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36話


 その知らせが届いたのは、エドワードがやって来てまだほんの数時間しか経過していない頃。

 タナストン邸で、怪我をしていたナナを寝かせている部屋にフィファナがいる時間帯。

 トルソンやアレク、エドワード達が応接室で今後の対策について話し合っている時に、その知らせはやって来た。


 フィファナがナナの部屋で過ごしている時、同席していた護衛が部屋にやってきた使いの者から話を聞き、フィファナに声を掛けた。


「リドティー嬢。王弟殿下の部下がトーマスとヨード・タナストンを捕縛したようです。話を聞きに参りましょうか」

「分かりました。──ナナをよろしくお願いします、先生」


 フィファナは護衛に返事を返し、ナナを診てくれている医者に向き直り言葉を掛ける。

 医者はふんわりと優しい笑顔を浮かべて「任せておきなさい」とフィファナに言葉を返した。

 ナナと医者を部屋に残し、フィファナは護衛と共に応接室に向かう。

 廊下に出て、応接室に向かう途中に使いの使用人から聞いた話を護衛が共有してくれた。


 どうやら、トーマスはリレルとの仲違いはすぐに知られてしまうだろうと考え、フィファナ達が部屋を出て行った後、すぐ行動に移したらしい。

 アレクが見張りに、と置いていった護衛を処理するために自分の近くにいたヨードを人質に取り、護衛から武器を手放させた後は懐に隠し持っていた短剣を投げ、刃に塗っていた薬で護衛を無力化した。

 そうしてその後に怪我によって逃げ出す事が困難なヨードを抱え、窓から脱出して夜闇に紛れて街道を進み続けていたらしい。

 真夜中にも関わらず、焦った様子で先を急ぐ不審者をアレクの護衛達が見付け、よくよく確認してみればそれは自分達が追っていたトーマスとヨードで。

 その場で戦闘になったが、直ぐさま制圧し拘束したらしい。


「──捕縛されて良かったです。大公家に行かれてしまっていたら、もっと大変なことになっていたかもしれないですものね……」


 ほっとした表情でフィファナが護衛に言葉を返し、そうこうしている内に応接室に到着する。

 扉をノックして中に入ると、難しい顔をしたトルソンやアレク、エドワードがフィファナと護衛を迎えた。




「バタバタしてしまってすまないな、フィファナ嬢」

「いえ。とんでもございませんわ。それより、タナストン伯爵とトーマスが見付かって良かったです」


 部屋に入り、フィファナがソファに座るなりアレクが疲れた表情で口を開く。

 昨夜から動き続けていたのだろう。

 憲兵隊への対応や、トーマスを追わせた護衛達の帰還に合わせて聞き取りを行っていたアレクは疲れが隠しきれていない。


「キーティング卿も……長時間お疲れ様です……。早く解決して、ゆっくりお休み出来るといいのですが……」

「はは、そうだな……。全部片付いたらゆっくり休むよ」


 フィファナの気遣うような言葉に、アレクがはにかみながら言葉を返す。

 二人の話が一段落した、と判断したのだろう。

 それまで口を噤んでいたエドワードが話し始める。


「もう直に、トーマスとタナストン伯爵がこの邸に到着する。先に捕らえたリレルとトーマスを同じ部屋に集め、今回の事件について尋問する予定だ。その際は、申し訳ないがリドティー嬢には席を外しておいて欲しい」

