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 公主こうしゅ廉武れんぶは、宮廷の暴室ぼうしつに幽閉されていた。

 暴室――。

 本来であれば、病となった宮女を隔離するための部屋だったが、貴人を閉じ込めるに打って付けだった。男性も出入りできたが、であれば猶更なおさら自然なことだった。

 槍を手にした牢番のような二人の兵が、暴室の前で佇立ちょりつしている。

「誰だ? 許可なく立ち入って良い場所ではない」

 賈良の姿を認めた二人の兵が立ちはだかった。

 賈良は、柔和な笑みをたたえて返した。

「俺は公主どのの主治医だ。頭痛に効く薬を頻繁に届けているが、やしきに行っても誰もおらんでな。聞いてみれば、此処ここに幽閉されているというじゃないか」

 門兵の二人は、互いに顔を見合わせるといぶかしんだ。

 その反応を見て取った賈良かりょうは、公主と廉武が暴室に幽閉されていることを確信した。幽閉されていると言った賈良の言葉を否定しない。それどころか、賈良を怪しんでいる。

 貴人を幽閉するとしたら、宮中の暴室しかない――。賈良は、そう高をくくっていたのである。

「随分と精が出るようだが、見たところ疲れた顔をしているな。どれ、丸薬をくれてやろう。これを一粒飲めば、たちどころに疲れが取れる。ほれ、飲んでみろ」

 賈良は、年季の入ったうるし塗りの小箱から豆粒大の丸薬を二粒取り出すと、腰帯こしおびに結わえた青竹の水筒を差し出した。

「俺が調合した薬は良く効く。だから、何年も公主どのの主治医でいられるのだ。この丸薬を飲まず俺の善意を無にすれば、必ずや損をしたと思うぞ。牢番をしっかり務めたくば、だまされたと思って飲んでみい」

 門兵の二人は、再び互いに顔を見合わせると、賈良の掌から丸薬を取って口に含んだ。それを差し出された青竹の水筒で順に流し込んだ。

「頭痛薬を飲ませたらすぐに帰る。扉は開け放っておいていい。その方がお主らも安心だろう」

 門兵は互いにうなずき合うと、暴室の扉を開け放った。

 長く黒い後ろ髪をうなじの辺りで結っている。頭頂部付近に集めた大きな団子のような髪は質素な飾りで彩られていたが、美質な面貌めんぼうは蒼白だった。

 室の中央で静かに瞑目めいもくしたまま端座たんざしていたのは、紛れもない公主だった。

 その公主の隣では、心配そうな面持ちを母に向けた廉武も端座していた。

「公主どの」

 聞き覚えのある声に、公主はゆっくりと眼を開けると、たちまちその眼をいた。

「賈良どの――⁉」

「全て聞き及んでおります。大変なことになりましたな。此処ここにおっては、遅かれ早かれ危害が及ぶことは明らか。外に馬を繋いであります。急ぎ此処から出ましょう」

「此処から出よと申されても……」

 公主が首を振ったそのときだった。

 ばたっ、ばたっ――と、人が倒れるような音がした。

 扉の外に眼をると、二人の番兵が壁にもたれるようにして床に倒れ伏していた。

 公主に向き直った賈良は、不敵な笑みを浮かべた。

「我が睡眠薬は即効が売り。さあ、早く私の背に。廉武よ、走れるな?」

 動じた様子はなかった。廉武は、さっと立つと力強く頷いた。

 賈良は公主を背負うと、廉武と共に暴室から外に出た。このまま門外まで走れば、すぐ近くに馬を繋いである。その馬で駈け通せば、公主と廉武を逃がすことができそうだった。

退け退け! 急患だ! そこを退け!」

 賈良は声を荒げた。こそこそと逃げるようなことはせず、公主を急患に装って大胆に遁走とんそうすることを選んだ。

 公主は、顔を伏せて賈良の背に掴まっている。

 廉武も母の公主を気にしながら、しっかりと駈けている。

 医の徒、賈良が、急患の宮女を運んでいるとでも思ったのだろう。宮中では、幾人かの官と擦れ違ったが、どれもその身を避け、幸いにも賈良をとがめる者はいなかった。

 門が見えた。門から出るまで、あとわずかな距離だった。

「待て――‼」

 その大音声だいおんじょうに、賈良の足が止まった。釣られたように廉武の足も止まった。

 賈良と廉武は、ずとその声の主を見遣みやった。

 頭にあかさくいただいた相貌そうぼうは、眉太く強い眼光、虎髭とらひげを備えていた。賈良にも劣らぬ軀幹くかんの持主で、その腕は大樹の幹ほどもある。まとったよろいの腰に剣をび、右手にげきを引っげた勇姿からは威厳が放たれていた。

