第3幕 激動
フットサルをはじめて2年が経とうとしていたある日の練習後、パパと南コーチがコソコソと話をしていた。
「てつ、甲斐君、ちょっとこっち来て」
「何?」
「てつ、ゴレイロやってみるか?」
「いやだ」
即答した。ぼくは、パパのような怖いもの知らずではない。顔面に向かってボールが飛んでくると、正直言って、結構怖い。
「甲斐君は?」
「おれもちょっと……無理です」
昔、遊んでいたときに、サッカーボールがみぞおちに入り、トラウマ級の痛みを味わったらしい。
「まあ、気持ちはわかるよ」
この2年間は、毎年2人ずつ小学生チームの卒業生が加入してきたので、中学生は6人になった。U-15のカップ戦の参加条件は満たしているらしい。
「人数的にはカップ戦に出ることはできますけど、できたらちゃんとしたゴレイロが欲しいですね」
翌日から学校で、ゴレイロができる人がいないかを探すことにした。
体格のよい山内君は「やってみたいけど、試合前で部活が忙しい」と言う。
ほかにもサッカー経験者は何人かいるが、さすがにみんな「ゴレイロは怖い」らしい。
「う~ん、やっぱりゴレイロは……」
「普通の人はやりたがらないよね」
パパは普通じゃないってことか……
「1、2年生にも聞いてみようか?」
甲斐君はそう言うが、2人ともあまり下級生に知り合いはいない。
練習試合ではない、ちゃんとした、いわゆる「公式戦」に出るのは、結構ハードルが高いらしい。ぼくもまだ公式戦に出た経験はない。せっかくのチャンスだから逃したくはないけど……ゴレイロかあ……
次の日曜日、パパと練習に行くと、亜紀ちゃんが来ていた。学校のジャージを着て体育館シューズを履いている。
「てっちゃん、久しぶりにパス練習しよう」
「いいけど、亜紀ちゃんもフットサルやるの?結構きついよ」
「最近ちょっと運動不足だから。あと、気分転換」
軽めにボールを蹴ると、丁寧にインサイドでトラップ。ツータッチですぐさまこちらに蹴り返す。
少し強めにボールを蹴ってもきちんと足元におさめる。相変わらず運動神経がいい。
「てっちゃん、ロングパス」
10mほど後ろに下がって、インステップキックでパスを出す。ワンバウンドしたボールを腿で柔らかくトラップする。
「久しぶりに楽しいね」
ぼくも小学生の頃に戻ったようで、だんだん楽しくなってきた。
「まずい」
あまり力を入れずに蹴っていたことが災いして、きれいにミートされたボールが、一直線に亜紀ちゃんの顔を目がけて飛んでいった。
「パン」と軽い音を立てたボールは、亜紀ちゃんの両手の中におさまっている。
「全然大丈夫だよ。もっと強く蹴って」
ボールを軽く浮かせて、亜紀ちゃんの顔の1mほど左側を狙ってみる。右手を内から外に開くように回転させて、手首の外側あたりでボールを弾いた。
「亜紀ちゃん、空手続けてたの?」
「うん、週に2回。これくらいのボールだったら、全然怖くないよ」
「てつ、何回かゴロで蹴ってみろ」
パパから指示が出る。
亜紀ちゃんは、体に近いボールはインサイドでトラップし、遠いボールは足を伸ばしてきれいにクリアーした。
「悪くないな。てつ、ちょっとこっちに来い」パパに耳打ちをされた。
少しゴレイロに近寄って、何度か続けて両サイドをゴロで狙う。全部、足で弾き飛ばされた。一転、フェイントをかけてからの股抜き。これがきれいに決まってしまった。
「亜紀ちゃん、前屈してみて」
上半身と下半身がぴったりとくっつく。
「開脚はできる?」
両足は180度まで開き、足と床が密着する。
「亜紀ちゃんなら、おれよりすごいゴレイロになれるぞ」
次の日から、ぼくと、亜紀ちゃん、甲斐君の3人で、昼休みに自主練習をすることにした。
甲斐君がピヴォ、ぼくがフィクソに入り、1対1からのシュート練習。次はピヴォ当てからのリターンパスをノートラップで、ぼくがシュートする。
あまり手加減すると、亜紀ちゃんに怒られるので、シュートも本気で撃った。
「てっちゃん、脇の下のボールって、取りづらいね」
「うん、そこはゴレイロの弱点だって、パパが言ってた」
手足を曲げ伸ばししながら
「そうか、中段蹴りをブロックするときみたいに……」
亜紀ちゃんが膝と肘をくっつけるように手足を折りたたんで、壁を作る。「シュッ」と音が聞こえるようだ。
「痛そうだな。あんな膝蹴りくらったら、一発で倒されるよ」
「うん」
亜紀ちゃんを怒らせるのは、絶対にやめておこうと、心に誓った。
*
「お父さん、相手と1対1になったときは、どのタイミングで前に出ればいいの?」
「お父さんって、亜紀ちゃん、ちょっと気が早くないか?」
「え、だって、南コーチたちもみんなお父さんって呼んでるよ。それとも、てっちゃんみたいにパパって呼ぶ方がいいのかな?」
「いや、その呼び方は、別の意味であまりよくない」
「じゃあ、お父さん」
娘からも呼ばれたことないのに……
「え~っと、ゴレイロが前に出るタイミングは……」
