拾
「哀公を援ける兵など、殆どおるまい。このまま宮廷に兵を向け、この国を獲る‼」
邸に戻った寇謙昭は、集落の一族郎党に下知すると、私兵を招集して鮑敍に率いさせた。
馬上の寇謙昭はその身を中軍に置くと、荒くれた千の兵を率いるようにして騎馬の鮑敍が先陣を切って宮廷に向かった。
宮廷に向かって寄せる兵団に、只ならぬ事態を察した民草たちは、挙ってその姿を隠した。
蛻の空のようになった街道を寇謙昭の軍勢が駈けている。
先陣の鮑敍の足が止まった。
それに後続する歩兵たちもその足を止めた。
見れば、前方から堂と行軍してきたのは、顔岐が率いる哀公の近衛兵団だった。
対峙するように顔岐もその足を止めていた。
「寇謙昭を差し出せ‼ 然すれば、命だけは援けてやろうぞ、鮑敍‼」
顔岐の口上が高らかに木霊した。
「……顔岐如きが、何を偉そうに」
精悍な面貌に憎悪を浮かせた鮑敍は、大音声で下知した。
「奴等を仕留めろ‼ 褒美は思いのままぞ‼」
鮑敍は佩剣を抜き払うと、切っ先を顔岐が率いる近衛軍に向けた。
咆哮のような雄叫びが上がった。
寇謙昭の軍勢は、怒涛の勢いで近衛軍に殺到した。
刹那――。
余祭は、懐中から三枚の小さな木札を取り出した。それにふっと息を吹きかけた。
すると――。
その小さな木札は見る見るうちに、どれも龍頭人身の妖し、計蒙に変化した。
漆黒の襤褸を纏い、剣を背負っている。柄の色は、赤、青、黄、それぞれ異なっていた。
「存分に暴れることを許す」
眉間尺を抜き放った余祭が下知すると、三体の計蒙は疾風の如く怒涛の寇謙昭軍に向かっていった。
「廉瑾さまの仇を討つは今ぞ‼ 正道は我らにあり‼ 怯まず寇謙昭軍を討て――‼」
得物の戟を寄せる軍に向けた顔岐が大音声を放った。
「応――‼」
槍、剣、戟、銘々に獲物を掲げた近衛兵たちが、計蒙に続いて怒涛の軍に突進した。
「な、何だ、あれは――⁉」
眼を剥いて声を失ったのは鮑敍だった。
小旋風のような無尽蔵の動きで兵が斬られている。
見れば、頭は龍で漆黒の襤褸を纏った剣の手練者に、次々と先陣の兵たちが斬り斃されていた。
それに勢い付いた近衛軍が、猛然と寄せている。
「数では勝っておる‼ 怯まず突き進めい‼」
鮑敍は、馬腹を蹴って近衛軍の中に身を躍らせた。
「押せ‼ これほどの数に押し負けるな‼ 城まで達せば、この国は我が物となる‼」
声を荒げた寇謙昭も、手勢を引き連れ近衛軍へと向かった。
「さて、始まってしまったが、お主らは下がっておれよ」
藜の杖を横にした介象は、身を呈するように賈良と賈粛、廉武の前にその身を移した。
拳には力が入っていた。
廉武は片時も眼を離さず、眼前で繰り広がる戦闘に見入った。
躰が自然に動いたようだった。
「こ、これ、廉武――⁉」
介象が制すのも聞かず、廉武は、腰に佩びた短刀を引き抜くと、寇謙昭を探し出すように剣戟の巷へ駈けていった。
ゆっくりと歩を進めながら、寇謙昭の姿を探していたのは鋭い眼光の余祭だった。降ってくる剣戟の雨を造作もなく払い除けると、返す一閃でどれも斬り伏せている。
余祭は、三体の計蒙を霊気で繰りながらの戦だった。気を抜けば、手練者の計蒙と謂えども斬られてしまうだろう。
余祭は、兵たちの気配で両陣営の趨勢が肌でわかった。
その感覚は、依然よりも研ぎ澄まされているような気がしていた。数は相手の方が多いが、近衛軍が僅かに押している。
余祭は、三体の計蒙の背を追うようにして、寇謙昭の軍勢に割って入った。
眉間尺を鞘へ収めると、干将と莫邪の二剣を引き抜き左右とした。迸る干将と莫邪の閃光が、寇謙昭軍の兵に血の雨を降らせた。
廉武の行方がわからなくなった介象は、慌てた様子で懐中の木札を選別していた。
「か、介象さま……」
傍の賈良が青褪めていた。
「何じゃ⁉ 今、妖しを選んでおるというに……」
「……か、賈粛が……おりませぬ」
「――――⁉」
介象と賈良は、互いに青くなった貌を見合わせると、ゆっくりと戟剣の巷に眼を遣った。
童子たちの行方が、わからなかった。
