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1話


 パイプオルガンが賛美歌を奏でる。

 美しい音色が厳かな空間に響き渡り、足を一歩、一歩踏み出す度に自覚する。


 ──ああ、私は今日結婚するのだ、と。


 周囲の参列者は皆、祝福するように主役の新郎新婦を笑顔で見詰め、新婦──フィファナ・リドティーは俯いていた顔をそっと上げて自分の夫となる男、ヨード・タナストンを盗み見る。




 婚約を結んだのは二年前。

 フィファナが学園を卒業する前に顔合わせを行い、婚約した。

 リドティー伯爵家と、タナストン伯爵家は同じ爵位の家同士だが、タナストン伯爵家は建国から続く由緒ある家柄に対してリドティー伯爵家は歴史の浅い家柄。

 だが、数代前のリドティー伯爵──元は子爵だが、数代前の当主は類稀なる商才を持ち巨万の富を得た。

 その頃、度重なる戦争で国内が財政難に陥った際に財を投げ打って多大な貢献をした、らしい。


(……それで、国王陛下より陞爵され伯爵位を賜ったのよね……)


 フィファナは何処か現実味の無いこの式の最中、ぼうっと考えに耽る。


(ヨード様と婚約を結んだ頃はまだ顔を合わせてお話する機会があったけれど……何故か途中から断られる事が増えて……最近では殆どお会いする機会が無いまま、今日を迎えてしまった)


 当主補佐としての仕事が忙しいから、と何かと理由を付けて会う約束を反故にされて来た。

 始めは何か失礼な事をしてしまったかしら、自分に何か原因があるのかしら、と頭を悩ませたフィファナだったがいくら考えてもその答えは出なかった。


(そもそも……失礼な事をしてしまう機会すら無かったわ)


 ここ一年は殆ど顔を合わせていないのだ。

 何だか素っ気ない、と感じた一年前。最後に時間を取って会ったその一年前から今日までまともに顔を合わせ、言葉を交わした記憶はほぼ無いに等しい。


(今回のこの……、式の事だって……殆ど他人任せで……私は今夜からタナストンでやって行けるのかしら)


 フィファナはベールに隠されているのを良い事に、こっそりと溜息を吐き出す。

 お互い求め、求められた結婚、と言うものに憧れていた訳では無い。

 貴族として生まれたからには政略的な結婚も覚悟はしていた。


(けれど……今日こうして久しぶりに顔を合わせても会話も何も無いのはあんまりだわ……)


 そっと隣に立つヨードに視線を向ける。

 ベールで見え難いが、その眉間にはハッキリと皺が刻まれこの結婚に対して不快感を顕にしているのが分かる。


 これからこの先、長い長い時間をヨードと共に過ごす事になるのか、と後ろ向きな感情を抱いた所で。

 神父が「誓いの口付けを」と声を掛けて来る。


「……」


 フィファナは目線を下げたまま、ヨードに向き直りそっと屈む。

 ヨードもフィファナに体を向けてベールを上げた。


 視線を上げたフィファナは久しぶりにヨードの顔を見て、こんな顔だったかしらと何処か他人事な事を考える。

 ヨードは嫌そうな態度を隠す事無くフィファナに顔を近付け、フィファナは目を閉じる。


 だが、覚悟していた唇への接触は訪れる事は無く。

 一瞬だけ口端、頬に近い場所に触れられた感触があって。フィファナは驚いてぱちり、と目を開けた。

 するとヨードはさっさと前を向いてしまっており、フィファナも慌ててヨードに倣い神父に向き直る。


 神父には誓い口付けをしていない事は分かっているだろう。

 けれど、二人の結婚式に参列している両家の人間にはそう見えるように角度を計算してヨードは行動している。


(……私、そんなにもヨード様に疎まれるような事をしてしまったのかしら)


 まるで口付けなどしたくない、と全身で拒んでいるようなヨードの態度にフィファナは悲しくなった。




 式が終わり、邸に戻る道中もヨードとフィファナは会話らしい会話をする事無く同じ馬車で邸に向かった。


 フィファナは始め、久しぶりです、とか今日からよろしくお願いします、とか会話を試みたがヨードからは鋭い視線を向けられるだけで、何も言葉は返って来なかった。


(何故、私はこんなに嫌われているの……)