「タイミングは?」
「すごく難しい。ケースバイケースってやつだ。おれの場合は、相手がシュートを撃ってくるって思った瞬間に前に出る。少しでも相手に近づいて、体のどこかでブロックできればいいって感じだ」
「その瞬間がわからないんだよね」
「ほら、格闘技の偉い人も言ってたじゃない。考えるんじゃなくて、感じるんだよ」
「いや、それって映画のせりふじゃ……お父さん、面白い」
「あ、そうなの?よく知ってるね」
ころころとよく笑う明るい娘だ。だが、おれは知っている。
先月行われた空手の県大会、決勝戦で亜紀ちゃんの膝蹴りを食らった男子は、1人で立ち上がることができず、コーチに抱きかかえられるように退場したらしい。もちろん防具ありの大会だ。
「てつ、油断するなよ」
カップ戦はトーナメント方式で行われ、7チームがエントリーしている。抽選の結果、シード権は得られなかったが、3回勝てば優勝だ。
サッカーをはじめてから5年、ようやく息子の公式戦デビューだ。相当緊張しているらしく、さっきからウロチョロと落ち着きがない。
「パパ、ゴレイロには絶対バックパスしたらダメなんだったっけ?」
「絶対ダメじゃないけど、なんだかんだと制限がある。もし迷ったら、前に蹴っておいたほうがいいな」
1回戦の相手は「サンダース」だ。
「相手は結成されたばかりのチームで、全員中学1年生。人数も6人しかいません。先発はフィクソ哲也君、ピヴォ虎太郎君、両アラは甲斐君と太一君、ゴレイロ亜紀ちゃんでいきます。5分経過したら、両アラがアウトで浩司君と卓也君がイン。焦らずローテーションで崩してからいきましょう」
おれは亜紀ちゃんにアドバイスを送るため、ゴールネットの裏に腰をおろした。
*
なんだか視界が狭くなって、足元が少しふわふわしている。ゴール前に行って、亜紀ちゃんに声をかける。
「今日はぼくも一緒に守るよ。あまり無理しないでね」
あれ、なんか変だ。うまくしゃべれていないような気がする。
「うん、てっちゃん、ありがと」
ホイッスルが鳴る。ONESボールのキックオフだ。虎太郎君がぼくにパスを出して、試合がはじまった。
「よし、行くぞ」
左を見ると、甲斐君が裏のスペースをうかがっている。トラップをせずに、そのままボールを蹴る。
「あれ?」
ボールは甲斐君のはるか前方をいきおいよく駆け抜け、そのままタッチラインを割ってしまった。
「ドンマイ、ドンマイ」
「落ち着いていこう」
「てつ、てつ」遠くでパパが呼ぶ声がする。試合中なのに、うるさいなあ。
相手ボールのキックインで試合が再開したが、甲斐君がスピードを活かしてうまくパスカットした。
「てっちゃん」
甲斐君からボールが戻された。
「よし、今度は」
足裏でトラップしようとしたが、ボールは足の下をすり抜けて、反対側のタッチラインを割ってしまった。
「哲也君、アウト」
南コーチの声が聞こえた。
「ぼく、なんで?」
「てつ、早くこっちに来い」
さっきまでゴール裏にいたパパが、ベンチの近くで手招きしている。
「まあ、初の公式戦だから仕方ないか」
え、どういうこと?
「お前は小さい時から、本番に弱かったから。ほら、深呼吸して周りを見てみろ」
そう言えば、さっきから「てっちゃん、てっちゃん」と甲高い声が聞こえる。諒君と慎介君の仲良しコンビだ。声がする方を見ると、嬉しそうに手をふってくる。隣には、丈二さんとひろさんも座っている。ひろさんが両手をメガホンのようにして叫んでいるが、なんと言っているかはわからない。
「いいか、てつ。お前は今までONESで2年間、あんな大人達を相手に練習してきたんだ。諒君達はもう高校3年生だし、ひろさんや丈二さんはもうすぐおじいちゃんになる。
前をみてみろ。いっちゃあ悪いが、相手はこの前までランドセルを背負っていた1年生だ。諒君みたいな弾丸シュートは撃てないし、慎介君みたいなスピードもない。わかるか、てつ。落ち着いてやれば、お前たちが負けるわけはない。ただ1つ、相手にケガをさせないように気をつけろ」
「うん、わかったよ、パパ」
深呼吸をして、水を飲み、また大きく息を吐きだした。急に周りが明るくなったような気がした。
パスを受けたフィクソが、いきなりドリブルでボールを運んでくる。切り返しで虎太郎君をかわしたが、ボールが足から離れている。
少し前に詰めて、右足のアウトサイドでボールをはたいた。太一君がボールを抑える。
太一君の対面がいきなり滑り込んできた。フットサルではあまり使われることがないスライディングタックルだ。ボールをうまく弾き飛ばしたが、そのままエンドラインを割る。
「ゴールクリアランス」
コーチが教えてくれたように、サンダースはあまりフットサル経験が豊富ではないようだ。
「亜紀ちゃん、遠くからも狙ってくるから気をつけて。てつもゴール前では早めに詰めて、できるだけシュートを撃たせるな」
ゴール裏から、パパの指示が飛んでくる。
「わかった」
