それぞれのために
魔物の騒動やレフィの旅の動向が決まった日の翌日、その早朝。レフィを連れたレプト達一行は既に里を出て森を歩いていた。人々がまだ眠っている可能性のある早朝に発ったのは、できるだけ人の目を避けるためだ。
朝の陽光に照らされる植物の緑が眩しい森の中、四人はジンを先頭にして歩いていた。迷いなく彼の背についていく三人だったが、しばらく時間が経つとその足取りに別な感情が含まれていく。一行の中、カスミはその感情を抑えることなく、目の前を歩くジンの背にそれを吐露する。
「ねえ、ジン」
「なんだ」
「一応聞いておきたいの。もうあの里を出て一時間以上が経つけどさ」
「ああ」
「迷ってる?」
「……ああ」
ジンが何とも答えづらそうにこぼした、「ああ」という短い声と共にレプトとカスミは深いため息を吐き、レフィは驚愕の表情を浮かべた。
「えっ、行先は決まってるんじゃなかったのかよ!?」
「いや、まあ……森は迷いやすいからな」
「しょうがないっちゃあしょうがないんでしょうけども……」
実に二度目となる森での迷子。レプトとカスミは、自分達とて森で進む先を判別するような能力を持っていないため、誰を責めることもできずに唸る。それはレフィも同じで、彼女もただ先導するジンに従って歩いていただけだ。この場の誰も、森で進路を決める術を持っていない。
ともかくの対処として、ジンは申し訳なさそうに口を開く。
「い、一旦引き返そう。戻ることなら……恐らくできる。エルフの里に戻って、リュウか誰かの力を借りよう。……いいな?」
自信がないのか、途切れ途切れで言葉を発するジン。ただ、それに従う以外に道はない三人は優柔不断な様子で首を縦に振る。
ただ、一行が妥協を重ねて判断を下した、そんな時だ。
「その必要はないよ」
四人以外の声、それも昨日までいた里で聞き慣れた声がその場に響く。一行はその声を耳にすると、俯き気味であった顔を一様に持ち上げ、声のした方へと目を向ける。
声の主は、四人の視線が向かう先、森に立ち並ぶ木の陰にいた。
「結構いい線いってたからね。里に戻ると逆にロスだ」
そこにはリュウが立っている。彼は背を木に預けながら、四人に笑顔を向けていた。彼は何故か四人がここにいることを知っており、どういう目的でか、この場所に訪れていたようだ。
四人は本来ならば里に残っているはずのリュウがここまでついてきているのに驚き、全員が目を見張る。最初に驚きから目を覚まし、口を開いたのはレフィだった。
「りゅ、リュウ。何でここに?」
「理由は至極簡単さ、レフィ。ちょっと急な話で申し訳なくはあるんだけど……」
レフィが他の三人の疑問も代弁して問うと、リュウは顔から笑みを消し、真面目な表情で問いに答えた。
「僕も、君達の旅に連れて行かせてもらいたい。いいかな?」
リュウは、自分も一行の旅に加えてくれと言う。それに対して、四人は一様に同じ一言で返した。
「「「「えっ?」」」」
レプト達四人は一切の事情が分からず目を丸くする。リュウは、レフィやレプト、カスミのように暮らす場所に困っているわけではない。ならば一体何故、旅についていきたいと言うのか。
「りゅ、リュウ……」
ただ、そんな疑問を余所に、レフィは心の底から湧いて出てくる喜びを一切隠さずに表情に表す。そして、リュウに駆け寄ってそれを言葉にした。
「来てくれるのか!? 本当、もう……しばらく会えねえと思ってたんだぞ!」
「喜んでくれて嬉しいよ、レフィ。昨日の約束、果たすのは少し早くなるかもね」
「おうさ!」
レフィは陽光のように曲がった所のない笑顔を浮かべている。
曇りのない笑顔を浮かべるレフィほどではないが、レプトとカスミも彼女と同じようにリュウの言葉を嬉しく思っているらしい。二人は共に彼に歩み寄って迎えた。
「確かに急じゃあるが、全然大丈夫だぜ。これからよろしくな」
「里じゃ世話になりっぱなしだったから、これも恩返しの一環てことでいいかしらね」
三人は全く問題がないかのようにリュウのことを受け入れる。その様子には全く躊躇う所がない。
「おい。ちょっと待て。勝手に受け入れるな」
だがしかし、レフィをはじめとした三人が何も考えずにリュウのことを受け入れたのを後ろから見ていたジンは、眉間にしわを寄せながら三人の間を縫ってリュウに歩み寄る。
「どういう理由で俺達の旅についてくるのか、理由を話してもらう。もちろんお前自体のことを疑っているわけではないが……訳は分かるな?」
ジンはリュウに、旅についていきたいと言う理由を問う。その様子は険しく、まともな返答が無ければ事情を放ってリュウの頼みを突き放してしまいそうなほどだ。
そんな様子のジンを見たレフィは、リュウをかばうように位置取って言う。
「そ、そんなに怖い顔することはねえだろ。別に、無理な願いでもないんだし」
「確かに無理な話じゃない。だが、これはリュウの安全にかかわることだ」
レフィの言葉に、一歩として譲る気のないジンの断固とした言葉が返ってくる。彼はそのまま、リュウの方へと目線を向けて続けた。
