アリスの本気
アリスの深い溜息がヘッド・セットから聞こえてきた。
相当、苛立っていることは付き合いの長い麗羅はとっくに気がついている。
ここまでの接戦になるとは、アリスの想定外だったようだ。
しかしだからといって、チームの雰囲気を悪くするような行為はよろしくない。
ここで注意すればさらに機嫌が悪くなる。そんなことは麗羅が一番よく分かっていた。
なのになぜ、口から言葉が溢れてしまったのだろう。
【Riley:アリス。そういう態度は控えてくださいませ】
アリスは無言を返した。
麗羅は言ってしまったことを後悔したが、もう遅い。
アリスのことだけではない。
これまで我慢してきたチーム・メイトたちも賛同してきてしまったのだ。
【DarkGuru:まったくだ。まだ終わってないんだぞ】
【Comet:ああ。最後まで集中を切らすなよ】
これはよくない。
麗羅は氷水を頭から浴びたかのように、一気に体温が下がった気持ちだった。
結果、自分がチーム・メイトを焚き付けたことになってしまった。
自分が発端だけに、フォローしても白々しくなってしまう。
ここは『Temp』になんとかしてもらわなければ、と彼を見たが、こんなときに限って他のなにかに気を取られていたらしい。ディスプレイをじっと見つめ、会話を聞いていないようだ。
【RisuxRisu:そうデスね。シュウチューして、とっとと終わらせまショー】
麗羅はそう言うアリスを見た。
その顔は、よく出来た3Dモデルのようだった。血の気のない真っ白な肌。ディスプレイをじっとまばたきすらせず見つめている。呼吸も止まってしまったかのようだ。感情がまったく読み取れない。
(これは、怒ってますわね)
これまでの付き合いでも、アリスがはっきりと怒りの感情を表したことはない。
だから、これは麗羅の予想だった。
いつも、どこか心ここにあらず、そんな風だった。
何を考えているのかわからない、よく同級生からも言われていた。
どんなときも、うっすら笑った表情が顔に張り付いたまま。
声を荒げることもない。
今の彼女からは、その薄笑いすら消えていた。
それが、麗羅には不気味だった。
【Riley:アリス。大丈夫ですの?】
【RisuxRisu:なにがデスか?】
目は何も語らず。口だけが、餌を求める金魚のようにパクパク動いていた。
【Riley:いえ。なんでもありませんわ】
そう言うしかなかった。
この局面でこんな事態になってしまうとは。
麗羅は思考を巡らせ、なにか打開策はないかと考えるが、それより先に時間がきてしまう。
ついに始まったP高マッチ・ポイントのラウンド。
今女は絶対に負けられないラウンドである。
※※※
薄暗い照明の二十畳ほどの部屋に多数のPCが並んでいる。
そこはチームの練習部屋だ。
その一つの席に座り、画面を見ている男に、後ろから別の男が近づいていく。
「見たぜ、お前の記事」
クリスはディスプレイから目を離し、声の主を見た。邪魔な髪を耳にかける。
肩にかかるほどの長さの自慢の金髪だ。
ゲーム中は後ろで縛っているが、普段は下ろしている。
座ったまま見上げれば、そこに立っていたのはチーム・メイトの『Nimrod』だった。
まだ二十歳そこそこだったはずだが、口ひげなど蓄え、チームのユニフォームから覗く腕には派手なタトゥーが入っている。
クリスと違い、ダーク・ブラウンで短く刈り上げた髪型だ。
「やあ、『Nimrod』。記事ってどれのこと?」
彼ほどになれば、少なくとも週に一つは取材が入っている。
記事と言われてもどれのことかわからない。
「従姉妹がいるって? 本当かよ?」
「ああ。あれね」
その話をした記者は一人しかいない。
長年の付き合いがある、気心の知れた記者だ。だからこそ、あの話をしたのだ。
「クリスが認めるなんて、有望じゃねーか。ウチのトライアウトを受けさせようぜ」
「まだ高校生だからなぁ。それより、ちょうどその彼女が大会に出てるんだ」
クリスはディスプレイを指す。
見ていたのは日本で開催されている学生の大会だ。
配信はインターネットを通じ、世界中どこからでも視聴することができるのだ。
「どっちのチームだ?」
「この『Soutermination』って方だよ」
「マッチ・ポイントだな。勝てそうか?」
「勝つだろうね」
「ハハ。言い切るか。ここまでは互角みたいだが?」
「ああ。あの子の悪い癖だ。本気になってない」
「大会なのに?」
「こんな小さな大会、彼女にとってはどうでもいいものだろうからね。ここまでまったく、ギアが入ってなかったよ」
「ようやくやる気になったのか?」
「ああ。一瞬、カメラに顔が映ったんだ。あれは本気になった時の顔だね」
「ほぉ? そんじゃ、日本のレベルを見てみようか」
「これがなかなかどうして。馬鹿にしたもんじゃないよ」
太い腕を組み、『Nimrod』は画面に集中する。
瞬時に雰囲気が変わった。獲物を狙うスナイパーのような鋭い視線だ。
「この『RisuxRisu』ってのがそうか」
「さすが。よくわかったね」
「さすがに、これだけ抜けてると、な。これなら即戦力になりそうだ」
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