亜紀ちゃんが転がしたボールを甲斐君にパスした。
太一君と虎太郎君とは、一昨年のフレンドリーカップで一緒に戦ったことがある。学年は1つ下だが、コーチが運営する小学生チームの卒業生で、ぼくや甲斐君よりもフットサル経験が長い。虎太郎君は、ぼくより背が高くガッシリしているため、ピヴォをまかされることが多い。
甲斐君はもともと陸上部に所属していたが、かけもちでフットサルをはじめた。最近はあまり部活動に参加せず、たまに顧問の先生から呼び出されているらしい。スピードを活かしたライン際の突破が得意だ。
甲斐君から戻されたボールをキープしていると、ピヴォと右アラがこちらに詰めてくる。甲斐君がフリーだ。スペースに出したボールに甲斐君が追いつく。左足でトラップして内側に切り込むと、今度はフィクソが滑り込んできた。
「むやみにスライディングしないでよ。削られたらいやだな」
この試合は、あまりボールを持ちすぎないようにしよう。
*
予想通り、相手は遠目から積極的にゴールを狙ってきたが、枠内に飛んでくるボールはそう多くない。亜紀ちゃんはおれなどよりよほど眼が良く、何度かきれいなキャッチングも見せた。
「てっちゃん」
ボールは、息子から太一君、対面をかわして裏に抜けた甲斐君へときれいにつながった。甲斐君からセカンドポストに入った虎太郎君へラストパス。虎太郎君がインサイドキックで丁寧に押し込んだ。
「ゴール!」
「よし。上出来だ」
開戦当初はどうなることかとひやひやしたが、終わってみれば、4対0の完勝だった。
「問題は次の相手、武田中学校のフットサル部です」
正式なフットサル部は、おれが知るかぎり、県内でここだけだ。去年は、全国大会でベスト4に入ったらしい。顧問もフットサルの経験者で、部員数も多い。
今日も3年生を中心に、制限いっぱいの14人がベンチ入りしている。
「体もでかいな。当たりが強そうだ」
息子がちょっと尻込みしている。
「みんなONESでいつも社会人や高校生と練習してるんだから、体の大きさはあまり問題じゃない」
1番の問題は「スタミナ」だ。フットサルでは、1度コートから出た選手が、コートに戻ることが許されている。2人のゴレイロを除いた12人が入れ替わり立ち替わりコートに入ってくる。同時に3チームを相手にしているようなものだ。しかも、休息を十分に取り、体力が回復した状態で入ってくる。
「ボールではなく、人について。できるだけ無駄な走りをしないように。先発は哲也君と虎太郎君、両アラは浩司君と卓也君からいきましょう」
*
キックオフのボールを受けると、いきなり相手のピヴォが距離を詰めてきた。あわてて浩司君にボールを出すが、浩司君の前には対面のアラが待ち構えている。
フェイントをかけて抜こうとするが、相手は落ち着いて浩司君の動きを見ている。
「1回戻して」
今度は左アラの卓也君にボールを預け、縦に抜けてみる。ピヴォが上手に距離を保ったまま、きっちりとついてきている。
「こっちはだめだ」
「たく」
仕方なく、卓也君のフォローをしていた浩司君にボールを戻そうとするが、そこを狙われ、敵アラにカットされてしまった。「ゴールクリアランス」
どうしよう、全然前に進めない。
「それなら」
ドリブル突破を試みる。エラシコで1人かわすと、ピヴォへのパスラインが見えた。
「虎太郎君、頼む」
虎太郎君はきれいにボールをおさめたが、今度はフィクソが張りつき、なかなかターンできない。浩司君が斜めに駆け上がって、バックパスを受ける。ぼくは逆側に開いて、右サイドでボールを受けた。
「てっちゃん、シュート」
思い切って右足を振り抜いたが、ゴレイロの右手に阻まれてしまった。
*
ボールを確保した相手は、すぐには攻めてこない。ゆっくりとパスを回しながら、1人ずつ選手が交代していく。
選手の交代が終わったあとも、相手のパス回しはしばらく続いた。何度かパラレラやピヴォ当てを成功させていたが、その都度、後ろにボールを戻す。完全に崩してからのシュートを狙っているのか、こちらの体力が尽きるのを待つつもりか。
「ジャゴナウ?」
前半終了間際、浩司君にかわって入っていた太一君がフェイントに引っ掛かり、足をすべらせてしまった。マークを外したフィクソが右45度からドリブルで侵入してくる。ピヴォはセカンドポストに入っている。
「亜紀ちゃん、ここだ。前に出て!」
言われるまでもなく亜紀ちゃんは2、3歩前進し、両手両足を大きく広げながらフィクソの目の前に飛び込んだ。「ズン」フィクソがシュートしたボールは、亜紀ちゃんの左肩を直撃し、大きく跳ね返った。こぼれ球を太一君が抑え、ドリブルを開始したところで前半終了の笛が鳴った。
「亜紀ちゃん、ナイスキーパー。とりあえずみんな息を整えて、給水」
みんな肩で息をしている。息子も流れる汗をタオルで拭いながら、ゴクゴクとドリンクを飲む。少しむせた。
