12話
◇◆◇
ひと騒動があったあの日から数日。
フィファナが主催するお茶会まであと三日に迫ったある日。
その日も変わらずフィファナはお茶会の最終確認をしていた。
当日出すお茶菓子の確認を料理長としている時に、予想外の人物が突然やってきた。
「──おっ、お父様……!?」
「フィファナ、息災か? 近くに来たので寄ってみたぞ」
使用人に客が来ていると呼ばれ、応接間にやって来たフィファナは室内で優雅にソファに座り、出された紅茶を優しい表情で楽しむ父、トルソンに驚く。
「な、なぜお父様がここに……? どうされたのですか?」
「なぜかって? それはフィファナ、お前が良く分かっているだろう? 私の手紙が届いているはずだ」
「──っ、はい。届いておりますわ、お父様」
フィファナの言葉を聞いて、父親はふっと息を漏らして笑う。
「すまなかったな。まさかタナストン伯爵家がこんなことになっているとは……」
「おっ、お父様……ここでそのような発言は……」
部屋にはフィファナを案内してくれた使用人もいるのだ。
タナストン伯爵家のことをこの場で悪しきように話せば、それが直接ヨードの耳に入ってしまう可能性がある。
以前とは違い、今はまがりなりにもヨードはタナストン伯爵家の当主だ。
フィファナの父親と同じ立場である。
爵位は同等ではあるが、タナストン伯爵家は昔から続く歴史ある伯爵家。
フィファナのリドティー伯爵家は元は子爵家だ。数代前に陞爵されたばかりで真正面からヨードの家とぶつかり合ってしまえば分が悪い。
だがそんなフィファナの心配を、父親であるトルソンは鼻で笑い飛ばし、フィファナの頭を軽く小突く。
「心配するな、大丈夫だ。我が伯爵家はタナストン伯爵家に潰されるような家じゃない」
それに、とトルソンはフィファナの後ろにある扉横に控える使用人にちらりと視線を向ける。
「ここの使用人は賢い。そうだろうフィファナ」
短い時間しかここの使用人と接していないはずなのに、トルソンはこの邸の使用人達のことを理解していた。
フィファナはこの邸に来て、使用人達と時間をかけて触れ合い彼らの真面目さを知ったというのに、トルソンの洞察力に素直に感心する。
「流石ですね、お父様……」
フィファナが言葉を続けようとして、口を開いた所で二人がいる部屋の扉が勢い良く開いた。
「リドティー伯爵……! ど、どうしたのですか突然……!」
焦った表情でヨードが部屋に入って来るなり、フィファナの隣に座る。
「ああ、久しいな。タナストン伯爵。フィファナとの式以来だ」
「え、ええ……そうですね。それよりも今日はどうなさったのですか……?」
「ああ……。少し近くを通ったから寄っただけなんだ。最近、新しい仕事でこの近くを通ることが多い。近くを通った時は顔を出させて貰う」
「──えっ!?」
トルソンの言葉にあからさまにヨードが動揺する。
だがトルソンはヨードのその表情を見て口元だけを吊り上げて笑い、口を開いた。
「私がフィファナの顔を見に来て何か不都合が?」
「いっ、いえいえとんでもない……! いつでもいらして下さい……!」
引きつった笑みを浮かべ、ヨードの上擦った返事だけが室内に響く。
「そうかそうか、それは良かった。ならば、遠慮なくまたお邪魔させてもらおうか」
「はっ、はい……いつでも」
引き攣った笑顔を見せるヨードと、その様子を楽しむ自分の父親を見てフィファナは呆れたような視線を向ける。
三人が穏やかとは言えない空気が漂う部屋で過ごしていると、応接間の扉がノックも無く突然開かれた。
「──ヨードっ!」
どうにか止めようとしたのだろう。
リナリーの背後から、焦った様子の使用人数人の姿が見える。だが、リナリーは使用人達の制止を振り切ってやって来たようだった。
「リナリー!? なぜここに……っ」
