13話
アレクの低く、冷たい声。
そしてまるで刺し殺されてしまうのでは無いか、と言うほどの鋭い視線にヨードは冷や汗が止まらない。
あの日、庭園でリナリーと一緒にいる所をアレクに見られていたのだとしたら。
(貴族でもなんでもない人間を、夜会に不法に参加させたと、咎められる……!)
どうしようか、どうしようかとヨードが焦りつつ言い訳を必死に探している間。
アレクの言葉を聞いて、トルソンも先程までの笑みを消し去り、無表情でヨードを見つめる。
その視線はちくちくと全身を刺すようで、ヨードは不味い不味いと心の中で叫んでどうにかこの場をやり過ごそうと思案する。
だが、その場の冷たい空気に気が付いていないのか、それとも気付いていながら気にしていないのか。
リナリーは恥ずかしがるように自分の頬に手を添えて口を開いた。
「やだ……。王弟殿下さまに見られてしまっていたんですね……、ヨード、どうしましょう?」
「リ、リナリーちょっと黙っていてくれ……!」
リナリーはどこか勝ち誇ったかのような笑みを浮かべ、フィファナを見下ろす。だが、フィファナはそもそもリナリーを見ていない。
ヨードのことなど眼中に無いようなその態度にリナリーはムッとしてヨードの後ろからガバリと抱き着いた。
「──っ、リ、リナ」
「見られちゃったならもう仕方ないわ、ヨード! 私達の仲を知られちゃったのよ……!」
「わ、私達!? 何を言っているリナリー!?」
フィファナは二人のやり取りに冷めた目を向けたあと、考える。
リナリーは、ヨードを好いているがヨードは妹としか思っていない。
自分を女性として見てくれないのであれば、周囲に関係を誤解させてしまおうと思ったのだろう。
(この場には、運良く妻である私の父親と……王弟殿下がいらっしゃるものね……お父様はともかく、殿下の目の前で誤解させることは大きいわ)
悪知恵を思いつくのは早いわね、とフィファナは感心する。
「旦那様。私は旦那様に愛人が何人いようと構いません。ですが、殿下の前で貴族ではない方を王家主催の夜会に参加させていた、と知られてしま」
「あんたは黙っていなさいよ! 私が貴族じゃない……!? 私はっ、私は!」
「リっ、リナリー! これ以上首を突っ込まないでくれ……!」
フィファナの言葉に噛み付くリナリーをヨードが止める。
このままでは話がちっとも進まない、と考えたアレクは長い長い溜息を吐き出して使用人に声をかけた。
「おい、そこの君。リナリーを部屋の外へ。この女性がいると話が進まない」
「かしこまりました」
「──えっ、ちょっと、やめてよ離して、離しなさいよ!」
アレクの言葉に従い、使用人がリナリーの腕を掴み部屋の外に連れ出す。
リナリーが騒ぐ声が暫く聞こえていたが、それも次第に聞こえなくなり、そして部屋は再び静寂に包まれた。
「──では、先程の続きだ。ヨード・タナストン伯爵」
その静寂の中、柔らかな声でアレクが口火をきる。
「個人的に色々と聞きたいことはあるが……。なぜ、ラティルド男爵家の娘をあの夜会に連れて来た。伯爵も分かっているだろう。あの男爵家が過去に何をしたのか」
「──それ、は……っ」
アレクは問いかけながら、ヨードの顔をじっと見つめる。
まるで一瞬の表情の変化を見逃さない、とでもいうような鋭い眼光で見つめられたヨードは言葉に詰まりつつ、フィファナにちらりと視線を向けた。
「お、王弟殿下……。妻は……妻のフィファナは何も知らずに私の下に嫁いでくれた、のです。突然このようなことを聞かされては、フィファナも混乱します……。それに、リドティー伯爵、も……」
「あら、気遣って頂くのは光栄ですが、旦那様。私もタナストン伯爵家の一員になりましたので、お気遣いなく。お父様もタナストン伯爵家の親戚となり、無関係ではございませんわ」
あっさりと述べるフィファナに、父親のトルソンも「そうだな」と頷く。
「娘の言う通り、今は我々もタナストン伯爵家とは無関係ではない。気遣い無用だ、伯爵」