「哲也君と虎太郎君がアウトで、浩司君と卓也君がイン。わかってると思いますけど、相手の狙いは、こちらを消耗させることです。深追いしないように気をつけて」
*
後半開始直前、パパが亜紀ちゃんを呼んで、何かアドバイスをしていた。
「亜紀ちゃん、5分経ったらぼくも入るから。なんとかそれまで頑張って」
南コーチが言ったとおり、相手はすぐには攻めてこない。キックオフのボールを後ろで回しながらスキをうかがっている。
「パラレラ!」
スプーンキックが甲斐君の顔の横をすり抜ける。
縦に上がった相手のフィクソには、浩司君がついていく。フィクソは右足の裏を使って、ボールを前後左右に動かす。プルプッシュ!浩司君のバランスが崩れる。
亜紀ちゃんは、左サイドのゴールポスト真横に立ち、シュートをケア。まずい、人数が足りていない。ピヴォがフリーだ。
フィクソから、セカンドポストに入ったピヴォに、矢のようなパスが送られる。
「やぁっ」
掛け声とともに亜紀ちゃんの右足が伸びる。両足が開ききって、今にも地面につきそうだ。右足のつま先の、1番先で、なんとかボールを弾いた。
「亜紀ちゃん、いいぞ」
ボールは、そのままサイドラインを割った。なおも相手の攻撃が継続する。
アラから渡されたボールをまたもフィクソがキープ。足裏でボールを引くようにして卓也君との間合いを広げる。
「逆サイド!」右アラを経由して、ピヴォにボールが渡る。
「まずい」
浩司君の足がついていっていない。ピヴォに簡単にターンを許してしまう。亜紀ちゃんの至近距離からの強烈なシュート。
「危ない」思わず目をつぶる。
「おおっ」
顔面付近に来たボールを、亜紀ちゃんは両手でしっかりと受け止めていた。
「浩司君、アウト、哲也君イン」
南コーチの指示が飛ぶ。浩司君は最後の力を振り絞ってラインの外に走り出る。ぼくは亜紀ちゃんのもとへと急ぐ。
「てっちゃん、左側に来て」
亜紀ちゃんがぼくの足元にそっとボールを落とすと見せかけて、左サイドのハーフウェーライン付近に、力いっぱいボールを転がした。
前線からプレスをかけようと、前のめりになっていた右アラの後ろを、ボールが駆ける。甲斐君が懸命に裏のスペースに走り込む。
「追いついた」
カバーにきたフィクソには勢いがついている。内側にカットインした甲斐君の動きについていけない。ゴレイロと1対1だ。
ゴレイロが飛び込んでくる。甲斐君がボールを浮かせる。
「抜いた!」飛び上がったゴレイロの指先をかすめるようにして、ボールはゆっくりとゴールマウスに向かったが
「ゴン」無情な音が響く。
「くっそー」ゴール前で両手をついて、うなだれる甲斐君。
「甲斐君アウト、太一君イン」
「てつ、もう時間ないぞ。守り切れ」
パパの声が飛ぶ。
ゴレイロがロングスローで直接ピヴォを狙ってきた。ピヴォの真後ろに立ち、プレッシャーをかける。
「絶対、前は向かせない」
あきらめたピヴォが左アラにボールを下げる。太一君の股を抜いた左アラがそのままシュート。亜紀ちゃんが右の掌底で、力強くボールを弾いた。「キックイン」
「亜紀ちゃん、時間がない。狙ってくるぞ」
ぼくと虎太郎君で素早くニアサイドに壁を作る。左アラが軽く蹴り入れたボールを、フィクソが思いきりファーサイドを目がけてシュート。亜紀ちゃんが体を投げ出すようにして、両手でボールを弾き飛ばした。そのままタッチラインを割る。
「ピッピッ、ピー」笛が3回響いた。
みんな休む間もなくベンチに戻り、円陣を組んだ。
「3分後に3対3のPK戦です。まずは深呼吸して、給水してください。亜紀ちゃん、ケガはしてない?」
「大丈夫。どこも痛くないよ」
亜紀ちゃんが力強くうなずく。
「蹴る順番は……」
だまって真っ先に手をあげる。
「よし、哲也君から。太一君、虎太郎君の順番で」
パパが言っていた。
「PK戦は後から蹴る方がプレッシャーがかかる。てつはプレッシャーに弱いから。どうせ蹴るなら、最初に思い切って蹴ったほうがいい」
*
コイントスの結果、ONESの先攻となった。1番手は息子のようだ。ゴールからの距離は6mと短いが、ゴールが小さい分、サッカーと比べるとゴレイロの方が少し有利だ。
「だあっ!」
何も考えず、インステップで思いきり蹴り込んだようだ。それでいい。ゴレイロは右側に飛び込んでいたが、ボールはその体の上を越えてネットに突き刺さっていた。
「よし」てつは小さくガッツポーズして、味方のところに駆け戻る。
相手の1番手は、フィクソに入っていた選手だ。亜紀ちゃんは少し左足を前に出し、両手をだらりと下げ、脱力している。
相手がボールを蹴った瞬間、左側に体全体で踏み込む。真横に伸ばした左の手のひらに弾かれ、ボールはタッチラインまで飛んでいった。
2番手は太一君。深呼吸をしてから、ゆっくりと助走を始める。ゴール左上を狙ったループキックだ。これもゴレイロの頭上をとおって、ネットに吸い込まれた。
次のキックを亜紀ちゃんが止めたら、ONESの勝利が決まる。相手の2番手は左アラの選手。
