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「『介』の文字には、たすける、人を引き合わせる、よろいを着ける――。他にも、堅い、ひとり、大きい――などの意味が込められておる」

 介象かいしょうは得意げに説きながら、余祭よさいを先導するように山道を闊歩かっぽしていた。

「一方、『象』の文字には、有り様、しるし、裏方――。この他に、のり、道理、おきて――などの意味が含まれておる」

「……何が言いたい?」

 介象の後に続くように歩いていた余祭は、何処どこかその足取りが重い様子だった。

「介象という姓名は、天より与えられしもの。役割を授けられた者を指しておるのじゃ」

 介象は歩を止めると、振り返って余祭に真摯しんし眼差まなざしを向けて言った。

「この名を受け継げ、余祭」

何故なにゆえ、俺が……?」

「宿命じゃ。得てして、わしとお主が出会ったのも宿命。時代は大きく動こうとしておる。天が求めておるのは儂ではない。新たな介象じゃ」

「……方術を教えてくれとは言ったが、弟子でしにして欲しいと頼んだ覚えはない」

「なっ――⁉」

 介象は眼をまるくすると、つばき散らしながら銅鑼どらのような声音こわねで荒げた。

「だ、誰のお陰で霊気のり方を学べたと思うておる⁉ 儂が教えてやらねば、渓嚢けいのうにさえ恐れを抱いておったくせにして‼」

 介象は、余祭に向かってまくし立て続けた。

「儂がおらねば、干将かんしょう莫邪ばくや妖剣ようけんであることも知らぬままだったのだぞ⁉ あやかしをしもべにできたのも、儂の教えがあったからではないのか⁉ 儂の教えを受けたのならば、それは最早もはや弟子ではないか⁉ いや、弟子であろうが‼」

「…………」

 余祭は重い足取りを進めながら、介象の弁舌を聞いていた。聞いていたが、頭には入っていなかった。

 無理もない。余祭はうのていだった。全身が斬り傷だらけだった。武技に秀でる妖し、計蒙けいもうを僕にするのに、余祭も無傷では済まなかったのである。

 大小の傷には、介象の方術により霊気が込められた包帯が巻かれていた。

 呪縛帯じゅばくたい――。

 傷の痛みを消し、治す効果があった。渓川けいせんからくべた澄んだ水に念を唱えながら霊気を込める。その符水ふすいに包帯を浸し、乾かしてから幾つもの奇怪な文字を書き込んでいる。三日も巻いていれば、たちどころにえるという。

 今や余祭は、木乃伊みいらが漆黒の襤褸ぼろまとったようになっていた。

 斬り傷の痛みは失せているとは言え、複数の手練者てだれを一度に相手にした全身は、疲労が蓄積していたのである。

 今の余祭にとって、介象の弁舌は億劫おっくうなものでしかなかった。

「……わかった。わかったから……少し静かにしていてくれ、介象」

 口辺に微笑を刷いた余祭の面貌めんぼうには、疲労がにじんでいた。

「…………⁉」

 はっとした介象は、あかざの杖の先で地を叩くと、にやりと笑った。

「蓄積した疲労に加え、呪縛帯の効果が更に体力を奪っておるのであろう。それにしてもようやった。遅れて更に二体現れたときは、流石さすがの儂も肝を冷やしたがのう」

 嵩山すうざんにおいて、余祭は、武勇に優れた龍頭人身の妖し、計蒙の三体を己の僕とすることに成功していた。

「さて、今宵こよいはゆっくり休める宿でも探すかのう」

 介象が、疲労困憊ひろうこんぱいの余祭に眼を細めてつぶやいた。

 その刹那せつなだった。

 近くの鬱蒼うっそうとしたやぶが揺れたと思いきや、姿を現したのは熊のような人だった。

「――――⁉」

 見れば、熊虎ゆうこ軀幹くかんを薄汚れた白いほうで包んでいる。鬼瓦のような相貌そうぼういただき、その半分が黒々としたひげで覆われていた。豊かな黒髪は白巾はくきんで一束にし、小脇に年季の入ったうるし塗りの小箱を抱えている。

 賈良かりょうだった。

 その賈良は、突如として眼前に現れたような余祭と介象には見向きもせず、一目散に駈け去ってしまったのである。

「な、何だ……?」

 驚きの表情をさらした余祭は、駈け去る賈良の背を眼で追っていた。

白袍はくほうに小箱……。風体から医の徒と察するが、こんなところに急患でもおったのかのう……?」

「医の徒……」

 余祭は、小さくなる白袍の背に視線を向けたまま、ひとちるように鸚鵡おうむ返した。

 すると――。

 また藪が揺れた。先ほどよりも大きい揺れだった。加えて、怒声のような荒々しい叫び声も聞こえてきた。

「待て‼ 逃げるな、賈良――‼」

「逃げても無駄だ‼ さっさと縄につけい‼」

 どれも武具で身固めし、げきや剣を手にしている。

 藪から続々と現れたのは、十人ほどの兵たちだった。どう見ても、先ほど駈け去った医の徒を追っているようだった。

「あの医の徒、賈良というか……。医の徒が捕吏ほりに追われるとは、珍しいこともあるものよのう」

 介象は、賈良を追って行った兵たちの背に興味の眼を向けた。

「人相は良くなかったが、悪事を働くようには見えなかった……」

 駈け去る兵たちの背に、冴えた眼差しをえた余祭が言った。

「同感じゃ。流石は王たる資格を持っておった者。眼は確かじゃな。たすけてみるか? 医の徒、賈良とやらを」

 不敵に顔をゆがめた介象が、余祭を見遣みやった。

 刹那――。

 余祭は旋風の如く兵たちを追った。双眸そうぼうけい々としていた。蓄積した疲労を微塵みじんも感じさせなかった。軽々と跳躍すると、木々の枝という枝を飛ぶように飛び渡り、またたく間に兵たちの前へ躍り出た。

