下今女学院へ行こう
部屋のドアが開いた気がした。
だが声呼は画面から目を離せる状況ではない。
鋭い眼光を画面の中へ向けている。
「あんた、またゲームしてんの?」
母はいつものくすんだ瞳で声呼を見つめた。
とても我が子を見る視線とは思えない。
(私に似て顔は良いのにねぇ)
背中を丸めてディスプレイに顔を近づける姿は花の女子高生というよりブラック企業に務めるプログラマーという様相である。
顔は確かに母親似だ。
若い頃はミスコン荒しで有名だったという母は、一人娘である声呼を産んでからもそのモデルのような体型を保っていた。
生まれつきに明るい色の髪はいまだシルクのような光沢を持ち、同じ色の瞳は翠玉のような輝きを放っていた。
肌はさすがに小じわも見え始めたが、それでもシミ一つ無く、つきたての餅のような白さと柔らかさを持っている。
その母をそのまま若返らせたのが声呼なのであるが、髪は最後に洗髪したのはいつなのかというほど乱れている。肌や瞳の美しさは受け継いでいて、ノーメイクでもまったく問題ないほど、はっきりとした目鼻立ち。長いまつげは人形のようだった。だがゲームのやり過ぎなのか目つきは鋭く、素材の良さを台無しにしている。
「んあー」
声呼の方も聞いているのかいないのか、判別できない生返事を返す。
視線は画面に釘付け。
左手でスイッチ音のうるさいキーボードをせわしなく叩き、右手のマウスを机からはみ出さんばかりの勢いで左右に振る。
母は盛大に溜息をつきつつ、部屋に入っていく。
足元には飲み干したペットボトルが数本転がっており、気をつけなければ踏みつけてしまいそうだ。
声呼のすぐ側までくると、彼女のしているヘッドホンの右耳側を半分ずらし、口が付きそうなほど近くで大声を出す。
「聞きなさい!」
「どわあ!」
声呼は驚きのあまり、ゲーミングチェアから半分ずり落ちた。
そこで初めて母の顔をきちんと見て言った。
「お母さん、なにすんのよ!」
「あんた、今日、一日中ゲームしてんじゃない! 他にやること無いの!?」
「っさいなぁ。学校も宿題もなにもない、この数日だけが人生最高の瞬間なんだから楽しませてよ!」
「もっと有意義なことしなさいって言ってんの!」
「わたしはこれが生きがいなの! いいでしょ! ほっといて!」
「寂しいわねぇ……。私が若いころは旅行とか行ったもんだけどねぇ。そんで、あんた、明日入学式でしょ! ちゃんと準備できてんの!」
「お母さん、わたしも高校生だよ。そのくらいちゃんとやってるって」
声呼も高校生活は楽しみにしていた。
好きなゲームを一時引退してまで死ぬほど勉強し、勝ち取った合格なのだ。
彼女がゲーム以外であれほど努力したことはない。
それほど憧れた存在だった。
「あんた成績悪かったのに、よくゲーマー女学院に受かったわね。あそこ結構、難関校なのにね。先生も無理だっておっしゃってたのに。それだけは褒めてあげるわ」
「ゲーマーじゃねぇ! しもいま! 下今女学院だよ!」
「あら? そう呼ばれてるって聞いたけど?」
「ま、まぁ……。一部でだよ、一部! 正式な略称は今女!」
「分かればどっちでもいいわよ。それで、あんた。どうせゲーム部に入るんでしょ? あそこはゲームで有名だし」
「ゲームじゃねぇ! eスポーツ!」
声呼が入学する予定の学校は下今女学院という。
比較的新しい高校ながら、女子校にしては珍しくeスポーツに力を入れているのが特徴だ。
略称は『今女』。『いまじょ』、あるいは『こんじょ』と呼ばれている。『下女』としていまうとどうしても『げじょ』と読めてしまうので適切ではない、というのがこの略称になった経緯だ。ただ、現在の校風から、一部で『ゲーマー女学院』あるいは『ゲー女』という呼び方をされているようだった。
eスポーツを正式に部活動としており、部員たちは数々の大会で好成績を残した。
それにより知名度を上げ、入学希望者が増加。今では難関校となっていた。