頭上で槍を旋回させ、その勢いを以って近衛兵を突いている。
りゅうりゅうと戟を扱いた顔岐は、騎馬の鮑敍を眼前に捉えると馬腹を蹴った。
「鮑敍――‼」
怒声を放った顔岐に、鮑敍の動きが止まると、その精悍な面貌に不敵な笑みが浮かんだ。
同時に、鮑敍は馬首を翻すと顔岐の許に駒を繰った。
勢いに乗った顔岐と鮑敍の二騎が馳せ違う。
ガギイイン――。
戟と槍から火花が飛び散ると、顔岐と鮑敍は互いに馬上から姿を消した。
地に背から叩きつけられた顔岐は、跳ね起きると雄叫びを上げて鮑敍に戟の一閃を降らせた。
がっしと、半身を起こした鮑敍が横にした槍の柄でそれを受け止めると、立つ勢いを以って押し返した。
距離を取った二人が対峙した。
「遂に貴様を堂々と殺せる日が来たようだ、顔岐よ」
「…………」
顔岐は、腰を落として戟を構えた。冴えた眼差しは、鮑敍の一挙手一投足に注がれている。
「大人しくしておれば良いものを。下級将軍の分際でしゃしゃり出おって……。我が槍の餌食にしてくれん――‼」
鮑敍は、頭上で槍を旋回させると、顔岐に馳せ寄り乱突きをお見舞いした。
顔岐は、それを躱し、弾き、払った。鮑敍が槍を引いたのに合わせ間合いを詰めると、身を屈めるようにして胴薙ぎの閃光を走らせた。
「――――⁉」
ぴたと、鮑敍の動きが止まった。
口辺から一筋の鮮血が流れ落ちると、膝を地に突いた。その勢いで、鮑敍の臓物は裂かれた腹から摚っと地に溢れ出た。
「ほ、鮑敍さまが、斬られた――⁉」
「鮑敍さまが、討たれた――」
寇謙昭の兵たちは狼狽すると、勢いは忽ち衰えた。
「国を愁うことを知らず、外見と銭のみで成り上がったお主に、将軍の名は重過ぎよう」
顔岐は、冷めた視線で鮑敍を一瞥すると、堂々とした歩みで狼狽える敵兵の中に身を躍らせた。
「ええい‼ 鮑敍ひとり失ったくらいで怯むでない‼ 数では勝っておるのだ‼ このまま押し込め‼ 儂が王になった暁には、褒美は思いのままぞ‼」
馬上の寇謙昭は、声を荒げて叱咤した。
それに寇謙昭の兵たちが勢いを取り戻した矢先だった。
倒れ伏した虫の息の鮑敍が顔を上げた。見えたのは、短刀を掲げて右往左往する童子だった。霞み始めた眼を凝らすと、見覚えのある男児だった。
「廉武か――⁉」
恨み節の鮑敍は、槍を手に死霊の如く立ち上がると、臓物を引き摺って廉武の前に立ち塞がった。
「――――⁉」
怯んだ廉武に、鮑敍は槍を振り上げると、最後の力を振り絞るようにして斬り下げた。
手応えはあった。
鮑敍は、北叟笑んだまま事切れた。
童子が背から斬られていた。
廉武の身を抱き締めるように覆い被さっていた。
突如の事態に、声は声にならなかった。
「……な、何で……?」
廉武の両手は生暖かい鮮血に塗れている。
その血潮は、廉武の身に覆い被さる童子の背から止め処なく溢れ出し、廉武に擡げるように頽れた。
斬られたのは、廉武を庇うように身を呈した賈粛だった。
「…………」
蘇芳に塗れた廉武は、地に突いた膝に賈粛の頭を横にそっと置いた。まるで、寝ているように眼を閉じていた。
「……おい……おい、賈粛……。賈粛……おい」
身を揺すっても、寸とも動かなかった。
「……また、失ってしまったのか……?」
廉武は、呆然と賈粛の静かにも青白い顔を見遣った。
祖父を失い、父母を失い、一族を失った。それに加え、今、自分の盾となった友をも失った。
耐えるには酷な悲しみだった。どうすることもできなかった。廉武からは唯々、涕が滂沱と溢れ出た。
天を仰ぎ見た廉武は、返せと言わんばかりにその名を叫んだ。
「賈粛――‼」
その声は、戦場の坩堝に木霊した。
敵兵の中に在った顔岐は、はっとすると眼を剥いて振り返った。
声の許には、廉武を探していた介象と賈良が馳せ寄った。
「か、賈粛――⁉」
「これはいかん――」
忽ち介象と賈良の面貌には、絶望の色が浮いた。
寇謙昭まであと僅かという距離で、余祭の足が止まった。
環眼を引き剝き、左右に干将と莫邪を掲げた余祭がゆっくりと振り返った。後方に蝟集する慌ただしい人垣が見えた。
