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3話


 にこりと笑顔を浮かべてはいるが、有無を言わさないその雰囲気に、侍女はぴしりと姿勢を正して「すぐに伝えて参ります!」と部屋を後にした。


「──ふふっ、あの侍女の子とは仲良くなれそうだわ」


 侍女の名前は確か、ナナと言っただろうか。

 年の頃はフィファナより年下だろう。

 学園を卒業し、この邸に職を求めてやって来たのか、それとも学園には行っていないかは分からないがこちらの感情を汲んで素早く動く姿勢は好ましい。


「旦那様は会わない、と拒否するつもりでしょうけど……。朝食の席でするお話ではないし……逃げられないように扉の前で待機していようかしらね」


 夫婦の部屋は隣り合わせで、普通であれば中にある扉から互いの部屋を行き来出来るのだが、夫婦ではない今の状況で中扉を使用するつもりはさらさらない。


 フィファナは座っていた鏡台の椅子から腰を上げ、ゆっくり自室の扉へ向かう。

 扉を開けて廊下に出た瞬間、丁度ヨードの部屋から先程の侍女、ナナが追い出された場面に直面した。


「あの女に話す事は無いと言っておけ……!」

「だ、旦那様っ」


 扉を開け、ナナを追い出したヨードと廊下に出てきたフィファナの視線がぱちり、と合う。


「──っ、フィファナ・リドティー……っ!」

「……おはようございます旦那様。お話をしたいと思い、侍女のナナを行かせたのです。そのように強く当たらないで下さいませ」


 言われっぱなしは癪だわ、と思ったフィファナはキッとヨードを鋭い視線で見やった後、ヨードが何か言葉を発する前にナナに振り向き、礼を述べる。


「ありがとう、貴女はもう下がっていいわ」

「か、かしこまりました奥様。失礼致します」


 ぺこりと頭を下げて去って行くナナを見送り、くるりとヨードに振り返る。

 すると、てっきり扉を閉められてしまうかと思っていたがヨードはそんな事はせず、フィファナが振り向くのを待っていたようで。


「……私に何の用だ」

「ここでお話させて頂いてもよろしいのでしょうか? 朝の忙しい時間帯……多くの使用人が廊下を行き交いますが?」

「──ちっ。入れ」


 廊下で、沢山の使用人達に見られながら、しまいには会話を聞かれながら立ち話をしていてもいいのか、と言うフィファナの言葉にヨードは忌々しげに舌打ちすると、くるりとフィファナに背を向けて部屋へ入って行った。


「失礼致します」


 ヨードの部屋に入室したフィファナは、目立たぬようちらりと室内に視線を巡らせる。

 この部屋に昨夜のリナリーと言う女性がいるかもしれない、と覚悟していたフィファナはリナリーの姿が無い事に「意外だわ」と胸中で呟く。


 二人の昨日の態度から、てっきり男女の仲なのでは、と勘ぐっていたのだ。


(けれど、流石に新婚初夜の当日に妻では無い女性を抱く事はしなかったのかしら)


 フィファナは自分が妻として求められていない、と知った瞬間ヨードには別に想う女性がいるのかもしれない、と考えていた。

 貴族の結婚とは互いの家同士、様々な思惑が背後にある場合の方が多い。

 それ故に、夫婦で他に想い人を持つ者も、愛人を囲う事も珍しくは無い。


 フィファナはそう言った想い人、と言う存在は居ないがヨードにはいるのかもしれない、と昨夜考えた。

 そして想い人がいるのであれば別にそれはそれで良いとも考えていた。

 ただ、ヨードが自分をきちんと妻として扱ってさえくれれば良いと考えていたのだが。


「お前のような女は、室内の扉から侵入してくると思っていたが……。どんな思惑があってわざわざ廊下からやって来た? 昨夜伝えた通り、私はお前と夫婦になるつもりは無い。どんなに懇願されたとしても私がお前をそう言った対象として認識する事は一生無いからな。諦めろ」


 ヨードの部屋に通され、フィファナが考え事をしている間にどさりとソファに腰を下ろしたヨードがぶっきらぼうにそう話す。

 フィファナはその場に立ったまま、両手をお腹の前で軽く組んだままヨードの顔をぱちくりと見やる。


「……昨夜その事は旦那様から聞きましたわ。私がお話したい事はその件ではございません。リナリー、と呼ばれていた昨夜の女性の事です」

「──……リナリーに何の用だ」


 フィファナの言葉にぴくり、と片眉を跳ね上げたヨードはフィファナに鋭い視線を向ける。

 だが、フィファナは毅然とした態度で言葉を続けた。


「リナリー嬢は一体どんな事情があって邸にいらっしゃるのですか? リナリー嬢と、旦那様は幼馴染、とお聞きしましたが……昨夜はまるで恋人同士のようなお二人の姿でしたが……旦那様とリナリー嬢は特別な仲なのですか?」

