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2/12

 紀元前五四三年――。

 春の息吹いぶきはらんだ風が、鼻をくすぐった。

 二羽の黄色い蝶が、たわむれるように舞っている。

 長閑のどか畦道あぜみちを独歩していたのは、侠客きょうかくのような偉丈夫いじょうぶだった。

 余祭よさい――。

 その偉丈夫の名だった。

 腰には三振りの剣をびている。壮室の頃も半ばを過ぎているだろうか。無造作な黒髪は肩まで伸び、眉はがり、鼻梁びりょう高く、首は太い。眼を開けばらんと輝く精悍せいかんな余祭は、漆黒の襤褸ぼろまとっていた。

 行く先は決めていない。野宿で夜露をしのぎ、自由気儘じゆうきままに浮世を傍観する日々を送っていた。

 しばし、二羽の黄色い蝶に眼を細めていた余祭は、ふと、前方を見遣みやった。

 見覚えのある姿が、覚束おぼつかない足取りで此方こちらに身を寄せている。

 余祭は、皮肉な微笑を刷くと静かにひとちた。

「またか……」

 蓑笠みのがさの下から奇妙な笑みを浮かべている。その風貌骨格ふうぼうこっかくは、何とも奇妙だった。

 身の丈は五尺(約百五十㎝)にも満たず、額は異常に突出し、鼻はひしゃげ、反歯そっぱである。高い声はまるで銅鑼どらのようだった。どういう訳か右脚が木脚で、あかざの杖を突いている。その体軀たいくを纏っていたのは、これも漆黒の襤褸だった。

「また会ったのう、余祭よ」

 面貌めんぼうに浮かべた奇妙な笑みを濃くし、余祭へ親しげに手を振りながら近付いていた。

 介象かいしょう――。

 年齢定かならぬ隠者であり、方士だった。

「奇遇だな、介象どの」

 余祭はに落ちなかった。こうして介象と偶然にも遭遇するのは三度目だった。加えて、毎回、余祭が進む方角から現れていたのである。奇妙と言えば奇妙だった。

「そろそろ、ひとり旅にもんだ頃と思ってのう。才はあると見た。どうじゃ、わし弟子でしになってみる気はないか?」

「……弟子?」

 思いもよらぬ誘いに、余祭は眼をまるくして鸚鵡おうむ返した。

「左様」

 介象は奇妙な笑みを浮かべたまま、眼を細くして続けた。

「お主には才がある。方術を磨け、余祭。方士となってこそ、真の浮世を渡り、人とは何たるかを学ぶことができる」

「…………」

「名を捨て、地位を捨て、名誉を捨てたお主が行き着く先は、遠からず同じようなものじゃろうて」

 介象は、余祭が佩びた三振りの剣に藜の杖の先を向けた。

「方術による霊気をれねば、その剣も持ち腐れとなろうぞ」

 余祭は、三本の剣の柄に視線を落とすと、纏った襤褸の上から三振りに左手を添えた。

 雄雌二振の宝剣、干将かんしょう莫邪ばくや、そして、青鋼剣の眉間尺みけんしゃくだった。その三振の剣のさやが触れ合い、カチリと小さな音が鳴ったようだった。

 宛てのない旅だった。暇潰しくらいにはなろう――。この時の余祭は、その程度にしか思慮していなかった。

「この剣が持ち腐れとなっては、俺もたまれない」

 余祭は、顔を上げると冴えた眼差しで介象の瞳を見返した。

「弟子になる気はないが、方術とやらは習ってみよう」

い」

 柔和な笑みとなった介象は、満足げに頷首がんしゅしてみせた。

 先程とは違う蝶だろうか。余祭と介象の周りで、しきりと戯れるように舞っていたのは、二羽の黄色い蝶だった。


「付いて来るがよい」

 差し込んだ西日が、芽生え始めた新緑を照らしている。

 右足が木脚の介象に誘われるように案内されたのは、近くの山中、その中腹だった。

「ほれ、そこの木立の前に立ってみるがよい」

 幹の太さは、成人が三人も横に並んだほどの大木だった。

 藜の杖の先で指示した介象に、余祭は何の疑いもなく従った。

 しかし、暫く経っても何かが起こる訳ではない。十五尺(五メートル)ほど離れたところから、反歯のにやけづらが見えているだけだった。

 方術の指南を期待していた。流石さすがの余祭も嘆息したその時だった。

「――――⁉」

 突如として、ぬうっと、木立の中から十歳ほどの男児の上半身が現れた。その手を伸ばし、余祭を木に引き込むように襤褸の裾を引っ張っている。

 見れば、男児の眼球は全て黒く、肌は透けるように青白い。

「深山に住まう童のあやかし、渓嚢けいのう――。人と認めると、手を伸ばし木の中に引きり込もうとする。そのまま引き摺り込まれれば、お主の身はこの世から消え、新たな渓嚢となるぞえ、余祭よ」