「分かっていると思うが、俺達の旅はレフィのことがあって安全なものじゃない。それに、これはお前達にはまだ話していないが……それ以外にも俺達を脅かすものはある。だから、軽率な理由でお前を受け入れるわけにはいかない。家族がいる人間の命を軽んじることはできんからな」
ジンの言葉はリュウのことを思ってこそのものだった。居場所がない三人はまだしも、生半可な理由でついてくるのを許可してしまうのはいたずらに命を危険にすることに他ならない。
リュウはジンの意図を把握すると、彼の威圧的な様子にも全く圧されることなく、すらすらと話す。
「軽率な理由じゃないよ。それに、君達の旅に危険が伴ってることは元から分かってたさ」
「なに……? いつ、何で気付いていた」
「ジンが軍人に見つからないようにしてたこともそうだし、あの建物の所有者だったんだろう人達のことに関しても何か知ってる風だった。それに、あのフューザーって男のことも知ってた。逆に、だからこそ君達についていきたい」
「……危険だと、そしてその原因まで分かって尚、だと? 何故だ」
何から何まで分からないと言う風なレプト達三人に反し、ジンは再び冷静に問う。リュウは重ねて投げられた問いに、自分が持つ事情について説明を始めた。
「知識が欲しい。彼ら、僕達に立ち退きを迫る連中についての知識だ。僕ら里の人達は、あまりに彼らについて知らなさ過ぎた。逆に、彼らは僕達のことを知っている。だからこそ、僕達の神経に触れるようなあんなことをしてきたわけだしね。この知識差は、交渉する上であまりにも不利だ。交渉しないにしても、少しでも彼らのことを知っておいて損はない」
リュウは一つ息を吐いて、それから続ける。
「君達は訳ありっぽそうだし、一緒にいれば彼らと遭遇する機会もありそうだ。もし運が良ければ、何かしら交渉に有用な情報を掴めるかもしれない。……里の未来がかかったことだ。軽率な理由じゃ、ないでしょ?」
リュウは説明を終えるとジンに問いを返す。自分の事情は身を危険に晒すほどの価値はあるだろう、という問いだ。彼の言葉に、ジンは眉の間を指で押さえてうなり声を上げてしばらく考え込むと、最後に一つだけ問う。
「家族……父親には説明したのか」
「ああ、当然さ」
リュウの帰りを一番待つだろう彼の父親に許可を取ったか、その問いにリュウは一切淀むことなく答えた。後ろめたい所はなさそうだと判断したジンは、深く息を吐き、頷いて見せる。
「分かった。いいだろう」
ジンの返答に、リュウはフッと安堵したように肩の力を抜く。それと同時に、旅にリュウがついてくると確定したのを彼のすぐそばで話を聞いていたレフィは飛んで喜ぶ。
「やったぜ! リュウ、改めてよろしくな」
「うん。ジンも、これから世話になるよ」
「構わん。しかし……最近は人が増えるな」
リュウのことを受け入れながら、ジンは近頃旅に同行する人数がどんどん増えていっていることを思い出す。その言葉を聞いたリュウは首を傾げて問う。
「最近……って、元は三人だったんじゃないの?」
リュウの疑問に最近旅に加わった筆頭であるカスミが答える。
「いや、元は二人だったのよ。レプトとジンで二人。んで、もう本当に一週間弱くらい前に私が加わって三人になったわけ。だから、レプト達にとってはここ数日で新しい面子が三人増えたってことね」
カスミはレプト達のここ最近の状況を手短に説明した。リュウは勿論、軽くは話されていたレフィも驚いたように二人の方をまじまじと見る。そんな中、リュウは思いついたことを冗談交じりに言う。
「そんなに増えていってるんだったら、これから一人か二人、また増えそうなもんだね」
軽い気持ちで発されたリュウの言葉だったが、ジンはその可能性について一瞬だけ考える。そしてその瞬間、何か嫌なことを考え付いたらしい。まるで切れ痔でも起こった時のように表情を歪め、嗚咽する。
「うっ……嫌なことを考え付いてしまったな」
「あん、どうした? なんか、今まで見たことねえくらい、ゲェッ、って感じな顔してっけど」
レプトは長く一緒にいた中でも最高くらいの不快そうな顔をしたジンにどうしたかと問う。
「……いや、何でもない。杞憂だと、いいんだが」
ジンは嫌な予定を控え、それのことについて考え始めてしまった時のような表情で心配するなと言う。どうも彼の言葉通りに心配をゼロにはできないレプトだったが、そんな二人には気付かず、リュウが手を叩いて一行の注目を集める。
「さ、次に向かう先は……この進路的に、フェルセで合ってるのかな? ジン」
「……ああ。そこに知り合いがいる」
リュウが話したのは次の目的地についてだった。確認を終えると、彼は周囲の木々の様子を見渡し、それだけで森の中でどの辺りにいるのかを把握したのか、歩き出す。
「さ、行こう。フェルセには何度か里を抜け出して行ったことがある。案内するよ」
森に慣れた頼もしい先導を得た一行は、最初の時とは全く反して自信をもって歩を進めていく。向かう先は、ジンの知り合いがいるという街フェルセ。ジンが会いたくないと何度も言っていたその知り合いとは一体どういう人物なのか。一人だけは明らかな不安を持ち、そして彼以外はそれに薄い好奇心を持ちながら森を歩いていくのだった。




