第268話 バレンタインの乙女達#3
バレンタインが始まってすぐの時間。
最初に出会った琴波さんはどこか様子がおかしかった。
いや、自分が勝手にそう感じているだけかもしれない。
......もう少しだけ様子を見てみよう。
「それで話ってどんな話題?」
「それはもちろん、今日の話だよ」
「.....さっき言ってた『今日が何の日』かって話?」
「そう。拓海君なら今日が何の日かわかってるよね?」
......なんだこの質問は? 俺は何かを試されているのか?
今日がバレンタインデーであることは知っている。
もはや気付かないはずがない。
そして、琴波さんはそのことを答えさせようとしている......なんで?
このわざわざわかりきった答えになにを求めているんだ?
それとも俺のことだから単純に忘れられていると思われている?
可能性があるとすれば後者だ。だって、俺だし。
なら、ここは裏があるとしてもあえてそのまま答えよう。
「わかってるよ。それりゃもちろん......」
その時、俺の口はミュート状態に入った。
言葉にしようとした瞬間、なぜか喉から出てこない。
まるで喉にあるシャッターが閉まっているような感じだ。
同時に、言葉にする妙な恥ずかしさに顔が熱くなってくる。
「もちろん......?」
俺が内から沸き上がる僅かな悶えを感じていると、隣からは琴波さんが覗き込んでくる。
体を少し前かがみにして、下から俺の顔を見上げるように。
加えて、その時の目元は少しニヤニヤしたような感じがあった。
「も、もちろん......バレンタイン......ですよ」
口を動かすと時間経過で言葉が尻すぼみになっていく。
回答の自信の無さというよりは、わざわざ言葉にする気恥ずかしさが勝っているというか。
口に出すことでまるで催促しているかのような羞恥心を感じる。
これじゃあ、ずっと前からその日のことは意識してましたよ、と言ってるようなものだ。
「うんうん、そうだよね。バレンタインデーだよね」
俺の言葉に、琴波さんは満足そうに頷いた。
背後からはいつものようなお花畑エフェクトが見えている。
どうやら俺の回答が大変ご満悦であるらしい。
にしても、この手の質問をしてくれたってことは、俺に対して用意してるってことでいいのか?
だって、そうじゃなきゃ普通聞かないよな......うん、逆の立場だったら聞かない。
なるほど、これは俺にチョコをあげるための助走ってことか。
いきなり渡すには勇気がいる。
だから、あえてアイスブレイクを挟み、心構えを作る。
つまり、この次にはチョコが――と思っていた時がありました。
「でさ、莉子ちゃんがね――」
教室にやってきていつもの朝掃除の時間。
もはや恒例になりつつあるこの時間だが、その時間になってもチョコは貰えなかった。
それどころか琴波さんは平常運転というか、友達との仲良いエピソードに華を咲かせているというか。
あれ、もしかして琴波さんからチョコ貰えると意識してたの俺だけ?
琴波さんのことだからワンチャン忘れてても......いや、それはさすがに。
だったら、さっきの質問は何だったんだって話になるし。
つーか、期待していた分視線がチラチラと動いてしまう。
やべぇ、このムーブはさすがにキモイ!
でも、視線が、意識がそっちに向いてしまう!
ちょ、チョコは貰えないんですか......いや、別にいいんだけど、でもやっぱショック。
「へぇ~、それはさすがにヤバイな」
大いなる期待と不安、自分の傲慢さ加減、装う平静などなど俺の感情は今やぐちゃぐちゃだ。
視線も必死に見ないように、意識も机運びに集中しているせいで返答も雑になっている。
とはいえ、俺からチョコをねだるのはお門違いも甚だしい。
無いなら無いで俺が我慢すればいいだけだ。
......それはそれで、やっぱちょっと寂しい。
「よし、終わり。ちょっとお花摘みに行ってきます」
朝掃除も終わり、琴波さんはそんなことを言ってトイレに向かった。
彼女の姿が廊下へと消えたのを確認すると、俺は大きく息を吐く。
この調子で俺は今日一日を過ごしていけるのだろうか。
****
朝の学校.....それも生徒がまだ数える程度しか登校していない時間。
当然、どの場所も人気はないが、とりわけトイレは顕著に静かな空気が流れる。
つまり、独り言を漏らすには絶好のタイミングというわけだ。
「拓ちゃん、じぇったい意識しとーよね......あれ」
個室に入り、用を足すわけでもなく蓋された便座にただ座る琴波が両手に頬を当て呟いた。
頬が火照っている。自分ながらあのムーブはなんとも恥ずかしい。
まるで数々の男を手玉に取って来た歴戦のモテ女のようだ。
やり始めたのは当然拓海を自分へと意識させるためだ。
数々の恋敵を前に、自分だけ個性が薄い気がする。
だから、少しでも振り向いてもらうために。
とはいえ、それをやっていて何も感じないわけではない。
先程の拓海を見ていたが、気分はさながら愛犬に餌を差し出した状態で「待て」をさせている感じ。
