5話
あっという間に時間が経ち、夜会当日。
フィファナはイエローを基調としたドレスに身を包み、海色の髪の毛をアップにして首元には品の良いネックレスを合わせた。
当日までにヨードから装飾品などを贈られることはなく、全て実家から持参した物だ。
「お綺麗ですわ、奥様……!」
「あら、ありがとう」
侍女のナナがぽうっと見蕩れるように頬を赤く染める。
普段は控えめにしている化粧も、今日は夜会仕様で少しだけ華やかだ。
フィファナも腕の良いナナのお陰で、素晴らしい仕上がりになった事に満足気に微笑み、鏡台の前から移動する。
時刻は夕方。
そろそろ邸を出る時間帯だ。
伯爵位のため、そんなにのんびりしている訳にはいかない。
侯爵家が到着する前に会場に入っていなければならないのだ。
「じゃあ、行ってくるわ。帰りは遅いだろうから、休んでいて良いわよ」
「えっ、ですがお帰りになったあと、お支度が……」
「それくらい、自分で出来るから大丈夫よ」
何時に帰るかも分からない中、寝ずに待たせておくのはしのびない。
フィファナはナナにそう告げ、自室を出る。
エントランスに行き、馬車の所で待っていればヨードもやって来るだろう、とフィファナは邸のエントランスに向かい、階段に辿り着いた際に眼前に現れた光景に目を見開いた。
「……何故、ここにリナリー嬢がいるのよ……」
嘘でしょ、と額に手をやり溜息を吐き出す。
リナリーは煌びやかなドレスに身を包み、ヨードにぴったりと寄り添っている。
まさか、リナリーを連れて行くつもりだろうか、と嫌な予感を覚えるフィファナだったが、嫌な予感ほど当たってしまうもので。
フィファナがやって来た事に気付いたのだろう。ヨードがふいっと視線だけ寄越し、手短にフィファナに告げた。
「リナリーも参加したい、と言うので連れて行く。入場はお前とするが、それ以降は一人で適当に過ごせ」
言いたい事だけ告げ、ヨードはリナリーを連れてそのまま馬車に乗ってしまう。
会場に向かう馬車も別々らしい。
「──……」
フィファナが呆れたような表情を浮かべていると、この家の家令だ、と初日に説明された初老の男性が近付いて来て、フィファナに説明してくれる。
「申し訳ございません、奥様……。リナリーお嬢様が本日の夜会を知ってしまい、どうしても行きたいと仰せで……」
「そうなのね、仕方がないわ」
子供でも無いのに、我儘を通したのだろう。
ほとほと困った、と言うような様子の家令にフィファナは笑いかける。
「馬車を用意してくれる?」
「かしこまりました」
咎められると思っていたのだろう。
だが、フィファナから何も言われずに済んで家令はあからさまにほっとしている。
急いで他の使用人に指示を飛ばし、馬車を用意させると、家令自らフィファナが馬車に乗り込むのを手伝ってくれる。
「いってらっしゃいまし、奥様」
「ええ、後はよろしくね」
深々と頭を下げる家令に言葉を返し、フィファナはゆっくり走り出す馬車の座席に背を預けた。
馬車に乗り、暫し。
フィファナは「困ったお嬢様ね」と小さく溜息を吐き出す。
「そもそも……リナリー嬢に招待状は届いているのかしら? どんな理由があって邸に滞在しているのかは、分からないけれど……。招待状が無ければ入場なんて出来ないわよ……」
そしてヨードの妻は一応自分である。
その自分がヨードと共に夜会に参加してしまえば、誰があのリナリー嬢をエスコートするのだろう、と考えた。
「まさか会場に入場した後すぐに戻って、リナリー嬢をエスコートするとでも言うのかしら。そんな事が出来るとでも思っているのかしら……王家主催の夜会よ? 何らかの罰が与えられてしまうかもしれないのに……」
そんな事も考えられないのか、と呆れ果てるがフィファナは途中で思考を放棄した。
考えても仕方のない事だし、自分に迷惑さえかからなければどうでも良い。
「何かをやらかして、伯爵家にお咎めが下ってももう知らないわ。……ヨード・タナストンが責任を追求されるし、責任を取るのもあの人よ。それに……伯爵夫人、を紹介する時はどうするつもりなのかしらね」
仕事の関係で話をする人間は多いだろう。
それなのに、夜会会場に着いたら好きにしていろ、とヨードは言っていた。
あの口振りから、本当にヨードは入場のエスコートをした後はフィファナから離れるつもりなのだろう。
後でどんな面白おかしい噂を流されるか分かったものでは無い。
「……まぁ、私に関しての噂だったら今更ね。慣れた物だわ」
心無い噂は、学園で流され慣れている。
それに、もうすぐヨード・タナストンとは無関係な人間になるのだ。
「──その前に、何か大きな罪を犯さないか……それだけが心配だわ……」
フィファナは溜息を吐き出した後、久しぶりに会う友人達と両親に相談させて貰おう、と一抹の不安を抱えたまま、夜会会場に向かう馬車の中、ただただ窓の外から見える景色を眺め続けた。
◇
様々な事に思いを馳せている内に、いつのまにか夜会会場である王宮に到着した。
フィファナが御者の手を借りて馬車から降りると、先に降りていたのだろう。
