謎の魔物
屋敷を出たレプト達四人は、先ほどの悲鳴に次ぎ、里のエルフ達が騒ぐ声を頼りに里の中央の方へと走って向かっていった。家屋のない開けた場所に辿り着くと、すぐに騒ぎの原因が目に入ってくる。
「あれは……」
ジンを先頭にして走っていた一行の目の前には、エルフ達が粗い円を描いて騒ぎの中心となるものを遠目に見ているのがあった。彼らの織り成す円の中には、五匹のオオカミ型の魔物がいた。黒い体毛に身を覆い、口からは涎に濡れる牙を剥き出しにしている。足は通常のイヌ科の生き物のものとは大きく違い、馬のような蹄の形状を持っている。五匹はそれぞれ自分を囲うエルフ達に対し、喉の奥から威嚇するように低い唸り声を上げていた。
「ハルル……ガウッ!」
四人がその場に辿り着くのとほぼ同時に、膠着の状態を突き破るように魔物の一匹が地面を蹴った。向かう先は、自分達に恐れの目線を向けるエルフ達の一人だ。
「ひっ」
魔物の敵意の矛先が自分に向かっていると知った男は、危険を察知しその場から飛び退こうとする。だが、魔物の接近する速度の方が早い。男の動作に合わせてその魔物は飛び上がって宙を舞い、牙の並んだ口を大きく開いた。
「危ねえッ!」
エルフの男に魔物が迫った時、四人の中からレプトが剣を抜いて飛び出した。彼は魔物が男を噛み付こうとするのに合わせて剣を一文字に置く。次の瞬間、魔物の強靱な牙はレプトの剣に突き立てられた。鈍い音が鳴り響く。
「くっ……」
魔物はレプトの剣を咥え込むように噛み付き、離さずにいた。魔物はそのまま顎に力を込めたまま、首と全身の筋肉を駆使して暴れ、レプトから武器を奪おうとする。だが、彼の腕力は魔物を大きく凌駕していた。
「おら……よッ!!」
両腕に一気に力を加え、レプトは魔物をその体ごと押し返す。自分の力を圧倒する膂力に圧され、魔物は剣から口を離して大きく態勢を崩した。その隙を突き、レプトは剣を大きく振り上げ、一撃で仕留めようと刃を振るおうとした。
だが、その彼の背に制止の声がかかる。
「駄目ですッ!」
「っ……」
自分を止める意図の言葉を受け、レプトは動作を止めてしまう。その一瞬間の内に魔物は体勢を立て直し、他の仲間の元まで引いていった。
絶好の機会を逃したレプトは、半ば苛立った風で後ろを振り返る。
「一体どうしたってんだよ?」
彼を制止したのは、魔物を囲っていたエルフの内の一人、女性だ。彼女はレプトに問われると、緊迫した状況に圧されてか、早口で話した。
「命を無暗に奪ってはいけません。出来得る限り、木々の葉一枚であってもです」
「こ、こんな時にそんなこと言うか……?」
慣習かしきたりかは分からないが、エルフの女性は魔物の命を奪ってはいけないと言う。レプトは彼女の言葉を受けて眉にしわを寄せながらも、剣の峰が前面に来るように構えなおす。
「分かったよ、出来る限りな」
「……ありがとうございます」
「三人とも、聞いてたか?」
レプトは女の礼を背に受けながら、カスミ達の方へと目を向ける。三人は三人で、レプトが対処しきれていなかった残り四匹の魔物に対していた。レプトの言葉にはジンが返す。
「聞いていた。俺とカスミ、レプトは直接の殴打で魔物の気絶を狙う。レフィはこいつらが里のエルフの者達に近付きそうになったら炎で牽制してくれ。いいか?」
すぐに対処の方法を考え付いたジンは、全員にそれを端的に説明した。三人はその言葉に黙ったまま頷く。ジンもそれを確認することはせず、号令を出した。
「よし、行くぞ!」
ジンのその声に反応し、三人は魔物に直接向かっていき、レフィは彼らを後ろからフォローする立ち位置に立った。
ジンの対処方法は、概ねが滞りなく進む。基本は接近戦の出来る三人が魔物に直接攻撃を加え、そこから漏れた場合にレフィが炎で引かせる。レプト達三人の力が強力なのは以前からハッキリしていたが、レフィも彼らに全く劣らない。能力の使い方が分からないと言っていたことが嘘のように、彼女はそれを手足のごとく自然に扱っている。一番の危険を防ぐセーフティとして、彼女は策の要を十全に担えていた。
だが、ジンの想定と違っていた部分が時間の経過につれて明らかになっていく。ジンは剣を持つ手に更に力を加えながら、眉を寄せる。
「おかしい……あまりにしぶとい。それに、この種の魔物はこんなに凶暴じゃないはずだ」
ジンとレプトの剣による殴打、そしてカスミの格闘による殴打は決して軽くはない。命を奪うまでの意はないが、それでも強力だ。だが、魔物はそれを数分受け続けても止まることをしなかった。一匹として退かず、攻撃を続けてくる。気絶まで行かなくとも、勝てないことを悟れば半分ほどは逃走するだろうと考えていたジンは、胸の奥に少し焦りを感じる。
魔物達は彼の焦燥などいざ知らず、その凶暴さを振るう。殺意のこもったような眼光を周囲に向け、牙を光らせながら体を躍動させている。ジンは自分の元へと向かってくる一匹に対処しながら、どう現状を打開するかを考える。
そんな時だ。彼は眼前の魔物のある以上に気付き、一瞬手が止まる。
(涎……じゃない。泡……? それだけじゃない。様子が変だ)
目の前の魔物は、口の端からあぶくを立てていた。白く、まるで容器の端からあふれ出るかのようにそれは顎の方に伝っている。異常はそれだけではなく、時々体をブルブルと震わせ、目の焦点もあっていない。黒い目が、彼らにとって敵であるジン達を捉えていない。
(妙だ。何かおかしい。これは……少なくとも自然な状態じゃない。別の対応を……)
魔物達の異常に気付き、ジンはすぐに次の策を立てようとした。その時だ。生物としての勘か、思考に偏ってできたわずかなジンの隙を眼前にいるのとは別の魔物が突き、全身で彼に飛び掛かった。ジンは直前まで自分にその魔物が迫っていることに気付かず、まともな対処ができなかった。彼は魔物の力をもろに受け、地面に倒れ込む。
「ぐっ……まずい」
すぐに体勢を立て直しながら、状況を把握しようと体を起こす。ジンの背を押した一匹と、彼が元からマークしていた目の前の一匹が完全にフリーになってしまっていた。二匹はそれぞれ別方向にいる無防備な里の者の元へと向かっている。一瞬の隙で、二人が同時に危険な状況になった。ジンはその状況を把握しながら、体を起こすのに精いっぱいで対処ができない。
「逃げ……」
ジンが自分での対処を諦め、声を上げようとしたその瞬間だ。二匹の魔物それぞれの眼前に、人影が現れる。レフィと、リュウだ。