流石にヨードも驚いたようで、ぎょっと目を見開き、不躾に入室して来たリナリーを咎めようとソファから立ち上がる。
だが、ヨードが動く前にフィファナの父親であるトルソンが口を開いた。
「おや、このお嬢さんはどなたかな、伯爵? タナストン伯爵家に、ご令嬢はいなかったと記憶しているが……」
「そのっ、リドティー伯爵……っこの女性は……っ」
「まさか私の娘がいると言うのに、愛人を同じ邸に住まわせて……?」
トルソンの言葉に入って来たばかりのリナリーがむっとして口を挟む。
「愛人ですって⁉ 卑しい女の親は、同じように考え方が卑しいのね……っ! 私はリナリー・ラティルド! れっきとしたラティルド男爵家の娘なのよ!」
「リナリーっ! よせっ!」
まさか、妻の親がいる前でそのようなことを言い出すとは思わなかったヨードは慌てふためき、リナリーを止めようとする。
フィファナは呆れたような溜息を吐き出してリナリーに向き直った。
「──リナリーさん。お父様は伯爵家の当主です。例え貴女が男爵家のご令嬢だとしても今の発言は許される言葉ではございません。正式に謝罪なさって」
「……っ、何であんたなんかに指図されなくちゃいけないの!? 横から入って来て、私から何もかも奪ったあんたが生意気な口を聞いてんじゃないわよ!」
ヨードに押さえられながらも、リナリーは鬼の形相でフィファナに向かって荒く言葉を放つ。
フィファナは「あらあら」と呟き、困ったように眉を下げた。
リナリーの身分は平民だ。
その平民が貴族に向かって暴言を吐き、不遜な振る舞いをした。
しかも、この場所には伯爵家当主である自分の父親までいる。
そのことをしっかり理解しているヨードは、真っ青な顔で大慌てでリナリーの口を塞いだが、リナリーの口を塞ぐには一歩遅かった。
「──ほう……? そちらのお嬢さんはリナリー・ラティルドと言うのか、そうかそうか。ラティルド男爵家は既に取り潰されているが、これはどういうことだね、タナストン伯爵」
「申し訳無い……っ、学の無い平民の戯言です伯爵……っ、どうか見逃してやって下さい……っ!」
「男爵家のご令嬢という割には、貴族と平民の越えられぬ壁を理解していなさ過ぎる。よもやその平民は未だ自分が貴族であると思っているのでは?」
口を塞がれているリナリーは、呻き声を漏らしながらヨードの腕をばしばしと叩く。
「それはっ、だが……っ、リナリーはっ! まだ幼い頃に両親を亡くし……っ」
ヨードが必死に言葉を並べ立てているその時。
リナリーが入って来た為に開いていた扉から誰かが入って来て、この場所では決して聞こえる筈が無い男の声が聞こえて来た。
「リナリー・ラティルド。そうか、その女性がラティルド男爵家の生き残りか……そうか……あの夜会で見た女性はラティルド男爵家のご令嬢だったか」
開け放たれた扉に体を預け、考え込むように自分の顎に手を当てたアレクがなぜかそこにいる。
フィファナを始め、父親のトルソンも驚きぎょっとしたが、直ぐさまソファから立ち上がり、挨拶の礼を取る。
遅れてヨードもリナリーから手を離し、アレクに向き直って礼を取った。
だが、自由になったリナリーは何が起こっているのか分からず、キョトンとしたままヨードに寄り添っている。
「おっ、王弟殿下がなぜここに……!?」
トルソンは震える声で述べるが、アレクはフィファナを見やった後、ちらりとヨード、リナリーに順々に視線を向けてから最後にトルソンに顔を向けた。
「リドティー伯爵、久しいな。最後に会ったのは少し前の夜会だったか?」
「はい、一年程前の王家主催の夜会にて……お話させて頂く機会がございました」
「そうかそうか。……ああ、かしこまらないでくれ、楽に。今日は突然の訪問すまないな。……タナストン伯爵」
「はっ、あっ、いえ……っ! とんでもございません!」
