第20話 風なんて吹いてなかった
フェリーが減速して、低い振動が足元に伝わった。
甲板に出ると、冷たい風が吹き抜ける。
潮の匂いは強いのに、どこか乾いている。
「着いたね」
ミラの声に、オレは黙って頷いた。
島には、山らしい山もなく、海の続きみたいな陸地が、静かに広がっている。
タラップを降りた瞬間──
胸の奥が、すっと軽くなった。
「気持ちいい」
確かに人の生活を感じるのに、その奥に自然の息遣いが聞こえる気がした。
スマホを確認する。
──────────────────────
《神格反応:検索》
《反応なし》
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「確かに。神の気配は特に感じない」
オレ達が、最初に向かったのは、海沿いの奇岩群だった。
草原の向こう、灰色の海を背にして、石の塔のような岩が何本も突き立っている。
「……でかいな」
思わず口をついた。
人の背丈なんて軽く超える石が、意味もなく立っている。
誰が並べたわけでもない。なのに、配置が妙に“整いすぎている”。
「ミラ、ここは?」
「ラウカル。神の兵が石にされた、とか。封じられた存在だっていう伝承がある奇岩群。私も初めて見た」
オレは、胸の奥を探るように息を整えた。
──来るか?
スマホを開く。
──────────────────────
《神格反応:検索》
《反応なし》
──────────────────────
……何も、出ない。
風が吹き抜け、草が揺れるだけだった。
「……ないね」
ミラも、周囲を一周して小さく首を振った。
「気配も、歪みも。ここじゃない」
次に向かったのは、ヴィスビュー旧市街。石畳の街の奥、屋根のない教会跡だった。
壁だけが残り、天井の代わりに空が広がっている。
オレとミラは礼拝堂の真ん中に立った。
心地いい風が礼拝堂を吹き抜ける。
オレは思わず呟いた。
「言ってみりゃ廃墟。なのに、なぜか居心地がいい」
「うん。初めてきたのに、なんか懐かしいね」
でも。
《神格反応:検索》
耳に入るのは、遠くの観光客の足音だけ。
《反応なし》
「……ここも違う」
石造りの小さな教会、十字架跡、古い墓標。
三つ目、四つ目と回っても、結果は同じだった。
何も、起きない。
何も、感じない。
オレは、額を軽く掻いた。
「……神様ってさ」
「うん?」
「こうやって探すと、ほんとにいないんだな」
ミラはクスッと笑った。
「こんなに本気で神様を探す人いないしね」
地図で見たゴットランド島は小さく見えたけど、実際に歩くと果てしなく広く感じた。
「ミラ……全く気配がないな」
「うん。主要なところはいくつか行ったけど、ダメだね」
オレ達は、草と低木しかないだだっ広い草原の前に立ち尽くした。
「ふう……どうすっか」
思わず吐いたため息と同時に、オレの腹が鳴った。
ミラが笑った。
「確かに」
辺りを見渡したオレは、草原の端にポツンと申し訳なさそうに佇む一軒家を見つけた。
「ミラ、あれは?」
ミラは目を細めて家の端に立つ看板の文字を読んだ。
「ベーカリー……アンドチーズ! パン屋さんかな。とりあえず、行ってみる?」
「そうだな」
木の扉を押すと、鈴が小さく鳴った。
外の風とは違う、あたたかい空気が肌に触れる。
焼きたてのパンの匂いと、少し酸味のあるチーズの香りが混ざっていた。
「……いい匂いだな」
思わず、声が漏れる。
店の中は狭い。
石造りの壁に、木の棚。
丸いパンや細長いパンが無造作に並べられていて、その横に布に包まれたチーズが置いてあった。
カウンターの奥で、店主らしき女性がゆっくり顔を上げた。
「あら、珍しい。いらっしゃい!」
オレ達は、パンとチーズ、コーヒーを注文した。
コーヒーを運んできた店主は、マジマジとオレとミラの顔を覗き込んだ。
「こんな時期に、ほとんど観光客はここまで来ないよ。あなた達はどこから来たの?」
ミラが答えた。
「ストックホルムです。ちょっと小旅行に」
「そう! でもこの先は何もないわ。どこか行きたいところがあるの?」
ブリーシンガメン、と言ったところで伝わるはずもなく、オレは適当に答えた。
「特に当てはないです。一旦港に戻ろうかなって」
ミラも頷いた。
のどかな草原を眺めながら飲むコーヒー。
目の前にはパンとチーズ。
北欧の原風景を眺めながら、オレとミラは静かな時間を過ごした。
「ありがとうございました」
店を出たオレ達を、店主は手を振って見送ってくれた。
「……神様には会えなかったけどさ。
ゴットランド自体は、悪くなかったな」
「うん、めっちゃ癒されたね!」
ミラが、スマホを開いた。
《神格反応:検索》
《反応なし》
「やっぱり何も反応ないね」
ミラがそう言った瞬間、なぜか胸の奥がざわついた。
見渡す限りの草原のど真ん中。
オレは足を止め、無意識に空を見上げた。
「翔くん? どうしたの?」
ふと、朝のミラの言葉が頭をよぎった。
ブリーシンガメンって、実在する場所じゃないの──
幻想のように周囲の景色そのものが変わって見えるとか──
フィールドに歪みが出来てフレイヤ様が現れるとか──
フィールドに歪み……
「なあ、ミラ。例えばだけどさ」
「ん」
「オレがここで、神技、ワールドエラー使ったらどうなるかな?」
「え?」
「いや。オレがフィールドに歪みを起こしたら、それに反応した神が現れるかも。って」
ミラは難しい顔をした。
「それは……危険かも。翔くんが作り出す歪みに反応するのは、神だけじゃない。九つの世界、どこに影響を与えるのかわからない。もしかしたら、またヘルヘイムが反応するかもしれないし……」
一瞬の沈黙。
ミラは重い口を開いた。
「でも……このまま帰るのも、なんか違う気が、しないでもない。別に誰かと戦うわけじゃないし……誰も見てないし」
「おお、ミラもわかってきたみたいだな!」
ミラはオレの顔を見てニヤリと笑った。
「翔くん。自分が消化不良なだけでしょ。私のせいにしないで」
「そうと決まれば……」
その時、オレ達が来た道の方から声が聞こえた。
「おーい、あなた達ー。スマホ忘れてるよー!」
パン屋の店主だ。
「やべ、オレのスマホだ!」
息を切らした店主は、オレにスマホを手渡した。
「はあ、はあ……。よかった、間に合って! 気をつけなきゃダメよ!」
「す、すみません……」
店主は、オレの顔を覗き込んでニヤリと笑った。
「その技も、ね。ワイルドブラッドさん」
──え?
オレもミラも、その場で凍りついた。
その視線が、オレの顔──いや、
もっと深いところを見ている気がした。
店主は、少し困ったように笑った。
「慌てん坊なんだから」
風が、草原を一斉に揺らした。
──この瞬間まで、風なんて吹いてなかった。
《神格反応:検知》
《対象不明》
《ヴァナヘイム反応》
──それが誰か、オレ達は、もう分かっていた。




