62.未来へ(2)
前伯爵夫人の部屋に案内されると、そこには伯爵が付き添っていました。
「……アシュリー」
「夫人と話をさせていただけますか?」
「…母は今、とても弱っているんだ」
「知っています。でも、このまま子供達を傷付けたまま逝かれるのは困るんですよ」
「なっ!?なんと酷いことをっ」
相変わらずお馬鹿さんね。私が夫人を慮ると思っているのかしら。というか、名前で呼ばないで欲しいのだけど。
「……リオさん、いいのよ。アシュリーさん、お久しぶりね」
「ええ、ご無沙汰しております」
あんなにも威厳のあった夫人がこんなにもか細くなってしまったのね。側にいるのは息子一人だけ。私が嫁いだ頃の、没落寸前に戻ったみたいだわ。
「何がそれ程ショックだったのです?」
「……ふふ、手厳しいこと」
「先に情を捨てられたのは夫人ですわ」
「…そうね。私を恨んでる?」
恨んでいるか?そうね。あの頃はどうしてここまで私を蔑ろにできるのかと嘆いたし、恨みもした。人を道具のように扱うことしかできないのかと哀れにすら思った。
「昔のことです。今はもう何の感情もない」
「……ホホッ、そんな熱量を持つ価値もありませんか」
「そうですね。私は今、幸せなのです。そして、これからももっと幸せになる為に精一杯生きておりますの。ですから、貴女様にかかずり合う暇など無いのです。
私もお聞きしていいかしら。あの時、私を切り捨ててより高みを目指した貴女は、今、幸せですか?」
伯爵家は一時期没落寸前だったことが嘘かのように、今では安定している。孫だって三人も恵まれて次代を憂うこともない。すべては貴女の望んだとおりに進んだはずです。
「……分かっていて聞くなんて、ずいぶんと強かになったものね」
「ふふ、それは夫人のおかげかもしれません」
少し疲れたのか、夫人は深く息を吐いた。
「この家を守るためなら、情など不要だと思ったのよ」
「そうですか」
「子どもが一人なのも不安だった」
「よかったですね。子宝に恵まれて」
「……そう、そうね。……家を守れて孫も生まれて……でも、私には何も残らなかった……」
「あるじゃないですか、家も家族も財産も」
「心が通わないことがこんなにも苦痛だとは思わなかったのっ!……ごめんなさい、本当にごめんなさいっ、私が間違っていた……、ごめんなさいっ」
……やっとだ。あれから10年以上も経って、ようやくこの人から心からの謝罪の言葉を貰えたわ。
「私は謝罪を受け入れません」
「アシュリーっ!」
「貴方は口を挟まないで。信念の無い日和見な貴方の言葉はいらないの。
私は子供達を守るように貴方にお願いしたはずです。謝罪が必要なのは子供達でしょう!
目の前で夫人が倒れてしまって、あの子達がどれだけ傷付いていると思っているの!?
大人の勝手に巻き込まれて、それでも必死に受け入れようと努力してくれているのに!それなのに、更に自分達のせいでお祖母様が倒れたと、そんな重荷を背負わせるつもりなの!?」
酷いことを言っているのは分かっている。
こんなにも弱った方に、それでも子供達を慰めろと言っているのだから。
「お願いです。子供達を助けて下さい」
お願いだから、このまま逝ってしまわないで。
本当に悪いと思ってくださるのであれば、せめてあの子達から罪の意識を消してから旅立って。
「………子供達を呼んで来て」
「母上っ!」
「最後くらい、祖母として役に立つべきでしょう」
「……分かった、呼んでくるよ」
伯爵が廊下へと駆けていった。その後ろ姿に、そろそろ若くはないのにと失礼なことを考える。
「貴女は本当にどこまでもお人好しね」
突然、夫人に話しかけられて驚きました。
「……結構酷いことを言ったつもりですが」
「あの程度で……。結局、最後はお願いしますと頭を下げていたではないの」
言われてみるとそうだったかも?
「いいんです。私の頭一つで少しでもあの子達の負担を減らせるのなら、頭なんざいくらでも下げてみせますわ」
私の矜持はその程度のことで損なわれたりしない。むしろ夫人を動かすことができたのだから誇らしいくらいです。
「……私も……それくらい簡単に頭を下げることができたなら、何かが変わったのかしら」
簡単に、ね。この方は相変わらず情に薄いみたい。大切なのはそこではないのに。
「無理なのでは?」
「……言うわね」
「だって心を伴っていないただの動作に、なぜ人の気持ちを動かすことができるのです?
私は確かに子供達のためならば幾らだって頭を下げることはできます。でもそれは形だけのものではないつもりです。
以前、夫が言っていました。貴女達に足りないのは誠意だと。
貴女はいつだってご自分が上の立場の人間だからと私のことを侮っていました。だから平気で酷使して、子供を取り上げ、使い捨てた。
そこには誠意も思いやりも感謝もありませんでしたわ。
そんな方が形だけ頭を下げて何が変わるというのでしょうか」
そんな仕打ちを、嫁いだのだからと必死に耐えていた過去の自分を馬鹿だったなぁとも思うし、あの頃があるから今が存在するのだとも思う。
でも、今ではもうずいぶんと遠い思い出になってしまったわ。
「……できればもっと早くに聞きたかったわね」
「あの頃にお伝えしても、きっと聞き入れてはくださらなかったと思いますよ」
「そう……、そうかもしれないわね」
10年という年月が過ぎ、貴女は望むものを得ながらも、大切なものを失い続けた。だから私の言葉が届くようになったのでしょう。




