18話
引き渡すことはしない、と言い切ったアレクにフィファナは訝しがるような視線を向けてしまう。
「お、お言葉ですが殿下……。そうは言っても、先程リナリーが取った行為は決して許されることではありません。それに、あの場には使用人が複数おりましたし私の友人達も見ていました。今回の出来事は外部に漏れてしまいます。殿下が直ぐに処刑せぬ、と仰せでも……」
「……口外せぬように箝口令を敷いた」
「でっ、ですがそのようなことをしても、王族である殿下の御身に傷を負わせてしまったリナリーの行いは直ぐに広まってしまうかと……! 寧ろ、噂になってしまう前に……!」
「だが……! だがそうしてしまうと……!」
アレクはただの貴族ではない。
王族であるアレクの身を傷付けたという罪は重いのだ。
迅速に処理をしなければいけない一件だと言うのに、アレクはなぜ先延ばしにしようとしているのだろう、とフィファナが不思議がっていると。
アレクが言い難そうに表情を歪めながらぼそり、と言葉を発した。
「此度の一件を報告してしまえば……事の経緯を陛下に知られる。万が一、関係のない貴女まで処刑されることになったら……」
アレクは俯き、くしゃりと自分の前髪を手のひらで握り潰す。
「──え……。ですが、……でも……陛下がお調べする、と言っても多少でも時間はありますわ。その間にタナストン伯爵との離縁が成立すれば……」
「もし、間に合わなかったら? 証拠を得ることが出来なければ、陛下はタナストン伯爵家に関わる人間を処刑する。処刑してしまう、人だ……」
ぐっ、と悔しそうに唇を噛むアレクにフィファナは何と言葉を返せば良いか悩む。
アレクの心配も尤もだ。
確かに、国王の耳に入ればリナリーの即刻処刑は免れず、それに付随してリナリーの身辺調査をした結果、タナストン伯爵家とラティルド男爵家の関係を知ったら。
そしてリナリーを長い期間匿い、平民とは思えないような貴族のような暮らしをさせ、あまつさえ先日の夜会に侵入していたことが知られれば。
王家に叛意有り、として伯爵家ごと処刑されてもおかしくはない。
「だ、大丈夫ですわ殿下……! リナリーを引き渡す前に何とかしてタナストン伯爵家の悪事を暴き、離縁をすれば……!」
「何とかする、とはどうやって……? 今現在、何も証拠は出ていない状態なのに……」
「その、今は旦那様も部屋で見張られている状況です。邸内部を今の内でしたら調べられますから、私が……」
「ヨード・タナストンの補佐をしていた人間は複数いたようだ。……そんな人間から貴女は自分の身を守ることが出来るのか?」
じぃっと真っ直ぐ見つめられ、フィファナは言葉に詰まる。
だが、そうは言ってもこうしてじっとしていてはどうにもならない。
自ら動いて状況を変えなければならないのだ。
「多少、なら武術や体術の心得はあります……調べてみますわ」
「そうだとしても貴女だけだと心配だ。私が手伝えればいいのだが……」
「殿下に手伝って頂くなど、恐れ多いです! 邸の内部はある程度把握しております。信頼の置ける使用人と一緒に回ります」
「ならば、リドティー伯爵が買収した使用人を数人連れて邸内を回って欲しい。無理をして、貴女が傷付く方が私にとっては──」
「えっ」
アレクは自分が発した言葉にはっとし、口元を自分の手のひらで咄嗟に覆う。
フィファナはまさかアレクの口からそんな言葉が出てくるとは思わず、ぱちくりと瞳を瞬かせた。
今のアレクの言葉はまるで、フィファナ個人を案じているように聞こえて。
(い、いえいえいえ……まさか、そんな……)
さっとフィファナから視線を逸らしてしまったアレクを見て、フィファナは自分の目を疑う。
(な、何故殿下の耳が薄ら赤くなっていらっしゃるのかしら……!?)
