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「浮世を傍観し、人とは何たるかを学ぶ。これも天より与えられし『介象かいしょう』の名を持つ者の宿命。宿命は変えることができぬが、運命ならば己の意のままに幾らでも変えることができようもの。この名を引き継げ、余祭よさい

 わずかに酒の匂いが漂っていた。

 堂々と街道を闊歩かっぽしていたのは賈良かりょうだった。それに余祭と介象が続いている。

 介象の左のてのひらには、あやかしの車螯しゃごうが乗っていた。三人を包み込んだ車螯の吐息が、擦れ違う人々にその姿を見えなくさせている。

 車螯は、自在に蜃気楼しんきろうを作り出す妖しだった。

「ふん。くれぐれも浮世に介入し過ぎるなと言ったのは、お主ではなかったか、介象よ? その車螯といい、随分と準備を万端にしておるではないか」

 要求には反し、余祭は皮肉な笑みを介象に向けた。

「この車螯には充分に酒を呑ませた。これでしばらくは周りに蜃気楼を張り巡らせてくれそうじゃわい」

 三人は、姿を消したまま城門を潜った。

「この辺で良いか、介象どの?」

「うむ。い。御苦労じゃったな、車螯」

 介象は、掌の車螯に息を吹きかけた。すうっと車螯が消え入ると、木札に姿を変えた。

 突如として、宮中に白袍はくほうの賈良の姿が現れたようだった。その後方には、黒の襤褸ぼろまとった老若がはべっている。

 賈良は深く息を吸い込むと、どう大音声だいおんじょうを上げた。

「我こそは、賈良‼ 寇謙昭こうけんしょうさまにお目通り願いたい‼」

「――――⁉」

 その声に、宮中の者はどれもぎょっとした。

 宮廷に現れるはずもない者が、忽然こつぜんと降って湧いた。加えて、どういう風の吹き回しなのか、寇謙昭に会いたいという。

 その宮廷より、兵団を従え慌てたように姿を現したのは、寇謙昭の幕僚、将軍の鮑敍ほうじょだった。驚きの形相ぎょうそうの中に、何処どこ安堵あんどの色がうかがえた。

 無理もない。今や約束の三日は過ぎ、国中の十歳前後の男児全てを抹殺に出向こうとしていた矢先だったのである。

「賈良だな……?」

 よろいで身固めした鮑敍が、槍を片手に顔色を紅潮させている。

 こくりとうなずいた賈良は、力強い眼差まなざしで鮑敍を見詰みつめた。

「寇謙昭さまと話がしたい。俺はそそのかされたのだ」

「付いて来い」

 鮑敍はきびすを返すと、賈良たちを連れ立った。逃がさぬとでも言うように、鮑敍の兵たちが三人の後ろから追随ついずいしていた。

 宮廷内の文武百官はざわめいていた。

 賈良の一行が姿を現わすと、宮廷内は水を差したようにしゅくとなった。

 頬杖を突いている。寇謙昭の姿は玉座に在った。

「この者が公主こうしゅ廉武れんぶの逃走を共助した罪人、賈良でござる」

 玉座の階下で拱手きょうしゅした鮑敍が、居丈高いたけだかに声を張った。

 寇謙昭は、刺すような視線を賈良に向けている。

 賈良はおくする様子もなく、その視線を受け止めていた。

 それを猜疑さいぎの眼差しで見遣みやる者がただひとり、文武百官の中にいた。下級将軍の顔岐がんきだった。

 賈良は、玉座の寇謙昭に拱手すると言った。

「俺は唆されて公主どのと廉武を逃がしたのだ。本当の罪人は俺ではない」

 宮廷内の文武百官は、再び騒めき立った。

「では、誰に唆されたと言うのだ? 何故なにゆえ白状する気になった?」

 寇謙昭が、低い声音こわねで問いただした。

「俺は、淳于甫じゅんうほに銭で雇われただけだ。医の徒ならば、簡単に公主どのと廉武を連れ出せるとな。連れ出したが銭は払われず、俺は罪人扱いとなり追われる身となった。死罪は御免だ」