足許から頭頂に怖気が走る感覚がした。
すると――。
余祭が左手にしていた莫邪の剣は、灰褐色の光を放った。
一方、右手にしていた干将の剣が、朱色の光を帯びた。
それぞれの剣から放たれたのは、灰褐と朱の色に光輝く掌てのひら)大の玉だった。
灰褐に輝く玉は、後方に蝟集する人垣に疾風の如く向かった。
その先にいたのは、廉武に身を預けたような賈粛だった。
神々しい光を放っている。灰褐色の玉は賈粛の傷口に降り立つと、ゆっくりとその姿を現したのである。
掌ほどの大きさだった。神仙な霊山を連ねたような甲羅から、鹿の角のようなものを生やした蛇頭がくねっている。賈粛の傷口を覆うように灰褐に輝いた霊気の塊は、霊獣の姿となって現れた。
「な、何と――⁉ 宝剣莫邪に宿りしは、玄武――⁉ 余祭が霊気を繰り操るか……」
眼を剥いた介象は唖然とした。
霊獣が宿るほどの強い念が込められている。強く気高い意思を以って造られた剣であることが察せられた。
「か、介象さま――」
「――――⁉」
同じように眼を剥いた賈良の視線の先を見遣った介象は、思わず言葉を失った。
見れば、賈粛の傷口から流れ出る血が止まっている。それどころか、少しずつではあるが傷口が塞がろうとしていた。
その小さな玄武が、霊気を帯びた神々しい光で、負傷した賈粛の身を元に戻そうとしている。
「これはこれは、名工莫邪が込めし念は、守護、回復、防御と言ったところか……。では――?」
はっとした介象が面貌を上げた。
朱色に輝く玉は、旋風の勢いで縦横無人に飛び回り、寇謙昭の兵たちを翻弄していた。
放つ光は神々しかった。飛翔する朱の玉の姿が、次第に別の形を成していった。
大きさは掌ほどだった。朱に輝く火炎に塗れた雀は、光速で飛行しながら寇謙昭の兵たちを次々に穿った。朱に輝く霊気の塊も霊獣の姿に変じていたのである。
顔岐と近衛兵は、思わずその朱の光の動きに眼を奪われていた。三体の計蒙でさえ、呆然と眼で追っている。
「宝剣干将に宿りしは、朱雀――⁉ 二体の霊獣を同時に操るというか……」
再び眼を剥いた介象が驚愕すると、その面貌には奇妙な笑みが浮かんだ。
干将の剣にも霊獣が宿るほどの強い念が込められていた。烈しく剛毅な意思で造られた剣であろうことが推測できた。
その小さな朱雀が捉えたのは、馬上の寇謙昭だった。
「なっ――⁉」
眼前から光速で向かって来る朱雀が寇謙昭の胴を貫いた。
「…………?」
何も起こらなかった。
同じように胴を貫かれた寇謙昭の兵たちも、皆、己の腹を見ては怪訝の色を浮かせていた。
刹那――。
「ぎゃあああ――‼」
阿鼻叫喚が響き渡った。
「――――⁉」
見れば、朱雀に貫かれた者は、どれも煉獄の業火に身を包まれたのである。
火焔に覆われていない近衛兵に抱き付こうとも、その炎は飛び火しないどころか熱くもない。朱雀に穿たれた者だけに燃え、熱さの感じる炎だった。
泣き叫び、払い除けようとも、その炎は燃え盛った。ふっと消えたときは、命が尽きたときだった。
どさっ――と、黒く焼け爛れた者が馬上から地に落ちた。
寇謙昭だった。
「名工干将が込めし念、それは、侵略、燃焼、攻撃の類であったか……」
霊獣の玄武は、薄くなるようになると、灰褐の光と共に消えていた。
「か、賈粛――⁉」
驚きの声を上げたのは、廉武だった。
「こ、こんなことが、あるのか……?」
驚愕で声が顫えた賈良が、眼に涕を浮かべていた。
何事もなかったかのように、すっくと己の足で身を起こし、訝しげな顔を晒している。
「おっ父も廉武も、どしたのさ?」
首を傾げた賈粛に、賈良と廉武は一緒になって抱擁した。
霊獣の朱雀も、朱の光の尾を引いて虚空に消え入った。
干将と莫邪の剣を掲げて仁王立っている。
肩で息をしていたのは余祭だった。
三体の計蒙は、剣を背負った鞘に収めた。余祭の許に歩み寄ると、ふっと消えた。地に落ちたのは三枚の木札だった。
「ひとつ、開眼したようじゃのう」
いつの間にか、余祭の許へ歩みを寄せていた介象がにやけ面で言った。