「──……! かしこまりました」


 フィファナだけ席を外させる。

 様々な理由はあるだろうが、この場で女性はフィファナ一人だけ。

 女である自分には席を外させる――。その理由を考えて、ゆっくり頷いた。


「その際は部屋から離れております。確認が済みましたらお知らせ下さい」


 フィファナのその言葉に、エドワードは「悪いな」と申し訳なさそうに微笑んだ。



◇◆◇


 応接室に入って、暫しの時間が流れた。

 ナナの怪我の状態や、リレルの状況を共有していた一同の下に、トーマスを連行した、との知らせが入る。

 人質としてトーマスに連れられていたヨードも重要参考人として一緒らしく、エドワードから視線を投げられてフィファナは座っていたソファから腰を上げた。


「──では、別の部屋におります」

「ああ。護衛からは離れないようにしてくれ」

「分かりました、キーティング卿」


 まだ、正体不明の人物が捕まっていない状況である。

 護衛や憲兵隊に、邸内やトーマスが逃げた街道を探させているが、もう一人の消息は未だ不明。

 その人物の襲撃を警戒してのアレクの言葉に、フィファナは笑って頷き、トーマスやヨードと入れ替わるように部屋を後にした。


 フィファナには護衛が二人付き、十分に警戒してくれている。


(大公家とは無関係の私を狙う意味はないと思うけど……。人質として狙われる可能性は十分にあるわね……。殿下やキーティング卿が大公家を敵として認識しているのであれば、殿下達と行動を共にしている私に目を付ける可能性だってあるわ)


 フィファナは、お茶会を開いた時のことを思い出す。

 リナリーがアレクに対して罪を犯し、連行された後。

 リナリーの部屋に向かう途中でフィファナは男の低い舌打ちのような音を聞いたのだ。


(あの時はあの向こうに行かなかったけれど……あの時、もしあの先に向かっていたら……)


 前タナストン伯爵夫妻のような目に合っていた可能性がある。


(そんなことにならなくて良かったけど……。あの舌打ちした人間の正体は、もしかして未だに見付かっていない、最後の一人の声の可能性が高いわよね)


 あの日は、アレクも護衛を連れてやって来ていた。

 トルソンの手により、引き入れたタナストン邸の使用人達の人数も多かった。


(そうなると……やっぱり外部の人が紛れ込むのは少し無理があるわよね……。この邸の使用人に紛れ込んでいるのかしら)


 それであれば、カートライト大公──カートライト公爵家は一体どれだけの人間を秘密裏にこの国の貴族達の家に潜り込ませているのだろうか、と一抹の不安を覚える。


「リドティー嬢。どちらへ?」

「え? あ、ごめんなさい。食堂へ向かおうと思っています。喉が渇いてしまったので、使用人にお水を貰おうと思って」


 自室に戻る様子のないフィファナに、護衛が不思議そうに話しかけて来る。

 フィファナは向かう先を護衛に伝え、食堂に足を進めた。


「リドティー嬢。使用人の多い時間帯とは言え、あまり食堂に長居せぬよう……」

「──ええ、承知しております」


 周囲をそれとなく警戒している護衛に声をかけられ、フィファナは微笑みながら頷く。


(リナリーの部屋に行く必要はもう無いわよね……。もう一人敵が潜んでいるのであれば、その敵は何の目的があって邸にいるのかしら)


 食堂に到着したフィファナは、使用人達と軽く言葉を交わしながら水を用意してくれるよう伝える。

 フィファナの頼みに快く対応してくれる使用人達に笑顔を返しながら、フィファナはそれとなく使用人達を観察する。


(もし、タナストン邸の使用人として潜り込んでいたのなら……当主交代の時に一部の使用人は入れ替わっているけど、前伯爵が以前から大公家に弱味を握られていたのであれば、今回の入れ替わりより前から働いているはず……)


