三人目の番
修道院の一日は祈りを捧げ、聖書を読み、清掃、食事の準備、洗濯など規則正しい。
そんな生活はリナリーにとって退屈ではあったものの、波乱が巻き起こる心配をしなくてよいだけではなく、神父やシスターたちも親切で優しく、嫌味な人間がいないこともあり穏やかな修道院生活を送っていた。
しかし、唯一気がかかりな点があった。
「今日も可愛いね、リナリー」
一瞬少女かと見間違えるほど可愛い美少年がリナリーに笑顔を向ける。
線が細く背の高さはリナリーの胸くらい。
さらさらの銀の髪を肩で揃え、くりっとした瞳は翡翠を思わすような緑色。
肌も白く、他の子供とは一線を画している容姿であった。
修道院では孤児の面倒も見ているのだが、この少年ルベルはリナリーが修道院に入った日からこうして構いに来る。
「……ありがとう」
リナリーは子どもは嫌いではかったが、そこはかとなくこのルベルという少年は計算じみた振る舞いをしているような気がして少し苦手であった。
他の子どもがリナリーと遊ぼうとするとルベルはその子どもが他のことに意識を向くように仕向け、いつの間にかルベルがリナリーと一緒にいるということが日常であった。
相手が少女の時はそこまでしつこくはないのだが同性になれば光の速さで飛んできて二人きりになるまで粘り倒す。
この前の食事の際には、小さい子が食べるのを渋っていたためリナリーが補助で食べさせていると急にルベルが声を上げた。
「えー!僕人参食べたくないよー!」
「いけません。こうして食事が頂けるのはいろいろな人の助けがあってのことです。嫌がらず感謝して食べなさい」
「…リナリーが食べさせてくれるなら食べてもいいけど」
急にリナリーを指名され困惑した。
彼の相手をしていたシスターは子どものわがままだからとリナリーに要求を呑むように目で訴える。
別に食べさせるくらいどうってことなかったが相手がルベルだとどうしてもためらってしまう。
そのシスターと代わりルベルの横に座れば、案の定本当に人参が嫌いなのかと疑ってしまうくらい彼は嬉しそうに口を開ける。
「うーん。リナリーのおかげで僕人参が好きになれそうだよ」
「……それはよかった」
感情のこもってない返しをした。
彼は子どものわがままにしてはリナリーしか名指ししない。
自由を愛する彼女にとってルベルの独占欲は少し重たいものであった。
他にも困ったことがあり、リナリーがしゃがんでいるとこれ幸いとルベルは背後から飛びつき、リナリーの顔の横に自身の顔を近づけ匂いを堪能するのだ。
その行為はアルフォンスとエリックを彷彿させる。
リナリーは子どもであるルベルを拒絶はしなかったが全身は鳥肌が立っていた。
修道院に入ってからもアルフォンスとエリックとの交流は途切れることはなかった。
両者から毎日手紙が送られてくる。
内容はいつも君のことを考えてしまうなどといった恋煩いのようなものであった。
自分のことなど忘れて他の女とくっついてほしいと思うリナリーだったが早々にそんな事が出来るほど番の呪いは甘くはない。
さすがに毎日は返事を書けないが三日以内には返事は返すことにしていた。
その理由として一週間返事を出さずにいた際、リナリーに何かがあったのだと二人が修道院に突撃してきたのだ。それ以来、リナリーはその間隔を守っていた。
「ねえ、そんな二人に手紙を書く必要なんてないんじゃない?」
リナリーが手紙を書いているとルベルは邪魔するように部屋へと訪れる。
初めは鍵をかけていたのだが、扉の向こうでルベルが泣き始めるので鍵をかけることをやめていた。
「あのね、書かないと大変なことになるの。でも書けば大変なことにはならないの。それなら書いたほうがいいでしょう?」
自分に言い聞かせているかのような台詞であった。
その返事にルベルは頬を膨らまして不満そうであった。リナリーも不満ではある。
しかし、穏便に済ませるためにはこれしかないのだ。
「まあ、いつか二人も私に愛想つかして他の女性を娶ると思うからそれまでの辛抱ね」
そう希望を抱きながら書けば少しは楽になるというもの。