「……っ! しらばっくれるつもりか……! それに、私とリナリーをそのような俗物を見るような目で見るな! お前は男女が居ればそのような目で見るのか、汚らわしい女だ!」

「……っ、しらばっくれるも何もっ、私はリナリー嬢と初対面なのです……っ! この邸の女主人としてどのように彼女と関係を築けば良いのか……っ」

「お前がこの邸の女主人……!? 笑わせるな、売女め! 汚らわしいお前をこの邸に入れる事すら嫌だったのに……っ、私とリナリーをそのような目で見るとは……っ! 出ていけ! 私の目の前から消えろ!」

「……っ、それはあんまりです旦那様っ!」


 口汚い言葉で罵倒され、流石にフィファナも怒りで顔を真っ赤にさせる。


 謂れのない事で誤解され、見た目で勘違いをされ嫌な目で見られた事もある。

 変な噂を流され、軽い女だ、と言われた事もあるが面と向かってここまで酷い罵倒、罵りを受けた事など無い。


 女性に対して、これはあんまりでは無いか、とフィファナが言葉を返してもヨードは聞く耳を持たない。

 売女とまで罵られ、これ以上の屈辱は無い。


「──っ、どこでそのような変な噂を聞いたか知りませんが……っ。人として言っていい事と悪い事がございます……っ。私はっ! そんな女ではありませんわ!」


 悔しさや怒りでぶるぶると体が震える。

 そして大きな瞳からは昂った感情で涙がボロボロと零れ落ちる。


「──ぁっ、」


 フィファナの泣き顔を見て、そこで漸く酷い事を口にした、と実感したのだろう。


 それ以前にフィファナをソファに座らせず、立たせたまま罵声を浴びせた自分の行動に漸く気が付いたヨードは決まり悪そうにフィファナから視線を逸らした。

 その態度を見て、フィファナは歩み寄ろうと、話をしようとしない頑なな態度のヨードに失望する。


「……そうですか、謝罪をする気持ちもございませんか……っ」

「私は、間違った事は言っていない……ここまで言われる事をして来たお前が悪いのだろう」


 バツが悪そうに先程より幾分か声を落としてそう告げるヨードに、フィファナはボロボロと零れる涙をハンカチで拭い、ヨードに背を向ける。


「──お、おいっ、まだ話は……っ」

「……ヨード・タナストン。貴方にはがっかり致しました」


 それだけを言い残し、フィファナは呼び止めるヨードをそのままに部屋から退出した。


◇◆◇


「リ、リナリー。今良いだろうか……?」

「! ヨード!? 勿論よ、入って!」


 ヨード・タナストンはフィファナが部屋から出て行った後、聞いていた人物像と違うな、と違和感を覚えてリナリーの元に向かった。


 扉をノックし、ヨードが外から声を掛ける。

 すると直ぐに部屋からパタパタとこちらに向かって来る足音が聞こえ、嬉々とした声が聞こえて次いで扉が開いた。

 ヨードの姿を見るなりリナリーは少女のように嬉しそうに破顔し、彼の腕を取って自室へと招き入れる。


「朝食の前にすまないな、リナリー。少し聞きたい事があって……」

「なぁに?」


 にこにこと笑顔を浮かべ、ぎゅうっ、と抱き着いて来るリナリーに、ヨードは困ったように眉を下げて頭を撫でてやりながら、リナリーに向かって口を開いた。


「フィファナ・リドティーの事なんだが……」

「……っ」


 ヨードがフィファナの名前を口にすると、抱き着いていたリナリーの肩がぴくりと震えた。

 だが、リナリーの態度には気付かずヨードはそのまま話し続ける。


「あの女、気が強く血も涙もない悪魔のような女と噂だが……」

「どうしたの、ヨード? まさか話したの?」

「あ、ああ……。先程話す機会があったのだが、口にする言葉がまともで……」

「──いやっ! ヨードまで騙されないでっ! あの人は学園に居る時もそうして周りの男性貴族達を騙して……っ、私の友人達の婚約者を寝取ってきたのよ……っ、大切な、私の唯一の家族のヨードまで騙されないでっ」


