第110話 おもちゃを取られた子供のような未熟さ
気品溢れる雰囲気は立ち振る舞いや服装から伝わってくる。
同時に、あまりの無表情っぷりに見ただけで怯んでしまった。
あまりにも目に人に対する関心が見られない。
俺の認識は恐らく路傍の石とかその辺だろう。
嫌悪も何も抱く相手ではない。
「お、母さん......」
永久先輩が小さく呟く。
声は上ずって、小刻みに震えていた。
まるで俺が不良グループにイジメられてた時と一緒だ。
抗い難い恐怖にただただ怯えるばかりというか。
しかし、先輩は一人ではない。
少なくとも、俺がいる。
「初めまして、俺ははや――」
「早く帰るわよ。あなたにはやるべきことがたくさんあるんだから」
ちょいちょい、マジかこの人!
俺のこと平然と無視しやがった!?
関心がないどころか視界にすら映ってないてか!?
「ま、待って、お母さん......」
「あなたは優也には遠く及ばないの。
もっともっと努力してもらわなきゃ困るわ。
あなたは優也の妹なんだから」
先輩のお母さんは先輩の手首をサッと掴んだ。
引っ張り上げて無理やり立たせれば、そのまま連れ去ろうとする。
ダメだ、このままにしちゃ!
「待ってください!」
先輩の反対側の手を掴む。
瞬間、先輩が両サイドに引っ張られるような形になり、先輩のお母さんの動きが止まる。
「あなた誰?」
振り返って言われた一言目がそれだ。
まるで今初めて俺の存在を認知したみたいな言い方だ。
悪い、先輩......俺、この人ムカつくわ。
「早川拓海です。先輩の彼氏やらしてもらってます」
お母さんがピクッと反応する。
急激に威圧感が増してきた。
「そう、あなたが。悪いけど、あなたは娘に相応しくないわ。これでさよならね」
「その言葉で“はい、そうですか”ってなるわけないじゃないですか。
それに、その言葉は当人を挟んでの話でしょ、普通は」
「普通はそうでしょうね。でも、この子は普通じゃないの。
“優也の妹”なんだから。この子には優也と同じ才能があるのよ」
「普通じゃなければ本人の意思を無視して言い理由はならないでしょ」
お母さんの売り言葉をものの見事に買ってしまっている。
バチバチと睨み合う視線。
こっちも逸らすわけにはいかない。
今の俺、久々にめっちゃイライラしてるわ。
だって、この人、さっきからずっと人を見てないから。
先輩が首を動かし、俺と自分のお母さんを交互に見る。
そして、これ以上険悪な空気になるのを防ぐつもりだったのだろう。
会話に割り込んできた。
「お。落ち着いて。お母さんも早川君も。私は――」
「これがあなたの彼氏? 正気を疑うわね」
「そっくりそのままお返ししますよ」
未熟な自分が恥ずかしい。
こういう口論は絶対冷静に見れた方がいいだろう。
少なくとも、精神だけは一丁前に大人なんだから。
でも、今だけは、怒りの感情が先行する。
「私がこの子の母親であることが不服みたいね。
そもそもこれは私達親子の話よ。
彼氏だろうが何だろうが邪魔する筋合いはないわ」
「えぇ、もともと邪魔するつもりはありませんでしたよ。
こんな身勝手な人でなければ――っ!」
左頬に衝撃が走る。
バチンと良い音が鳴り響くとともに、痛みが弾けた。
「早川君、お母さんを悪く言うのは止めて!」
俺をビンタしたのは先輩だった。
顔を真っ赤にしながら、目からは涙を流している。
こんなことを言う人とは思わなかったという顔だ。
ポツリ、ポツリと雨が降り始めた。
雨の勢いは少しずつ増し、傘をささない俺は濡れていく。
あぁ、ほんとムカつく。
この未熟な感情を振りかざす自分にも。
昔の自分のように恐怖に怯える先輩にも!
そして、さっきから全く先輩を見ないこの母親にも‼
「もうこの際だ、言いたいこと全部言わせてもらう」
今から行うのは、おもちゃを取られた園児が暴れるだけの恥ずかしい行為だ。
そして、人間関係がより密になり始めるこの年齢では圧倒的な悪手。
それでも、俺が悪役となって、共通の敵としてこの親子が仲良くなるキッカケならそれでいい。
もともとは誰彼構わず嫌われ者だったんだ。
今更、先輩一人にどう思われようとどうってことない。
「先輩、ずっと思ってたがあんたはずっと自分勝手だ。
自分の言い様に振り回して、こっちの都合も考えない。
そのくせ似合わない大人びた態度も、知識豊富なアピールも全部自分の憧れの兄さんの真似でした?
