10話
ナナと会話を終えたフィファナは部屋を退出するナナを笑顔で見送り、ぽすりとベッドに横になる。
「──少しずつ見えてきたような気がするわね……」
リナリー・ラティルドはヨード・タナストンを異性として慕っている。
だから当時邪魔だった婚約者を排除しようと、ヨード・タナストンに様々な嘘を吹き込み、嫌悪感や憎悪を増幅させたのだろう。
「けれど、旦那様はリナリー嬢を異性としては見ていない……?」
この邸に嫁いだ翌日。
ヨードにリナリーのことを話しに行った時。
フィファナが二人の仲を勘違いしてそのような仲なのか、と口にした時のヨードの態度を思い出し、結論付ける。
確かに、妹と思って接している相手とそのような間柄だと勘違いされればあの反応になるだろう、と納得した。
「けど……肝心の男爵家がなくなってしまったことについては、謎のままね……」
使用人のナナも、理由までは分からないらしく謝罪をされたほどだ。
「──歪な二人の関係、歪な伯爵家……。これは本当に早くしなくちゃ、私まで巻き込まれてしまうわ。けれど、私一人では時間もかかるし、調べきれないわ……」
ふむ、とフィファナは自分の顎に手を当てて考え込む。
だがそこで「あっ」と小さく声を出した。
「お父様に出したお手紙の返事がそろそろ戻って来るわ……!」
それに、夜会で久しぶりにエラと会えたことも僥倖だった。
「情報を得るためにはやっぱり社交の場よね……!」
ふふっ、とフィファナは笑顔を浮かべると、今後の準備のために早く眠ることにした。
◇◆◇
「フィファナ・リドティー!」
翌日。
フィファナは早速とある準備のために邸の使用人達を呼び、指示をしていた。
すると、フィファナがやろうとしていることをどこからか聞き付けたのだろう。
青筋を浮かべ、怒りを顕にしたヨードがやってきて怒声を上げた。
「──あら、旦那様。おはようございます。とても良いお天気ですわね!」
「貴様! どういうつもりだ!」
にこやかに挨拶をするフィファナに怒りを更に募らせ、ヨードが怒声を上げる。
ご丁寧にリナリーもヨードにくっついて来ているらしく、ちょこんとヨードの服の裾を掴んで怖々と怯えた様子でフィファナを見ている。
だがフィファナはリナリーには目もくれず。ついでにヨードにも顔を向けることなく、遠くにいる使用人に「テーブルはあちらに」と指示を続けた。
「……どういうつもりも何も……。友人達を招いてお茶会を開催致します」
さらり、と言葉を返すフィファナにヨードは叫ぶように言葉を発した。
「誰の許可を得てっ、そのようなことをしている!? 私はお前が茶会を開催することを許可しないぞ! 我が伯爵家の財政を不要な茶会で食い潰すつもりか!」
「旦那様がそうおっしゃると思いまして、費用は私の私財から出しておりますわ。そして私は先日旦那様と婚姻式を行い、正式にこのタナストン伯爵家の女主人となっております。女主人の仕事は邸や使用人の管理、社交と心得ておりますので」
「ぐっ」
フィファナの言葉に何も言い返す事が出来ないヨードは、ついつい言葉に詰まってしまう。
何も間違ったことは言っていないのだ。
滅茶苦茶な理由を付けて茶会を中止させてしまえば、招待予定の客人にあらぬ噂を立てられる。
「ヨ、ヨード……っ」
「リナリー大丈夫だ。その日は私と外に出よう……。どうせ大した人物も来ない。私達はその日外で過ごそう……」
「嬉しいっ! それなら私、王都で有名なお店に行きたいわっ」
「ああ。リナリーが行きたい所には全て行こう」
フィファナの背後で二人がそんな会話を行っているのを聞き流しながら、フィファナは「ああそうでした」と言葉を漏らす。
「先日旦那様もお会いした、私の学園時代の友人であるエラ・アサートンも招待するつもりですわ。今回のお茶会は男性にも参加して頂けるよう、準備をしております。恐らくアサートン侯爵夫妻で来られると思います。……旦那様、ご挨拶しなくてよろしいので?」
「──侯爵が……!?」
「はい、恐らく。招待客については旦那様にもご報告しておかねばなりませんから」
侯爵が来る、という言葉にヨードが動揺する。
フィファナにとっては、当日ヨードがいようがいまいがどちらでも構わない。
ただ、伯爵家当主に招待客は報告しておく。その報告を聞いてどうするかは、ヨード自身が好きにすれば良いのだ。
「ヨード……」
「──っ」
だが、ヨードはリナリーの悲しげな声と表情にハッとして、取り繕うようにフィファナを睨み付け、何も言わずにその場を去って行った。
お茶会の開催まであと一週間。
そして、その日の夕方。
フィファナの下に父親であるリドティー伯爵から手紙の返事が返って来た。
使用人が届けてくれた手紙を自室で開封したフィファナは、書かれている内容にギョッとして目を見開いた。