「ん!」
早い助走から思いきり蹴り込んだ。ほぼ正面。亜紀ちゃんの脇の下を狙ってきた。亜紀ちゃんは右肘と右膝を折りたたみ、体の右側に壁を作った。
ボールは、ちょうど肘と膝に挟まれて静止していた。亜紀ちゃんがゆっくりと右足をコートにおろすと、ボールはぽとりと体の前に落ちる。
「2対0。試合終了」
亜紀ちゃんがゆっくりと残心をとって、相手に一礼する。相手もつられて一礼した。歓声が巻き起こり、息子たちが亜紀ちゃんに駆け寄る。
「てっちゃん、怖かった」
その場にへたり込んだ亜紀ちゃんに、息子が肩を貸して、ハーフウェーラインに向かった。
決勝戦は、昼食をはさんで2時間後に行われた。1回戦をシードされ、午前中は1度しか試合をしていない相手と比べて、ONESはすでに疲労困憊だった。前半は0対0で踏ん張ったが、後半開始早々、卓也君の足がつり、そこからは6人で戦うこととなった。
亜紀ちゃんも頑張って、何度も相手の攻撃を跳ね返したが、結局0対2で敗戦。ONESのカップ戦初挑戦は、準優勝の成績で終わった。
帰りの車の中で
「てつ、よく頑張ったな。PKの1人目が外すと、2人目以降も悪い流れが続くんだ。責任重大なんだぞ」と、ほめてやった。
「え、そうなの。パパが最初に蹴った方がプレッシャーが少ないって言ってたから……」
「そう言わないと、誰も蹴らないだろ」
静かになったと思っていたら、いつの間にか、スポーツドリンクのペットボトルを握りしめたまま、寝息を立てていた。
父親としては、これで少しでも息子のあがり性が克服できたら、と願うばかりだ。
*
パパが教えてくれたように、人差し指を唾で濡らして顔の前に立てる。ゆっくりと周りを見渡して、コーナーフラッグのなびき方も確かめる。センターサークルからゴールに向かって、弱い風が吹いているみたいだ。
「少し、弱めに蹴った方がいいかな」
ボールから2歩後ろに下がって、3歩左に寄った。ゆっくりと助走し、最後の一歩だけ大股で思いきり踏み込む。右足の内側、かかとに近いあたりがボールに触れる瞬間、ひざを引っ張り上げるようにして、ボールをこすり上げた。
河川敷で、何年も練習してきたドライブシュートだ。ボールは壁のはるか右上を通過し、そこから急激に曲がりながら落ちる。ゴールキーパーが必死に伸ばした両手も届かない。
「ゴン」と鈍い音がグラウンドに響き渡った。残念、少し飛びすぎたか。上空の風は、地上よりも強く吹いていたようだ。
*
「パパ、学校から電話」
リビングで食後のアイスティーを飲んでいたら、ママから声をかけられた。
「は?なんでおれに?」
学校のことは大部分をママにまかせていたから、おれが学校からの電話に出たことはなかった。
「お電話かわりました。哲也の父ですが……」
「わたくし、哲也君に体育を教えています川崎と申します。お休みのところ申し訳ありません」
「いいえ、哲也がお世話になっています」
「お疲れのところ、恐縮なんですが、ちょっと相談に乗っていただきたいことがあります。
これから伺ってよろしいでしょうか?」
ママの方をみると、手でバツ印を作ってから、学校の方を指差している。
「先生、今学校にいらっしゃるんですか?よければ、こちらから伺いますが……」
「はい、まだ学校におります。それでは、哲也君も一緒にお越しいただけますでしょうか?」
息子の方をみると、OKサインを出している。
「わかりました。20分ほどで伺います」
脱いだばかりのシャツとズボンを再び身に着けると、うがいをして軽く顔を洗った。息子も素早く制服を着る。車に乗ってから息子に
「なんかやらかした?」と聞くと、
「いや、わかんない」と怪訝な表情で答える。
19時30分、学校に到着。スリッパに履き替えると、応接室に案内された。そこにはブルーのトレーニングウェアを着た川崎先生と、生徒が2人待っていた。
同じチームでフットサルをしている甲斐君と、息子の小学校時代からの同級生、大地君だ。2人とも高等部のサッカー部に所属している。平峰学園高校部のサッカー部は、常に県内でベスト4~8には入る、まあまあの強豪だ。
川崎先生と挨拶をかわしている間に、麦茶が運ばれてきた。
「哲也君にお願いがあります」
「てっちゃん、おれの代わりに試合に出て!」
先日の練習試合で大地君がじん帯を損傷し、全治2か月だという。2週間後には、高校生活最後の大会が開幕し、上位2校が九州大会に出場できる。
「もちろん控えの選手はいるんですが、ここまで直接フリーキックは、全て大地にまかせていたもので……」
「てっちゃんのフリーキック、すげえじゃん」
「確かにフリーキックはずっと練習していますが、息子はこれまで、サッカーの試合には1度も出たことがありません」
「甲斐から聞いています。哲也君は5年間フットサルを続けていて、大人顔負けのディフェンスをするって。テレビで試合もよく観ていて、ルールや戦術は、サッカー部員よりよほど詳しいそうです」
