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「武に傾倒するがゆえ、生と死の神、その近くを好む」

 近くにほこらがあった。定期的に人の手が入り、綺麗にされているようだった。祠の周囲は開けているが、少し歩けば四方は木々に囲まれていた。

 今や余祭よさい介象かいしょうの姿は、嵩山すうざんの中腹に在った。

 いつの間にか介象は、太い幹の木立の上で、頬杖を突いて枝に寝そべっていた。

 開けたところには、ぽつんとした祠のほかに、余祭がたたずんでいる。

「剣を抜けば現れる。勝負を挑まれたと早とちりしてな。それも何体現れるかわからぬが、どれも手練者てだれじゃ。敗ければ命はないかもしれぬ」

「勝てば、何体でもしもべとなるのか、介象?」

しかり」

「……面白い!」

 不敵に顔をゆがめた余祭は、腰にびた三振りから、さっと一振りを抜いた。冴え冴えとした光を放った青鋼剣、眉間尺みけんしゃくだった。

 余祭は、眉間尺を眼前に構えた。

 すると――。

 一陣の風が吹いた。

「――――⁉」

 余祭は息を飲んだ。

 ぼうっと、眼前に姿を現したのはよろいまとった三体だった。剣、げき、槍をそれぞれ手にしている。からだは人、頭は龍のあやかしだった。

「ほう、三体か。武威にかれし妖し。時に血に飢え、飄風ひょうふう暴雨に紛れ人をも襲う龍頭人身の妖し、その名も計蒙けいもう

 木立の上で、頬杖で寝そべった介象が不気味に笑った。

 旋風つむじのようなはやさだった。

 三体の計蒙は一挙に余祭へ急襲した。次々と余祭に太刀風たちかぜを浴びせる。

 それは、舞うような剣技だった。

 龍頭人身が繰り出す凶刃を薙ぎ、防ぎ、払い避けると、余祭は三体と交錯して擦り抜けた。

 振り返った三体の龍頭人身は、驚愕きょうがくした表情を余祭の背に向けた。

「少しはたのしめそうだな」

 余祭は、おもむろに眉間尺をさやへと納めた。代わって抜き放ったのは二振りだった。

 二振りの剣は、陽光を妖しく反射した。

 右に振りかざしたのは、剣身に龜文きもんが浮かんだ雄剣干将ゆうけんかんしょう、左に掲げたのは漫理まんりを浮かせた雌剣莫邪しけんばくやだった。

「ほう。三体の計蒙に干将と莫邪の二本で挑むか。妖しに妖剣とはおつなことじゃ」

木立の上の介象が、感心の声を上げていた。

 三体の計蒙は遠吠えを上げると、次々と余祭へ斬り向かった。

 余祭は計蒙たちと二合、三合、干将と莫邪の二剣で渡り合っている。眉間尺を手にしていたときとは、まるで別人の身のこなしだった。

 五合、六合――。計蒙の腕は読めた。うなるほどの手練者だった。槍の穂先をかわしても、剣の計蒙が斬り込み、戟の一閃が余祭の耳元で風を起こした。どれも肌にあわが生じるほどの勢いだった。

 余祭は、雄叫おたけびを上げた。

 それにじたように三体の計蒙が後ろに飛ぶようにして距離を取った。

 全身をふるわせて、余祭は大きく息を吸った。

「これ! 霊気を繰るのを怠るでない! 斬ったら僕として念じるのを忘れるでないぞ!」

 後ろから介象のげきが飛んだ。

「……これほどの手練者、そうはおらんぞ。霊気を繰る間もないほどだ」

 呼吸を整えながら、余祭はぼやいた。

 刹那せつな――。

 三体が旋風の如く寄せると斬りつけてきた。

 応じたように、余祭も突っ込んだ。

 鋭い槍を躱し、計蒙の腕を干将で斬り飛ばす。突き出された計蒙の剣は腰をひねって躱す。勢いが余って転がった余祭に戟の斬撃が降ってきた。それを転がりながら躱すと、戟の計蒙を莫邪で突き、その計蒙を盾にするようにして立ち上がった。

