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めんつゆ

作者: きゃべつ

めんつゆの話です


このめんつゆを使い切ったら別れようかしら。


ふと筑前煮を煮込みながら、今日の暇つぶしを思いつく。

料理で一番苦手なのは火が通るのをひたすらこうして待つ時間だ。

ものを切ったり、こねたり、巻いたりするのは苦ではない。むしろ好きな方だ。鼻歌さえ歌いながら、包丁をざくざくと切るのは、一種の快感さえある。

だけどそれらを鍋に入れて、煮込む時間が苦痛だ。鍋に入れた瞬間、今まで切り刻んだ食材に対する愛着が不思議なほど消えていく。洗いものでもして時間を稼ごうとしても、食材になかなか火は通らない。食器をすべて洗い終えた時、全てが終わったことに、手持無沙汰な、もどかしいような、苦しい気持ちが付きまとう。

思うに私は待つことが嫌いなのだ。コトコト鍋が煮えるのを待つ時間が惜しい。

だから今もこうして不埒な妄想に耽ってしまう。

最後の一滴を使い切ったら出ていこう。あと半分残るめんつゆを見つめながら、台所で物思いに耽る。なぜならこのめんつゆは私のものだからだ。

一緒に暮らす彼は洋食しか作らない。基本お客さまにもてなす料理を覚えている。パスタだったり、ローストチキンだったり、生春巻きのサラダなどが主流だ。和食はつくったことがないらしく、いつも味付けは醤油で済ますのがお約束。初めて彼の家に来た時、めんつゆとみりんがなくて、ほんとうにびっくりしてしまった。スーパーで買ってくれとせがんだほどに。

だってあんなに便利なものを利用しないなんて、ほんとうにびっくりしたんだもの。あれがあれば大抵の料理がなんとかなるのに。

常に恋人が絶えなかった彼には、めんつゆなんて安っぽい出汁を使わない食事を提供してくれた人物がいたのか、はたまた一切料理を作らなかった人物がいたのかと思うと、時たま家の中から出てくる昔の女の痕跡に、胃の中が熱くなったりする。

たまに作ってもらうパスタとチキンのサラダを、他の女が食べたと思うと無性に胃の中のものを吐き出したくなる衝動に駆られてしまう。

いつもは私が作るから安心だ。主に和食、という名の家庭料理。

毎日とは言えないが、めんつゆの使用頻度は高い。日々少しずつ減っていくボトルの中身を眺めながら、鍋が煮込むのを待つ。待ちながら、彼のSNSをチェックして、行動範囲を把握する。今日は仕事が遅くなる。そう書いてあったさっき私のところにもラインがきていた。晩御飯の時間が遅くなるかもしれないな、と煮込んでいる筑前煮を箸で軽く混ぜた。

最近この妄想が最も再生回数が多い。

今は私しか使わないめんつゆが戸棚にしまってある。使い切ったら私は用済み。あとはあの人が洋食を作るから、私はいらないのだ。もったいないから最後まで使ってあげる。

めんつゆを使い切ったから、出ていく。なんて理屈だ。頭がおかしい、狂っている。なんて馬鹿馬鹿しい妄想だろうか。

めんつゆを見つめて、妄想して、うっとりして、その頃にはもう煮物が出来上がっていて、他の作業のため、ガスコンロに火を消す。

彼は私がこんなおかしな妄想のことなど知らないし、ほぼ全ての料理にめんつゆが使われていることさえ意識してはないないだろう。和食は基本醤油だけで成立していると思い込んでいる人だ。もし私がめんつゆを理由に別れようと言ったら、あなた、一体どんな顔をするのかしら。

三時を過ぎたことを確認して、洗濯物と布団を取り込む。最近冬のくせに暖かくて洗濯物がすぐ乾く。日差しが暖かいせいだろう。それが終わったらお茶の時間だ。今日はコーヒーと大福を食べる。一息つきながら私は、あと何時間であの人が帰るのか時間を計る。

仕事を辞めて一年も経たないけれど、私はこの生活に慣れてきた。忙しくなくて、一人のために洗濯し、食器を洗い、ご飯を作り、帰りを待つ、そんな生活に。

だからこそ終りが来るのもそんなに怖くないのだ。むしろこの宙ぶらりんな関係を解消して、白黒つけたい、なんて。私はおかしいのかしら。無職で、彼に養ってもらっている身分で、こんなことをいうなんて。

昔読んだ少女漫画では、結ばれた二人はいつまでもいつまでも仲良く暮らしたという結末が多かった。数少ないが、失恋ものもあったし、ヒロインが死んでしまうものもあった。

彼女たちは、唯一無二の相手をひたすら一途に思い続けるロマンチックな話が主流だったのだ。

しかし私は違う。現実は、ただただ生活が、日常が多分このまま続く。

そこまで恋愛に熱量を上げてはいないし、かといって冷めてもいない。浮気しようとは思わないけれど、それは彼しか見えていないわけじゃなくて、一人を相手にするのが手いっぱいで、他に目を向けるのが面倒だからだ。

だからそもそも恋愛に傾倒するタイプでもないのだろうと結論づける。

もうすぐめんつゆがなくなりそう。もうすぐお別れがきてしまうのかしら。それを恐れているのか、待ち望んでいるのか、私はもう自分で自分が分からなくなってしまった。願わくは、何も知らないあなたが、特売のめんつゆボトルを買ってきてくれたらと。 


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