いつか、必ず
いつしか、あらゆる他者から逃げようとしていた時のように、レフィは屋敷の廊下を走る。勢いに反して小さい足音がそこらに鳴り響いた。レフィは廊下の角に当たっては首を横に振り、リュウの姿を探す。
とりあえずの目的を果たすまで、そう長くはかからなかった。レフィが一本の縁側に差し掛かると、彼女の視界に移り込んだのだ。
「……ん、レフィ。どうしたんだい?」
リュウが、縁側に一人で座っていた。彼の方は足音か何かで誰かが自分の元に迫ってきているのを察していたのだろう。レフィの視界に入った際には既に彼女の方へと目を向けており、すぐに顔が合った。
穏やかな声を受けると、レフィはそれまで衝動的に動いてきた反動か、少し動揺する。
(どう……したんだろう? 何を話しゃいいのか、全然考えてなかった)
「あっ、あの……」
まるで初対面かのように、レフィは初めの言葉を切り出せずにいた。そんな彼女に配慮してか、先にリュウが話し出す。
「君は、レプト達の旅にはついていくことにしたのかい?」
「えっ、ああ……」
「そうか。余計なお世話じゃなかったみたいでよかったよ。じゃあ、ここを出ていくのは早いんだろうね。明日、とかかな。……この数日、大変だったけど、退屈はしなかったよ」
リュウはレフィ達がこの里を後にする時が近いと知ると、少し名残惜しいのか、小さく息を吐いた。
儚げな様子を見せるリュウ。そんな彼を立ったままただ見下ろしていたレフィは、何か思い直したように首をブンブンと振る。
(ち、ちげえ! 別に現状報告しに来たわけじゃねえだろ……)
現状の話の流れが全く自分の目的とは違う方面へと行ってしまっていることに気付いたレフィは、首を振って考え直し、話題を変える。
「リュ、リュウ!」
「ん、何だい?」
「そ、その……あれ、だよな。大変そうだな。色々」
(何言ってんだオレーッ!?)
間を繋げるため、思考する時間を充分に取れなかったレフィの言葉は、まるで赤の他人にかける建前のようなセリフだった。一瞬にして自分の言葉の違和感を自分で感じ取ったレフィは、表情には出さないようにしながら頭の中で自分を殴りつける。
「……レフィ、なんか様子が変じゃない? 普段からそんな他人行儀なこと言うっけ?」
レフィの言葉が彼女自身にとって違和感だったのと同じように、リュウも変に感じたらしい。首を傾げて彼女を見上げている。その視線を受けたレフィは、思わず顔を真っ赤にして言葉になっていない「うぁぁ……」という高い声を上げる。
そんな彼女の様子を不思議がりながらも、リュウは小さく笑い、自分が座るすぐ横の床をとんとんと指で叩く。
「気にかけてくれたのかな、ありがとう。立ったままだとなんだし、ここに座りなよ」
自分のすぐ横に座るよう言うリュウ。彼の言葉を受けると、羞恥のせいで顔を燃えるように赤くしていたレフィは冷静さを取り戻し、返事を返しながら彼の横にストンと腰を下ろす。
「変に緊張しちまって……ごめん」
「いや、まあ……さっき、僕が跳ね除けるみたいな感じで話したがらなかったから、それが原因でしょ? ごめんね」
リュウはレフィの緊張が自分にあると考えていたらしく、謝った。確かに、あの騒動が終わった時のリュウはレフィの言葉を途中で遮り、足早に去っていった。彼の中ではそれが少し気にかかっていたのだろう。
「父上の言った通り、少し疲れてて。悪かったよ」
「い、いやいや、謝られることじゃないって。あん時はオレが空気読めてなかったし……寧ろこっちが悪いって」
先ほどの事には互いに非を感じていたらしく、二人は謝罪を言い合う。ただ、こういう謝罪の投げ合いは終わるときまって空気が気まずいものになってしまうものだ。レフィとリュウの間柄でもそれは変わらず、二人は次の言葉を黙ったままで探し始めた。
少しして、本題に戻す意図でリュウが口を開く。
「愚痴みたいになってしまうけど……大変なのは本当さ。やることが多いっていうのとは違って、考えなくちゃいけないことが多い、というか……まあ、今の今までやることが多かったのは本当だけどね。これからは、考えることでちょっと大変なんだ」
話す彼の表情は、深く憂いを持っている。レフィはそんな彼の顔に真っ直ぐ目線を向けながら、静かに彼の話を聞く。
「考えることっていうと、どんなことなんだ?」
「彼らのことが中心だよ。交渉をどうするかとか、どう対策をするか、とか……。まあ単純に考えるだけならいいんだけど、何より気にするべきなのは、僕達が彼らや外のことを知らなすぎる事さ」
リュウは肺の奥から吐き出すような、深いため息をこぼして続ける。
「単純な技術や道具の話じゃない。僕は彼らが、あんなことをしてくる連中だなんて考えもしてなかった。想像すらしてなかった。レフィのことがあったとはいえ、ああまではしないだろうと……」
「予想外だったんだな」
「うん。それに、衝撃的だった。あのフューザーっていう男……」
「ああ、聞いてたぜ。リュウと、そいつの話」
「え……ああ。そういえば、君たちの部屋の前だったね」
リュウは口に出すと同時に思い出したのか、顔を険しくして続けた。
「彼は必要なら命も奪うと言っていた。進んで命を奪うことをしないとも。でも、僕はそれを良い風に捉えすぎてたみたいだ。彼は十ある選択肢の中から、人の命を奪うものとそうでないものがあったとして、躊躇いもなく人の命を奪う選択をする奴だ。進んで命を奪わないとは言ったけど、進んで命を消費しない選択をするってことでもないんだろう。彼の目には平等に映ってるんだ、どっちの選択も」
