア……」
《新ヴォルヴァ接触》
《ノア・ヴァルケン》
《敵対意思:不明》
《共闘意思:不明》
「オルド・イージスを危険に巻き込むつもりか、オリビア」
オリビアはキッパリ言った。
「いいえ。我々は彼を支援します」
ノアと呼ばれた細身の男は顔を顰めた。
「なんだと?」
「私は──彼とラグナロクを止める。そう決めた」
「バカなことを。ヴィーゴ、アイリ。お前らもか?」
ヴィーゴは笑った。
だが、目は笑っていなかった。
「いやあ、そいつは、どうかなぁ……」
アイリは、まっすぐオレを見た。
「私は、オリビアと共に。いつでも」
ひえぇ、一体なんなんだ、コイツら……。
「ワイルドブラッドに協力など、ありえぬ。認めぬ」
ノアはそういうと背を向け、奥へ姿を消した。