「淳于甫……」

 寇謙昭は記憶を辿たどるように考え込んだ。

「……確か、廉瑾れんきんに仕えた細作しのびのものの長が淳于甫と言った筈だ。公主は何故死んだ? お前が殺したのか、賈良?」

「病を患っていた。廉武の足手纏あしでまといとなることを嫌い自害した。俺は二人を逃がす約束だったが勝手に死なれた。だから、銭は払われなかった」

 賈良の後方に侍った介象が、隣の余祭に耳打ちした。

折角せっかくの機会じゃ、宮廷内をよく観察したもれ」

「…………」

 寇謙昭は、真贋しんがんを量るような眼差しで賈良を見遣った。

「淳于甫は、廉武と共にいるのか?」

 こくりと頷いた賈良は、寇謙昭の眼差しを見つめ返した。

「死罪は免れると約束されるならば、案内しよう」

まことだな……?」

「嘘を言ってどうする? 俺は命が惜しい」

「よろしい」

 寇謙昭に残忍な笑みが浮かんだ。

「鮑敍! 賈良の案内で淳于甫と廉武のもとへ急げ! 二人を見つけ次第抹殺せい!」

 至急、鮑敍は兵を整えると、賈良等を伴い北の山中へ急行した。

 馬を貸し与えられ、先頭切って案内する賈良には、鮑敍を初めとする数十の兵が付き従った。その中には、顔岐の姿も在った。

 山の麓まで騎馬で急行した賈良たちは、馬を置いて淳于甫の住まいまで山道を駈けた。

「本当にこんなところにおるのだな?」

 途中、鮑敍が案内する賈良を疑った。

「小屋には誰もおりませぬ!」

 先行する兵が、淳于甫の住まいを見付けて声を荒げた。

「どういうことだ……?」

 鮑敍が、猜疑さいぎの眼を賈良に向けた。

 賈良は、それを意にも介さず返した。

「小屋の裏だ。裏を探せ」

 賈良の言に従って、兵たちが小屋の後方に足を運んだ。

 すると――。

「お、おったぞ! 淳于甫と廉武がおったぞ!」

 声を張った兵卒に応じたように、小屋の裏からゆっくりと姿を現した者があった。

 見れば、細身さいしんの上半身が幾重にも包帯で巻かれている。白い頭髪は乱れ、八字髭はちじひげあごに垂らした一寸ほどのひげが白んでいた。

 紛れもない淳于甫だった。

 背には男児を背負い、冴え冴えとした眼光を放った淳于甫は、その面貌めんぼうを怒りの形相ぎょうそうに変えて怒鳴どなった。

わしを売ったのは貴様か、賈良‼ 儂との話し合いにより廉武をかくまうことにしたというのに、儂を寇謙昭に売りおったな⁉ この裏切り者めが――‼」

 淳于甫は、賈良を散々罵倒さんざんばとうした。

「……れ」

 鮑敍は、冷然と下知した。

 それに反応した兵たちが、淳于甫と背負われた男児に次々と刃の雨を降らせた。

「寇謙昭め、決して許さぬぞ――‼」

 断末魔だんまつまの叫びを上げると、淳于甫はった。

 斬り刻まれた屍体したいと化した淳于甫のすぐ横には、同じように斬り刻まれた男児の屍体が横たわっていた。

 賈良の顔色に変わった様子はなかった。

 余祭と介象は、静かな眼差しを淳于甫のむくろに注いでいた。

「よし。帰還する。賈良、お主等も一緒に来い。寇謙昭さまの裁可を仰ぐ。これでお主も無罪放免となろう」

 踵を返した鮑敍は、伴った顔岐に身を寄せると擦れ違い様に言った。

「手をわずらわせおって。元はと言えば、お主の部下の失態が招いたことだ。あの屍体はお主が始末しろ、顔岐」

「…………」

 鮑敍は、兵を従え山道を下っていくと、それに賈良の一行も追随して淳于甫の山小屋を後にした。

 ひとり、取り残されたような顔岐は、淳于甫と男児の斬殺された遺骸いがいに身を寄せた。

 すると――。

 何処どこか肌が青白く見える。その男児の遺骸が、すうっと、薄くなって消えると、一枚の小さな木札に転じてしまったのである。眼前に横たわっていた遺骸は、淳于甫のそれだけになっていた。

「――――⁉」

 顔岐は驚愕きょうがくしたが、それは声にならなかった。

 ふと、これまでの賈良の行為を振り返った。

 その身を顧みず、宮中の暴室ぼうしつより公主と廉武を救出している。それが、わずかな間に掌を返したような態度に変わっていた。

 確かに、淳于甫は廉瑾に仕えた細作だった。

 加えて、仕掛けはわからなかったが、眼前で廉武とおぼしき男児の遺骸が消えた。

 はっとした顔岐は、眼をくと察した。

「賈良と淳于甫のはかりごと――⁉ 淳于甫は、己の命をしたと言うか――」

 小さく独語した顔岐は、淳于甫の亡骸なきがらの前に膝を突くと、哀悼あいとうの意を込め瞑目めいもくした。

 顔岐は、かっと刮目かつもくした。胸中に炬火きょかともるのを感じた。灯ったのは、正義というもののようだった。

「廉武は、まだ生きておる――」

 顔岐は、おもむろに空へ顔を向けた。

 林立する木立の隙間から見えたのは、曇天どんてんだった。


 宮中に帰還した鮑敍は、玉座に在る寇謙昭の前にひざまずくと淳于甫と廉武の誅殺ちゅうさつを報告した。

 このしらせに気を良くした寇謙昭は、賈良を無罪放免、恩赦おんしゃした。

 城門の前で待たされていた賈良は、宮中から出てきた一兵卒にそれを知らされた。

 相貌そうぼうに安堵と疲労の色をにじませた賈良は、余祭と介象を伴って城郭まちを出た。向かったのは、竹林の草庵そうあんだった。

 一方、顔岐は、淳于甫の首を宮中に持ち帰った。男児の遺体は、母である公主と共に埋葬したと報告した。母の公主は首を斬られていない。その童だけ首を斬って持ち帰るのも道理にそぐわないだろう。