全然なれてねぇよ! 中途半端も良い所だ!」
「なっ!? あなたが兄さんの何を知ってるのよ!?
確かに、兄さんのことは話したわ。
でも、それで知った気になるなんてお門違いよ!」
「兄さんに代わりを務めようとしてんのは先輩自身だろうが!
だったら、完璧になりきって見せろよ!
実力が足りないから、代わりになりきれないはまだわかる!
だけど、本気でなるだったら、自分が褒められたいなんて自我を出すんじゃねぇよ!
褒められて喜ぶ存在は先輩じゃなくて兄さんのはずだろ!」
「っ!」
俺は先輩の手を離す。
先輩は泣き顔を隠すように俯いた。
さすがに目の前で娘を泣かせたら、この母親も感情を見せるようだ。
「あなた、私の子になんてこと言うのよ!」
凄い剣幕だ。
だが、今更引き下がる俺じゃない。
悪役は最後まで悪役だから悪の美学が成り立つんだ。
「そもそも原因はあんただろ!
あんたがさっきから亡くなった兄ばかりを見るせいで、先輩は生き方を矯正されたんだろうが!」
「私がいつこの子に生き方を矯正したって言うの!?
この子は“優也の妹”なのよ!? 出来て当たり前のことをやってるだけよ!」
まただ。ホントこの人は―――
「だったら、名前で呼んでやれよ! 先輩には永久って素敵な名前があるだろうが!」
「っ!」
「さっきから優也、優也、優也......妹ってまるで先輩をオマケみたいに言いやがって!
今この場にいるのは誰だよ! 優秀だった優也って兄でもない! 優也の妹っていう付属品でもない!
兄を尊敬し、悪く言われた母親を守り、今もずっと努力を怠らない白樺永久じゃねぇか!」
―――ザアアアアァァァァ
雨の勢いが、俺の声量がヒートアップすると同じように増した。
雨の水滴が温く感じる。声が少し枯れた。
「と――」
「?」
「永久は凄いのよ! 決してあなたに酷く言われるような子じゃない!
勉強だって常に上位一桁に入ってるし、ピアノだってとても上手よ!
運動は苦手かもしれないけど、それでも愛想とこのルックスは贔屓目抜きで流石私の娘って思うほどよ!」
「なら、なんでそれをちゃんと言ってあげないんですか。
さっきだって言ってました――先輩はお母さんに褒められたいって。
本当に気持ちが通じ合ってたなら、先輩は怯えるなんかしません」
「......っ!」
言いたいことは言えた。
この親子からの俺の印象は最悪も突き抜けてるだろう。
だけど、怯えて受け入れるだけの人生が俺を壊したんだ。
先輩の褒められたいという欲望は危険信号を発してたも同じだ。
最悪、どこかの世界線では最終的に俺と同じような結末を迎えていたかもしれない。
そう考えると、俺は助けられたかもしれないという罪悪感を抱えることになる。
そう、これは全部俺のためで、先輩のためなんかじゃない!
.......って思えたらどんなに後悔の傷が少ないだろうか。
俺は一歩後ろへ下がる。
そして、ゆっくり膝を曲げ、額を地面に擦りつける。
やったことはシンプル――そう、土下座だ。
「さすがに感情に任せて言い過ぎたと思います。本当に申し訳ありませんでした。
ですが、もう二度と関わることはないだろうから、最後に一言だけ言わせてもらいます」
白樺親子はどんな様子で俺を見ているのだろうか。
さぁ、もうここまで暴れたら知ったこっちゃないか。
先輩も関わろうと思わないだろうし、お母さんの方も関わらせようと思うまい。
「先輩は兄さんのような大人びた姿よりも、少女のように笑顔を浮かべた方が素敵だと思いました」
俺は立ち上がる。
顔を合わせずに、背中を向け、その場から立ち去った。
やっちまったという後悔。
やってやったという爽快感。
二つの相反する感情がぐちゃぐちゃに混ざり合っている。
今もずっと心臓がバックバクだ。
全身はものの見事にずぶ濡れ。
公園を出た後、空を見上げてみる。
西の空に晴れ間が見える。
やがてこの通り雨は止みそうだ。
「ま、俺には罰が当たるだろうな」
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