「――――⁉」

 突如として、空から降ってきたような黒い大きな獣に、捕吏の兵たちはってひるんだ。

 わずかに追っ手の声と足音が止んだと思った賈良は、おもむろに振り返ると、その足は止まり思わず声が漏れ出ていた。

「な、何だ、ありゃあ……?」

 よく見れば、それは漆黒の襤褸を纏った偉丈夫いじょうぶだった。

「医の徒ひとりに武器を掲げ、この人数で追い立てるとは穏やかではないな」

 余祭は、冷ややかな眼光で捕吏たちを見渡した。

「そ、そこを退け! 我らは罪人を追っておるのだ。邪魔立てするとあらば斬る!」

 捕吏の長のような兵が、一歩踏み出し得物を構えて虚勢を張った。

 それに続いたように、残りの兵らも武器を手に身構えた。

「おい! 医の徒、賈良に問う! 此奴等こやつらはお主を罪人と言っておるが、まことか?」

 仁王立った余祭は、後方を一瞥いちべつすると大音声だいおんじょうで問いただした。

 漆塗りの小箱を小脇に抱えたまま、肩で息をしたような賈良は、眉間のしわを深くすると鬼のような形相ぎょうそうで言い返した。

「罪人となろうが地に落ちようが、俺にはどうしてもやらにゃいけんことがある‼ こんなところで捕まる訳にはいかねえ‼」

「では、今から儂等を用心棒として雇うのはどうかえ? 安くしとくぞ?」

 不気味な笑みを浮かべ、銅鑼のような声音の介象が賈良に持ち掛けた。いつの間にか、介象の姿は賈良の隣にあった。

「……な、何だ、あんたらは?」

 狼狽ろうばいした賈良に、介象は更に不気味な笑みを濃くして言った。

「我等は旅の方士、余祭と介象なり――」

「方士――?」

 息を荒げたままの賈良は、首をかしげるといぶかしんだ。

「雇うのか? 雇わんのか? さっさと返答せい」

 興を失ったような介象は、真顔になると右の小指で鼻を穿りながら質した。

 突然として現れた漆黒の襤褸を纏った二人は、得体が知れなかった。方士というのも胡散臭うさんくさかった。

 しかし、このまま逃げても捕まるのは時間の問題だった。どうせ捕まるのならば、淳于甫じゅんうほと会って話をしてからだった。

 賈良は、わらにもすがる思いで返答した。

「――雇う‼」

「おい、我が弟子よ。存分に蹴散らしてよいぞな」

 介象は口許くちもとに手を添えると、前方にある余祭の背に声を張った。

「弟子になるとは、言っておらんがな……」

 ぼやいた余祭は、腰にびた三振りの一本を抜いた。冴え冴えとした光を帯びた青鋼剣の眉間尺みけんしゃくだった。

 剣身をまじまじと見遣った余祭は、再びぼやいた。

何時いつぞやを思い出すな、眉間尺よ」

 眉間尺が陽光を照り返している。余祭の言葉に応じているようだった。

「ぬ、抜いたな⁉ 斬れ! 此奴こやつを斬り捨てろ!」

 捕吏の長が声を荒げて命じると、十人ほどの兵は一斉に余祭へ襲い掛かった。

 刹那――。

 余祭の姿が、ふっと消えたようになった。眼前にいるはずの余祭はもういなかった。

「――――⁉」

 兵たちは余祭を探すように右往左往していると、その姿は背後にあった。どういう訳か、既に眉間尺はさやに収まっている。

 恐れを振り払うかのように、兵たちは武器を振り被ると丸腰の余祭に再び猛進した。

 すると――。

 兵たちの戟や剣は、どれも一斉に折れてしまったのである。否、よく見れば斬られている。戟は柄が真っ二つに斬られ、剣も柄の根元から綺麗に斬られていた。

「ヒッ――‼」

「ば、化け物だ――‼」

 たちまち眼をいて戦慄せんりつした兵たちは、使い物にならなくなった武器を放り投げると、我先にと遁走とんそうしてしまった。

「――――⁉」

 眼前の出来事に、賈良も呆然ぼうぜんと立ち尽くしていた。

 はっと我に返った賈良は、懐中ふところから銭を取り出すと、ぞんざいに介象の手に渡した。

「これで足りるであろう」

手渡すと、歩を速めて先を急いだ。

 介象は、手渡された銭に眼を落しながら銅鑼のような声音を張った。

生憎あいにく、釣りは持っておらんでなあ。この額では、まだお主の護衛役を続けねばならぬが、どうするかね、賈良よ?」

 ぴたと、賈良の歩が止まった。

何処どこてがあるようだな。我らを供にすれば、必ずや送り届けるが」

 歩を寄せた余祭が、賈良の背に微笑を向けた。

 賈良は振り返った。面目なさそうな面持ちで余祭と介象を交互に見遣ると、拱手きょうしゅして言った。

「……かたじけない」

 そういうことに相成った。


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