「…………」
呼吸を荒げた余祭は、干将と莫邪を鞘へ収めた。それで安堵したのか、摚っと大の字で仰向けに倒れた。呼吸に応じて腹が波打っている。
余祭は瞑目すると、腰に佩びた三振りの剣に手を添えた。
にやけ面の介象は、余祭を覗き込んだ。
「ようやった。攻防の霊気を一度に練り上げ、性悪を討ち、性善を助けるとは、何とも特異な奴じゃ。しかし、これも立派な方術なり。お主は紛うなき方士じゃ、余祭」
立っていたのは、廉武、賈良と賈粛、顔岐と近衛兵、そして、介象だった。
辺りには、焼け爛れた寇謙昭とその兵たちの屍骸が転がっていた。
陽が西に傾き掛けていた。
何処からともなく声が沸いた。
その声が増えると、次第に大きくなった。
鬨の声だった。
陳国は、病より復帰した君主の哀公により正道に戻った。
哀公は、近隣諸国より新たに群臣を募った。病弱な躰は、賈良の煎じ薬により健勝へと近付き、国の先頭を切って政に辣腕を振るった。
それは、国内の政治体制を刷新するに至ったが、中でも下級将軍であった顔岐は、哀公への忠信と寇謙昭討伐の功を評価され、将軍の中でも陳国の第一将としてその名を連ねた。
その顔岐に、廉武と賈粛の行く末を託したのは、賈良だった。
「本当に、それで良いのか……?」
頭に紅い幘を戴き、豪壮な鎧に身を包んだ顔岐は、哀愁の色を滲ませた相貌で賈良に尋ねた。手には賈良より渡された一本の簪と年季入りの薬箱を持っている。
「うむ。信を置けるはお主しかおらぬ、顔岐よ。二人には、隣国に出向いたとでも伝えてくれ。折を見、簪は廉武へ、小箱は賈粛へ……」
賈良はそう言うと、顔岐の双眸を見詰めた。ひとつ頷首すると、踵を返して宮中を後にした。
賈良は、哀公より正式な主治医として認められていたが、後任に賈粛を推挙してきたところだった。
その足で、長年起居してきた草庵へと向かった。道中の景色は、公主と廉武を救い出し、騎馬で逃げた時とまるで違うように見えた。
草庵に着くと、庭で待っていたのは余祭と介象だった。不可思議な巫女と番犬のような奇妙な生き物はもういなかった。
「医の徒でありながら、義に生きる勇士であったか……」
近付いてくる賈良に、介象は寂しげに言った。
賈良は、口辺に微笑を刷くと昂然と胸を張った。
「当然のことだ。このままでは、二人の牢番兵、公主どのと淳于甫どのに顔向けできんからなあ。俺の身勝手で四人は世を去ったのだ」
「未練はないのか、賈良……?」
俯き加減の余祭が、静かに尋ねた。
「ない。賈粛と廉武は、陳国の第一将、顔岐に託した。これほど心強いこともあるまい」
賈良は、余祭と介象の前にどしりと腰を下ろした。
「さあ、余祭どの。剣を一振り所望したいが……」
「……うむ」
余祭は、腰より眉間尺を抜き放つと、それを賈良に手渡した。
静かで青白い光を放つ眉間尺に眼を細めながら、賈良は静かに言った。
「遺骸は、草庵の裏にでも埋めてくれ。苦労は多く大成もしなかったが、充実した幸せな人生だった……」
賈良は、さっと眉間尺を横にして己の首の後ろに構えた。
「余祭どの、介象どの、世話になった。これで、さらばだ……」
刹那――。
賈良は、勢いよく眉間尺で己の首を刎ねた。
どっと賈良の首が地に落ちると、胴から吹き上げる鮮血が血の虹を描いた。
ゆっくりと賈良の躰が前のめりに頽れた。
「見事じゃ、賈良……。またいつか、会える日を愉しみにしておるぞ」
愁眉に染まった介象は、賈良の骸に身を寄せ、労わるように優しく撫でた。
「…………」
余祭は俯き加減のままだった。
その眼差しは、いつまでも地に落ちた賈良の首に注がれていた。
そして、ときは過ぎ――。
廉武は、君主の哀公により先祖代々の所領が与えられ、新たな廉氏一族の始祖となる。後年、その末裔の中に戦国四大名将と謳われる者が現れるに至る。その者の名を廉頗と言った。
賈良より総伝されていた医術は、賈粛により更なる進歩を遂げ、とある医の流派、その源流となった。後にその流派より、神医と称される者が出現するまでに至った。