「うーん、そうですねえ。どうだ、てつ?」
「先生、試合会場は芝生ですか?あと、時間は?」
「会場は運動公園の天然芝グラウンドです。試合は35分ハーフ」
「わかりました。明日まで考えさせてください。ボールは何を使うかわかりますか?」
「体育連盟に確認しておきます。頼むよ。哲也君」
川崎先生が、拝むような仕草をして言った。まだ若いようだが、なかなかしっかりしている。生徒ともうまくやっているようだ。
*
帰宅後、いつもの家族会議を開催した。
「何試合出ないといけないの?何月までかかるの?」
「準優勝校までが九州大会に出場できる。1回戦はシードだから、3勝すれば決勝進出。7月前半には県大会は終わるみたいだよ。大地君は九州大会には間に合うって」
「サッカーって、フットサルよりきついんじゃないの?大丈夫?」
「きついのは同じくらいかな。てつもだいぶ体力がついてきたけど、昼間に外でプレイするのに、あまり慣れてないのは確かだ。
あと、もし雨が降ったら、グラウンドがぐちゃぐちゃになって大変だ。判断はてつにまかせる」
「ぼくは……」
フットサルを5年間続けて、サッカーとは違う楽しみ方がわかってきた。ボールを足裏で動かすことにもなれたし、いろんなテクニックを身につけた。多分、それらのテクニックは、サッカーではあまり使えない。
でも、河川敷でのフリーキックは、ずっと続けてきた。はじめてサッカーを観た時から、いつかはあんなきれいなフリーキックを蹴ってみたいと願いつづけてきた。サッカーの大きなゴールに向けて。ゴールキーパーと1対1の真剣勝負。これは大きなチャンスかもしれない。
「ぼくは、やってみたい」
「よし、わかった」
「がんばれ、てっちゃん」ママも応援してくれる。
「負けても、失うものは何もないしね」
翌日の夕方、再び学校を訪れて、川崎先生と条件を整理した。
・ポジションは守備的ミッドフィールダー。スタミナを温存するため、攻撃参加は最小限とする。
・試合まで、週4日練習に参加。フォーメーションの確認とセットプレイ中心の練習。走り込みや筋力トレーニングは免除。
・哲也の担任には、川崎先生から事情を話し、宿題の提出を猶予してもらう。
帰り際、川崎先生からボールを1つ渡された。
「よろしくお願いします。試合球と同じものを買ってきました。これで練習してください」
「わかりました。こちらこそよろしくお願いします」
土曜日の午後、甲斐君もまじえて河川敷で作戦会議を開催。息子がボールを奪ったら、すぐにスペースに出し、甲斐君を走らせる練習をした。
コーナーキック、フリーキックのときのサインもいくつか決めておいた。
初戦の相手は、公立の進学校だ。サッカーの特待生もいないため、戦力的には平峰高の方が断然上だ。
息子は試合になれるために先発で出場していたが、ここまで特に目立った活躍はしていない。3対0でリードしたまま、終盤を迎えた。
「フリーキック」
ペナルティーエリアの5mほど手前で味方選手が倒され、直接フリーキックが与えられた。ようやく息子の出番だ。
息子が蹴ったボールは、上空からゴール右上を目がけて急降下したが、クロスバーに当たってピッチ内に跳ね返ってきた。敵ディフェンスが懸命にボールをおさえ、大きく前方にクリアーした。
その瞬間、笛が3回吹き鳴らされた。試合終了。
「惜しかったな。いいコースだったけどなあ」と言うと、
「やっぱり、上空の方が少し風が強いのかな。ちょっと飛びすぎた。次は決めるよ」
大丈夫、失敗のショックはないようだった。あいかわらずのあがり性ではあるが、終わったことはあまり気にせず、切り替えも早いのが息子の長所だ。
2回戦では、工業系の公立高校と対戦した。中盤に背の高い選手が1人いて、ディフェンスが奪ったボールを必ず1度預けられる。背番号は7番、司令塔というやつだ。息子が何度かマッチアップした。
「よし、むやみに足を出すなよ。少し距離をとって」「まだ大丈夫、くらいつけ」
聞こえるはずもないのに、ついついスタンドからアドバイスしてしまう。隣では亜紀ちゃんが、胸の前で両手を組み合わせ、祈るようピッチをみつめている。
フットサルでも1対1の練習はよくやっているから、やすやすと抜かれることはない。公平にみても、五分以上の勝負を続けていた。気がかりなのは、やはりスピードとスタミナだが、息子にはとにかく早めにパスを出せと言い聞かせているので、最後までなんとかごまかせるだろう。
*
ディフェンスがクリアー気味に蹴ったボールを、7番がなんとかトラップしたが、ボールは足から少し離れている。
「ここだ」左足で大きく踏み込んで、右足でひっかけるようにしてボールを奪った。
左前方に甲斐君の姿が見えたから、反射的に左足で、ふわりとボールを蹴った。
「よし、とおった」
と思った瞬間、笛の音が聞こえた。ラインズマンが旗を上げている。
「オフサイド」
「そうか、しまった」