差出人はトルソン・リドティー。
リドティー伯爵家の当主で、フィファナの父親だ。
父親からの手紙には驚くべきことが記載されていた。
十数年前、ラティルド男爵家は国で取り締まられている悪事に手を染め、取り潰しになったそうだ。
罪人である当主と、当主夫人は当然ながら即刻処刑。
当時まだ幼かったリナリーだけは命を助けられたらしい。だが、もちろん貴族籍は剥奪され、今の身分はただの平民。
「──いえ、ただの平民よりも悪いわ……」
フィファナはふるり、と頭を横に振る。
罪人の両親、取り潰された男爵家、貴族籍の剥奪、抹消──。
「リナリー嬢は罪人の一族として……」
その身を堕としている。
その一族をこの邸で世話をしている、ということを王家は知っているのだろうか。
「──いえっ、でも、流石に無許可で匿うなど出来る筈がないわ……」
罪人の娘であるリナリーは、普通なら悲惨な人生を送っていただろう。
家が取り潰されるほどだ。それ相当の重犯罪を犯したということは想像に難くない。
その身をこの伯爵家が引き取らねば、孤児院、もしくはもっと劣悪な場所に身を置いていたかもしれない。
「自分と仲の良かった女の子が、大変な目に合うことを哀れみ、引き取ってもらうように旦那様は両親を説得したの……?」
けれど、そんな重犯罪を犯した家の一族を邸に迎え入れるなど。
そんな危険を貴族が飲むだろうか。
「待って……ちょっと待って……」
何だか開けては行けない蓋を開けてしまっているような気がする、とフィファナは手の中の手紙をくしゃり、と握り締める。
手紙には嫁いだフィファナに対しての狼藉に憤り、怒り心頭、といった文章がつらつらと記載されている。
だが、フィファナの父親もリナリーの存在を全く知らなかったようで、ヨードの両親、前タナストン伯爵と伯爵夫人に話を聞いてみる、と書かれている。
「だっ、大丈夫かしら……? お父様をこのままこの家の問題に関わらせてしまっても大丈夫かしら……?」
もし、この相談が切っ掛けで何の関係も無かった実家、リドティー伯爵家にまで騒動が飛び火してしまったら。
そこまで考えて、フィファナはぞっと背筋が凍った。
「──っ、こっ、このままではお父様が色々と調べてしまうわ……っ」
ちょっと考える時間が欲しい、その間は何も動かないでもらいたい。
そう考えたフィファナは急いでペンを取り、父親に向けて手紙を認めたが行動の早いフィファナの父親、トルソンは既に動き始めてしまっていた。
◇◆◇
その日も、午後はお茶会の準備のため、フィファナは邸の使用人達と共に庭園に出ていた。
あれこれと指示を出している様を執務室から見下ろしていたヨードは不機嫌さを隠さない。
同じ部屋でヨードの補佐をしている侍従は不機嫌な態度にびくびくとしつつ、仕事の補佐をしている。
「──ちっ。あの女……私の邸で好き勝手に振る舞い、本当に厚かましい女だ……」
舌打ちしつつも、ヨードは忙しなく庭園をあちらに行ったりこちらに行ったりと動き回るフィファナから目を離せない。
リナリーから聞く性格の醜悪さにばかり意識がいってしまっていたが。
(なるほど。調子に乗るのも頷ける……。あれほどの容姿ならば、リナリーの言う通り寄って来る男は多かっただろう)
学園にいる間、数多の男達と関係を持ったらしい。
そんな女を汚らわしいと思い触れたくない、と考えていたが。
フィファナを見つめるヨードの喉が鳴る。
五年間、五年間だけ我慢すれば離縁出来る。
だからこそフィファナとの間に子など設けるつもりはなかった。
穢れた女に触れたら自分まで穢れそうで、触れたい、などとは思わなかった。
(だが……掴んだ腕は柔らかかった……)
夜会でフィファナの腕を掴んだ時のことを思い出す。
あの日、フィファナの腕を掴んでしまったが、自分は穢れてなどいない。
(だ、だが私は初日にあの女に夫婦になるつもりは無いと言ってしまった……くそっ、早まったか……? 数多の男と遊んでいた女だ……、外で誰の子か分からん子供を作られるよりは……私から声をかければ、私に惚れているあの女は喜ぶかもしれん……)
リナリーは、確かにそう言っていたのだ。
同じ邸に住む自分に嫉妬したフィファナが酷い仕打ちをしたのだと。
(そうだ、それほどまでに私に惚れているのであれば……あの女だって喜ぶはず……。きっと今までの態度も改めるだろう)
ヨードがそんな事を考えていると、庭園にいたフィファナが慌ててやって来た使用人に何事かを言われ、正門の方向に向かって行く姿が見えた。
ガタン! と音を立てて突然立ち上がったヨードに、侍従はびくりと体を震わせる。
「少し席を外す」
「か、かしこまりました旦那様……」
ヨードはそれだけを言い終え、フィファナの行動が気になりいそいそと庭園に向かった。