6.呼び声
「……貴方が怒る姿を初めて見ました」
少し呆然としながらも、出て来た台詞はそれだけ。
「言いたいことは他に無いのですか」
リオ様が何を考えているのかさっぱり分からないわ。
「離婚はしません」
「では、お子をどうなさるの」
「……堕胎させます」
「なっ!」
赤ちゃんを殺すというの!?
「コーデリアは避妊薬の中身をただの水に入れ替えていました。完全に契約違反です」
「……契約?」
「はい。絶対に子供を作らない約束だった。だからいつも目の前で避妊薬を飲んでもらっていたんです」
いつも、ね。どれだけ貴方達は体を重ねてきたのかしら。私のことはウィリアムを産んでから一度も触れなくなったのに。
リオ様の手を取り、私の首に触れさせる。
「アシュリー?」
「私を絞め殺すことが出来ますか」
「……何を言っている」
「人を殺せるのかと聞いているのです」
「…そんなことをするはずが無いだろう」
「赤子は殺せるのに?」
「!」
卑怯な男。堕胎と言葉を変えれば殺人だとは思わないの?
「貴方達の罪を赤ちゃんに擦り付けないで。
赤ちゃんはコーデリア様のお腹にいるだけで、彼女と同一の存在なんかじゃないの。
何の罪もない、祝福されて然るべき尊い命よ。
それを貴方達の勝手な都合で奪うなんて許されないわ。
それに貴方はウィリアムの父親です。
大きくなったあの子に言えますか。『お前には兄弟がいたが、邪魔だから殺した』のだと」
俯き、握りしめた拳が震えている。貴方は一体何に憤っているの。
「……そんなにも私と別れたいのですか」
「それは貴方でしょう」
「愛人が子を宿しても産むことを許すとは、まるで聖女様だな。だが、それは本当に子供の為なのか。ただ自分が自由になりたいだけなんじゃないのか?」
どうして?こうして向き合って話をしているのに、まるで噛み合わない。
「……貴方は何を見ているの。なぜちゃんと私の話を聞いてくれないの?貴方が言う私の行動は誰の考え?
お願いだから、今、目の前にいる私を見て!」
まるで見えない敵と戦っている気分だわ。
どれだけ叫んでも届かない。すべてが霧に覆われているみたい。
クラリと眩暈がした。
「アシュリー!?」
……変なの。私を見ようともしないクセに、少しふらついただけでそんな顔をして。
「…大丈夫、少し眩暈がしただけよ」
「顔色が悪い」
「誰かさんのせいで一睡もしていませんから」
ふわりと鼻をかすめるミュゲの清楚な香り。
この人がすでに他人のものだと知らしめるようだ。
「……離して」
「触れられたくもない、か」
「そうね。そんな他の女の香りを纏わせた貴方には触れられたくないわね」
ピクリと手が震えたけど、私を離すことは無く、そのままベッドまで連れて行かれた。
「少し休んでくれ」
「……まだ話が終わっていないわ」
寝ている隙に堕胎されたら目も当てられない。
「私も湯を浴びて少し休む。だから君も休んでくれ」
馬鹿ね。今更香水の香りを気にしているの?
「じゃあ、眠るまで側にいて」
「……分かった」
少しため息をついてから、リオ様はベッドの端に腰掛けた。
「寝て」
目を、大きな手のひらで塞がれる。
温かい……。
ゆっくりとまぶたを閉じると、手のひらが離れていこうとして、つい、そのぬくもりを引き止めてしまった。
目は開けない。でも、その手を離すことも出来なかった。
……お別れしなくてはいけないのに。
綺麗で狡い、私の夫。
次に目を開けたら、すべてが夢に変わっていて欲しいと、絶対に叶わないことを祈ってしまう。
彼の手が、ゆっくりと私の手を握り返す。
どうして今更優しくするの。
あんなにも嫌っていたのは貴方なのに。
ねえ、知っていた?
私にはずっと願っていることがあるの。
それはね───
眠りに落ちるとき、
「アシュリー……眠ったのか」
そんな、彼の声を聞いた気がした。
寝ろと言ったのは貴方のくせに何故起こそうとするの。
応えられはしないけれど心の中で不満をこぼす。
「アシュリー…アシュリー……」
何故そんなにも愛しげに私の名を呼ぶのですか。
その切ない声に涙が出そうだった。
もう、すべて手遅れなのに。




