39話
「マリーの……!?」
フィファナは直ぐにでもアレクから話の続きを聞きたい衝動に駆られるが、まだ廊下だ。
このような場所で話を聞くのは行儀が悪い。
そわそわとしつつ、それでもフィファナはそれを表には出さないよう注意しながらアレクを応接室に案内する。
表には出さないようにしているフィファナだったが、フィファナと接する機会が増え、それにプラスしてアレクはフィファナに対して特別な感情を抱いている。
フィファナの感情の機微に気付いてしまったアレクはそわそわとしているフィファナの後ろ姿を見てゆるりと微笑んだ。
(……今すぐにでも話を聞きたいだろうに……。その感情を必死に押し隠しているのが見え見えで可愛らしいな……)
こんな感情を抱けるようになったのも、ほぼ全てのことが片付き、漸く落ち着くことが出来たから。
これまでのアレクはフィファナに対して特別な感情を抱いてはいても、その感情にうつつを抜かしている暇は無かった。
それが、事件が解決するなりフィファナへ向かう自身の感情にアレクは「いかんいかん」と頭を横に振って考えを切り替える。
「こちらへどうぞ、キーティング卿。……キーティング卿? どうなさいましたか?」
「──へっ? え、ああ、何でもない」
応接室に到着し、くるりと振り返ったフィファナは頭をぶんぶん振るアレクの姿を見てきょとん、と目を瞬かせた。
どうかしたのだろうか? とフィファナが声をかけると、アレクは自分の失態をフィファナに見られてしまったことが無性に恥ずかしく思え、僅かに頬を染めながらフィファナに言葉を返す。
フィファナは首を傾げたが、気にしても仕方ないのだろう、と判断してアレクを応接室に招き入れた。
応接室に入った二人はソファに腰を下ろした。
二人が腰を下ろした所で使用人がそれぞれ目の前に紅茶のカップを置き、二人の会話の邪魔にならないよう、部屋の隅に待機する。
アレクは用意された紅茶のカップに手を伸ばし、調度良い温かさの紅茶を一口嚥下した後、ほうっ、と息を付いた。
そして正面に座るフィファナに視線を向けて、口を開く。
「……先ずは、何から話そうか……。友人のマリー・リンドット夫人のことからの方がいいだろうか?」
「はい。お願い致します」
アレクの目をしっかりと見返し即答する。
フィファナの回答に、アレクは「安心してくれ」と微笑んでから説明を始めた。
「リンドット夫人は、今回の件に一切関わっていなかった。だが、リンドット伯爵は脅され、金銭を要求されていたようだ」
「──……!? マリーの旦那が?」
「ああ、そうだ。領地で開発した特産品の布が現場などに残されていただろう? あれはカートライト大公の脅しだったらしい。……昔、今の当主の父親──前伯爵だな。前伯爵が特産品を開発する為に少し違法な手段で金を稼いだらしい。まあ、違法といっても賭博なのでこの国では重罪ではないがな」
「違法賭博に手を出し、その件をカートライト公爵家に知られてしまい、その件で脅されていた、ということでしょうか?」
「ああ、そうだ。特産品の利益が増えて来た頃、カートライト大公にこの件を国にバラされたくなければ、と脅迫めいた話をされたらしい。あろうことか大公は自分の権力を使って特産品の流通を止める、とも脅して来たらしい。公爵家に目を付けられてしまえば大変なことになる。だから前伯爵は泣く泣くその要求に従ったようだ」
違法賭博の罪は重罪ではないし、彼は罪を償う予定だよ、とアレクは続けてフィファナに説明した。
脅されていた、となればマリーの旦那である現当主、リンドット伯爵も酷い咎は受けないだろう。
それにマリーは完全に無関係である。
「──取り潰しのようなことにならずに……本当に良かったですわ……」
安心したように自分の胸元に手を当て、アレクに笑いかけるフィファナにアレクも笑顔を返す。
だが、話はこれだけでは無い。
「……それで、残るタナストン伯爵とリナリーの件だが……」
「っ!」
話しても良いか? と問うようなアレクの視線に、フィファナは居住まいを正し、背筋を伸ばしてしっかりアレクと目を合わす。
「──はい。あの家は……あの人達はどうなったのでしょうか」
「そうだな……。ヨード・タナストンだが……自分の邸の使用人達に関して無関心でいたためにこのような事態に陥った。その罪は重い、と王太子エドワードも、私も同じ考えだ。……伯爵位から子爵位への降爵及び一部の領地の返還が妥当だろう、と考えていたのだが……」
「何か問題が……?」
「……ヨード・タナストンは男爵位に降爵されても、しまいには褫爵されても構わない。領地すら全て返還しても構わないからリナリーの命だけは、とエドワードに正式に奏上を行った」
アレクの言葉に、フィファナは驚き目を見開く。
リナリーは平民という身分でありながら、王族のアレクの身に危害を加えた。
平民が貴族に危害を加えただけでも死罪となり得るのだが、リナリーが危害を加えた相手は王族だ。
死罪──極刑は免れない。
そのことを十分理解しているヨードはリナリーの助命を願ったと言う。
「……それ程まで、ヨード・タナストンはリナリーを巻き込んでしまったことを悔いているのでしょうか」
「……悔いているのは確かだろうな。タナストン伯爵家にさえ関わらなければ、リナリーの家は、両親は命を落とすことも、取り潰されることも無かった。ヨード・タナストン本人がリナリーの家をどうこうした、という事実は無いが両親の行いでリナリーを不幸にしてしまったことに責任を感じているのは……確かだ」
だが、とアレクはその先を言葉にはせずに胸中で呟く。
