謎の女
「こっちだ、ジン!!」
レプト達、そしてフェイとその部下達の視界が一個のスモークグレネードによって奪われた瞬間だ。路地に若い女性の声が響き渡る。その声はジンの名を呼び、自分のもとへと来いという単純な指示を出す。
その声に聞き覚えがあったのか、状況の急変から来る動揺から目覚め、ジンはハッとする。
「今の声は……」
そして、その声に聞き覚えがあったのはジンだけではない。
「メリー……?」
フェイだ。彼も今の女の声に聞き覚えがあったらしく、その名を呟く。
だが、ジンは彼よりも早く行動を起こした。
「今の声がした方へ向かえ、急げ!!」
未だに状況が掴みづらい煙が視界を覆う中、ジンは声を通して指示を出す。彼の言葉を受けたレプト達はすぐに彼の言葉に従い、地面を蹴る。彼らは視界が覆われて武器を振るえずにいる軍人達の隙間を抜けていった。
「レフィ、痛かったらごめん!」
「え、うわっ……!」
リュウは傷を負ったレフィを両腕で抱える。俗に言うお姫様抱っこで彼女を抱えると、リュウは路地を他の一行と変わらないほどのスピードで走る。レフィは動揺こそしたものの、それを受け入れてジッとしたままでいた。
一瞬で状況が変化した動揺に加え、自分の知った人物の声が耳に飛び込んできたことにより、フェイは思考が数秒止まってしまう。
「何故あいつが……いや、今は……!」
遅れて冷静さを取り戻したフェイは、周囲の部下に指示を出す。
「お前達、動かずにいろ。俺が状況を把握するまで待て!」
言葉を終えると、フェイは頭上の方へ操る鎖を飛ばし、すぐそばにある建物の屋上に引っ掛ける。同時に鎖が躍動して彼の体を上空へと持ち上げた。煙の及ばない上空から彼は路地を見下ろし、状況を把握する。
既にレプト達は煙が広がった箇所から抜けていた。ジンを先頭にし、全員が迷わずに走っている。それを見止めたフェイはすぐに地面に体を下ろす。そして、晴れかかった煙の中で周囲の部下に命令を飛ばした。
「方向が分かった。見逃したところで位置は分かる。行くぞ」
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「おいジン、さっきの声、言ってた知り合いか?」
煙を抜けて路地を駆ける最中、先頭を走るジンの背にレプトは問う。ジンは後ろには顔を向けず、走るスピードも落とさずに答えた。
「そうだ、間違いない」
「なるほど。随分頼れる奴なんだな。あっちから来てくれた上に、あんな状況から助けてくれるなんてよ」
「まあ、奴が有能なのは間違いない」
レプトの言葉にジンは迷うことなく頷いて答えた。実際、あのような危機的状況にあった一行を一手で助けてしまうのは、有能と言うに他はない。
だが、その知り合いについて話を続けようとした二人にカスミが言葉を挟む。
「あんまり余裕こいてられないわ。後ろ、もう来てる」
振り返りながら、カスミは後ろに迫る危険を皆に告げる。見てみれば、ずっと後ろではあるが既にフェイの部下達が追ってきている。それを視界に入れたリュウは、それに応じる策をすぐに思いつき、自分が両腕に抱えるレフィの顔を見下ろす。
「レフィ、強いるようで申し訳ないけど頼みたい」
「な、なんだよ」
すぐ近くにリュウの顔が迫ったこの状況にレフィは別な動揺を心に留めながらも聞き返す。
「君の炎、このままでも出せるかい? 足止めしてほしい」
「……あっ、あんまり長くは持たねえだろうけど、それでもいいか?」
「大丈夫だ。何枚かに分けて火の壁をつくるんだ。姿勢は調整するよ」
「分かった。やってみる」
リュウの頼みにレフィは頷いて応じ、負傷していない左手を後ろの方へと向ける。そして、細い路地に人が通れないほどの高さの火の壁を立てた。それはフェイの部下達の進行を止め、すぐに距離を離す。レフィは前の火の壁から距離を取るのに応じ、一定の間隔で能力を振るう。
先ほどは周囲に人目のない路地がフェイ達の有利に働いたが、道を塞ぐという点で言えばレプト達の利点となった。
「これだけやれば大分時間を稼げる。その内にジンの知り合いの所に行って、身を隠せばいい」
後ろに立ち上がった火の壁を走りながら見返し、リュウは状況が大分よくなったことに安堵の息を吐く。
そうこうしている内にレプト達はフェイ達の足音や声が全く聞こえなくなる位置まで彼らを突き放した。歩を緩めるわけではないが、一行には多少の余裕が出てくる。そうなってくると、気にかかるのは先ほど自分達を助けてくれた者だ。
「……いた。あいつだ」
曲がり角を一つ越すと、先頭に立っていたジンはその者を目に留める。その人物は、角を曲がったすぐの所の建物の壁に背を預け、立っていた。先に行って一行を待っていたらしい。ジンは彼女の前に立つと、足を止める。
「どれどれ、どんな奴、で……」
ジンのすぐ後ろについていたレプトは、彼の背を追い越し、自分達を助けてくれた者がどんな人物かと興奮気味に覗き込む。だが、その姿を目に入れると一気に身を硬直させた。
彼の隣を走っていたカスミも、同じように警戒を顔に浮かべる。
「この人……」
先ほどの策の関係で一番後ろを走っていたリュウ、そして彼女の抱えるレフィは最後にその人物の姿を見た。彼ら二人もレプトやカスミと同じように、その人物の容姿を見ると緊張の糸を張る。リュウは一歩後退り、レフィは自分を抱えるリュウの服の袖を強く掴んだ。
「こ、こいつは……」
「君が、ジンの知り合いかい?」
警戒を隠さない低い声でリュウはその人物に問う。
一行の目の前に立つ人物は、銀髪の女性だった。口にはタバコを咥え、端正な顔立ちをしているが、どこか気だるげな表情を浮かべている。そして何より、レプト達の警戒を煽る特徴があった。
「随分と大所帯だな、ジン。てっきり二人で来ると思っていたが……」
その女は、よれて薄汚れている白衣を身に纏っていた。