息が上がりつつあった。

 余祭に斬られた槍と戟を手にした計蒙が、すうっと消えていく。残ったのは、剣の計蒙だけだった。

 互いに跳び退ずささると、すぐさま立ち向かった。

 眼の前には剣――。

 余祭は、左から振り下ろされる斬撃を莫邪で受けながら、干将の一閃を計蒙の首元へ走らせた。

 龍の首が血飛沫ちしぶきを上げ、宙を舞った。

 それが地に落ちると、くずおれた胴と共に薄くなって消えていた。

 余祭は大きく息を吸った。息は苦しかった。いくら吸っても足りないほどだった。

 肩で息をするような余祭に、木立の枝に寝そべった介象はやれやれかおさらした。

「斬ったのなら、己の僕となるよう念じよと言うたであろうに……」

 余祭の呼吸が整うのも束の間だった。

 一陣の風が吹いた。

 余祭は息を飲んだ。

 ぼうっと、再び余祭の眼前に姿を現したのは、鎧を纏った三体の計蒙だった。剣、戟、槍をそれぞれ手にしている。斬られたきずは、跡形もない。

「こりゃあ、厄介な相手だったな……」

 余祭は腰を落とすと、干将と莫邪を低く構えた。

「武技の鍛錬、霊気の研磨、念唱の機微――。奴にとっての方士への第一歩は、これくらいが丁度よかろうて」

 木立の上の介象は、頬杖を突いて寝そべったまま、退屈そうに欠伸あくびした。

 辺りには、剣戟の音が木霊こだましている。

 余祭の雄叫びが、また聞こえていた。


 大きなやしきだった。

 自邸でその一報を耳にした寇謙昭こうけんしょうは、たちまち面を朱にして声を荒げた。

「どういうことだ――⁉」

 幽閉していた公主こうしゅ廉武れんぶが姿をくらませたという。

 城中の暴室ぼうしつに閉じ込め、番兵を二人配していたが、どういう訳か、その番兵が二人とも眠りこけている間に逃げ出したようだった。

 寇謙昭はしらせもたらした兵をにらみつけると、怒気をはらんだ声音こわねで命じた。

「こうしてはおれぬ。宮中へ戻る。馬車を用意せい!」

 萎縮いしゅくして駈け去った兵卒に続き、寇謙昭は肩で風を切って外に向かった。

 一方――。

しゅく! おい、粛や! 帰ったぞ!」

 草庵そうあん賈良かりょうの慌ただしい声が響いた。

「お帰り、おっ父……?」

 聡明そうな瞳をしている。

 草庵の奥から姿を現したのは、十歳ほどの女児だった。賈良と同じような白袍はくほうを纏い、長い髪は白巾はくきんで一束にしている。名は賈粛かしゅくといった。

 賈良と賈粛は親子のように見えたが、本当の親子ではなかった。

 賈良が医術の研鑽けんさんに諸国を放浪していた折、戦乱で親を亡くし、行き場を失った赤子の孤児を引き取っていた。

 その赤子に粛と名付け、己の子のように育んだ。今では、本当の親子のように絆は深かった。

 その賈粛が、つぶらな瞳を見張った。

 無理もない。巨軀きょくの賈良の後ろからずと出てきたのは、同じ年頃の男児だったのである。

「その子は……?」

 可愛らしい笑みを携え、首を傾げた賈粛に、父の賈良はまくし立てるように言った。

「こいつは、廉武れんぶという。俺の恩人の子息だ。すまないが、粛、急いで廉武に女児のほうを着せてやってくれ」

「え?」

「急げ! もし誰かが来て尋ねられても、男児はいないと言え! いいな?」

 そう言うと賈良は、きびすを返してそそくさと草庵から出て行った。

「え? え? 何? おっ父? どういうこと?」

「廉武をかくまえ! 守ってやってくれ!」

 言い置いた賈良は、再び何処どこかへ出て行ってしまった。何だか至急の用件があるようだった。

「…………」

 草庵には、童の廉武と賈粛が取り残されたようになった。

 賈粛は廉武を見遣みやった。

 眼が充血し、悔しげな面持ちでうつむいている。しこたま泣いた後のようだった。何か訳ありであることは、幼い賈粛でも容易に察せられた。

「おいで」