ヨードが不機嫌さを隠しもせずフィファナを待っており、フィファナが降りるなり、むすっとしたまま近付いて来る。
リナリーは馬車から降りていないので、後ほど会場に向かうのだろうか、とフィファナが考えていると、目の前までやって来たヨードがぶっきらぼうに腕を差し出した。
「何をぐずぐずしている。さっさと入るぞ」
「あら、申し訳ございません」
さらりとフィファナは告げ、ヨードの腕に自分の手のひらが触れる手前でぴたり、と止める。
まるでフィファナが「触りたくない」と言っているような態度にヨードはむっとしたようだが、お互い様である。ヨードはその事には触れずに会場に向かった。
ヒールの高い靴を履いているフィファナを気遣う素振りを見せず、ヨードはずんずん大股で進み、フィファナは自身の歩幅を気にせず歩くヨードに呆れながら必死に着いて行くが、その雰囲気などおくびにも出さずに優雅に微笑みを浮かべて進む。
会場の人間に招待状を見せ、扉が開かれる。
そのまま進んで行くヨードに着いて行きながら、フィファナは煌びやかな雰囲気の夜会会場に足を踏み入れたのだった。
◇◆◇
会場に入って、暫し。
フィファナとヨードは仕事関係の人間に挨拶をされ、その場で対応を続けていた。
(先程からそわそわして……。リナリー嬢を迎えに行きたいのでしょうね)
フィファナは挨拶にやって来る伯爵家の仕事関係の者に笑顔を浮かべながら対応を続ける。
爵位が同等か、下の者が殆どではあるが、伯爵位を継いだばかりのヨードの下に挨拶にやって来る者は多い。
リナリーを迎えに行きたいのに、抜け出せそうにない状態に段々と苛立ち始めているのだろう。
態度が隠せなくなっているヨードに、フィファナが「やれやれ」と思っていると、遠くからフィファナの学園時代の学友が近付いて来た。
「──フィファナ!」
「あっ!」
親友、と言うに相応しい懐かしい顔を見て、貼り付けていた笑みを消し、フィファナは満面の笑顔を浮かべる。
するとそのフィファナの笑顔を見たヨードは驚きに目を見開き、若干頬を染めた。
触れてはいなかったが、ヨードの腕からぱっと腕を離したフィファナは、やって来る女性に近付き、抱擁し合う。
「久しぶりね、元気そうで安心したわ!」
「エラ! 貴女も元気そうで良かったわ」
仲良さそうに抱き合い、年相応の笑顔を浮かべるフィファナに驚愕し、見蕩れているとヨードの下にエラと共に居た男性が近付いて来る。
「初めまして、タナストン伯爵。妻はタナストン夫人と学友でね、学生時代は良く一緒に過ごさせて貰っていたよ。ああ、申し遅れた。私はアサートン。ハリー・アサートンと言う」
男性──エラの夫が名乗り、すっと手を差し出す。
ハリーの名前を聞き、家名を聞いた瞬間ヨードはぎょっと目を見開き、慌てて差し出された手を両手で取った。
「アサートン侯爵様とは知らず、大変失礼致しました……! ヨード・タナストンです。……っ、妻、がお世話になったようで……」
「はははっ。固くならないでくれ。引っ込み思案だった我が妻を、タナストン夫人が色んな場所に連れて行ってくれたり、私たちの仲を取り持ってくれた……。とても聡明で、優しい女性だ。私達夫婦は夫人に感謝してもし切れないんだ。良い女性を妻に迎えたな」
「は、は……っ。ありがとうございます……っ」
ハリーが柔らかく、優しい瞳でエラを見詰める横で、ヨードはじっとりと自分の背中が嫌な汗をかいているのを自覚する。
おかしい、おかし過ぎる。
フィファナ・リドティーは悪名高く、頼れる友人など居らず学園で孤立していたのでは無かったのか。
(何故……っ、リナリーが言っていたフィファナ・リドティーの人物像と違う……、いや、だがリナリーが嘘をつくはずが無い……っ、きっとこの男もあの女の毒牙に掛かっているのだ、だからこそ私にこうして接触を図りに来ているのだ……っ)
ぐるぐる、と纏まらない思考に吐き気すら催してくる。
ヨードが面食らっている間に、フィファナと話していたエラがヨードに顔を向けた。
「タナストン伯爵、ご挨拶が遅れて申し訳ございません。私、エラ・アサートンと申します。少しだけフィファナをお借りしてもよろしいかしら? 久しぶりに会ったので、沢山お話ししたいのです」
「おいおい、エラ。私とダンスがまだじゃないか……。伯爵も愛する妻とダンスを踊りたいだろう、それくらい待ったらどうだ?」
朗らかに告げるハリーに、ヨードは慌てて首を横に振った。
「わ、私達の事はお気にせず……っ、どうぞ妻とご歓談下さい……!」
「まあ、本当ですか!? ありがとうございます、伯爵。それじゃあハリー、行きましょう? フィファナもこっちに!」
「フィファナ嬢、今日は久しぶりに友人達が集まっているよ。部屋を取っておいたから皆で話そうか」
友人二人に囲まれ、楽しげに話すフィファナをヨードは唖然と見詰める。
自分には見せた事の無い笑顔。
結婚後は張り付けたような、作った笑顔を浮かべ冷たい目を向けられている。
その事に気を取られ過ぎていたヨードは気付かなかった。
ハリーがわざわざフィファナを「フィファナ嬢」と呼んだ事に。