序
この物語はフィクションです。人物名、団体名などは架空のものです。また医療用語など専門的な記述も本職ではない筆者の想像によるものです。何事かでお悩みの方は必ず専門家にご相談ください。
これで腹を立てるな、というのは無理な話である。
樹那は苛立ちを隠すタイプでもなかった。
怒りを含んだ声を張り上げ、指示を飛ばす。
【Jyuna:みんな、ちゃんと敵の位置、報告して!】
だがチームメイトからの返答はない。
(聞いてんのかよ!)
さすがにその言葉は飲み込んだ。
それを言ったら試合中でもチームは空中分解してしまうだろう。
ログにはまた一人、味方が撃破されたという情報が表示された。
相手の武器はやはりハデス。無料で最初から手に入る最弱のピストルである。
(こいつもかよ! 金あるんだから買えよ! なめやがって!)
前のラウンドでもそうだった。相手はハデスしか使ってこない。
(ウチらが弱いからか? それとも女だからかよ!)
今大会、女子だけのチームは樹那たち下今女学院だけだった。
高校のeスポーツ部も珍しくなくなった昨今ではあるが、未だほとんどが男子生徒で構成されていた。
そのせいで事前の注目度は高かったが、実力はそれに見合っているとはとても言えない。
樹那以外は大会に出るつもりもなかったのだ。
『いや、わたしは樹那とちがって楽しくやれれば良いだけだから』
そう言う彼女たちをなんとか説得し、出場までこぎつけた。
『大会も楽しいよ! 出てみようよ!』
そう言って誘ったことを樹那は激しく後悔していた。
猫にもてあそばれるネズミのようにされて楽しめるはずがない。
こんなことになるとは予想もしていなかった。その点に関しては申し訳なく感じていた。
以前、仲間と参加した大会は本当に楽しかったのだ。
協力し、練習したプレイが上手くいったときの達成感は、他では得難いものだった。
ただ、あれをまた味わいたかった。
また目の前でチーム・メイトが倒れた。
残ったのは樹那だけだ。
横目でチーム・メイトの様子を見た。
すでにヘッド・セットを外し、隣の仲間とおしゃべりを始めている。
そんなチーム・メイトにも。
舐めきった相手チームにも。
弱すぎる自分自身にも腹が立ってしょうがなかった。
(ウチ一人でもやってやんよ! エースとれば良いんだろ!)
エースとは一人で敵五人全員を戦闘不能にすることを言う。
チームメイト四人が倒された今、勝つにはそれしかない。
そう強気に考えても、体は正直に反応してしまう。
持ち慣れたはずのマウスは、間に布を一枚かませたような違和感があった。
こめかみから一筋の汗が垂れる。
キーボードを操作する左手には原因不明の痛みを感じる。
体中の神経を誰かに握られたかのような感覚がある。
樹那がこうなるのはいつも大事な場面だ。受験のとき、運動会でリレーのアンカーを務めたとき、そして告白されたとき。
そのどれよりも、今の状態はひどかった。
『お、俺らラッキーじゃん。女のチームだぜ』
敵チーム、P高校の選手が発っした言葉が脳内で再生された。
腹は立ったが、おかげで火もついた。
だがそれは樹那だけだった。
樹那は慎重に歩を進めた。
時間はまだある。
その時、こちらへ向かってくる足音が聞こえてきた。
(足音? 無警戒かよ)
走ると聞こえる足音だ。歩けば遅くなるが足音はなくなる。樹那が慎重だったのはそのためだ。
だがP高校は音など物ともせず、進んでくる。
(来る!)
曲がり角でしゃがみ、樹那はアサルト・ライフルを構えた。
敵の姿が見えた瞬間、引き金を引いた。全弾命中。
相手は反撃する間もなく、倒れた。
(まず一人!)
足音はもうしない。単独先行だったようだ。
(ということは、こっちじゃない!)