 介象は、不敵に顔をゆがめると続けた。

なんじ、我のしもべとならん――。念じながら力任せにその渓嚢を木立より引っ張り出すがよい」

 得体の知れないものに眼をいた余祭は、無我夢中で渓嚢のか細い腕を掴み、一息に引き寄せた。

 すると――。

 渓嚢は、ぐったりすると、溶けるように消えてしまったのである。

 驚愕きょうがく面貌めんぼうさらした余祭は、にやけ面の介象を見遣った。

「流石は妖剣に選ばれし者のことはあるのう。無意識で霊気を繰っておる」

「よ、妖剣――? 一体、何のことだ?」

 息を荒げたような余祭は、首をかしげた。

「内に秘めたる大いなる霊気に、気付いとらんようじゃのう」

 藜の杖を使って、ひょこひょこと身を寄せた介象は、余祭に小さな木札を手渡しながら言った。

「お主が佩びておる三振り、そのうち二本は紛れもなく妖剣。得体の知れぬ類が宿りし妖剣じゃ」

 余祭は、眉間に皺を寄せると更に首を傾げた。

「二本だと……? 干将と莫邪のことか? これは、宝剣とうたわれし業物わざものぞ……」

 腰に佩びた干将と莫邪の剣に眼を落すと、余祭はそっと手を添えた。

「市井で何と謳われておろうが、知ったことではない。干将と莫邪は妖剣。その二本に選ばれたのがお主。真実はそれだけじゃ」

 不気味な顔の介象が余祭を見上げた。期待を込めた眼にも、試すようなそれにも見えた。

「僕なる渓嚢よ、我がたすけとならん――。念じながらその木札に息を吹きかけてみい」

「…………」

 余祭は三度首を傾げた。介象が言っていることへの理解が及ばないでいた。

「チッ。飲み込みが悪いのう。僕なる渓嚢よ、我が援けとならん――。そう念じながら、木札にふっと息を吹きかけい。ふっとじゃ。ふっとな。やってみい」

 余祭は介象に言われるがまま念じた。ふっと、小さな木札に息を吹きかけた。

 途端に――。

 小さな木札がみるみるうちに変化すると、先ほどの童の妖し、渓嚢に変じたのである。

「――――⁉」

 眼をいて息を飲んだ余祭に、介象は得意げに言い放った。

「そうやって僕にした妖しを召喚するのじゃ」

「お、俺が……召喚……?」

「己が練った霊気を繰り、妖しを服従させ僕とする。僕となった妖しは念じた物にく。もすれば、今来古往、主の意思により妖しを召喚することができる」

 渓嚢がたのしげに走り回っては、木立の陰に隠れたりしている。

 余祭は、唖然あぜんとした。

「よく聞け、余祭」

 介象は、真摯しんし眼差まなざしで余祭の眼を見詰めると続けた。

「方術、それすなわち霊気なり。霊気、それ則ち方寸の心に潜在せし宇宙なり。霊気を練り、自在に繰り出してこそ本物の方士となれよう」

「……方士」

「干将と莫邪やらを抜いてみい」

 余祭は、介象の言に従って干将の剣と莫邪の剣を抜き放った。

 右にかかげた雄剣の干将には龜文きもん(亀裂模様)が浮かび、根元に「干将」と銘されている。

 左に掲げる雌剣の莫邪には漫理まんり(水波模様)が浮き、根元に「莫邪」と彫られていた。

「意識を研ぎ澄まし、二剣の息吹を感じてみよ。そして、二剣を掲げし両の手より心気を送り込み対話せい。然すれば、心気は霊気となり、二剣は見事応じよう」

 呼吸を整えると、余祭は瞑目めいもくした。干将と莫邪を掲げた両手から、二剣の鼓動に意識しながら、会話するように心を込めた。

 刹那せつな――。

 干将の一振が眩いほどの光彩を放つと、共鳴したように莫邪の一振もさん々たる輝きを放った。

「おお……」

 はしゃぐのも忘れた渓嚢が、眼を見開いて感嘆の声を漏らした。

 ゆっくりと眼を開いた余祭は、右の干将を虚空にひとつ、二つと振った。眼前には煌々とした光が走ると、耳元に熱き風が鳴った。

 同じように左の莫邪をひとつ、二つと振れば、眼前に冷ややかな光が煌き、耳元へは冴えた風が鳴り響いた。

「そうじゃ」

 介象の顔に不敵な笑みが浮かんだ。

「こ、これが、干将と莫邪の本来の力だというのか……? 二本の剣の意思が、手から伝わってくるようだ……」

 余祭は、掲げた干将と莫邪を驚愕の形相ぎょうそうで交互に見遣った。

「好い好い。あとは霊気の練り方次第。浮世を渡り歩くことじゃ。この世が何たるか、人とは何たるかを学べ。然すれば、霊気は自ずと練られる。方術を極めよ、余祭」

 満足げに頷首した介象が、柔和な笑窪えくぼを湛えた。