 ぶわり、と涙を溢れさせ悲しげに泣き始めるリナリーにヨードは焦る。


「だっ、大丈夫だ! 私は騙されていない、騙されていないから心配しないでくれリナリー……」


 泣き出してしまうリナリーを慰める為にヨードは強くリナリーを抱き締め、背中を摩る。


「ほっ、本当? ヨードは、大丈夫よね……。あの人と関係を持った男性達は、飽きられたら直ぐに捨てられてしまって……その後の学園生活では可哀想な日々を送っていたの……。私っ、ヨードにはそんな目に合って欲しくないのっ! 学園を卒業した今、社交の場でそのような噂が流れたら……っ。ヨードは私の大切な、お兄様みたいな存在だものっ!」

「ああ、大丈夫だ、大丈夫だよリナリー。私もリナリーを本当の妹のように想っている。リナリーを不安にはさせないからな……」

「ありがとう、ありがとうヨードっ」


 リナリーはヨードに強く抱き締められ、自らもヨードの背中に腕を回し強く強く、抱き締め返す。

 だが、リナリーは仄暗い陰鬱とした光をその瞳に宿し、ぎりっと唇を噛み締めていた。

 その姿は勿論ヨードには見えない。


◇◆◇


 自室に戻ったフィファナは荒々しくソファに腰掛け、どうしようか、と頭を働かせる。


「ヨード・タナストンのあの様子じゃあ、これ以上リナリー嬢の事を聞こうとしても無理そうね。侍女達も、彼から余計な事は言わないように、と言われてしまっているようだし……。リナリー・ラティルド……? 男爵家の娘と言うけれど……、そんな家名あったかしら……」


 いくら思い出そうとしても、ラティルド男爵家の名前を思い出す事は出来ない。

 それならば、とフィファナは学園時代の友人に聞いてみようか、と考える。


「リナリー嬢は、私とそう年が変わらないみたいだし……年下だとしても、同じ時期に学園に通っていた可能性があるわね……手紙でも書いてみようかしら」


 学友達の殆は当時の婚約者と結婚し、今は自分と同じように何処かの家に嫁いでいる。

 フィファナは色恋沙汰に興味は無かったが、友人の中にはそう言った事に興味があり、精通している者もいる。


「──ふふっ、そう言えばあの頃は誰と誰が良い仲だ、と騒いでいる子がいたわね」


 この邸にやって来てから漸く一息付く事が出来て、フィファナは自然に笑みが零れる。

 そうと決まれば、朝食の後は早速手紙を書こう、と決めてフィファナは朝食の為に呼びに来た侍女に返答した。




「──旦那様はいらっしゃらないの?」


 食堂に到着して、すぐ。

 フィファナは用意されている物から、この場で食事をする人物が自分しかいない、と言う事を知るとひっそりと眉を寄せた。

 用意されたカトラリーセットは一人分。

 皿やグラス、フィンガーボウルもフィファナ一人分しか用意されていない。


 フィファナの問い掛けに、ここまで案内していたナナとは違う侍女がやはり気まずそうにフィファナから視線を逸らして答えた。


「旦那様は、毎朝リナリーお嬢様とお食事をとられます……。お部屋でおとりになりますので、こちらにはお越しになりません」

「……普段からそうなのかしら? 私が居るから、食堂に来ないの?」

「いいえ、奥様が来られた事は関係ございません……。以前から、お部屋に食事をお運びさせて頂いております」

「──まぁ……。誰も使わないのに……」


 フィファナは食堂内を見渡す。

 この邸の主人と、リナリーと言う令嬢はこの食堂を使用せず、以前から部屋に篭って食事をとっているらしい。


「綺麗に掃除が行き届いているわね……。これからは私が毎日使用するわ」

「──っ、ありがとうございます……」


 誰も使用しない部屋を綺麗に保ち続けていたこの邸の使用人達を、フィファナは素直に賞賛する。

 友人を招いての晩餐会などが行われない限り、この食堂は誰にも使用されていなかったのだろう。

 それでも、食堂を清潔に、美しく保ち続けていた使用人達にフィファナは心の中で拍手を送りたい気分になった。


(何だか……この邸は歪だわ……)


 おかしな点が沢山あるのだ。

 フィファナは運ばれてくる数々の暖かい食事に目を輝かせ、笑顔で食事を楽しんだのだった。

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