防御側である樹那はアルファ・ポイントを守っていたが、ここにいることがバレた以上、敵が向かうのはもう一つのベータ・ポイントである。
このゲームの勝利条件は相手を倒すことではない。
機密情報を記録したアーティファクトをロケットに乗せ、発射させれば攻撃側の勝利。それを阻むことが防御側の勝利条件である。
ロケット発射可能な二つ。それがアルファ・ポイントとベータ・ポイントだ。
遠回りするのが安全だが、そんな暇はなさそうだと判断した樹那は、最短ルートを進む。
中央にある中庭に出た瞬間、弾丸が肩に当たった。
(グッ!)
ヒットポイントが少し削られる。だが相手は仕留める決定的チャンスを逃した。
弾丸が飛んできた方向へ瞬時に銃口を合わせる。
エイミングと呼ばれる、照準をターゲットに合わせる動作。
樹那のエイミングのスピードは高校生ではトップクラスである。
敵が二発目を発射するより早く、樹那の弾丸は敵の頭に命中した。
(遅い!)
その敵がいたのは中庭に無造作に置いてある木箱の裏。
その左側にはベータ・ポイントに抜ける通路がある。
樹那はそこへ銃口を合わせた。
次の瞬間、まるでそれに吸い寄せられるかのように通路からもう一人の敵が姿を現す。
敵が樹那の姿を視界に捕らえたが、それがこのゲームで最後に見た光景となった。
(三人目!)
敵の行動を読み切った樹那の勝利である。
残す敵はあと二人。
ここで無情にもロケット設置を知らせるアナウンスが流れた。
ベータ・ポイントの眼の前まで来たが、中では間違いなく待ち伏せされている。
慎重に進みたいが、時間がない。
ロケットが発射されてしまえば負けなのだ。その前に解除する必要がある。
危険を承知でエントリーするしかない。
おそらく左右に分かれ、十字砲火を浴びせてくる作戦だろう。
敵がいそうなポイントに照準を合わせつつ、ベータ・ポイントへ横移動しながら入り込む。
ピークというテクニックだ。
危険はあるが、樹那は反射神経なら自信があった。
正面切っての撃ち合いならば負ける気はない。
だが、予測した場所には誰もいなかった。
(ここにいない……となると)
考えられるのはロケット設置場所周辺。解除に取り掛かった瞬間に飛び出して攻撃するつもりだろう。
待ちが圧倒的有利。それがこのゲームの常識だ。
敵が隠れている場所は予想できる。
身を隠しながらもロケットが見える場所。
一つはベータ・ポイント奥にある小部屋だ。
(時間は厳しいけど、一人ずつやるべき)
その小部屋には裏口がある。意表をついてそちらから背後をつく作戦だ。
武器をナイフに持ち替え、走る。そうすると移動が早くなるからだ。
(間に合え!)
小部屋にピークすると、まさに狙ったところに敵が待ち伏せていた。
即座に撃ち抜く。
(あと一人!)
その瞬間、世界が白くなった。
フラッシュ・バン、強烈な光により、一時的に相手の視界を奪う閃光弾である。
(どこだっ!?)
視力を失った樹那は、地形を想像しながら小部屋から出るように動く。
しかし、相手はその逃げた先にいた。
樹那の背後に突きつけられた銃口を、彼女は見ることもなく倒れた。
「樹那。残念、惜しかったねー」
「う、うん」
「樹那。楽しかったよー」
「そう、良かった」
チーム・メイトは朗らかに、樹那の肩を叩いたりしながら退出していった。
(あんな負け方して、なんで笑えるんだよ。次こそは……)
樹那は折れていなかった。
今回は時間がなかった。
次の大会まではしばらく時間があく。
それに活きのいい新入生も入ってくるはずだ。
(次はちゃんとしたメンバーを集める)
樹那は力強く拳を握りすぎ、指先が白くなった自分の左手を見つめた。
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