 途中からはフィファナもヨードに話し掛ける事は諦め、互いに別々の方向を向き馬車の窓の外に流れる景色を見詰める。


 ヨードは明らかに拒絶の態度を取っている。

 話し掛けると不快感を顕に眉を顰め、フィファナを冷たい視線で睨む。


 そんな態度を取られ続ければいい加減フィファナも歩み寄ろう、と言う気持ちは霧散した。




 そうして辿り着いたタナストン伯爵邸。

 ヨードはさっさと馬車を降り、フィファナに手を貸す事も無くそのまま邸に向かって歩いて行ってしまう。

 出迎えにやって来ていた邸の使用人達が戸惑う中、馬車の御者が気まずそうにしながらフィファナに手を差し出してくれる。


「奥様……、どうぞ手を……」

「ありがとう」


 気遣ってくれる御者に微笑みかけ、フィファナも馬車から降りてヨードに続き邸へ入る。

 すると先程、夫から無視された妻であるのに邸の使用人達はそんな気まずさなど微塵も態度に出さず、フィファナを笑顔で迎え入れてくれる。


 家令から侍女頭を紹介され、数人の侍女を紹介される。

 そしてその侍女達に案内されるままフィファナは部屋に案内された。





「……隣、は……」

「旦那様の私室でございます。中央の扉から互いのお部屋を行き来出来るようになっております」


 部屋に案内され、フィファナが侍女に尋ねると案の定、と言った返答がなされる。


「分かったわ、ありがとう」

「何かございましたらそちらにございますベルでお呼び下さいませ」


 一礼して去っていく侍女にフィファナは笑顔で見送り、侍女に手伝って貰いながら着替えた室内着でベッドに腰掛けた。


 時刻は夜。

 この後は湯浴みをして、後は寝るだけだ。


「──ああ、嫌だわ……」


 ヨードの態度を見る限り、夫婦としての関係性を築く事は難しいだろう。

 けれど、タナストン伯爵家に嫁いだ以上、この家の嫁として果たすべき仕事はある。


「──ふっ、仕事って……」


 自分の考えに自嘲が漏れる。

 跡継ぎを儲けなければいけない事を仕事、と考えるなんて自分もそれだけ拒絶しているのかもしれない。


「でも……、ヨード様は伯爵位を継いで間もないからもしかしたらまだ子の事はお考えでないかもしれないわね」


 それならばもしかしたら今夜はそう言った事が無いかもしれない、とフィファナは考えていたのだが。



 湯浴みが済み、何処か緊張した面持ちでヨードを待っていたフィファナの下に夜遅くヨードがやって来た。

 ──やって来てしまったのだ。

 緊張ですっかり冷えてしまった指先をきゅう、と握り締めてフィファナはやって来たヨードを見上げる。


 するとヨードは憎しみの篭った、嫌悪感を隠しもせずに冷たい視線をフィファナに浴びさせ、まるで吐き捨てるように緊張で体を固くするフィファナに向かって言葉を発した。


「まだ起きていたのか……卑しい女だ」

「──えっ、」


 ヨードに言われた言葉が一瞬理解出来ず、フィファナがぽかん、と口を開けて言葉を返す。

 するとヨードは益々眉間に皺を寄せてフィファナを一瞥した。


「私はお前と夫婦になるつもりは無い。いくらこの部屋で私を待とうとも、今後一切私はこの部屋に立ち入らない。浅ましい気持ちは捨てる事だな」


 ヨードはつらつらとそれだけを告げ、呆気に取られたまま微動だにしないフィファナを再び見る事は無く、そのまま踵を返して部屋を出て行った。


「──え?」


 フィファナはただただ今言われた言葉を理解するのに精一杯で。

 ぽかんと瞳を見開き、ヨードが出て行った部屋の扉を見詰める事だけしか出来ない。


 ヨードから言われた言葉がぐるぐると頭の中を巡る。


「夫婦になるつもりは、無いって……それじゃあこの先、伯爵家の事はどうされるつもりなのかしら」


 夫婦として、そういった行為をしなければ子供を授かる事は出来ない。

 けれど、自分の夫であるヨードはそのつもりは無い、と言い切った。


「な、なんて無責任なの……。それならば何故私と結婚したの……。家の事を考えるならば、私との婚約を破棄すれば良かったじゃない……っ」


 子供を作るつもりもない。

 この先夫婦としてやって行くつもりもない。


 それならば、婚約を考え直せば良かったのだ。


「白い結婚、と言う事……? けれど、この国では子が出来なかった場合に離婚が認められるのは五年掛かるのよ……!? ヨード様が離婚するつもりでも、あと五年。その時には私は二十五になってしまうわ……! そんなの酷過ぎる……っ」


 それに、四つ年上のヨードは五年後離婚したとしても二十九になってしまう。

 それまで、跡継ぎが出来ない事をどう説明するつもりだろうか。


「一度ヨード様とはしっかり話し合いが必要ね……」


 しんしんと冷え込んで来た室内で、フィファナはぶるり、と寒さに体を震わせる。

 手近にあったガウンを軽く羽織り、横になろうか、と考えていた所で外から「ガシャン!」と何かが割れる音が響き、フィファナは何事だろうか、と扉に顔を向けた。


 フィファナが顔を向けた後すぐ。

 次いで「痛いっ」と言う女性のか細い悲鳴が聞こえて来て、フィファナは咄嗟に扉を開けて外に出た。


「──大丈夫!?」


 使用人か何かが割れた物を片付ける最中に破片か何かで手を切ってしまったのだろうか、と思い外に出たフィファナはだが目の前に居る女性の姿を見て驚きに目を見開いた。


 この邸で働く使用人のようなお仕着せを身に纏っている訳では無く、フィファナが普段着ているようなドレスを纏っている。

 その事から「あれ?」と疑問符が頭の中に浮かぶ。


「……えっと、ヨード様に妹さんは居たかしら……?」


 何処からどう見ても妙齢の女性で。

 廊下の照明の光を反射してキラキラと輝く美しいプラチナブロンドに、愛らしい顔立ち。

 ローズピンクの瞳には今は破片で切ってしまったからだろうか、涙が溜まっていてフィファナはその女性に向かって近付く。


「あっ、私は……っ、ここに来てごめんなさい……っ!」

「えっ、? 何故謝罪を……? それよりも早く手当をしなくてはいけないわ」


 歳の頃はフィファナと同年代か、少し下だろうか。

 愛らしい女性が瞳いっぱいに涙を溜めて、自分に向かって何故かがばりと頭を下げる。

 戸惑いながらもそれでもフィファナが「大丈夫か」とその女性に向かって手を差し出した所で。




「──何をやっている!!」


 先程、自分の部屋で聞いた男の怒声が廊下に響いた。

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