 顔岐はいつわった。胸中にくすぶる炬火が、顔岐の眼差しを力強いものにしていた。それは、顔岐の報告に真実味を帯びさせた。

 それを他所よそに、淳于甫の首を披露された寇謙昭は満悦となった。

「その首をさらせ」

 寇謙昭の下知により、淳于甫は国賊として首を市街に晒されたのである。

「さて、残るは吉報を待つのみ」

 北叟笑ほくそえんだ寇謙昭は、宮廷を後にした。自邸じていこもり、哀公あいこうの命脈が尽きるのを待ちびながら、君主に取って代わったような暮らし振りを満喫することにした。


「ううむ。なかなか風流なところに草庵を構えておるではないか」

 辺りを見渡しながら介象がうなった。

 瀬音せおとは耳に心地よかった。近くには澄んだ水の小川が流れている。その草庵は、竹林の中に徒然ぽつねんとあった。

「お姉ちゃん、上手! 私にやらせて!」

賈粛かしゅくは既にやったであろう! 次は私の番だぞ!」

 聞こえてきたのは、童たちの黄色い声だった。

 歩を止めた賈良は、安堵の表情を浮かべて投壺とうつぼに興じる賈粛と廉武に眼を細めた。投壺とは、地に置いた壺に向かって矢を投げ入れる遊びである。

 賈粛と廉武に指南していたのは、巫女みこのような姿をした美しい若女だった。

 その近くには、額に一角を生やし、五本の尾を持った白いひょうのような動物が腰を落として見守っている。眠そうに大口を開けて欠伸あくびをしては、後ろ脚で耳をいていた。

 余祭と介象が方術で放ったあやかしだった。

 本当にこの竹林を探し当て、賈粛と廉武を庇護ひごしていたようだった。それだけではない。賈粛と廉武も妖しに心を許しているようだった。

「あ! お帰り、おっ父!」

 賈良の帰還に気付いた賈粛が、笑みを浮かべ駈け寄ってきた。

 賈粛も廉武も赤い着物をまとっていた。賈良の言い付けを守り、廉武に女児の恰好かっこうをさせていたようだった。

「おう、粛や。今、帰ったぞ」

「その人たちは……?」

 賈粛が漆黒の襤褸ぼろを纏った二人をいぶかしげに見遣った。

「儂は方士の介象という。こっちは弟子の余祭じゃ」

 介象は、柔和な笑みを浮かべると、庭に眼を遣って続けた。

「投壺に興じておったと見える。どれ、儂も参加させてもらおうかのう」

「私は賈粛。あっちは……」

 賈粛は問うような眼で賈良を見上げると、賈粛はこくりとうなずいた。

「あっちにいるのは廉武。巫女のお姉さんと変な犬は何て言うのかわからないけど、私と廉武をまもってくれているみたい。介象さまは、投壺が得意なの?」

 賈粛は瞳を輝かせて尋ねた。

「儂か? 得意も何も、負けたことがないわい」

 介象は、満面の笑みとなって賈粛に応じた。

「一緒にやろう、介象さま!」

「待て待て、賈粛や。そう急くでない」

 賈粛は、廉武と妖しの巫支祁ふしきが興じている投壺のもとへ介象の手を引いて行った。

「これからどうするつもりだ?」

 たわむれている童と介象たちに眼を遣りながら、余祭がただした。

「国を出て、粛と廉武を育てる。哀公さまの病もいよいよあついと聞いている。寇謙昭にこの国がられるのも時間の問題だろう」

 余祭と同じように、投壺に興じる者等に眼を細めながら賈良が返した。

「寇謙昭に国を奪われてしまっては、廉武の報仇ほうきゅうも困難なものになろうぞ」

「…………」

 しばし、賈良は思案した。思案したが、余祭の言うとおりの答えに辿り着くしかなかった。

「廉瑾さま、廉晃れんこうどのや公主どの、淳于甫どのを想えば、廉武の命があるだけで良しとせねば……」

「死んでいった者たちは、本当にむくわれるのか?」

「…………」

「お主が培った医術で哀公を治せば良いではないか、賈良。その気があるというのであれば、俺たちも手を貸すが、如何どうする?」

「――――⁉」

 賈良は眼を剥くと余祭に顔を向けた。

「それで哀公の命が永らえるならば、寇謙昭に国を獲られることはない。介象が言っていた。宿命を変えることはできぬが、運命は変えることができる――とな」

 余祭は、賈良に向き直ると続けた。

「あとは廉武の一念のみ。身を隠して死んだように生きるか、一族の無念を背にして立つかだ」

「…………」

「まずは、お主の一念を聞こう。医の徒、賈良」

 竹林には、黄色い笑い声が響いていた。

 木漏れ日が小川のせせらぎを照らし、綺羅きらと輝いて映った。

 賈良はほぞを固めた。運命を動かすのが医の徒のわざだった。

「哀公さまを治しにこう」

 髭面ひげづらに備えた双眸そうぼうが冴えた光を放っていた。

 それを見て取った余祭には、不敵な微笑が浮かんだ。


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