2.懐かしい思い出
「なぜ僕がこんな年増と結婚しなくちゃいけないんだっ!」
初めての顔合わせの第一声がこれでした。
「……リオ様。その言葉は世の女性達を敵に回しますわよ?」
女性に年齢の話題は禁句です。それも18歳の私を年増とは。私なんて、社交場ではまだ生まれたての殻付きのヒヨコですのに。
「気軽に名を呼ぶな!」
何というか……こう、必死に猫パンチを繰り出している子猫のような方だわ。
サラサラのホワイトブロンドにクリクリの青いビー玉のような瞳。猫ならばきっと高貴なお猫様なのでしょうね。
大変可愛らしいけれど、この方が夫ですか。
自分よりも可愛い方に嫁ぐのは何とも微妙な気持ちになります。
私は女性にしては背が高い方ですし、今日はヒールが高めの靴を履いてきてしまいました。完璧に身長を抜いてしまっているから年増と言われたのかしら?
髪もアッシュグレーで少しツリ目のアンバーの瞳と合わさるとなんとも強そうなのです。
ダンスの練習で男役をやってからは女子人気が高くなりましたわ。
あ。つい、思考が逃避してしまいました。
「諦めてください。家同士で既に決められた事ですよ?無駄に足掻くよりも幸せになれる方向に力を使いましょう」
頑張ってどうにかなるなら私は学園を辞めていません。
「確かに私は年上ですが、70歳くらいになれば4歳差なんて気にならなくなりますよ」
「……どれだけ長期戦なんだ」
ふふっ、これでは12歳の弟とあまり変わりませんね。
「紹介が遅れました。私はアシュリーと申します。私のことは気軽に呼び捨てで構いません」
プイッとそっぽを向かれてしまいました。
本当にお猫様な御方だわ。
「リオさん、いい加減になさい。彼女は貴方の妻として貴方とこの家を支えてくれる大切な方なのよ」
「……申し訳ありません」
あら、しょんぼりしてしまったわね。
「リオ様。よろしければ屋敷を案内していただけませんか?」
「……なんで僕が」
「まずはお友達から始めましょう。まだ式までは日がありますもの」
そう伝えると、少しホッとしたような、でもまだ認めたくないような複雑な顔をしながらも案内をして下さいました。
「アシュリー、何をしている」
あら。現実のリオ様だわ。
ついつい懐かしい頃を思い出していたようです。
「リオ様は大きくなりましたね。昔はこんなにも小さかったのに」
何となく意地悪で私の胸元辺りに手のひらを持ってくると、リオ様のお顔が不機嫌そうに顰められました。
「…私の質問には答えないつもりですか」
残念です。すっかりと大人になってしまったリオ様はムキになって怒ったり、照れたりすることは無くなってしまいました。
今では私の身長など追い越し、立派な体躯の美丈夫になってしまわれて。
高貴なお猫様は優雅な貴族男性へと成長を遂げたのです。
「貴方と初めて出会ったときのことを思い出していました」
「……そんな無駄なことか」
あの頃の猫パンチは、今では切れ味抜群の言葉の刃へと変わり、私を見る瞳は怒りではなく氷のように冷ややかな眼差しに変わってしまった。
「無駄ではありません。幸せな思い出ですよ」
「……貴方は嘘吐きだ」
私が?いつ、貴方に嘘など吐いたというの?
「あの医者に会っていたのでしょう」
「ええ。マシュー様と有意義な時間を過ごすことが出来ました」
「…チッ」
まあ。小さく舌打ちしたわね?
でも、こうして貴方と話をするのは何時ぶりかしら。確かに夫婦であるはずですのにおかしな話です。
「コーデリア様が懐妊されたそうですね」
「……は?」
「おめでとう、と言って差し上げるべきなのかしら」
一人息子のウィリアムが生まれてから、彼は愛人を作りました。そのことを知ったのはつい最近なのですから、私は妻としてポンコツなようです。
お相手のコーデリア・クィントン伯爵令嬢は現在19歳。彼女は少し微妙な立ち位置の女性で、所謂婚外子なのです。だから、愛人という立場であってもクィントン伯爵は何も言わないでいるのでしょうか。
でも、年齢的にそろそろ明確な立場を、と言って来そうなところでの妊娠です。
ああ、考えるだけで胸が苦しくなってきます。
チラリとリオ様を見ると、蒼白になっている。
「まさかご存知なかったの?」
「………少し出て来ます」
「お気を付けて」
浮気の弁明はしないらしい。
すっかりと大きくなった背中を見送る。
……ああ、息苦しいわ。
ゆっくりと吐いて、吸って。
深呼吸を繰り返す。
「ふう。思ったよりもショックだったみたい」
人から聞くのと本人の反応を見るのとでは与えられる衝撃が違い過ぎたわ。
でも弱音を吐いている場合ではないわね。
だって、このままでは願いが叶わない。
「頑張れ、私」
自分を励ますように、強くこぶしを握りました。