フットサルにはないルールだ。さっきまでこっちが攻めていたから、ゴール前に上がっていた甲斐君は、オンサイドポジションに戻っていなかったのだ。
「悪い、戻りきれてなかった」
と甲斐君が謝る。後ろからは「ドンマイ」の声が聞こえる。生まれて初めてオフサイドをとられた。
両校無得点のまま、前半終了。ハーフタイムに川崎先生から
「哲也君、ナイスディフェンス。後半も大丈夫か?」
と聞かれた。
呼吸を整えながら「大丈夫です」と答える。スタンドにいるパパを見ると、両手のひらを下に押し下げるような仕草をしている。落ち着けってことね。大丈夫。割と落ち着いている。
「残り20分になったら、右サイドバックに竹本を入れる。そこから勝負だ」
この暑さで川崎先生もずいぶん汗をかいているのだろう、太陽の光を反射して、髪の毛がきらきら光って見える。
川崎先生の指示通り、スローペースで試合を進め、相手のスタミナが切れるのを待った。20分が経過したところで、竹本君が入ってくる。俊足の選手だ。
センターバックが右のスペースに蹴ったボールを、圧倒的なスピードで追いかける。ボールに追いついたと思ったら、そのまま自分の前に軽く蹴って、再び追いかける。
抜かれそうになった相手のサイドバックが、竹本君を後ろから押してしまい、転倒。
「フリーキック」ペナルティーエリアのすぐ外、右からのフリーキックだ。
ぼくが1番得意なフリーキックは、右足のインサイドキックだ。左サイドからゴールの右側を狙うと、ゴール方向に曲がりながら落ちていくが、右サイドから直接ゴールを狙うのは少し難しい。
ぼくは甲斐君の方を見て、右手を大きく上げ、2本の指をまっすぐ伸ばした。
甲斐君は相手にばれないように、目でうなずいて、左サイドのペナルティーエリアのライン上にポジションを取った。
ゴールラインに向かって真っすぐ助走し、ボールの右側を、右足の内側を使って蹴り上げる。ゴールキーパーは、ゴールの右側に向かってジャンプしようとしている。壁のはるか上空を通過したところで、ボールは左に曲がりながら落ちていく。
ゴール前でワンバウンドしたボールは、そのまま左のゴールポスト外側に向かっていく。誰もが「外れた」と思ったが、そこに甲斐君が走り込んでいた。高く弾んだボールを軽く頭で押し込んだ。
「ゴール」「おおおっしゃあ!」思わず、声が出た。右手を高々と突き上げる。甲斐君が両手を広げて駆け寄ってくる。
スタンドを見ると、亜紀ちゃんが両手で口をおさえたまま、ぴょんぴょん飛び跳ねていた。パパは両手でガッツポーズをして何か叫んでいるが、ここからでは当然、何を言っているかわからない。
家に帰り、風呂に入ったあとで、念入りにストレッチをする。直射日光にさらされ続けた顔が、少しひりひりする。晩御飯を食べたら、すぐに眠たくなった。
「明日、学校休んでもいいかな?」
次の日、ぼくのいないところで亜紀ちゃんが試合結果を報告し、教室は大盛り上がりだったらしい。九州大会出場をかけた準決勝戦には、クラスのみんなが応援に来ることになってしまった。
*
相手は、全国大会にも出場経験のある私立の強豪校だ。息子の学校と同じ中高一貫校だが、中学校からサッカー特待生を入れ、6年計画で育成にとりくんでいるらしい。
試合当日は、朝からシトシトと雨が降り続いていた。息子は濡れたグラウンドでサッカーをした経験がほとんどない。少し心配だ。ボールが滑るとあまり回転がかからないということを伝え、体重を片方の足にかけすぎないようにと、アドバイスしてから送り出した。
おれも亜紀ちゃんも、カッパを着て応援することにした。雨が降ることを知ったクラスメイトは、その大半が応援にくることを撤回した。まあ、息子もその方が緊張せず、自然体でプレイできるだろう。
相手の8番は、どうみても息子より10kgは重そうだった。息子は中学3年生になるころにはおれの身長を超え、今では180cmに近づきつつあったが、それより相手の方が5cmほど高い。太ももやふくらはぎには、みっちりと肉がつまっているようだし、背中は広く、肩も盛り上がっている。
「これは、当たり負けするかな?」
案の定、キックオフ直後から、相手は体格差を活かして押し込んできた。両サイドのミッドフィールダーがアーリークロスを入れ、トップに位置する長身の9番がボールを落とし、後ろから走り込んだ8番か10番がシュートを撃つ、というのが戦術の核となっているようだ。
息子は、なんとか8番とボールの間に体を入れ、両サイドにボールをクリアーする。それでも8番にボールを取られたときは、相手の体に密着して、十分な態勢でシュートを撃たせないよう奮闘した。
こちらの攻撃陣も負けてはいない。巨漢ぞろいの相手ディフェンダーの隙間を狙ってスルーパスを放り込み、俊足の甲斐君を中心に、何度も攻撃をしかけた。