「──……」
トルソンの言葉に一番に反応したのはアレクで。
トルソンの「今は」という言葉に必要以上に反応してしまったことを誤魔化そうと、一つ咳払いしてからヨードに視線を戻した。
「だ、そうだ。タナストン伯爵。夫人も、リドティー伯爵も遠慮はいらないそうだ」
「……っ、」
「では、話してくれるな。過去に重犯罪を犯し、処刑された男爵家の娘をどうしてあの夜会に連れて来た? 罪人の家系を王家主催の夜会に参加させるなど正気か? 陛下に知られれば即刻処罰されるほどの行為だ。王族に叛意の意思あり、と判断されれば処刑される可能性もある。……嫁いだばかりの夫人も連座処刑される可能性だってあった……君が犯した行動で、関係のない人間を死に追いやる可能性があったんだぞ。それが歴史ある家の当主のやる事か!?」
アレクに至極真っ当なことを言われ、強い口調で咎められ、ヨードはびくりと体を震わせる。
「……っ、ですが……っ当時幼い子供だったリナリーには何も罪はございません……っ、何も罪のない子供だったのです……っ、それを……っ」
ヨードは頭を抱え、ぐっと前のめりになってしまう。
そのヨードの行動は、リナリーを言い訳にして何かから逃れようとしているような。
何かから目を背けているような。
そんな印象を、見ているものに与える。
「──何の罪もない幼い子供だった人間が、今度は本当に罪を犯してしまった。いいか、これは罪だ。貴族じゃない人間が夜会に無理矢理参加することは罪なんだ、タナストン伯爵。伯爵自身も分かっている筈だ、それなのに……。なぜ、リナリーの無茶な要求を咎めない」
アレクはここ最近、タナストン伯爵家を調べた結果、ずっと抱いていた言葉をヨードにぶつけた。
「──まさか、贖罪のつもりか?」
──贖罪。
アレクの言葉を聞いた瞬間、ヨードは体を跳ねさせた。
隠しようもない、明らかな動揺。
そして、動揺したということはヨードも全貌とは言わずとも、ある程度知っているのかもしれない。
そのことに「気付いた」アレクは勢い良くソファから立ち上がった。
「タナストン伯爵!」
落ち着いた声を聞いていたことが多かったフィファナは、アレクの咎めるような鋭く冷たい声にびくり、と体を跳ねさせた。
フィファナの近くに座っていた父親、トルソンもアレクとヨードの様子を交互に見やり、そして顔色を悪くさせる。
「ちがっ、違うんです、違うんです……私は知らなかった、そんなこと、知らなかったんです……っ」
頭を抱え、ぶつぶつと呟くヨードの姿に戸惑うのはこの部屋ではフィファナのみだ。
「──え? え?」
一体何が? と混乱しているフィファナに、アレクが痛ましい視線を向ける。
そこでトルソンは今まで閉ざしていた口を開いた。
「……娘から手紙を貰い、内容に偽りがないかどうか確認するために私は前タナストン伯爵、伯爵夫人にお会いして来た……」
「──なっ」
トルソンの言葉に、ヨードは信じられない、とばかりに目を見開く。
「どうしてそんなことを……っ、それよりフィファナ・リドティー! リドティー伯爵になぜ手紙を送った……!?」
「ヨード・タナストン……! 今気にすべき点はそこではない……! なぜ、前伯爵と伯爵夫人が領地の外れ、極寒の地に追いやられている!? あの処遇はまるで罪人のようだった!」
トルソンの言葉にヨードはぎゅうっ、と拳を握る。
フィファナは次々と語られる新しい情報を必死に頭の中で整理しようとしたが、情報量が多過ぎて今にも頭がパンクしてしまいそうだ。
「リドティー伯爵。それは本当か?」
「……っ、はい王弟殿下。嘘偽りございません」
「……後ほど場所を。城の者を向かわせる」
「かしこまりました」
トルソンとアレクは言葉少なに会話をした後、アレクはヨードを。トルソンはソファに座っていたフィファナの腕を取って立たせた。
そして混乱した様子のフィファナの肩を抱き、トルソンはヨードに言い放つ。