 使用人達に不自然な行動を取る者はおらず、フィファナはふ、と食堂の奥──普段料理を行う人間がいる方向に視線を向けた。

 広い厨房の中には何人かの料理人がいて、食材の確認や整理を行っている。

 何の気なしに見ていたフィファナだったが、その中で一人。

 フィファナから不自然に顔を背けた人間がいた。


「──っ」

「リドティー嬢……? どちらに?」

「ええ、ちょっと……気になる人がいて……」


 フィファナは手に持っていたグラスをテーブルに置き、厨房の方向に意識を集中する。

 フィファナの行動と視線に違和感を覚えた護衛が、声を潜めて問いかけた。

 フィファナは自然な動作で護衛達に近付き、ひそりと声を落として護衛達に先程感じた違和感を共有した。


「ただ、厨房の方向を眺めていたのですが……。その中で一人、私から顔を背けた人がいたのです」

「──本当ですか? ちなみにどんな風貌の人間ですか? 何かおかしな行動をしていますか?」


 フィファナと護衛二人は相手を刺激してしまわないよう、厨房に視線を向けず言葉を交わし合う。

 フィファナは護衛達と談笑する体を装って、グラスに手を伸ばし、グラスで自分の口元を隠しながら、護衛に向かって伝える。


「あれは……確か料理長のバルトア……? 確か、そのような名前だったはずです。料理長は普通の料理人とは色の違うタイを付けておりますので、すぐに分かるかと」

「──……ああ、あの水色のタイを付けた男が料理長ですね」

「ええ。私の視線から逃げるように顔を背けましたわ。声をかけてみてもいいかもしれません」

「……分かりました」


 フィファナと、護衛二人はお互い顔を見合わせて頷き合い、フィファナはその場を動かずもう一人の護衛と談笑を始める。

 護衛の二人の内一人は真っ直ぐ厨房に向かい、もう一人は談笑しつつフィファナの前方、少し進んだ辺りで攻撃に備え停止した。


 護衛の一人が近付いて来ることに気がついたのだろう。

 料理長、バルトアは顔色を悪くさせて後退している。

 彼の同僚達はバルトアの行動を不思議がり、バルトアに声をかけている。


(不味いわね……。使用人達を人質に取られてしまったら……)


 フィファナの焦りとは裏腹に、バルトアは心配して声をかけてくる同僚には返事をせず、近場にあったシルバーナイフを何本か鷲掴みにした。


「──っおい!」


 バルトアの行動に、流石にギョッとした護衛は怒声を上げるが、バルトアは動揺している同僚達を近付いて来る護衛に向かって強く突き飛ばした。

 厨房の出入口でそのような行動を起こし、護衛は突き飛ばされた他の料理人を咄嗟に受け止める。


「──っ、待て! 止まれ……!」


 ざわつく他の使用人達の間を抜い、バルトアがフィファナ達に向かって駆けて来る。

 バルトアの形相に、フィファナも前にいる護衛も、料理長バルトアが大公家が密かに潜り込ませていた人物なのだろう、と当たりをつけた。


「……逃げられる訳がないだろう……! 大人しく捕縛されろ、さすれば殿下方も悪いようにはしないはずだ!」


 護衛が叫び、腰の長剣を抜き放つ。

 食堂内は一瞬で阿鼻叫喚の地獄絵図と化し、無関係の使用人達が突然のことに逃げ惑う。


「そんなこと、信じられるか……! そこを退け……!」

「……っ、!」


 バルトアが一吼えし、掴み持っていたシルバーナイフを護衛目掛けて投擲する。


 護衛は飛んできたナイフを剣を振るい、床に叩き落とす。

 だが、護衛の動きを読んでいたのだろう。バルトアは気にすること無く、続けてナイフを投擲する。


「何かないかしら……っ」


 フィファナは護衛の背に庇われたまま、きょろりと周囲を見回す。

 使用人を受け止めた護衛がもうすぐに合流する。

 数秒間だけバルトアの動きを止められれば、後は護衛がバルトアを捕らえてくれるだろう。


「──あっ!」


 フィファナは、先程まで自分が使っていたグラスを握り締めたままだったことを思い出し、バルトアに体の向きを変える。

 バルトアは未だ諦めず、シルバーナイフを護衛に向かって投擲している。

 護衛がそれを上手く弾いてくれているので、フィファナは安心して少しだけ体の位置をずらし、バルトアの姿を自分の視界でしっかりと捉えた。

 突然護衛の背中からひょこり、と姿を現したフィファナにバルトアは驚き、目を見開いた。

 そして、バルトアが握り締めていたシルバーナイフをフィファナに向かって投擲しようとした寸前。


 フィファナは握ったグラスを力一杯振りかぶった。


 フィファナの手からグラスが投げられる。

 びゅん、という風を切る音が立ち、女性が投げたにしてはありえない速度で飛んでいくグラス。

 

 食堂には、グラスが命中した「ゴッ」という重い音と、次いでグラスが割れる音が響いた。



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