第24話 グリーンインパクト
港に停泊する船のマストが、風にきしむ音だけを立てている。
静か過ぎるニーナスハムンを、オレ達はかけていた。
迫り来るヘルハウンドとガルムル。
「……っ、はぁ……っ!」
極寒の夜に肺が焼ける。
靴底が石畳を叩くたび、脚が悲鳴を上げる。
後ろから──
ガァァァァッ!!
獣の咆哮が、夜の港に反響した。
「来てる……!」
ミラが振り返り、歯を食いしばる。
オリビアは無言で走りながら、背後を鋭く睨んでいた。
ヘルハウンド。
黒い毛並みは夜に溶け、赤く光る目だけが闇の中で揺れている。
数は……5、いや6。
一匹が街灯をなぎ倒し、火花と共に着地した。
距離が、一気に詰まる。
「翔くん!」
「分かってる!」
オレは急ブレーキをかけ、踵を軸に反転する。
逃げるだけじゃ、終わらない。
「──来いよ」
ヘルハウンドが跳んだ。
一匹。
オレは低く身を沈め、拳を振り抜く。
「っらぁ!」
ゴッ!!
骨に当たる、確かな手応え。
ヘルハウンドの頭が横に弾け、身体ごと路地の壁に叩きつけられた。
二匹目が、ミラに飛びかかる。
ミラは一歩も退かず、白銀のレイピアを突き出す。
「──来ないで!」
風が爆ぜ、白い閃光がヘルハウンドを貫く。
ヘルハウンドの身体が宙で切り裂かれ、血と影を散らす。
「あ、ごめんなさい」
ミラは思わず手を合わせた。
「後ろ!」
オリビアが叫んだ。
三匹目。
オリビアの真紅のロングソードが弧を描く。
音すら、遅れて届く。
一閃──
ヘルハウンドの首が、影ごと断ち切られた。
だが、その瞬間。
道の両脇から、二匹のヘルハウンドが飛び出す。
遠くから、雄叫びが轟く。
地面が鳴った。
ガルムルが、動いている。
ガルムルの咆哮にヘルハウンドの影が濃くなる。
増えている。
「……きりがないわ」
オリビアが唇を噛む。
がむしゃらに逃げて、オレ達が着いたのは、
ニーナスハムンの倉庫群。
暗闇の奥から、赤い目が次々と灯っていく。
ヘルハウンドが、道を塞ぐように前に出た。
4匹。
左右に回り込み、逃げ道を潰しに来ている。
「チッ……」
オレは足を止めた。
ミラが一瞬だけ振り返る。
「翔くん、無理は──」
「いや」
拳を、強く握りしめた。
胸の奥。
さっきから、ずっと燻ってる。
ナッカでとった、
ヒルディスティーニとの相撲。
あの時も感じた。
ヴァナヘイムの自然が、背中を押してくる感覚。
そして、頭を過ぎるフレイヤの言葉。
──私が守りたかったのは、ミッドガルドと自然の調和。
「……来る」
オリビアが小さく息を呑んだ。
オレの拳に──
緑の光が集まり始めた。
「翔くん……その色……!」
違う。
今までの“暴れてるだけ”のオーラじゃない。
拳の輪郭に沿って、
蔦みたいに、葉脈みたいに、
自然の気配そのものが絡みついてくる。
風が、オレの周囲だけ逆巻いた。
《ワイルドブラッド反応:変質》
《新規技構築中》
「……ああ、そうか」
オレは、理解した。
動物。獣。
自然の中で生き、死に、歪んだ存在。
なら──
自然で、叩き返す。
踏み込む。
一匹目が飛びかかる。
オレは避けない。
拳を、まっすぐ叩き込んだ。
次の瞬間──
拳が当たった“その一点”から、
緑の衝撃波が弾け飛んだ。
爆発でも破壊でもない。
生命の衝突。
緑の衝撃が、波紋のように広がり、
ヘルハウンドの身体を内側から打ち抜く。
「ギャ――ッ!?」
獣の影が、悲鳴ごと粉砕された。
霧が、緑に染まって霧散する。
「……っ!?」
残りのヘルハウンドが、明確に怯んだ。
足が止まる。
本能が、拒否している。
ミラが息を呑む。
「効いてる……!?」
「動物系の死霊獣だ」
まだ、緑の光が残っている。
「自然に背いた分……自然に殴られると、キツいらしい」
二匹目が、恐怖を振り切るように突っ込んでくる。
オレは、もう一度。
「──もう一発!」
ドンッ!!