「──フィファナとは、離縁を。そもそも、婚約前から愛人のような女性を邸に住まわせ、婚姻式を行うなど、こちらとしては騙されたような物だ。契約不履行として、今回の婚姻はなかったことにして頂こう」
「──っ!?」
トルソンの言葉に俯いていたヨードががばりと顔を上げる。
「騙してなど……っ! リナリーは私の妹のような存在だっ、家族のような人間で……っ! 家族が同じ邸に住んでいるということが、罪になるのか!? 騙した、ということになるのか!? そんな理由で離縁の申請が通ると思っているのか!?」
「どんな手を使ってでもフィファナは離縁させる……! タナストン伯爵家に関わらせたことを後悔するばかりだっ! 我がリドティー伯爵家の汚点となる前にフィファナは離縁させるからそのつもりでいてくれ、タナストン伯爵!」
「──はっ、そんなことが本当に可能かどうか試してみれば良い……! 私は絶対にフィファナと離縁しない……! してたまるものか……! 私がフィファナを妻としている以上、処刑される時は一緒だ!」
売り言葉に買い言葉のように、トルソンの言葉に興奮し、怒りを募らせたヨードは最早開き直ったのだろうか。
素早くソファから立ち上がり、フィファナを庇うように守っていたトルソンから無理矢理フィファナを奪い取って、自分の腕の中に閉じ込める。
「──ちょっ、止めて下さいっ!」
「うるさいっ! お前は私の妻、妻だろう! 私が失脚した時は一緒に地獄に落ちるんだっ。夫婦は一生を共にするものだ!」
何がなんだか分からないフィファナは混乱のまま、ヨードの腕の中から離れようと藻掻くが、藻掻けば藻掻くほどヨードの腕の力は増すばかりで。
トルソンもフィファナを取り戻そうとしているが、筋力の差だろうか。トルソンの腕は簡単にヨードに払い落とされ、フィファナを取り戻すことは出来ない。
そんな中、静かにその様子を見つめていたアレクはゆっくりと口を開いた。
「ヨード・タナストン伯爵。貴方は今、自分が窮地に落とされたという理由で人質を取った。自分が処罰されるのであれば、何も知らない、何の罪もない無関係の人間を道連れに処刑される、と言った」
何の感情も篭っていないような低く、冷たい声音でアレクが言葉を紡ぐ。
「……あっ、それは……っ! そのっ、」
「私の前でそう、発言したな。王族である私の前で。……言い逃れ出来んぞ、タナストン伯爵。無関係の夫人を人質に、伯爵は今、処刑から免れようとした。そんなことは絶対に許さん……罪の無い人を道連れにしようなど、私は絶対に許さない!」
怒りを滲ませ、ヨードを睨み付けるように言い放ったアレクの雰囲気に、ヨードは怯む。
その隙にアレクは素早くヨードとフィファナに近付き、ヨードに捕らえられていたフィファナをその腕の拘束から解く。
無意識にフィファナに縋るように伸ばされたヨードの手をアレクは叩き落として、トルソンの下に行くように優しくフィファナの背中を押した。
ほっと安心したような表情のフィファナとトルソンを見やってから、アレクはヨードに向き直った。
「いいか、タナストン伯爵。王家は過去十数年、いや、二十年前のタナストン伯爵家の全てを調べる。当時少年だった貴方に罪はないと思っていたが、どうにもそうではないらしい。全てを明らかにし、罪を追求する。登城命令には必ず従うように」
アレクはそれだけを言い終えると、フィファナとトルソンの横を足取り荒く通り過ぎ、部屋を出て行った。
続けてトルソンもフィファナの腕を引きながら部屋の扉へと足を進め、部屋を退出する寸前にヨードを振り返る。
「タナストン伯爵。私の妻が体調を崩していてな。見舞いのため、フィファナを数日ほど実家に戻らせる。妻の具合が良くなったら戻るよう伝えよう。なに、数日間だ。いいな」
トルソンはそう言い放ち、些か乱暴に扉を閉めた。
背後からはヨードが膝をついたのだろうか。
扉の向こうからどさり、と小さく音が聞こえた。