若干の気まずさを残したまま、大分時間が経ってしまったのだろう。
部屋の外から声が掛けられて、二人ははっと表情を引き締めてから何もなかったように振舞った。
◇
フィファナとアレク、二人は話を一旦終えた後。
アレクはリナリーとヨードの所に、フィファナはお茶会の片付けを終えた使用人達に礼を告げた後、廊下を歩いていた。
そこで、客室に案内していたマリーがひょこりと顔を出し、フィファナに声をかけてきた。
「フィファナ、少し良い?」
「マリー。バタバタしてしまってごめんなさい。勿論良いわ、どうしたの?」
手招きをするマリーを見て、フィファナはマリーの部屋に入る。
部屋に入って、二人してソファに腰を下ろした後。
マリーはおもむろに口を開いた。
「──本当にびっくりしたわ……。フィファナのお茶会に参加したらまさか、王弟殿下がおられるし……それにまさかあのリナリーがこの伯爵家にお世話になっていたなんて……」
「……! そうだわ。皆リナリーのことを知っているけれど……それほど、彼女は学園で有名だったの?」
「ええ。一部の人間の間では有名よ。あの子に沢山迷惑をかけられた人達もいるから……」
困ったものね、と頬に手を当てるマリーにフィファナは「その話詳しく教えて」と前のめりになった。
「詳しく? え、ええ……いいけれど──」
マリーは躊躇いつつ、リナリーのことを話し始めてくれた。
◇◆◇
フィファナ達が通っていた学園は、貴族のみならず平民も通うことが出来る。
だが、平民全て学園に通えるというものではなく、裕福な商家の子や、平民でも何かに秀でた部分がないと通うことは出来ない。
一般的に学園への在籍を許されるのは学力に秀でた人物か、騎士を目指す者、などである。
だが、時折秀でた部分が何もないのに学園に通う者がいる。
学園内部の者と通じ、金を握らせて入学するのだ。
所謂、不正を働き裏口入学なるものをする人間もいる。
だが、そういった者は結局学力不足により授業に付いて行けなくなり、退学する者が殆どだ。
「リナリーも、不正で学園に入学したんじゃ、って一時期噂になっていたけれど……フィファナは本当に噂に気付いていなかったのね……」
「え、ええ……そうみたい……。卒業後、私たちは婚約が決まるでしょう? だから家でも勉強をしていたし、座学だけじゃなくて実戦も学んでいたから……」
「──あ、そうね。確かにフィファナは護身術も学んでいたわ。エラと一緒にそちらも学んでいたものね。忙しくて噂など気にしている暇がなかったわよね」
フィファナは学園での生活を思い出して苦笑する。
学園時代は、どんな人と将来を共に過ごすのか、そしてどんな人が自分の婚約者になるのか。
少しの期待と、不安が常に綯い交ぜになっていたのだ。
婚約に、結婚に淡い期待を抱いていた。甘い夢を見ていたのだ。
「私達が最終学年に上がった頃……その噂は私達の最終学年の教室にも届いたわ」
「そうだったのね……どんな?」
「平民の女の子で、とっても可愛い子が学園に入学してきた、って一時期騒がれていたわ。平民なのにとっても可愛くて、とても優れているなんて、と私達の所でも噂になって。わざわざその子を見に行く人達もいたほどよ」
「その子がリナリーだったのね?」
「ええ、そう。まあ……蓋を開けてしまえば噂ほど優れてなかったんだけど……。でも、最初は優れた子だ、と思われていたでしょう? だからそんな子が嘘を付くなんて皆思わないじゃない? それに、その嘘の相手は貴族が中心だったから……。平民がそんな嘘で貴族を貶めたらどうなるか、国民は理解しているからそんな嘘をつく人はいないじゃない? だから尚更信じ込まれたみたいね」
嫌だわ、と言うように呟くマリーにフィファナも先が読めてしまい、溜息を吐き出したくなる。
「そう……。その相手の貴族と言うのが私を中心にした貴女達友人だったのね……」
「そうなのよ。私達と関わりのある最終学年の人達はそんな噂、嘘だと分かっていたけれど、私達と関わりの少ない下の学年を中心に信じられないほど広まっていたわ。……まあ、その噂に踊らされてあの子の話を信じ込んで痛い目を見てしまった子達も大勢いるから……」
マリーの苦笑で全てを理解する。
謂れのない誹謗中傷のような物を受けたのだろう。
そして、それを見て見ぬふりなどしなかった友人達が行動したのだろう。
「──ごめんなさいね。私が原因で貴女達まで嫌な目に……」
「やだ! フィファナが謝ることじゃないじゃない? それに私達が謂れのないことで迷惑を被った分は、しっかりとその子達のお家に抗議したから心配しないで」
ぱちり、と可愛らしくウィンクするマリーにフィファナは少しだけ心が軽くなる。
変な噂など放っておけばいい、分かってくれる人が周囲にいるのだから気にしないでいれば良い、と放置してしまった自分にも非はある。
放置などせず、しっかりその噂と向き合い、何処から噂が流されているのか調べればリナリーに行き着いたかもしれない。
そうすれば、もっと前にリナリーを知ることが出来て、こんなことにはならなかったかもしれない。
(いえ。結局は結果論よ……)
全てが分かった今だからこそ、そう思えるだけでその当時もしフィファナが動いていたとしても今回のことを防ぎきることは出来なかったかもしれない。
「──でも、あの子が噂を流していた張本人だ、っていう証言、もしかしたら取れるかもしれないわね」
「え!? それは本当……!?」
思ってもいなかったマリーの言葉に、フィファナは思わず前のめりになってしまう。
「ええ。だって、その子が学力不足で退学した後に自然とフィファナに対する……その……酷い噂は無くなっていったじゃない……? 私の家も下の学年の子数人に正式に抗議をしているから、抗議した時の記録を辿れば原因が分かるかもしれないわ」
「……! リナリーが噂を流していた本人だ、ということが分かれば、そしてその証言を多く集めることが出来れば、離縁の理由の一つに出来るわ……!」
ぱあっと表情を輝かせるフィファナに、マリーはずっと気になっていたことを聞いてみることにしたようで、昔のような噂好きの片鱗を少しだけ覗かせてフィファナに問いかけた。
「──ねぇ。ずっと気になっていたのだけど……。王弟殿下と、そんなに親しいの?」