 賈粛は、廉武の手を取った。

「大丈夫。心配しないで。おっ父が守れと言ったんですもの。必ずあなたを守り通すわ、廉武。お腹は空いてない?」

 にことした笑みを浮かべながら、賈粛は草庵の奥に廉武をいざなった。

 急ぎ足の賈良は、懐中ふところから一本のかんざしを取り出すと、悲痛な面持ちでそれに眼を落した。

 思慮もなしに、躰が勝手に動いていた。

 公主と廉武を幽閉から救い出せたのは良かった。

 しかし、その公主は賈良に廉武を託し自害してしまった。亡骸なきがらは、川辺の近くの大きな木立、その根元にもたれ掛かるようにそっと安置した。別れを惜しむ廉武を急がせ、竹林の草庵まで駈けに駈けた。

 考えてみれば、一介のが、ひとりで抱えきれるような事態ではなかった。

 大夫たいふ廉瑾れんきん、その一族が皆殺しの憂き目に遭い、息子の廉晃れんこうと嫁の公主まで自決してしまった。廉氏の生き残りは、廉晃と公主の一粒種、廉武だけになってしまったのである。

 草庵に廉武の身を隠した賈良は、誰かに事の次第を伝え、今後の対応を相談したいと思い始めていた。

 ただし、その相手も信の置ける者でなければならない。

 思案を巡らせた賈良の脳裏に浮かんだその相手は、ただひとりだけだった。

 淳于甫じゅんうほ――。

 かつて、哀公あいこうの父である先代の君主、成公せいこうに仕え、その後、廉瑾に仕えていた細作しのびのものだった。賈良も任務で怪我を負った淳于甫を幾度となくていた。誠実な人柄から、廉瑾とも深い仲であることがうなずけた。

 その淳于甫は、既に還暦を迎え、田舎に戻り隠居生活を送っていた。

 公主と廉武の失踪が露見し、賈良に追っ手が迫っているかもしれなかった。

 馬で淳于甫のもとに向かっては目立ち過ぎる。徒歩で向かってもそれほど遠くない距離に淳于甫の田舎はあった。

「人目を忍び、迂回して淳于甫どのの田舎を目指すしかないな」

 独語した賈良は、公主の簪を懐中に仕舞い込むと先を急いだ。自ずとその足は早まった。


 宮中に戻った寇謙昭は、配下の者を使って情報を集めさせた。

 当然のように玉座に在った寇謙昭の許には、続々としらせもたらされた。

 淑女しゅくじょを背負い、急患だと声を上げながら宮廷から出ていった医の徒がいたという。その医の徒には、男児が従っていたとの報もあった。

 暴室の番兵は薬で眠らされ、その隙に公主と廉武を連れ去っている。

 その医の徒は、いかつい面貌めんぼうの半分が黒々としたひげで覆われていたらしい。

 寇謙昭には心当たりがあった。

「医の徒でこの人相……。薬を使ってこのような芸当ができる者は、ちん国に唯ひとりしかおらぬ……」

 寇謙昭は歯軋はぎしりすると、玉座から腰を上げ大音声だいおんじょうを放った。

鮑敍ほうじょよ‼ 直ちに追っ手を放ち、姿をくらませた公主と廉武を探し出せ‼ 三日以内に見つからねば、国内に住まう十歳前後の男児を全て抹殺する‼」

 居並んだ文武百官が、身を顫わせ戦慄せんりつしている。

「公主と廉武を逃がしたのは、医の徒、賈良に違いない‼ 賈良を見つけて此処ここに連れて来い‼ 暴室の警護をしていた番兵は即刻首をねよ‼」

「お待ちください、寇謙昭さま」

 戦慄するばかりの文武百官の人垣から、ずいっとその身を前に運び、拱手きょうしゅして述べた者がいた。

 寇謙昭は、その声の主にぎろっと環眼かんがんを向けた。

 燕頷虎髭えんがんこしゅで頭に紅幘こうさくいただき、鎧を纏った勇壮な武者だった。

顔岐がんきか……。何だ?」

 まらなそうに言った寇謙昭は、どっと玉座に腰を下ろすと、頬杖を突いて顔岐の言葉を待った。

「三日以内に公主と廉武が見つからねば、十歳前後の男児を皆殺しにするというのは、やり過ぎではござらぬか? 暴室の番兵もです。落ち度はあったやもしれませぬが、斬首では刑が重すぎまする」