雨のグラウンドでは、ボールコントロールの難易度がはねあがる。鋭いグラウンダーは、水たまりの上をすべるように駆け抜け、あっという間にラインを割る。高く上がったボールは、水のクッションのせいでバウンドせず、乱戦の中で、ディフェンダーに奪われてしまう。
甲斐君たちは、実らない全力疾走を繰り返し、次第に体力を削られていった。
前半終了間際、10番が撃ったシュートを味方ゴールキーパーが懸命に弾いたが、詰めていた9番から押し込まれて、ついに失点。0対1で折り返した。
「ドンマイ、今のはどうしようもない。切り替えていこう」
川崎先生が選手を鼓舞する。
「こういう時、カギを握るのはセットプレイだ。チャンスがきたら、哲也君頼むぞ」
*
後半10分、味方のシュートを敵ディフェンダーが足でクリアーし、左サイドからのコーナーキックを得た。
ゴール前には、巨漢の守備陣がひしめき合っていて、どこにも隙間が見当たらない。ニアサイドにいる甲斐君に、グラウンダーで早いボールを出した。甲斐君は、足裏を使って、ボールの勢いを殺しながら、マイナス方向にボールを落としてくれた。甲斐君は、その場で少し手を広げて立ち止まり、ディフェンダーがこちらに侵入するのを防ぐ壁になってくれる。
「ナイスピヴォ」ボールはぼくの約3m前方で、勢いを無くして止まりかけている。自陣方向に助走し、思いきり体をひねってゴール右隅めがけてボールを蹴り込んだ。
ボールは濡れていたし、体をひねった分、強い回転がかかっている。両手を伸ばしてキャッチしようとしたゴールキーパーの手を弾き、ボールはネットに吸い込まれた。
「こういうときはパンチングの方がいいって、パパが言っていたよ」
これで1対1の同点。記念すべき、サッカーの試合での初ゴールだ。
雨脚が強くなり、どちらも決め手にかけたまま時間が経過した。息子もピッチ中央付近で、粘り強く相手の攻撃を抑えつづけている。
後半20分、前回同様竹本君が投入されたところで、息子が動いた。
センターバックから受けたパスを、1度甲斐君に預けた後、この大会ではじめて息子が右サイドを駆け上がった。
甲斐君から折り返しのパス。息子のさらに外側を竹本君がオーバーラップしている。攻撃陣がいきなり2人も増えたため、相手のディフェンダーは困惑している。
竹本君の前のスペースにボールを蹴り込む、ふりをしてから左に切り返した。「抜けた」と思った途端、息子が転倒した。
1度抜かれたディフェンダーが、たまらず後ろから息子の足元にタックルをしたようだ。「どっちだ?」主審の手は、ペナルティーエリア内の一点を指さしている。
「PK!」会場が大きくどよめく。
ちょっと待て、息子が立ち上がってこない。左足のふくらはぎのあたりをおさえたままうずくまっている。
亜紀ちゃんが慌ててスタンドを駆け下りていくのを、後ろからなんとか捕まえた。
「勝手にグラウンドに入ったら怒られるぞ」
息子はチームスタッフに肩を借りて、ピッチの外に出た。スタンドからでは表情はわからない。
「てっちゃんが体を張って作ってくれたチャンスだ。ここは絶対外せない」
PKは甲斐君が中央右寄りに決め、勝ち越しに成功した。息子の様子を見ていたチームスタッフが、両手で大きくバツ印を作っている。
息子に代わって、2年生のセンターバックがピッチに入る。ここは当然、守備的な布陣でいくのだろう。
「いや、立とうとしたら、足がつったんだ」
試合終了後、おれの運転する車で病院に向かう途中、うまそうにスポーツドリンクを飲みながら、息子が言った。亜紀ちゃんも付き添ってくれている。
「ああ、びっくりしたあ」
「足首は?捻挫してないか?」
「ちょっとひねったみたいだけど、歩けないほどじゃない。体、やわらかいからね」
「了解。念のためレントゲン撮ってもらうか」
診断は予想どおり軽い打ち身と捻挫。骨には異常なしということで、全治1週間。大事をとって、決勝戦は欠場することにした。
「ミッションは、優勝じゃなくて、九州大会出場権ゲットだったからね」
県大会準優勝校として出場した九州大会。3試合で5得点2アシストと、大地君が大活躍だった。
準決勝戦で全国大会の常連校と当たり、接戦の末、2対3で敗退したが、甲斐君も竹本君も、最後までやり切った清々しい表情で、ピッチを後にした。
念のため、息子もベンチ入りしていたが、大地君が最後まで頑張ったため、出番がくることはなかった。
「修学旅行みたいで楽しかったよ。旅館の朝ごはんも、皿うどんもおいしかったし」
息子は、新幹線に初めて乗った記念に、キーホルダーとボールペンを自分へのお土産だと言って、買ってきていた。
九州大会での活躍がスカウトの目に留まり、大地君はサッカー推薦で関東地方にある有名私立大学に進学することになった。
甲斐君と竹本君も県外の大学に進学し、サッカーを続けるそうだ。
息子と亜紀ちゃんを加えて、いつか、この5人を中心にして、フットサルのチームを作ったら楽しそうだ。その時は、おれもゴレイロとして試合に出るか?それとも監督兼球拾いくらいしか、させてもらえないかな?