33話
「トーマスとやら、話を聞きたいがいいか」
「──王弟殿下! もちろんでございます、なんなりと……っ」
こくこくと頷くトーマスをじっと見詰めたまま、アレクはトーマスに向かって質問を口にした。
「トーマスは、なぜあのような人が来ない場所に? リレルに襲われた、と言っていたが……あの場所にやって来た目的は何だ?」
「それは……っ」
アレクの質問に答えようとしたトーマスが、少し離れた場所にいるフィファナを視界に入れて、気まずそうに視線を泳がせた。
どうしてそんな表情をするのか──。
アレクは眉を顰め、トーマスに視線で続きを言うように促した。
「……っ、その……。呼び出された、のです……」
「……誰に?」
「……侍女、です……。奥様の侍女であられる、ナナに……。私が使用している部屋の扉に、手紙が入っておりました……。相談があるから、来て欲しい、と……」
トーマスの口からナナの名前が出てきて、フィファナは思わず駆け寄ろうとしたが、アレクがすっとフィファナに向かって手のひらを向け、こちらに来ようとするフィファナを制す。
「どんな理由で呼び出されたんだ? そもそも、ナナに呼び出されたのになぜリレルに?」
「ナナは、何だかここ最近思い詰めていたようだったのです。何かあったのだろうか、と思っていた矢先に相談がある、と手紙を貰ったので、その相談に乗ろうとナナの呼び出しに応じました。……ですが、当日約束の時間に現れたのは、リレルを伴ったナナでした……」
ぐっ、と辛そうに唇を噛み締め、俯くトーマスにフィファナは信じられない思いで胸がいっぱいになる。
ナナが、リレルと一緒にいた?
リレルがトーマスを襲った?
リレルが前伯爵夫妻を襲った?
(そんなの……信じられない……っ。ナナは私の手伝いをしてくれる、と言ったのよ……)
自分を心配して、そして力になりたいと話していたナナを思い出し、フィファナはぶんぶんと首を横に振る。
まるで、ナナがリレルという侍従と共謀してトーマスを襲ったかのような話。
そんなことが、ある筈がない。
「……そうか。その時のナナとリレルの様子は? ナナは怯えたりしていなかったか?」
「怯え……、? いえ、そんな様子はございませんでした……。むしろ、リレルと仲睦まじいような、そんな様子でした……」
「……」
アレクはトーマスの言葉を聞いた後、ちらりとヨードに視線を向ける。
アレクに視線を向けられたヨードは、アレクの意図が読み取れず、おろおろとするだけで。
アレクは溜息を吐き出してからヨードに向かって声を発した。
「リレル、という侍従に恋仲の女性がいた様子は? 普段から侍女のナナと一緒にいる様子などはあったか?」
「えっ、いえ……、申し訳ございません……その、使用人の交友関係に詳しくは……」
自分の邸の使用人、しかも自分の侍従のことを詳しく知らないというヨードにアレクは呆れてしまう。
その侍従がどんな人物で、どんな人間と交友関係を築いているのか。それすらも全く分からないとは、とアレクは痛む頭に手のひらを当てて細く息を吐き出した後、トーマスに向き直った。
「──分かった。……それで、ナナに呼び出され、リレルもその場にいたんだな。……それからは?」
「はい。私が、何の用だと二人に尋ねると、リレルが私のことが邪魔だ、と……。長年この邸で働く私が、目障りだ、と……。突然そのようなことを言い、殴りかかって来たのです。……その後、リレルの後ろからもう一人の男がやって参りました……。顔は良く分からなかったのですが、その男がリレルと、ナナに大旦那様と大奥様を始末した、と報告したのが聞こえました……」
「そうか」
「それで、殴られた衝撃からか……情けなくも意識を失い……。こうして旦那様や王弟殿下のお陰で目が覚めました。本当にありがとうございます……っ」
心の底から感謝をしているように、トーマスがぺこぺこと頭を下げる姿にアレクは「気にするな」と笑顔で告げる。
そうして、アレクはトーマスの休むベッド横の椅子から立ち上がり、部屋の扉に向かって歩いて行く。
「──フィファナ嬢、少し良いか?」
「か、かしこまりました」
不思議そうにしている室内の人間をそのままに、アレクはフィファナの手を引き、足早に部屋を出て行った。
トーマスの休む部屋から出たフィファナとアレクは、部屋の扉を背にした所でぴたり、と足を止める。
「キーティング卿……?」
「──ナナが、危険かもしれない」
「──ぇ……っ、むぐっ」
潜めたアレクの声に、フィファナがぎょっとして大きな声を上げる前に、慌ててアレクがフィファナの口を自分の手のひらで塞ぐ。
「──静かに、いいか? トーマスと言う男の話し方、視線の動きに動揺が見られた……。それに、動揺時に見られる発汗作用も間近で確認出来た……。あれの話す内容……襲われた時の理由がどうも曖昧だ……。リレルと仲間割れでもしたのかもしれん」
「……っ、タナストン伯爵家の侍従と侍従補佐が裏切っていた、ということですか……?」
アレクの手のひらから解放されたフィファナは、今度は大きな声を出さないよう気をつけながらヒソヒソと声を抑えて会話をする。
「その可能性がある……。トーマスが嘘をついている事は確実だ……。それに、トーマスが意識を失ったのは殴られた衝撃なんかじゃなく、薬だ。自分で意識を失った時の状況を把握していないのはおかしい。――嘘、をついているからだろう」