声呼も目的はeスポーツ部だった。
そのために死ぬほど努力したのだ。
ただ、不安もあった。
(アリーナ系FPSのチーム、やっぱり作るしかないかなぁ)
試合結果の画面を見つつ、声呼はプレイしていたゲームを閉じた。
彼女がやっていたのはFPSではあるが、最近流行りのバトルロワイヤルでも、タクティカル・シューターでもない。アリーナ系と呼ばれるものだ。
ロケットやビームが飛び交い、人間が走っているとは思えないほど高速な移動方法があり、ジャンプ・パッドで数十メートルの高さまで飛んだりするという、派手なタイプのゲームである。かつてはFPSといえばアリーナ系だったのだが、現在は他のジャンルに人気を奪われ、すっかり人気を失ってしまっていた。
「結局、やるのはゲームでしょ。体を動かさないのに何がスポーツよ。ま、あんたが選んだ道なんだから、好きなようにやんなさい。その代わり、中途半端で諦めんじゃないよ」
「わかってる」
「にしても、変わった制服だこと」
母は壁に掛けられた今女の制服を見る。
(ま、確かにそれはある)
声呼も内心、同意したが、それを口に出せば母を調子づかせるだけなので黙っていた。
実際、かなり変わったデザインだ。変形セーラー服という感じだが、ワインレッドのセーラー・カラーはかなり厚く、硬い素材でできていて、肩の部分はまるでアニメに出てくるロボットのように尖り、突き出している。袖口、スカートのポケットには蛍光グリーンの飾りがある。同じ素材で胸やスカートの真ん中にはダイヤ型の装飾がある。この部分は学年によって色が変わり、一年は緑、二年は黄色、三年は青となっている。その素材は夜光塗料が使われているため、暗くなると光るようになっている。
この制服が、ゲーマー女学院と言われる原因の一つでもある。
「ったく、おじいちゃんにも困ったもんだわ。入学祝いだからって、こんなオモチャまで買ってあげて」
母は緑色の光を放つ黒い箱の天板を、鼓のように叩いた。
それは高性能なパソコンで、グラフィックス描画に優れているため特にゲーミングPCと呼ばれているものだ。
「ちょ、ちょっと! 叩かないでよ! 高いんだから!」
「こんくらいじゃ壊れないでしょ。ていうか、これ、近くにくるとうるさいわねー。あんたよく気にならないわね」
「ファンが多いからね。そうしないと熱暴走しちゃうし。わたしはヘッドセットしてっから音は聞こえないしね」
「そうそう。それのせいであんた、呼んでも気づきゃしないじゃない」
「だからさぁ。GATEでメッセージ送って、って言ってんじゃん。それならゲーム中でも通知くるから気づくって」
「GATEなんて言われても、そんなもん、おばさんにわかるわけ無いでしょ!」
GATEとは『esports GATE』という、eスポーツのために作られたメタバースの略称である。
メッセージ送信やボイス・チャット、アバターによるコミュニケーション機能に加え、強固なアンチ・チート機能、アカウント管理機能を備え、プレイヤーが安心してゲームをできる環境を提供している。ゲーム開発者がそれらの開発リソースを省くことができるため、現在では主要なeスポーツ・タイトルはほとんどがGATE上で動いているほどだ。
そのためeスポーツ・プレイヤーにとっては必須ツールとなっている。
「スマホにアプリ入れてあげたじゃん。使い方も教えてあげるからさ」
「わかったわよ、また今度ね。あんた、それより早くお風呂入っちゃいなさい。それ言いに来たんだった」
「はいはい」
声呼は立ち上がると、老人のように腰を二度、三度叩き、それから両手を腰に当て背を反らした。
「んぎゅ~……ぐはぁ!」
思わず漏れる声はまるで冷えたビールを飲み干すベテラン女性会社員のようだった。
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