第25話 涙の向こうにあるもの
クソ……
全く歯が立たねえ……。
オレは膝を押さえて立ち上がったが、足に力が入らない。
ガルムルの足元に倒れたオリビアは、落とした剣を取ろうと手を伸ばした。
そこへ、ガルムルの斧が振り下ろされる。
オレは飛び出した。
「──間に合え!」
間一髪、オリビアを掴む。
ガルムルの斧の一撃が、地面を揺らす。
衝撃波に、オレとオリビアは再び吹き飛ばされた。
「いっ……て」
オリビアが驚いたようにオレを見る。
オレは強がって笑った。
「へへ……ブリッジ・オブ・ガルズの借りは返したぜ、オリビア」
ミラは、まだ立ち上がれない。
ガルムルは、ミラへ向かって歩を進める。
「ミラ!来るぞ!」
立ち上がろうとするミラの背中に、ガルムルの斧が振り下ろされる。
「ヴァ、ヴァルハラ!」
ミラは残った力で《ヴァルハラ・ステップ》を使い、その一撃を紙一重でかわした。
再び巻き起こる衝撃波。
今度はミラが吹き飛ばされる。
「きゃあぁぁ!」
「ミラァ!」
ダメだ……。
強すぎる……。
ガルムルは、離れた距離から再び大斧を振り上げる。
「来る……衝撃波」
オリビアが呟いた。
「ブラッド・バリア……」
オレ達三人の前に、光の壁が展開する。
ブン!
振るわれた大斧から、漆黒の衝撃波が放たれる。
衝撃。
オリビアのバリアが、砕け散った。
「次は……防げない。やられる……」
クソ……!
オレは拳を握る。
なす術が……ねえ。
《生存確率:低下》
《生存確率:0.5%》
0.5……
初めて見た。
ガルムルが、もう一度大斧を振り上げる。
「あいつ、マジで……容赦ねえ……」
ブン!
ガルムルが──斬り下ろした。
死んだ──
そう思った瞬間。
オレ達の目の前に、光が広がった。
金色の光。
カーテンのように、ふわりと揺れる光の幕。
ミラが呟く。
「この光……まさか」
《ヴァナヘイム共鳴:超高》
《ヴァナヘイムの意思:検知》
「フレイヤ!」
ガルムルの衝撃波は、音もなく光の幕に吸い込まれた。
ガルムルが唸る。
「フレイヤ……ヴァナヘイムが介入するか……」
低く、重い声。
「我の独断では触れぬ。ワイルドブラッド、覚えておけ」
その灰色の瞳が、オレを射抜く。
「次は、世界が汝を許さぬ。覚えておけ、ワイルドブラッド。次は汝を、噛み砕く」
ガルムルはそう言うと、ゆっくりと黒い霧の中へ溶け込んだ。
港に、沈黙が戻る。
砕けた石畳が、遅れて転がる。
……静かだ。
その静寂の中、
オリビアが、ゆっくりと立ち上がった。
剣を握ったまま。
その視線が、オレとミラを射抜く。
「……フレイヤ」
低く、噛みしめるような声。
「……フレイヤ様に、会いに行ったんだな。アリスのことを知るために」
オリビアは苦しそうに目を伏せる。
「どうしてだ……なぜ悲劇を抉るような真似を」
真紅のロングソード。
その切先が、オレへ向けられる。
「もう、これ以上……妹の……アリスの死に踏み込まないで……」
声が震えている。
オリビアはミラを見る。
「ミラ・アスクリンド、あなたは知っているはず……!戦うヴォルヴァなんて、間違ってる。妹は身をもってそれを示した。なのに……」
剣先が、わずかに揺れた。
ミラは拳を握り、何も言わず見つめ返す。
「なのになぜ、あなた達は戦う……?」
その一言で、分かった。
オリビアは戦うことが怖いんじゃない。
失うのが、怖いんだ。
オレは、一歩だけ踏み出した。
「来るな!」
鋭い声。
それでも、オレは止まらない。
剣先が、オレの胸に触れる。
「オリビア。お前は悪くない」
瞳が揺れる。
「お前はアリスの死を悲劇だと言った。フレイヤも、力を与えたことを後悔だと言った。世界は悲しい事件だと言って、アリスの死を消費した」
もう一歩。
「やめて……」
「どいつもこいつも、アリスの選択を見ねえ。三年前の事件──あれはヴォルヴァの在り方を変えた」
オレは言い切る。
「ヴォルヴァは戦わないんじゃない。戦えなかったんだ。
……それをアリスが変えた。終わりゆくだけの世界の道を変えたんだ!」
呼吸が荒くなる。
「あれは……世界を変えたアリスの、覚悟の物語だ。勝手にてめえらの感情で書き換えるんじゃねえ!」
オリビアが叫ぶ。
「わかったようなことを言うなぁ、ワイルドブラッドォ!」
「オリビア。あんたは戦っていい」
「何……だと?」
「自分の正義のために、戦っていい」
剣が、震える。
「アリスは、それを望んでる」
夜風が吹く。
その瞬間。
──オリビアのバングルが、淡く光った。
「アリス……っ」
喉が詰まる。
「だからアリスは、あんたをここに連れてきた。わかってんだろ、本当は」
オレは最後に言った。
「世界を変えたアリスの覚悟を……
無駄にするんじゃねえ!」
剣が落ちる。
金属音が、静かな港に響いた。
オリビアは崩れ落ちる。
「うわああぁぁぁぁぁ……」
嗚咽。
肩を震わせ、泣き崩れる。
ミラの拳が、ゆっくりとほどける。
「オリビアさん……」
ミラはそっと、肩を抱いた。
オレは、小さく呟いた。
「オリビア……。あんたはすでに戦ってんじゃねーか」
夜の港に、風が戻る。
凍りついた水面が、小さく波打つ。
遠くで係留された船の索が、きしりと鳴った。
オリビアの嗚咽だけが、
静まり返ったニーナスハムンに溶けていく。
空はまだ暗い。
それでも──
雲の切れ間から見えるかすかな星明かりが、
新たな始まりを告げているようだった。