アレクの言葉に、フィファナは自分の手をきゅうと握り締める。
「私はこのまま護衛騎士と共に、再度裏庭を調査する……。ナナに危害を加えた痕跡があるかもしれん……。フィファナ嬢……」
「は、はい……?」
アレクは、自分の腰に下げた長剣の位置を調整しながら硬い表情でフィファナに向かって言葉を続ける。
「……この邸に、地下牢のような……牢獄のような物はあるか……?」
「そっ、そんな物があるとは、聞いたことがありません……!」
「……そうか。トーマスに聞いても知らぬと答えるだろうな……。リナリーの部屋があった別棟付近を騎士に探らせる。トーマスをあの部屋から出さないようにしておいてくれ」
「わ、分かりました」
こくりと頷くフィファナに、アレクも頷き返してその場を後にする。
廊下を足音を殺して駆けて行くアレクを見つめながら、フィファナはトーマスがいる部屋に振り返った。
◇◆◇
──ぴちょん、ぴちょん、と冷たい雫が頬に当たる感覚に、ふるり、と瞼が持ち上がる。
身体中が痛くて、頭が働かない。
声も出すことが出来ない。
背中には硬い床の感触があって、目を開けても何も見えず真っ暗闇で。
泣き出してしまいそうになったけれど、そうだ、と自分の今の状況を思い出す──。
(奥様……っ、申し訳ございません……っ)
侍女のナナは、自分の不甲斐なさにぽろぽろと涙を零した。
ナナは痛みで働かない頭をそれでも必死に動かし、どうして自分がこのような状況に陥ってしまっているのかを思い出そうとした。
(──そう……、そうだわ……。奥様がご実家に戻られて……そして私は……)
フィファナから無理はするな、と言われていたけれど。
でも、それでも何か力になれれば、と思いリナリーの部屋を調べてみようと動いてしまったのだ。
(部屋の掃除を担当している使用人に……、掃除担当を変わってもらって……)
サボり癖のある使用人仲間に話しかけ、フィファナがいない間は楽な仕事がしたいのだ、と理由をつけて交渉した。
使用人には金を握らせ、数日仕事を休ませた。
(けれど……。私が変な動きをしてしまったから、トーマスさんに怪しまれてしまった……。だって……、トーマスさんがまさかタナストン伯爵家を裏切っているなんて思わないもの……っ)
長年伯爵家に仕え、前伯爵夫妻ともいい関係を築いていた人物だ。
使用人が当主に虐げられている時は、使用人達の味方をしてくれて。
上手く前当主と、使用人との間に入ってくれていた人だ。
だから、まさかそんな人が伯爵家を陥れようとしていたなんて想像もしなかった。
そして、それは侍従のリレルも同じで。
(新しくやって来たリレルさんが……旦那様のお仕事を毎日補佐していたリレルさんがまさか……トーマスさんと共謀していたなんて……)
危ないことはしないで、と言っていたフィファナの言葉を思い出し、ナナは自分の行動の軽率さを悔いる。
トーマスに怪しまれ、トーマスから話を聞いたのだろう。自分の部屋で休んでいた深夜、リレルに部屋に忍び込まれた。
咄嗟にリレルを殴打してその場を逃げ出し、邸内に潜んだのが数日前。
忍び込まれた際に自らも怪我をして、そしてリレルが部屋にやって来た時に変な薬をかがされた。
薬の効果が切れるまで人気の少ない場所で休み、体が動くようになって外部に助けを求めようと動き出した時。
リナリーの部屋のことを思い出して、そちらに向かってしまったのが悪手だった。
(リナリーお嬢様のお部屋に行かなければ良かった……っ)
ナナは、その部屋で事切れていた前伯爵夫妻の姿を見てしまったのだ。
変わり果てた二人の姿に唖然としている最中、部屋に近付いて来る足音に気付き、咄嗟に自分のタイをリナリーの部屋に隠した。
フィファナが見付けてくれることを祈って隠し、自らもクローゼットの中に身を隠したのだが、部屋に入室してきたリレルとトーマスに見付かってしまった。
(殺されると思ったのに……でも、なぜ私はまだ生きて……?)
クローゼットに隠れている時、トーマスがナナを始末しようとリレルに話している声が聞こえた。
リレルもその言葉に頷いていたのに──。
ナナがそう考えていると、突然髪の毛を強い力で引っ張られた。
「──ぅぐ……っ」
「ああ、目が覚めていたか。畜生、トーマスの奴……、自分だけ助かるつもりだな」
痛みで呻いてしまったナナの声に被せるようにして低い男の声が聞こえる。
確認しなくても分かる。
ナナは薄っすらと瞳を開けて、目の前にいる男の顔を見て、震える声で呟いた。
「リレルさん……っ」
ナナに名前を呼ばれたリレルは毒付いた後、ナナの髪の毛を離して床に落とす。
どしゃり、とそのまま床に倒れ込んだナナはリレルの姿を見て、驚きに目を見開いた。
リレルもナナに負けず劣らず体中に怪我を負っており、片腕からはだらだらと血が流れ落ちている。
足首には添え木がされていることから見て、骨折もしくは捻挫をしている状態なのだろう。
(私を、殺す時間がなかったの……? それに、リレルさんの怪我……仲間割れでもしたのかしら……)
ナナは自分が気絶している間に、二人の間で問題でも起きたのだろう、ということを察して注意深くリレルと、周囲を確認する。
痛みよりも、今はこの場からどうにか逃げ出すことを考えなければいけない。
幸い、リレルは足に怪我を負っているようだ。ナナは自分の足元をちらり、と確認して自分の足がしっかり二本とも健在なことを確認し、自分が今いる場所を視線だけを動かし、確認し始めた。