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22話


「何、だ……これは──……」


 フィファナの父、トルソンは呆然としつつ掠れた声で呟くのが精一杯で。

 共に随行させていた護衛もトルソンと同様、室内の惨状に戸惑っており、誰もが動き出せない状態だ。


 その中でもトルソンは何とか平静さを取り戻し、ぎこちなく足を踏み出す。

 靴底で割れた硝子を踏み、じゃりじゃりと不快な音を出しながら、先日この部屋で会った筈の前伯爵と、伯爵夫人の痕跡を探す。

 薄暗い室内のため、護衛にランタンを持ってこさせ、地面を照らしながらトルソンはある地点で足を止め、その場にしゃがみ込んだ。

 床をランタンの灯りで照らし、目を細めて凝視する。


「……これは、血か……?」


 割れた硝子に所々付着している赤茶色の汚れを見つけ、トルソンは眉を顰める。

 場所によっては赤黒く変色していて、その色から大分時間が経っていることを察したトルソンはしゃがみ込んでいた体勢から勢い良く立ち上がり、護衛に向かって指示を出す。


「──もしかしたら前タナストン伯爵は何者かの襲撃に会い、連れ去られた可能性がある……! 邸内をくまなく確認しろ!」


 トルソンの言葉に、彼を守る護衛数人だけがその場に残り、残りの護衛達はすぐさま部屋の外へ向かう。


「くそっ、話を聞こうとしたのにタイミングが悪い……」


 悔しそうにトルソンは言葉を紡ぐが、果たしてタイミングが悪いのか、良かったのか。

 トルソンはまだフィファナ達の邸で何が起こったのかは知らないため、なぜこんなことが起きたのか理解が及ばない。

 だが、タイミングから見て十中八九、前伯爵と伯爵夫人は事件が露呈すると都合が悪い何者かに連れ去られた可能性があるのだ。


「室内に何か痕跡はないか……?」


 この邸は広い建物ではない。

 部屋数もカントリーハウスにしては少なく、以前トルソンが訪問した際は使用人の姿も必要最低限だった。

 隅々まで手入れが行き届いている訳でもなく、長い歴史を持つタナストン伯爵家の前当主夫妻が過ごすには適していない邸だ。

 だが、そんな邸に両親を追いやることが出来るのは息子であり、現タナストン伯爵のヨードのみ。

 ヨードは罰を与えるつもりでこの邸に両親を軟禁したのだろう。


 だが、使用人の数も少なく、護衛がいた様子はなかった。

 そんな守りの手薄な邸で過ごしていれば、襲撃された際は簡単に乗っ取られてしまうだろう。

 トルソンは初め、野盗か何かに襲撃でもされたのか、と考えていたが考えを改める。


「これは……物取りに見せかけ、細工をしているな」


 一見すれば運悪く物取りの被害に遭ってしまったように見えるが、その被害の作り方が「綺麗過ぎる」のだ。

 そして、そんな面倒くさい手を使う人物は自分達と同じ階級の人間。

 トルソンは気付きたくなかった、と言うような表情でぽつりと呟いた。


「──高位貴族が良く使う手だ……」




 トルソンが室内の確認を終えた頃、邸内を見て回るよう指示していた護衛が戻って来た。


「旦那様。裏口に馬の蹄の跡がございました」

「裏口に?」

「はい。痕跡を消されていたのですが、一つだけ漏れてしまったようです」

「そうか、そうか……」


 トルソンは顎に手を当てて考え込む。

 ここまで用意周到に襲撃しておいて、蹄の痕跡を一箇所だけ残す、という失態を犯すだろうか。

 答えは否であり、トルソンは顔色を悪くさせた。


「──わざと、残したのか……。これだけのことをやってのける力がある、と示した……。これは警告か……」


 これ以上調べるな、と言うようなメッセージだろうか。

 その考えに至ったトルソンは急ぎその場を離れることにした。

 恐らく、この後屋敷内部を探っても何も出ては来ないだろうし、今もなお自分達は見えない誰かに見張られている可能性がある。


「それよりも、殿下にご報告をしなければ……」


 トルソンは急かされるように足を動かし、邸の玄関に向かった。



◇◆◇


 場所は変わって、タナストン伯爵邸。

 アレクによって自室に運び込まれたフィファナは医者に足の怪我を診て貰っていた。


 フィファナの足首に冷却作用のある薬草をあて、その上から包帯を軽く巻き落ちて来ないように固定する。

 そして次に添え木を支えにして足首を更に頑丈に固定するように包帯を巻き終えた医者は、穏やかな表情でフィファナの座るソファ前から立ち上がった。


「これで大丈夫でしょう。二、三日は足に負担をかけないよう、余り動き回らないようにして下さい。朝夕、一日二回この薬草を取り替えて足首を固定して様子を見て下さい。数日経っても痛みが引かなければ、また連絡をお願いします」

「分かりました。ありがとうございます、先生」

「骨に異常はなさそうか? 歩いて大丈夫なのか?」


 医者の言葉にフィファナはお礼を告げ、アレクは心配そうに尋ねる。

 アレクの言葉に医者は頷き、骨に異常はございませんよ。と答えた。


 その言葉を聞き、アレクは安堵からか、力が抜けたように室内の壁に背中を預けた。


「タナストン夫人、気付かずすまなかった……。痛みが引かなければ遠慮なく私に連絡をくれ。近衛騎士団宛に手紙を送って貰えれば大丈夫だから、絶対に我慢や無理をしないで欲しい」