 この者、ちん国の君主、哀公あいこう幕僚ばくりょうであり、顔岐がんきという名の下級将軍だった。

 哀公が病床に伏して以降、その幕僚たちは寇謙昭こうけんしょうにより、その傘下さんかに組み込まれている。今や顔岐は、寇謙昭の配下にある将軍となっていた。

「何をしている? お主が背負う淑女しゅくじょは、廉晃れんこうの妻、公主と見た。その童は、せがれの廉武ではないのか?」

 携えた戟の穂先が鈍く光って見えた。顔岐は問いただしながら、ゆっくりと賈良に歩を進めた。賈良を貫くような鋭い眼光だった。

 賈良と廉武は、己の鼓動が嫌でも早くなるのを覚えた。

「くっ! 浅はかだったか!」

 賈良は、くやしげにほぞを噛んだ。

 すると、である。

 ぴたと、歩を止めた顔岐は、そっぽを向いて言った。

け」

「……へ?」

 眼をまるくした賈良と廉武は、頓狂とんきょうな声を発していた。

「早く往けと言っておる。俺は何も見ていない。わかったらさっさと往け」

「――――⁉」

 はっとした賈良は、廉武を促すと再び駈け出した。

かたじけない!」

 賈良はそれだけ言い放つと、脇目も振らず馬のいるところまで疾走した。

 顔岐は、駈け去った賈良の背を一瞥いちべつすると、得物の戟を振り払って、ゆっくりと宮中へ歩を進めた。

 この顔岐、廉瑾れんきんに憧れを抱き仕官した者だった。逸早いちはやくその忠信は哀公に見出され、今や腹心のひとりとなっていたが、遂に廉瑾の傍で仕えることはできなかった。

 反対に、顔岐は寇謙昭を嫌悪していた。顔岐にしてみれば、寇謙昭は卑劣ひれつ奸賊かんぞくだった。人をき付ける誠実な廉瑾には遠く及ばない。

「罪のない者を幽閉など、烏滸おこがましいにも程がある」

 顔岐は、胸中の声が漏れ出たように独語した。

 寇謙昭の配下に在った顔岐は知っていた。

 廉瑾が寇謙昭に謀殺され、その一族の集落は焼き払われ、息子の廉晃は連座と称して自害させられている。

 顔岐は、公主と廉武があわれだった。ゆえに逃走を許した。

 それを手伝った熊虎ゆうこ軀幹くかんの男にも見覚えがあった。廉瑾や廉晃が懇意こんいにしていた医の徒、賈良という名のはずだった。

 向かっていたのは暴室だった。歩を進めるにつれ、寇謙昭への憎悪が大きくなるのがわかった。

 顔岐は、得物の戟の柄を力いっぱい握り締めた。


 賈良は、城の門前に繋ぎ止めていた馬まで駈け寄ると、公主を後ろに乗せ、廉武を抱えて騎乗した。母子に挟まれた格好で馬腹を蹴ると駒を駈けさせた。

 城外に出たとは言え、宿や店が軒を連ねている。その奥には人家が並び、田畑は更にその奥に広がっている。原野まではまだ距離があった。

 依然としては明るい。無暗に急いでは、返って怪しまれてしまいそうだったが、自ずと馬足は速まった。

 二刻(三十分)ほど駈けると原野に出た。

 賈良は馬速を上げると、急ぎに急いだ。己が住まう竹林の草庵そうあんかくまうつもりでいた。人里からは幾分か離れている。そこで善後策を練ろうという魂胆だった。

 顔色の悪い公主は、気力だけで賈良の背にしがみついているようだった。

 更に一刻ほど駈けると、川が見えてきた。廉瑾より薬箱を頂戴した場所だった。もう半刻も駈ければ草庵まで辿たどり着く頃合いだった。

「……止めてくだされ、賈良どの」

 賈良の背から、公主の消え入るような声音こわねが聞こえた。

 賈良は、ゆっくりと駒を止めると、公主と廉武を馬から抱え下ろした。

「俺の草庵までは眼と鼻の先です。此処まで来れば、もう歩いても大丈夫でしょう」

 廉武はまだ体力がありそうだったが、青褪あおざめた公主はその場に膝を突いた。

 賈良は慌てて公主に駈け寄ると、手首を取って脈をた。打つ脈は弱く、速度は一定ではなかった。

「公主どの、薬を。飲めば少し楽になります」

 賈良が使い慣れた薬箱を開けようとした。

「……りませぬ」

 固まった賈良は、公主を見遣った。身形を整え端座していたが、相変わらず顔色は悪かった。

「このままでは、廉武の足手纏あしでまといとなるのは必然です……。共に捕えられれば、一族はいよいよついえるでしょう。……それだけは……何としても避けねばなりません」

 公主は、冴えた眼差まなざしで息子の廉武を見据えると、気丈にも振り絞るように声を張った。

「廉武よ、よく聞くのです。必ずや生き延び、祖父廉瑾の、父廉晃の、そして、廉氏一族のあだを討ちなさい」

「は、母上……?」

 廉武は、眼前の母、公主の様子に首を傾げて訝しんだ。

「必ずや寇謙昭を討つのです!」

 束の間、公主は力の籠った瞳で廉武の眼差しを見遣った。

 ふと、笑みを浮かべた公主は、賈良に眼を移すと言った。

「廉武を頼みましたよ、賈良どの」

 その刹那せつなだった。

 公主は、束ねていた髪より鋭い釘のようなかんざしを抜き取ると、勢い良く己の首元に突き立てた。

「――――⁉」

 公主は、うっ伏すと動かなくなった。絶命していた。

「な、何てこった……」

 賈良は眼をいて声を漏らした。眼前で起こったことが信じられない様子だった。

 弾かれたように身を寄せた廉武が、公主を揺すったが、そのからだ木偶でくのように力なく動くだけだった。

「母上……」

 公主の身を抱き寄せるようにした廉武は、慟哭どうこくした。

「母上――‼」

 廉武は、涙でにじませた眼を天に向けにらんだ。

 廉武を嘲笑あざわらうかのような快晴だった。


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