二人とも王族、しかもエリックは第一王子という立場もある。
延々とリナリーを追ってはいられないだろう。
「ふーん」
ルベルは含みのある相槌を打つ。
しかし、リナリーは2つも手紙を書かなければならないので彼の違和感に気づくどころではなかった。
「あれ?」
必ずリナリー宛の手紙があるためいつの間にかポストの確認はリナリーの仕事になっていた。
しかし、今日はリナリー宛の手紙は入っていなかった。
珍しいと思いつつも、手紙の呪いから一日でも解放されたことにリナリーは喜んでいた。
その喜びが天に通じたのか次の日も、その次の日も手紙は届いていなかった。
「(もしかして、二人とも本当に私に愛想つかした、とか?)」
どこかの国で言霊という言葉があるらしい。口に出せば言ったことが実現するというものだ。
まさかこんなに早く自分の望みが叶ってしまうと思っていなかったリナリーは大空に向かって万歳し、自由を勝ち取ったことを祝った。
しかし、手紙が届かなくなって1週間と一日経った朝早く、二カ国の兵が慌ただしく修道院へと赴いた。
「リナリー様!なぜ返事をお書きにならないのですか!?」
「これ以上長引けばこちらは犠牲者が出かねないのですよ!?」
アルフォンスとエリックの使いであろう兵二人がリナリーに凄んで詰め寄る。リナリーは彼らの勢いに圧倒されつつも頭を掻いてそうなった言い分を話す。
「あー。いや、最近手紙が届かなかったからもう私のことはどうでも良くなったのかな、と思って……ははは」
「笑い事ではありません!」
「そうですよ!というか、毎日のように届く手紙が急に途切れるなら疑問を持つべきでしょう!?なに簡単に受け入れてるんですか!?」
痛いところを突かれた。
頭を掻いて乾いた笑いをしていたリナリーはしゅんと肩を落とした。
「とにかく、返事を今すぐ書いてください!」
「出来るだけ急いで書いてください!待ってますので」
「え!?でもなんて書けば!?」
「あー!もう!一言でいいですよ!お久しぶりですとかでいいんじゃないでしょうか!?」
「そうそう!元気ですとか!」
とりあえずなんでもいいので手紙の形をしていればよいとの強い思いが伝わってくる。
内容は二の次であった。
リナリーは本当にその通りにし、彼らに手紙を預けた。
二人は急ぎ、国へと戻っていった。
「あーあ。せっかく邪魔者がいなくなったと思ったのに残念だったね、リナリー」
2人を見送っているといつの間にかルベルがリナリーの隣に立っている。
彼の発言に寒気を覚えたリナリーは、抱いた疑問を口にする。
「もしかして、貴方の仕業なの?」
「んー?なんのこと?」
ルベルはにっこりとリナリーに笑顔を向ける。
すっとぼけているのが透けて見えた。
子どものすること、と思えればよかったが手紙の相手が相手なのでさすがに容認できなかった。
自分の身もあるが彼の身も危険にさらすことになるのだ。
ルベルと目線を合わせるためにリナリーは少し屈んだ。
「ルベル。今回は何事もなかったから良かったけど次から絶対こんなことしちゃだめよ。相手は王弟と第一王子(しかもどっちも呪われている)なんだから何をされるか分かったもんじゃないわよ」
「リナリーは二人のこと好きなの?」
緑色の瞳がリナリーの瞳をじっと捉える。
ただの問いかけのはずだが瞳に光が宿っていない。
立ち位置の問題なのかもしれないが、なにか薄気味悪さを感じる。
「いや、好きとかじゃなくてさ、貴方の身を案じて言っているのよ」
リナリーの言葉にルベルの表情はぱあっと明るくなった。
先ほどとは打って変わって瞳もきらきらと輝いている。
衝動のままルベルはリナリーに抱きついた。
「やっぱり、リナリーは僕が一番好きなんだね」
「私が一番好きなのは自分自身よ」
眉を顰めリナリーは本音を言ったがルベルはそれを無視して、彼女の肩へと顔を埋める。
全身に鳥肌が立つ。彼は匂いを堪能しているのだろう。
リナリーは屈んでいたが徐々に感じ始める膝と腰の負担に意識を向け、静かに時間が過ぎるのを待っていた。