「ありがとうございます、殿下。私の不注意で怪我をしたも同然です。それなのに心配して下さりありがとうございます」

「──とんでもない。……そうだ、侍女のナナ、と言ったか? 夫人が動き回らないよう、しっかり看病してくれ」

「はい! 勿論です、殿下! 奥様の看病はお任せ下さい!」


 ふんっ、と胸を張るナナにフィファナもアレクもついつい笑顔になってしまう。


「それでは、夫人……。私はここで失礼するよ。リナリーを移送する準備にかかる。お大事にしてくれ」

「はい、色々とありがとうございます殿下」


 部屋を出て行くアレクと護衛騎士を笑顔で見送った後、フィファナはソファに深く沈み込んだ。


「奥様? 大丈夫でしょうか? やはり足の怪我の痛みが激しいですか?」


 おろおろとしだしてしまうナナに、フィファナはふるふると首を横に振って否定する。


「いいえ、痛みは和らいでいるから大丈夫よ、ありがとう。……それより、本館とは別にあるリナリーの部屋を確認出来なかったことが心残りで……。ほら、私も明日には実家に戻らなくてはいけないから、暫くあちらを確認することが出来ないな、と思ったの」


 謎の舌打ちの存在もあって確認を止めておこうかと考えてもいた。

 得体の知れない者が潜んでいるのであれば、いくら護衛を数人連れてあの場所に戻っても相手の人数を把握出来ていない現状では、危険に変わりない。

 危険なこと。そしてこの足の怪我と、明日戻ることを考えて暫くリナリーの部屋の調査が出来ないことに気持ちが沈んだ。


 そんなフィファナの気持ちを慮ってか、侍女のナナが先程のように胸を張って自信満々の表情でフィファナに向かって口を開いた。


「それでしたらご安心下さい、奥様! 奥様不在の間、掃除目的で私があちらに行きます! 普段掃除を担当している使用人に上手く言って掃除を一回だけ変わってもらいます!」

「──えっ!? けれど、それは危険過ぎるわナナ!」


 ナナの提案にフィファナは難色を示すが、当の本人であるナナは「大丈夫だ」と笑顔で答える。


「使用人の中には怠け者もいるのです。その使用人にこちらが餌を差し出せば、交代すること自体はそんなに難しくはありません!」

「──いいえ、きっと危ない目に合ってしまうわ。リナリーの部屋については後日旦那様に許可を取ってから、行きましょう」


 フィファナにそう告げられたナナは眉を下げ、しゅんとしながら了承した。




 そうして、翌日。

 アレクはリナリーの移送のため、朝早くに邸を出て、フィファナは実家に戻るために軽く荷物を纏めていた。

 侍女のナナに手伝ってもらいながら、自室で少ない荷物を詰めていると、フィファナの部屋の扉がノックされた。

 こんな時間に誰だろうか、と不思議に思いながらフィファナが返事をすると、扉の奥から想像していなかった人物の声が聞こえた。


「──私だ……。話がある、入ってもいいか」

「……旦那様?」


 フィファナと普段話していた時のヨードの声音とは違い、落ち着いた柔らかい声が聞こえて来てフィファナはついつい扉を凝視してしまう。

 ナナは心配するようにフィファナに視線を向けるが、フィファナはナナにこくりと頷いて見せる。


「分かりました。少しの時間でしたら大丈夫です」

「……分かった」


 フィファナの返事を聞いて、扉を開けてヨードが入室して来る。

 室内に入室したヨードはフィファナが荷物を纏めている姿を見て、何とも言えない表情を浮かべ、次いで侍女のナナに視線を向ける。


「──二人で話したい」

「お、奥様……」


 きっぱりと言い切ったヨードに、ナナは戸惑うようにフィファナを見つめる。

 ヨードの顔を見て、そして次にナナの顔に視線を移したフィファナはこくり、と頷いた。


「分かりました。……ですが、部屋の扉は開けさせて頂きます」

「……っ、構わない」


 ヨードの返事を聞き、フィファナはナナに退出するように告げる。

 ナナは部屋を退出する際に部屋の扉を大きく開け放ち、そのまま部屋から退出した。


 大きく開かれた扉の向こうは、使用人が動く気配がする。

 万が一、ヨードがおかしなことをすればフィファナは悲鳴を上げるつもりだ。そうすれば直ぐに誰かがやって来てくれるだろう。

 フィファナは扉の側に立ち尽くしているヨードに声をかけ、ソファに座らせる。

 自分は扉側のソファに腰を下ろし、ヨードに視線を向けた。


「──それで、何のお話でしょうか? あまり時間がございませんので、手短にお願い致します」

「……本当に離縁するつもりか」


 しゃん、と背筋を伸ばし硬い声音で問いかけたフィファナに対し、ヨードは逆に俯きながら弱々しく声を漏らした。

 どんな話を切り出すつもりだろうか、と警戒していたフィファナは突拍子もないヨードの言葉についつい間の抜けた声を上げてしまった。


「──えっ?」


 ヨードは俯いていた顔を上げ、真っ直ぐ縋るようにフィファナを見つめたまま言葉を続けた。


「も……、もう一度関係を築き直して、夫婦としてやって行くことは……もう無理か……?」



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