再び、緑の衝撃。
今度は、衝撃が連鎖した。
一匹を貫いた緑の波が、
背後の一匹までまとめて飲み込む。
二つの影が、同時に砕け散った。
港町に、風の音だけが戻る。
オリビアが、目を細めた。
「……拳に、属性を乗せた?」
「たぶん」
ミラは、興奮した声を抑えきれない。
「翔くん……それ、完全に新技だよ!」
《新規神技:取得》
《グリーンインパクト》
《自然エネルギーを一点に集め、インパクトと同時に爆発させる。打撃命中時、自然衝撃波を発生》
《周囲の敵に巻き込みダメージ》
《特効:動物系・自然歪曲系死霊獣》
《生存確率:上昇》
オレは、拳を見つめた。
まだ、温かい。
「へへ……悪くない」
視界の端で、白の閃光と赤の衝撃波が、ヘルハウンドの影を吹き飛ばす。
「はあ、はあ......やったか」
オリビアの眉間に皺が寄る。
「来る!」
オレ達の前に、黒い霧が立ち込める。
その霧をゆっくりと踏み締めるように再びガルムルが姿を現した。
ガルムルは、ふわりと上体を持ち上げオレ達を見下ろした。
その足元から、無数のヘルハウンドが赤い目を光らせる。
こいつも、二足で立つのか......。
オリビアの声が震えた。
「逃げ場が、もうない......」
ガルムルは、背後の黒い霧の中に手を突っ込むと黒いオーラを吐き出しながら、オリビアを見下ろした。
「戦神テュールの玩具よ。アースガルドが本気だとは片腹痛い」
ガルムルはミラに視線を移す。
「観測者のヴォルヴァが、あろうことか境界を行き来し、ワイルドブラッドを誘いこむ。その愚行により汝は、ヘルヘイムの粛清対象だ」
ガルムルは、霧の中からゆっくりと手を抜く。
なんだ!?
おっ、斧!?
霧の中から取り出されたのは、禍々しい装飾の施された大斧。
ガルムルが手に取っただけで、悲鳴のような金切り声が港に響き渡る。
「そして......ワイルドブラッド」
真っ赤に光るその瞳がオレを見下ろした。
「なんだよ?」
「汝は──」
オレは踏み込んだ。
先手必勝!
喋らせるかよ!
緑のオーラが、腕に絡みつく。
ガルムルの漆黒の体に、オレは思い切り拳を叩きこんだ。
接触。
その瞬間、緑の閃光が弾ける。
どうだ!
拳に痺れ。
手応えは、あった。
——はずだった。
「......翔くん......」
ミラの声が震えた。
「ダメだ......」
オリビアの声が小さく響いた。
オレは、ガルムルを見上げた。
何事もなかったかのように、赤い目がオレを見下ろした。
港町から、音が消えた。
「不要だ」
振り下ろされた斧。
「戦神テュール!」
背後でオリビアの声が聞こえた。
──その瞬間、目の前で光が弾ける。
オリビアの赤いロングソードが、ガルムルの斧を紙一重で止めた。
震えるオリビアの右腕。
「全く......!」
今度は上空でミラの声。
「ヴァルキリー!」
白い閃光がガルムルの頭に落ちた。
ガルムルは、怯むどころか、微動だに一つしなかった。
「フン!」
ガルムルが息を吐く。
漆黒の霧が膨張し、オレ達の目の前で、
──破裂した。
「ぐわあああぁ!」