アレクが「タナストン伯爵」と口にした時、冷たく背筋が凍り付きそうになるほどの重い声音で名を呼ばれ、ヨードは訳も分からず泣きたくなった。
ヨードの隣にいるリナリーは初めて見る王族にぽけっと呆けており、不躾にじろじろとアレクを見ている。
「ヨード……。どうして王弟殿下がここにいるの? 何しに来たのかしら……。ヨードに用事があったの?」
「リっ、リナリー! 不敬だぞ、少し黙っていてくれ……!」
いくらアレクから楽にしてくれ、と言われても平民の身分であるリナリーだけは別問題だ。
本当であればアレクから顔を上げても良い、と言われるまでその顔を見ることも、発言を許される立場でもない。
しかも、先程アレクは入室して来た際にリナリーのことを「ラティルド男爵家の生き残り」と口にしていた。
素性を知られているのだ。
ヨードは予定外のトルソンとアレクの訪問に、今にも逃げ出したい気持ちでいっぱいになっている。
だが、なぜアレクがここに来たのか。
そして、アレクはなぜリナリーの事を知っていたのか。
なぜ、顔を知っているのか。
一体全体、何の用があってこの邸に来たのかが分からず、フィファナはついついアレクに向かって話しかけた。
「で、殿下……よろしいでしょうか……?」
おずおず、とフィファナがアレクに向かって声をかける。
すると、アレクはフィファナに笑顔を向けて「何だ?」と言葉を返した。
「──その……、殿下はなぜリナリー、嬢のことをご存知で……?」
顔のみならず、素性まで知っていた。
ラティルド男爵家は取り潰されてから長年経っても王族の記憶に残るほどの悪事を働いたのか、とフィファナが考えていると、アレクはソファに向かい歩いて来て、「座ってもいいかな?」とヨードに向かって声をかける。
「どっ、どうぞ……!」
ヨードの返事を聞き、アレクはソファに腰かける。続いて先程立ち上がったフィファナ達にもソファに座るよう促す。
リナリーだけはヨードが立たせたままにしていたが、その対応にリナリーはむっと不服そうにしている。
「そうだな……。私がここに来た理由と、リナリーを知っていた訳か。まず、ここに来た理由はフィファナ・タナストン夫人の怪我のお見舞いに、だな」
「けっ、怪我……ですか!?」
アレクの言葉にヨードが素っ頓狂な声を上げる。
「タナストン伯爵は自分の奥方の怪我も知らなかったのか? 腕に手形がくっきりと付いていたぞ、何とも痛々しかったが」
「て……、手形、そ、そうですね! 知っておりました、おりましたとも……! そ、それでどうして殿下は妻の腕の怪我にお気付きに……?」
「──ああ、先日の夜会で偶然にもタナストン夫人とお会いしてな。どうやら庭園でタナストン伯爵とはぐれてしまったようで。薄暗い庭園だ。夫人のような美しい女性が一人でいたら危ないだろう? 余計なことだったかもしれんが、夫人を会場まで送らせてもらった時に、夫人の怪我に気付いた」
アレクとそのような接点を持っていたとは、とヨードが驚きに口をぱくぱくとしている間に、アレクは言葉を続ける。
「それで、先日良く効く軟膏を知り合いに届けさせた。直接見舞いたかったから、今日こうして訪問させて貰った。……夫人、急に訪ねてしまってすまないな」
「いえ、とんでもございません殿下。お心遣い、痛み入りますわ」
笑顔を浮かべ合う二人を、トルソンは何処か面白そうに、興味深そうに顎に手を当てながら成り行きを見守る。
そんなことがあったと全く知らなかったヨードはぽかん、と口を開けて驚くばかりだ。
「それで……。私がリナリーを知っていたのは……」
アレクはちらり、とヨードに視線を向けた後、睨み付けるように目を細め、言葉を続けた。
「あの夜会の日……。庭園で私はタナストン伯爵とリナリー両名をこの目で見たからだ」