 顔岐は、じることなくらんとした双眸そうぼうを寇謙昭に向け抗弁した。

国内の十歳前後の男児に何ら罪はない。廉武でさえ何ら罪を犯した訳ではなかった。加えて、暴室の番を務めていた兵卒は、顔岐の部下でもあったのである。

「黙れ、顔岐」

「…………」

 頬杖のままの寇謙昭は、顔岐に冷ややかな視線を向けて続けた。

わしに意見するとはいい度胸だ。少しくらい哀公さまに眼を掛けられておるからといって調子に乗るな。貴様は既に我が配下に編入されておる。さっさと公主と廉武、賈良を探してこい」

「…………」

 拱手したままの顔岐は、玉座の寇謙昭を睥睨へいげいした。

 寇謙昭はそれを意にも介さず玉座を立つと、宮廷を後にした。

 依然として顔岐は、玉座をにらんだままだった。胸中にある寇謙昭への憎悪が、ふくらんでいくのがわかった。

 将軍の鮑敍は、兵を総動員すると追っ手として四方に放った。

 国中に放たれた兵たちは、猟犬の如く三人の足取りを追った。

 明くる日――。

 意外なことに、他愛もなく発見されたのは公主だった。

 城郭まちから北の原野の先に流れる大河のほとりだった。

 公主はそこにいた。川辺の木立の幹に身をもたげさせたような恰好で、眠っているようだった。その首元には鋭利な釘のようなもので刺されたあとがあった。

 既に公主は、この世の者ではなかった。

 その急報に、鮑敍と顔岐も騎馬で現場に馳せ寄せた。

「間違いない。公主だ」

 遺骸の顔に冷たい視線を投げた鮑敍は、吐き捨てるように言った。

 すると、ひとりの兵卒が鮑敍に慌ただしく身を寄せると、拱手して告げた。

「鮑敍さま、廉武の方は近隣にも遺骸どころか姿がありませぬ」

「まあ良い。どちらにしろ手間は省けた。残るは小僧の廉武と賈良。一緒にいるはずだ。まだ遠くへは行っておるまい。此処より北を隈なく探せ。山中もだ」

「はっ」

 鮑敍の精悍せいかん面貌めんぼうに不気味な笑みが浮くと、後方に侍った顔岐を振り向いて続けた。

「部下を掌握しきれぬ不甲斐なさが招いた結果だ。この遺骸は貴様が処理しろ、下級将軍の顔岐」

 鮑敍は言い置くと、手勢の兵を引き連れ廉武の探索に引き返した。

 暴室の番を務めていた二人の兵は、既に斬首されていた。

 静かに公主の遺骸を見下ろした顔岐は、胸中に怨嗟えんさ蜷局とぐろを巻くのを覚えた。

 君主が病床に伏せる今の陳国は、力を持った佞臣ねいしんにより腐り始めている。その佞臣からの恨みを恐れ、ただす文武の官は皆無だった。

 陳の諸官は、国事を廉瑾と寇謙昭の二大夫に頼り切っていた。その廉瑾が寇謙昭に討たれると、一挙に均衡は崩れ、文武諸官は寇謙昭におもねるばかりだった。

「……これで良い筈がないであろう」

 静かな死に顔だった。

 身を屈めた顔岐は、物言わぬ公主に憐れみの眼を向けた。

 医の徒の賈良が、公主を手に掛ける筈がなかった。

 病弱な公主は、己が足手纏あしでまといになるのを嫌い自害したようだった。我が子を賈良に託し、世を去ったことになる。

 連座で既に自害した夫の廉晃も、後事を公主と廉武に託していたことだろう。

 顔岐は、やるせなかった。鎌首をもたげ掛けた怨嗟の蜷局は、静かに解けていた。怒りのようなわだかまりだけが胸中にあった。

 顔岐は、自らの手で公主を丁重に埋葬した。


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