 干将と莫邪の輝きがゆっくりと静かになった。剣身に浮かんだ龜文と漫理が鮮やかに見える。余祭はその二本を鞘へと収めた。

「どうやら、此処ここは神気にも満ちておる。お主の心気、その質が気に入れば、召してくれるやもしれぬ。ほれ余祭よ、念じたもれ」

 介象の指南どおり、余祭は右手の中指に人差指を重ねると、その手を胸の前に突き出して唱えた。

「漂いし山野の精霊よ、願わくは我に召し抱えられん」

 すると、である。

 眼前に小旋風が巻き起こり、姿を現したのは、巫女みこの容姿の若く美しい手弱女たおやめだった。

「山野に宿る妖し、巫支祁ふしき――。争いごとには向かんが、従順な上に機転も利く。お主の役に立つじゃろう」

 言った介象は、唖然とした余祭に小さな木札を差し出した。

「儂は、僕となった妖しの憑き物に木札を使っておる。懐中ふところに仕舞い込めば、いつでも容易に取り出せるでな」

 しゅくとして端正な巫支祁は、恍惚こうこつとした面持ちで余祭に視線を注いでいる。

「召喚した妖しは、木札に戻るよう念ずるか、致命傷を負えば自ずと木札に戻る。何度でも繰り返し召喚できる。主が持ち合わせる霊気の量質にもよるがのう」

 駈け寄った渓嚢が、巫支祁の袖を引っ張りたわむれている。

「ほ、本当に、こんなことがあるのか……?」

 余祭は、てのひらにある二枚の木札と眼前の妖したちを交互に見比べると、介象に驚愕の表情を向けた。

 眼を細めた介象は、力強く頷首しただけだった。


 既に陽は落ちていた。

 闇に包まれた山中では、焚火の明かりが二人の影を長く見せている。

 見上げれば、群生した木立の隙間から円い月がのぞいていた。

 焚火を挟んで対面に胡座した介象は、突き立てた藜の杖にすがり、瞑目したまま余祭に説いていた。

 傍では、優しげな眼差しの巫支祁が端座している。

 その膝を遠慮もなく枕にした渓嚢が、大の字となって小さな寝息を立てている。

「各地では数多の妖しが跋扈ばっこしておる。渓嚢や巫支祁のように、心根の優しい妖しばかりではない」

「妖しとは、一体、何なのだ?」

 余祭は、炎に照らされた面貌を介象に向け、真剣に聞き入っている。時折、あぶった干し肉をぞんざいに千切っては、口に含んで咀嚼そしゃくしていた。

「異界に住まう霊気を繰る者――とでも言おうか。太古の昔、人と妖しは互いに足りない部分を補い合い、仲睦まじく共に同じ世で暮らしておった」

「…………」

「だが、いつしか人からは性悪の者が生まれるようになった。素直で性善の妖したちは、次第に性悪に飲まれるものが増えた」

「…………」

「時が経つにつれ、性悪に飲まれた妖しは増え、人から生まれる性悪も絶えるところを知らず、やがて人と妖しは争い合うようになった」

「…………」

「そこで、天は人と妖しが互いに干渉できぬよう世を陽と陰に分かち重ねると、番人を派遣した」

「番人……?」

「性悪の性質を持つ人と妖しが跋扈せぬよう見張る番人じゃ。人も妖しも、性悪が増えすぎては世が保てぬからじゃろう」

「人も妖しも、性善が減ったということか、介象どの?」

「介象と呼ぶがよい。性善と性悪、いつしか綺麗に割り切れるものではなくなった。陽の世界に生きる人の中には、性善を装うが心根は性悪が増えてもいる」

「…………」

「陰の世界に生きる妖しは、悪戯いたずらに陽の世界に姿は現さぬが、霊気を繰り、陰と陽を行き来しては悪事を働く妖しも増えてきた。中には手練者てだれの妖しもおる」

「…………」

「この世の成り立ちを知った儂は方士となり、僕となった妖したちの力も借りながら、世に性悪が蔓延はびこるのを防ぐ旅をしておる――という訳じゃ。天に愛されたいがためにのう」

「その手練者の妖しとやらも、服従させれば己の僕とすることができるのか、介象?」

「然り」

 介象の片眼が開いた。その眼に映ったのは、何か思案しているような余祭だった。

驍勇ぎょうゆうで謳われたお主の腕が鳴ったか、余祭?」

「ああ。番人とやらに興味はないが、手練者の妖しとは面白そうだ」

「此処よりほど近くのすう山じゃ。武に傾倒した妖しがたむろしておる」

「案内してくれるか、介象?」

 余祭の瞳に映った焚火の炎が揺れていた。

「よかろう」

 双眼を開いた介象の顔が不敵に歪んだ。

 そういうことになった。


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