第19話 ブリーシンガメンは存在しない
翌朝。
まだ薄暗いストックホルム中央駅は、通勤客の足音だけが静かに響いていた。
「まずは電車、ここストックホルムから東に一本。ニーナスハムンまで」
改札の前、ミラはオレに切符を手渡した。
「ニーナスハムン?」
聞き慣れない地名に、オレは首を傾げた。
「うん。バルト海に面した港町。そこから船に乗るんだよ」
「……船?」
「そう。ゴットランド島は、海の向こうだから」
ゴットランド?
知らない地名の連呼に、
オレはもう一度首を傾げた。
そもそも行き先そこだっけ?
「あれ?ミラ。昨日は、ブリーシンガメンってところに行くって言わなかった?」
ミラは笑みを浮かべた。
「そう、ブリーシンガメンだよ!あ、あの電車!行こ!」
ミラはそれだけ言って、駆け出した。
「あれ?なんか話が噛み合ってないんだが?」
ガランとした車内。
オレは窓に映った自分の顔を見ながら寝癖がついた頭を掻いてポカンしていた。
そのオレの顔を見てミラは、いたずらっぽい笑顔を浮かべる。
「翔くん。昨日、翔くんが私に内緒で喧嘩したフォルセティ様は、アースガルドに所属するアース神族」
うっ……
まだ根に持ってるの、ミラ?
勘弁してください。
「あ、はい。そうでしたね」
「でも、フレイヤ様はヴァナ神族。豊穣と生命を司るヴァナヘイムの神様。」
「あ、ああ。この前、オレがナッカ自然保護区で相撲を取ったあのイノシシのご主人様なんだろ?」
「そう。フレイヤ様は、自然と人の生をつなぐ存在だと言われてる。だからワイルドブラッドの翔くんは相性がいいと思う!」
自然と人を繋ぐ……か。
「今から行くゴットランド島はね、フレイヤ様ゆかりの地と言われてるの。ブリーシンガメンって、フレイヤ様が“自分の想いを封じた”場所だって言われてる」
「そうなんだ。でも、なんで──」
オレが聞く前に、ミラが答えた。
「アリス・エル・ヴァンガード。そして、オリビアさんのこと……気にしてるんでしょ?」
「あ……まあ。なんか、他人事じゃない気がしてさ……」
ミラはニコリと笑って、オレの肩に手を置いた。
「アリスの守神はフレイヤ様だったんだ。だから、フレイヤ様に会いに行くの!私も、あの事件の真相は気になる!同じ、ヴォルヴァとして……」
「……そっか。ありがとう、ミラ」
ミラは、目を細めてオレの顔を見ながら一瞬沈黙した。
「ん?どした?」
「フレイヤ様は、愛と欲望の神と言われることもある。綺麗だからって、変なこと考えちゃだめだよ!」
「え……フレイヤって、女なの?」
ミラはプイっと、視線を窓の外に移した。
オレ達は、1時間ぐらい電車に揺られニーナスハムンの駅に降り立った。
港町ニーナスハムンは、潮の匂いが強かった。
フェリーはすでに岸壁につけられ、ゆっくりと乗客を待っている。
「ここから船で三時間くらい。着いたら、そこがゴットランド」
三時間……。
なかなか遠いな。
その時、フェリーの汽笛が鳴った。
胸の奥が、ざわりと揺れる。
不安なのか、期待なのか、自分でも分からない。
「ミラ?」
「なーに?」
「ミラは、最初のオレの質問にまだ答えてない。昨日、ミラはブリーシンガメンに行くって。なんで、ゴットランド島に向かうんだ?」
ミラは、苦笑いした。
「ごめん。バレた?」
「うん」
「実は……ブリーシンガメンって、実在する場所じゃないの。少なくとも、地図には載ってない」
フェリーのエンジン音が、低く腹に響いた。
「え!?」
足元の甲板が、微かに震えた気がした。
「名前だけが残ってる場所。神話の中では“フレイヤの首飾り”って呼ばれるけど、それは──」
ミラは一度、言葉を切った。
「私も見たことがないから、詳しくはわからない。けど、幻想のように、周囲の景色そのものが変わって見えるとか、フィールドに歪みが出来てフレイヤ様が現れるとか、いろんなことが言われてる」
ミラは、そこでようやくオレの方を見た。
「しかも、自然と人が調和し、共に生きている場所。そういうところにしか、フレイヤ様は姿を現さないとも言われてる」
「なるほど……ってことは」
「うん、ゴットランドに行けば必ずブリーシンガメンがある、ってわけじゃない」
自然と人の調和、か。
「つまり、オレ達がゴットランドに着いても、会えるかどうかも……」
ミラは視線を落とした。
「うん。わからない。北欧民族の昔ながらの生活が息づく場所──ってことで思いついたのが、ゴットランドしかなかったの」
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《神格反応:検索》
《神格反応:エラーにより確定出来ず》
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アプリはエラーを示した。
豊穣と生命の神、フレイヤを探す旅。
そもそもそのブリーシンガメンがあるのかもわからない場所で。
気が遠くなりそうだ。
そう感じた時、オレの頭の中に、電流が流れるように、一瞬、情景が浮かんだ。
森の中に人影。
後ろ姿。
それ以外、わからなかった。
なぜか、足が止まりそうになった。
でも、オレはその瞬間、確信した。
「そっか」
けれど確かに、その先で何かが待っている気がしていた。
オレは、静かに拳を握った。
──その時、指の隙間から緑の光が漏れていた。




