37.出会い(ジェフリー)
「どうして君がここにいるのかな?」
仕事を終えて家に帰れば、何故か招いた覚えの無い男が勝手に茶を飲んで寛いでいた。
「ご無沙汰しています、ジェフリーさん。お手紙を頂いた件の報告に来ました」
「マシュー。手紙での依頼は手紙での返答でよかったのだが」
「そんなに冷たくしないで下さいよ」
「ならばルーチェから離れろ」
何故お前が愛しい娘の横に座っているんだ。
「ととたま、らっこ!」
「ああ、ルーチェおいで」
両手をいっぱいに広げて私を求める姿にマシューの存在など綺麗に忘れる。
大切なお姫様を抱き上げ、
「ただいま、ルーチェ」
そのぷにぷにのほっぺにキスをする。
「ととたま、おかーりちゃい!」
ルーチェもちゅっ!と可愛くキスを返してくれた。
「おーい。俺を忘れてませんか?」
「帰っていいぞ。お前が来たということは、小僧は自分の妻のもとに帰ったのだろう」
「まあ、なんとかね。馬鹿過ぎて苦労しましたよ」
「……あれがルーチェの兄の父でなければ捨て置けたのに」
「怖いから呪わないで下さい」
呪い?そんな不確かなものに頼る気はない。
私が本気で臨めば、スペンサー伯爵家を潰すことは可能だ。
「まあ、馬鹿のおかげでアシュリーと出会えたんでしょ?」
「それでも感謝はしないがな」
確かにアシュリーはそう言って笑っていたが、それとこれとは別だろう。
初めて会った時、彼女はギリギリまで追い詰められていた。それでも何とか家族を守ろうと、自分のことなど考えず、あの馬鹿な小僧すらも守りたいと私のもとを訪れたのだ。
◇◇◇
「アシュリー・スペンサーと申します」
この人が噂のスペンサー伯爵夫人か。
夫人は知らないだろうが、7年前のスペンサー家の船が沈没した事件で、私はとある家から依頼を受け、積み荷の損害賠償をしっかりと頂いた。
他にも訴えられていたので、ああ、この家は終わったなと思っていたのだ。
まあ、メルヴィンにそう言うと、巫山戯るな!と怒鳴られたが。それでも、潰れはしなくとも、立て直すにはかなりの年月がかかるだろうと思っていた。
だが、信じられないことにたったの2~3年で復活を遂げたのだ。
若奥様のおかげだと、あの気難しいメルヴィンが褒めるのだ。その実力は本物なのだろう。一体どんな女傑なのかと思っていたが。
夫人は、女性にしては背が高い方だが華奢で、だがしっかりと相手の目を見て話すアンバーの瞳が印象的な美しい女性だった。
離婚の依頼人はふた手に別れる。
裏切られた悲しみに相手の破滅を願う者。もしくはもともと愛などなく、金銭を根こそぎ奪えれば良しとする者。
だが、今回の依頼人はどちらにも属さないようだ。
「はじめまして。弁護士のジェフリー・マクレガーです。
さっそくですが、ご依頼の内容を伺ってもよろしいでしょうか」
夫人は、支える事無く、感情的になることも無く、淡々と事実のみを話し始めた。
それは中々に汚く、ある意味貴族らしい厭らしさの案件だった。
「では、夫人……いえ、アシュリー様とお呼びしても宜しいですか?」
「はい。構いません」
「では、アシュリー様。貴女の望みは円満離婚であると?」
「はい。子供の親権は望みません。慰謝料は、商会の特許権から得られるものだけで結構です。あとは私に何かあった時、その権利がウィリアムに渡るようにして頂きたいの。
私は彼等が不幸になることを望んではいません」
これは……。トントントンと指で軽く机を叩きながら考える。
「アシュリー様。これでは勝てるものも勝てなくなる可能性が出てきますね」
「……何故でしょうか」
「貴女から本気さが感じられないからです。これならば、少し強く出れば覆せると思われかねない。
貴女は本気で伯爵をも守るおつもりですか?
それならば離婚しなければいい。そう言われますよ。
厳しい言い方かもしれませんが、離婚とは縁を切ることです。ですから、甘い情は捨てるべきだ。
それが、彼が新しい家庭を守る事にも繋がるのではないでしょうか」
愛情が残っていると分かれば、離婚では無く別居を求められる可能性が高くなる。そうすれば愛人親子の扱いも難しくなり、クィントン伯爵家も口を出してくるだろう。
そうならないためには、きっぱりと離婚の意思を見せる必要がある。いかにも愛が残っていると思わせれば面倒なことにしかならない。
「……それは子供もでしょうか」
「お子さんに関しては、どの程度の関わりを残しますか?年に何度か面会交流を求めることも出来ますし、二度と会わないと約束する場合もあります。
ですがアシュリー様、私は本心を教えて頂きたい。貴女は本当の望みを隠していませんか?」
「……私は嘘は吐いておりません」
「だが、本当の事も言っていない。違いますか?」
「……」
どうやら嘘は苦手らしい。無言の肯定か。
「アシュリー様。私は貴女の味方です。何があろうと貴女をお守りし、その願いが叶うよう尽力致します。
どうか私を信じて頂けませんか」
アシュリー様の瞳が少し潤んだ。
それでも視線は外さない。
「……私の望みを言ってもいいのですか」
「はい。必ず勝ち取れるかはお聞きしてからでないと分かりません。ですが、その望みに少しでも近付けるよう努力致します。
初めから諦めていてはゼロにしかならない。
まずは願いを言葉にして下さい。それが始まりですよ」