リュウはフューザーのことを通し、今回はここに来られなかったという交渉元の人間についても考える。
「そんな彼を寄越した交渉元の人間も、そういう考え方をする奴だ。だからこそ手を取り合っているんだろう。僕達が相手しているのは、そういう連中だったんだ。……考えてもいなかった。命を、あんな風に軽く扱う奴らがいるなんて」
リュウは額を指で押さえながら、自分達とは全く価値観の違う人間達がいたことに対する驚きを口にする。彼の視線には、目の前にはいない誰かを睨み、責めるような色があった。
リュウの言葉に、レフィはどう返していいかが分からずにいた。彼女もリュウと同様、自分を実験体にするような連中の一人であるフューザーや、その周囲の人間が酷い連中だと考えている。だが、この状況で同調したところでリュウの悩みを解決することにはならないし、寧ろ彼の負の感情を強めることにつながってしまうだろう。
レフィが静かにしていると、リュウは軽く笑いながら言った。
「ま、これは考えても仕方ないことだ。首をひねっても相手が変わるわけじゃないしね」
状況の悪さについて愚痴をこぼすような形になってしまったことを悪く思ったのか、リュウの口調は軽い。彼は言葉を終えると、レフィから目線を外し、縁側に面した庭の方へと目を向ける。そのまま、何をするでもなく息を漏らした。
レフィはそんなリュウの隣で次の言葉を探す。しばらく二人の間に沈黙が続くと、彼女は何かを思い出したのか、おもむろに口を開いた。
「……色々あって、言う機会がなかったけどよ。ありがとな」
「ん?」
唐突な感謝の言葉にリュウは首を傾げる。見てみれば、レフィは彼の方へと真っ直ぐ視線を向けていた。そうしながら彼女は、一直線な感謝の言葉を口にする。
「何から何まで、本当に。最初の時、能力のこと、里の人達とのこと。オレのこれからだって、リュウがいなきゃどうなるか分からなかった」
「……いや、当然のことをしたまでで……」
「違う、当然なんかじゃない。オレより先にオレのこと考えて、手を尽くしてくれてたんだ。それに、そんな風に感謝を誤魔化されるのは嫌だ。だから、真っ直ぐ受け取ってくれよ」
リュウは面食らったような表情でレフィを見ていた。こんな風に感謝の言葉を伝えられるとは思っていなかったのだろう。ともかく、彼はレフィの言葉を受けて一旦口を閉じる。
リュウが聞きの姿勢に入ったのを見たレフィは、ふうと息を吐いて彼に向き直った。頭は下げたりせず、リュウの瞳をジッと見据え、一言一言丁寧に彼女は伝える。
「ありがとう。一生かけてもこの恩を返せるか分からねえけど、それでも、オレのこの気持ちを、今とは逆に、リュウがオレに思ってくれるように……オレ、頑張るよ」
「…………ふ」
いつしか、自分の感謝の気持ちをリュウが自分に思ってくれるように頑張るとレフィは言う。実直で曲がった所のないその言葉を受けたリュウは、口元を少しだけ歪めた。それは、笑みがこぼれるのを必死で我慢しているかのような、情けない表情だった。それに自分で気付いてか、リュウはバッと鼻から顎にかけてを手で覆い、笑ったように息を漏らしながら言う。
「じゃあ、そういう日が来るのを待ってるよ。君の気持ちが分かったら、その時は、君も僕の感謝を素直に受け取ってよ?」
「……ああ! いつか、絶対にだ」
レフィのはつらつとした言葉を受けて、リュウも気恥ずかしさを忘れたらしい。顔を見せ、笑った。二人の間には夜の森の心地いい風が吹き抜ける。
そんな、清々しいようなやり取りを終えた二人だったが、そんな空気をぶち壊すように何かを思い出したらしいレフィが下品な声を上げる。
「ゲッ、そういや……オレ、こっからしばらく離れねえといけねえんだった」
「え、今の今まで忘れてたの? さっきその話しなかった?」
「いや、目が覚めてからずっとこの里にいたから、慣れで明日もここで過ごすもんかと。つっても、どうすっかなぁ……」
どうしてもこの里から離れなければならず、リュウに何かを返してやる機会も少ないだろうと考えたレフィは立ち上がって頭を抱える。そんな様子の彼女の背を見て、リュウはふと目を見開く。
「ああ……これでいいかな」
「んぇ? どうしたんだ?」
「いや……こっちのことさ。気にしなくていいよ」
レフィの疑問に答えず、リュウは勝手に一人で納得したように頷いていた。そんな様子を怪訝そうな目で見ながらも、レフィは眼前の問題に頭を悩ませ続ける。
「そっか、よし。いつか、何かで頼りたいってなった時、いつでも呼んでくれよ。どんな時でも飛んでいくぜ」
「うん、分かったよ。まあ、飛んでいくほどの距離にはならないかな」
「ん?」
「いや。君は明日早いでしょ。もう休みなよ。僕もちょっと、用事があるから」
言外に、もう話すのはやめようとリュウは言う。そんな彼の言葉を受けたレフィは、考えを察し、最後は夜に似合わない輝かしい笑顔でリュウに向かった。
「分かったよ。それじゃあ……次会うのがいつになるかは分からねえけど、そん時は」
「うん。それじゃあ」
二人は最後に簡単な別れの言葉を交わし合った。そうして、背を向け合う。レフィは廊下を歩きながら、いつか次にリュウと会う時、いつか自分が彼に恩を返す時のことを想像し、空を見上げた。
「いつか……必ずだ」
遠い空には星々がまたたいている。それらは森の夜の暗い闇を突き抜けるように、強く輝いていた。




