前章
余命が少ないという現実を前に愕然とする中で、夢野が現れた。
20年前とほぼ変わらない姿で音もなく、気づくと目の前にいた。
「夢野君、どうしてここへ?」
夢野は少年のように屈託なく微笑んで、USBメモリ型SSDを差し出す。
「ゲームの新作ができたので持ってきました。また富田さんにやっていただきたくて!」
「ああ……三部作を一つにまとめた奴の修正版だね。えっとオープンワールドとかになったんだっけ?」
「ええっ、ネットに対応し、三部作が多人数でも楽しめるようになりました!」
富田三四郎に差し出されたゲーム「マジカルグランドストラテジー」は大人気VR型MMORPGゲームで主にPCで発売されており、一作目が出たのは18年前であった。
富田は仕事として三部作を隅から隅までやり尽くしてきていた。
だが大容量USBメモリ型SSDを受け取らない。
「……ガンが見つかったんですね」
という夢野の言葉に富田は重くうなずく。
「ああっ、ずっと43年間、気を付けてきたのにやっぱり発症したよ」
富田は夢野達親しい者には随分前から自分の運命ともいうべき体質のことを教えていた。富田の家系の男子は全てガンによって50歳まで生きられないという暗い伝統があったのだ。
これまで富田はガンにならないように徹底した生活を実践してきていたが、掛りつけの病院で定期的な血液検査でガンの兆候を確認した。
それからCT・MRI検査で小さいが2つのガンを5時間前に発見したのである。
「富田さんはずっとガンにならないために全力を傾けていらっしゃいましたからね。僕も残念です」
「ははっ、本当だよね。睡眠時間は8時間を確保、食べ物はバランス良く無添加・無農薬、毎日7キロウォーキングに適度な筋トレ、週休3日で一日の労働は8時間以内……」
「ストレスを受けないように人との交際も制限して、インフルエンザなどの予防注射を率先して受け、通勤もラッシュを避けていましたよね」
「ははっ、そうなんだ」
付き合いの長い夢野は富田の偏執的ともいえるライフスタイルをすっかり熟知していた。
富田は自分がいかに無様な負け戦をしていたのか思い知った。ガンに勝利するために全てをささげていたが完全に無駄であったのだ。
無様に泣きそうになったが精いっぱいの虚勢を今は張ることにした。
「幸い、3つのガン保険に入っているからこれからはたぶん働かないで好きなことができるさ。毎日ステーキ食って回らない寿司を食べて全国を新幹線で行き来するよ!」
我ながらしょうもないことを言っていると思い、富田は改めて絶望しそうになった。
夢野にも早く帰ってほしいと思ったが、そういう風にはいかなかった。夢野はUSBメモリ型SSDを再度差し出していう。
「富田さんの無念はわかります。ですので今回作ってきたのは富田さん用に生み出した専用ゲームです。全てが報われるとはいいませんが、生まれてきたことを後悔させない出来だと自負しています」
富田は心の中で瞬時に嘲り笑う。たかがゲームでこの余命少ない者の心に安寧をもたらすなど不可能に違いなかったからだ。
俺の現実が遊戯なんかで軽くできるわけがないだろう!!
そんな言葉が飛び出かけたが富田はUSBメモリ型SSDが脈打っていることに気づいた。
まるで生きているかの如く、深呼吸しているかのように膨張収縮を繰り返していた。
明らかに通常では起こりえない現象だ。
富田はとんでもない怪異を目の前にしても動揺しなかった。前々から夢野が普通ではないことを感じ取っていたからだ。
夢野は富田に言う。
「僕にDNAに干渉できる能力があればよかったのですが――」
「そんなことができるのは悪魔くらいだろう。いや、天使もできるかな?」
「せめて僕の作った世界で精いっぱい生きてみませんか? 地球が存続する限り消えないことは約束します!」
「……ゲームの中で新しい人生ですか。でも『マジカルグランドストラテジー』は剣呑な世界だから危険すぎるかな。なんせ選択次第では本気の世紀末が来ますからね」
「ええ、確かに。でも富田さんなら上手く立ち回ることができるんじゃないですか? 富田さんがゲームについて考えてくれたこと、僕は正しいと思っているんです」
「私の考え方が正しい……」
富田はその時、自分の生き方が肯定されたように思い、嬉しくなった。
「えっ!?」
気持ちがほぐれた刹那、富田は自分でも信じられないとんでもないことをしていた。
なんと鼓動を刻むUSBメモリ型SSDを掴んでいたのだ。
すると確かに何かが魂にインストールされていくのを覚える。
不安もあるが新しい何かが起きる予兆を強く感じたのだ。
見ると夢野は微笑んでいた。その微笑は菩薩のようにも映る。
自分の中に広がっていく不思議な現象を富田は受け止めながら言う。
「できれば健康な身体で暮らしたいな……」
「多分そうなると思いますよ。向こうは派手な世界ですが、とにかく楽しんでください。富田さんならばきっとうまく暮らせますよ」
「はははっ。しょうがない、一つ魔法でもぶちかますか!」
「そうしてください。もう会えないと思うと寂しいです」
「そうか。これが今生の別れか」
この世界から確かに離れていくことを感じながら富田は一番気になることを最後に尋ねようとした。
夢野くん、結局君は悪魔か天使か、どっちなんだ?
だがそれは言葉にはしなかった。新しい世界に向かうときにそれはどうでもいいことだったからだ。
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新連載です。6日ぐらい一日2~3話投稿します。
それ以降は書き溜めに入りますがよろしくお願いいたします。