第22話 引き金を引いたのは
オレ達の目の前に、再びアリスの姿が映った。
さっきより少し大きくなった後ろ姿。
まるでカメラが遠ざかるように、その姿が小さくなる。
静かだったフィールドが、人の叫び声に包み込まれた。
怒号、金属音、割れるガラスの音。
現実の騒音が、一気に耳へ流れ込んでくる。
オレとミラの前に、機動隊と、暴れるヴァナリスの活動家達との衝突が映し出された。
その中心に、アリスの姿があった。
ビルの屋上にスナイパー。
その銃口は、アリスに向けられていた。
アリスは、静かにフレイヤを呼んだ。
「豊穣の神。ヴァナヘイムの守り手よ──」
アリスの視線は、群衆の背後に立ち上がる黒い霧に向けられていた。
──翔くん、あれって。
──ああ、ドラウグルだ。
「この世界の均衡を、我が身に宿せ──フレイヤ!」
ドラウグルを捉えるアリスの鋭い瞳は、灰色から、淡いグリーンへと色を変えた。
ミラはオレの横で目を細めた。
──アリス。群衆に紛れ込んだドラウグルをやるつもりかな?
──ああ、多分。
人差し指がドラウグルを指し、
親指が、静かに引き金の位置へ落ちる。
アリスは、手で銃の形を作った。
周囲は騒音と機動隊との衝突の混乱で、アリスの姿に気付いていない。
その時、アリスは、ふとビルの上を見上げた。
スナイパーは、慌ててスコープから目を外した。
「嘘だろ!? バレてる!?」
引き金にかけた指が、震えた。
アリスの人差し指は、ゆっくりと屋上のスナイパーを捉えた。
その時──
フレイヤの叫び声が、響き渡った。
「アリス! ダメ! あなたは、ヴァナヘイムの神じゃない! それをやったら──」
アリスの指先が、金色に光る。
その瞳に、涙が浮かぶ。
「ヴァナヘイムを壊すやつは……許さない!」
躊躇うことなく。
アリスは、小さな声で呟いた──
「......バン」
指先から放たれた金色の閃光は、スナイパーの額を貫いた。
ビルから落ちる人影。
衝突音に、民衆が一瞬止まる。
沈黙の中、どこからともなく、か細いフレイヤの声が小さく響いた。
「アリス……ごめんなさい。これ以上、あなたを守れない……」
アリスの目が、灰色に戻る。
指先の光が消えた。
「え?」
驚いた顔を浮かべたアリス。
その瞬間──
銃声。
混乱に紛れて別の銃口が火を吹いた。
ミッドガルドの銃弾は、アリスの胸を貫いた。
アリスは、空を見上げながら、ゆっくりとその場に倒れた。
オレとミラは、その光景の前に、ただ黙って立ち尽くした。
オレが創り出したフィールドは、ゆっくりと空気に溶け、元の草原に戻った。
目の前には、空を見上げるフレイヤの後ろ姿があった。
「私は、アリスを使ってヴァナヘイムを守ろうとした。それは、神の禁忌に触れる行為」
ミラが呟く。
「禁忌……」
「それがきっかけとなり、アースガルドの神々も、自らの正義を表明するためにヴォルヴァを使うようになった」
オレの頭に、オリビアとフォルセティの姿が浮かんだ。
「あの時、オリビアも……」
フレイヤは、静かに続けた。
「ヴォルヴァ。本来は、神の声を聞き、それを伝える者。それ以上でも、それ以下でもなかった。それを、私は……変えてしまった」
ミラは、下を向いた。
「アリス・エル・ヴァンガードは、引けなかった。フレイヤ様の意思を背負い、ヴァナヘイムを背負ってしまった。そして、ヴァナヘイムを守るために、ミッドガルドに銃口を向けた」
フレイヤは、振り向いてミラを見た。
「私が守りたかったのは、ヴァナヘイムではない。ミッドガルドと自然が調和している、その在り方そのもの」
アリス。
ヴォルヴァの才能が凄すぎて、神に近づきすぎたってわけか……。
フレイヤは、オレを見た。
「アリスは、引けなかった。正しいと思ったから。守れると信じたから。そして、私がそう導いてしまった……」
オレは、そこで言葉を止めたフレイヤに問いかけた。
「それを後悔して、ミッドガルドに姿を隠した。パンとチーズを作って、自分の行為を戒める……ってか?」
ミラが慌てた。
「しょ、翔くん!」
フレイヤが、ミラを手で制して一歩踏み出した。
「何が言いたい、ワイルドブラッド」
空気が、震える。
「お前たち神は、どいつもこいつも傲慢だ。だからオレは、好きになれねえ」
「なんだと?」
「そう導いたからアリスが死んだ? お前が力を与えたから? お前が手を引いたから?──それが、傲慢だって言ってんだ」
「翔くん……」
「お前ら神は、まるで人の意思がこの世界にないかのように振る舞う。人が何一つ変えられないかのように。世界に触れるな。世界はこうだってな」
フレイヤは、言い返そうとして──言葉を失った。
オレは言いながら、思わず拳を握った。
「勘違いするんじゃねえ! アリスは、自分でヴァナヘイムを背負った。自分であの場所に行って、自分で引き金を引いた……。いいか、フレイヤ! てめえの語ったその後悔は、神の傲慢なんだよ! 人の覚悟を、てめえの失敗談にするんじゃねえ!」
オレは、拳を解いた。
「その日、世界が変わったというのなら、変えたのはアリスの意思だ。あんたじゃねえ」
ただ、それでも──
「オレは、あんたを悪い神だとは、言ってねえ」
フレイヤは、しばらく翔を見つめていた。
その瞳にあったのは、怒りでも、弁明でもなかった。
「……そうか」
それだけ言って、フレイヤは小さく息を吐き、空を見上げた。
「ワイルドブラッド……いや、翔。
その言葉を、私は忘れない」
それ以上、何も言わなかった。