愛犬は今にも食べたそうに目線で訴えてくるのに、こちらの都合で生殺しをさせている。
それがなんとも心苦しい。
なら、渡せばいいじゃないかと思うだろう。
しかしそれでは、何も印象を与えずに渡してもすぐに別の人に上書きされるだけ。
特に、永久先輩は危険である。
あの人の小悪魔ムーブは実に高い人心掌握能力がある気がする。
そして、頭が良い。可愛い。傲慢の中にデレがある。
すわ、なんなんだあの人は!? 正攻法で戦える相手じゃない。
「とはいえ、最終的には渡すごと話ばもっていかな。
他ん人が来てからじゃ、じぇったいうちは渡しぇんくなるて思うし」
元来小心者の自分がどうしてこのタイミングを選んだか。
一番手じゃないと怖気づいて渡せない気がしたからだ。
だから、こんな朝早くから登校してきた。
まぁ、それはもともとそうだけども。
「よし、行くくさ」
気合を入れて立ち上がると、琴波はトイレを出て教室に戻った。
教室へ戻れば、まだ他の生徒は登校しておらず、拓海がポツリといるだけ。
そんな彼は相変わらず朝から自習タイムである。
......どこか邪念を払おうとしてるように見えなくもない。
そして、よくよく見ればどこかしょげてるような気もする。
あの拓海君があんな自信のない顔を......可愛い――って違う違う。
このムーブはやりすぎては悪印象だ。莉子がそう言ってた。
だから程よい塩梅で、ずっと自分のターンを。
「拓海君、相変わらず朝から頑張るね。凄いよ」
「え......あ、うん、ありがとう。なんというか習慣になっちゃったからね。
にしても、突然褒めてきてビックリした。どうしたの?」
「え、あ、それは.....あ、なんか甘いものとか欲しくない?
控えてるとかだったら、アレなんだけど......」
「っ! だ、大丈夫! 今日はその、食べても大丈夫なアレ、日だから.....」
「そっか.....」
拓海が恥ずかしそうに、されど確かな期待がこもった目で見てくる。
そんな愛しい姿に琴波の我慢も限界となり、同時に罪悪感が強く湧き上がる。
本来なら、もう少し引っ張りたかったが、これ以上はこっちが持たない。
相手が愛犬ならば、今頃抱き着いたり、顔をわしゃわしゃしたるしてる所だ。
「ちょっと待ってて.....」
もはやここからは衝動的だ。
机の横にかけたスクールバッグからチョコを取り出す琴波。
それを拓海に見せないように背後に隠しつつ、しかし駆け足でそばに寄った。
「こ、ここここれを.......」
声が震えるあまり、バグり散らかした機械音声みたいになってしまった。
心臓は今にも弾けそうにバクバクと音を鳴らしている。
陽が高く昇り始め、窓際から日差しが差し込み始めた。
光の一部が拓海の肩や机、琴波のスカートを照らす。
煌めく空間。教室で二人きり。バレンタインデー。
様々な要因が「渡す」という一動作のやりずらさを高めていく。
今までに感じたことない感覚だ。告白した時とはまた違う。
体を熱が包み込む。熱すぎてどうにかなりそうだ。
しかし、決して嫌いにはなれないというのが不思議な感覚。
手が震える。顔が見られない。
この熱でチョコが溶けていないだろうか。
「た、拓海君に......」
両手で差し出す可愛く包装されたチョコが詰まった箱。
中にはいくつかの味違いのマドレーヌが入っている。
緊張のあまり小刻みに震えしまった。
声は若干うわずっていたし、なんなら「あげる」の最後まで言えなかった。
顔を逸らしたい。だけど、逸らしたくない。でも、目は見れない。
今どんな顔をしているだろうか。
陽光のせいにできたらどんなにいいだろうか。
しかし悲しいかな、日差しが顔にかかるまでにはまだまだ時間がかかる。
「......あ、ありがとう......」
拓海のやや震えた声が聞こえる。
チラッと視線を動かせば、瞳がキラキラと輝いていた。
いや、それは陽光のせいだろか。表情がよくわからない。
「ご、ごめんね? こげん朝早うから渡してしもうて......荷物になるやろうし」
「全然! 嬉しいよ、ありがとう。
その、なんというか、恥ずかしながらもらえると期待してた自分がいまして。
いや~、傲慢にも程があると思ったけど、やっぱもらえると嬉しいよ。本当にありがとう」
拓海の言葉は少し早かった。
緊張気味であり、興奮気味であることが伝わってくる。
瞬間、緊張が解けていくと同時に、ポワと心に熱が溶けていく。
渡せた安心感、喜んでもらえた安堵感......どちらもあるが、どちらも違う。
あぁ、やっぱり自分は――
「す......むっ!」
琴波は思わず口から漏れそうになった熱い言葉に、両手で蓋をする。
今はまだそのタイミング時じゃない。言いたいのは山々だけど......。
「お、お手洗いに......」
「あ、はい......いってらっしゃい」
琴波は捨て台詞のようにそう言うと、颯爽と二度目の逃避をした。
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