(ヨード・タナストンもリナリーを助け、伯爵家の罪を少しは償えた、と考えているのだろうな。リナリーばかりがヨード・タナストンに異様な執着と依存をしているかと思ったが……ヨード・タナストンも大概だな)
リナリーを助けなければ、助けられるのは自分しかいない、という最早強迫観念に近いものにとらわれているのでは無いだろうか、とアレクは考える。
(あれは最早共依存だな……)
リナリーを助ける、という行為は崇高な行いだと思い込んでいる可能性がある。
(二人ともお互いに変な方向に執着しあっているのだろうな。幼少期から面識があり、片方の家はもう一方の家のせいで取り潰され、子供が平民という身分に落とされている。……元々の気質が真面目で正義感が強いんだろうな、ヨード・タナストンという人間は)
アレクがそう考えている間に、フィファナは窺うような視線を向けてくる。
リナリーの処遇をどうするのか、それをまだアレクは伝えていない。
「──リナリーの助命については、エドワードはまだ思案中だ。……だが、恐らくその条件を飲むだろうな。現国王を玉座から下ろしたいエドワードはなるべく国内にいる貴族の反感を買いたくはない、と考えている筈だ。何らかの罪を償わせる形でリナリーの処刑は取り消すだろう」
「そう、なのですね。殿下も、キーティング卿もご納得の上でしたら否やはありません」
フィファナの言葉にアレクは「そうだな」と微笑み、一度背筋を伸ばして安心したように息をつく。
「……リナリーも、ヨード・タナストンの妻ではないフィファナ嬢にはもう突っかかって来ることは無いだろう」
婚姻取り消しが無事成立して良かったな、とアレクに微笑みかけられ、フィファナは笑顔でお礼を述べる。
「王太子殿下と、キーティング卿が手助けして下さったのですよね? ありがとうございます」
フィファナのお礼の言葉にアレクは曖昧に笑顔を浮かべて誤魔化す。
王太子であるエドワードが手助けをしたのは純粋に国王や公爵が手出しをしないように、という気持ちからだが、アレクは私情が多いに絡んでしまっている。
そのため、フィファナの感謝の言葉に何処か後ろめたいような気持ちが込み上げて来てしまい、アレクは話を変えた。
「──と、いう形で一旦は片がついた。事後処理が残ってはいるが……それももう終わる……。ああ、そう言えばフィファナ嬢。先程タナストン邸に行った時に侍女のナナからフィファナ嬢宛に手紙を預かっているよ」
思い出した、とアレクは慌てて懐に手を入れ、ナナから渡された手紙を取り出す。
「ま、まあ! 申し訳ございません! キーティング卿に手紙をお願いするなんて……!」
王弟であるアレクに対してそんなことをお願いするなんて! とフィファナが慌てて謝罪を口にするがアレクは気にしないでくれと笑う。
「私自らがその役を進んで受けたんだ。咎めないでくれよ?」
「か、かしこまりました……ありがとうございます」
アレクから渡されたナナからの手紙を有難く受け取り、フィファナは恐縮しつつお礼を口にする。
アレクは冷めてしまった紅茶を新しい物に変えてもらい、再びカップに口をつけた。
「フィファナ嬢は……、ナナの怪我が完治したら彼女をリドティー邸に呼び寄せるのか?」
嬉しそうに手紙の表面を眺めていたフィファナは、アレクの問いかけに「はい」と頷く。
「ナナの怪我が治ったら……そのように動くつもりです。タナストン邸で働いていた使用人の中には、他の邸で働きたい、と考えている者もいますので手助け出来れば、と思っています」
「──そうか。では少しの間フィファナ嬢も忙しいな。私に手伝えることがあれば気軽に声をかけてくれ」
「あ、ありがとうございますキーティング卿……!」
優しい笑顔で告げられ、フィファナはじん、と感動する。
(使用人の件は、キーティング卿には関係無いことなのに……自分が関わった事件は、最後まで見届ける責任感がある方なのね……。それに、使用人をたかが使用人、と考えることのない、優しい方だわ)
最後の最後まで手助けをしようとしてくれているアレクにフィファナは有難くその言葉を受け止め、考えていたことをついついぽろりと零してしまう。
「キーティング卿はとても素晴らしい方ですわ。ご自身が関わった事柄にこうして、最後までお付き合い頂けるなんて……」
「……、」
「本当にありがとうございます、キーティング卿」
純粋に、そう思っているのだろう。
キラキラとしたフィファナの笑顔に、アレクは何だか後ろめたい気持ちを抱いてしまう。
誤魔化すようにアレクはカップの中身を飲み干し、不自然にならぬようソファから腰を上げる。
「……確かに、最後までやり切らなければ、という気持ちもあるにはあるが……」
「──?」
アレクが帰宅する素振りを見せた為、フィファナも見送りのために合わせてソファから腰を上げた所でアレクはフィファナに顔を向けてはにかむように笑った。
「気になる女性に少しでも良い所を見せたい、という情けない男の気持ちもあるだろうな」
「──え」
「じゃあまた、フィファナ嬢。今度は食事や観劇にでも誘わせてもらうよ。……リドティー伯爵を通して、正式に」
「──えっ」
アレクの言葉に、フィファナは一瞬ぽかんとしてしまったが、アレクの言わんとしている言葉の意味を理解した瞬間、ぶわり、と顔を真っ赤に染めた。
そんなフィファナの表情にアレクは目を細めて意味深に笑顔を浮かべ、後ろ手に手を振りながらそのまま部屋の扉から退出してしまった。
「──えぇっ!?」
部屋の中では、立ち尽くすフィファナの声が響いた。