フューザー
「さて……」
シュウの屋敷、その入り口の辺りに彼らはいた。十数人の黒い制服の者達と、一人だけ白衣を着た目立つ外見の男。制服の男達は皆一様に一言も発さず、白衣の男の後についている。
白衣の男は眼鏡の奥の青い瞳で左手首につけた腕時計を見ながら息を吐く。
「暇、ですね……」
呟く男は無機質な青の瞳を濁らせ、欠伸をする。手を柔らかく握った拳を口の前に置きながら、人目をはばかることなく口を大きく開けている。言葉の通り、やることがなく眠気が襲ってきているのだろう。
ただ、白衣の男が暇を持て余していたその時だ。屋敷の石畳を踏む音と共に、少女の声がその場に響く。
「お待たせしました。こちらに。里長がお待ちです」
声の主はミズハだ。彼女は屋敷の入り口で頭を下げながら白衣の男達に向かっている。彼女の姿を目に留めた白衣の男は、思い出したように後ろにつく男達に声をかける。
「何十人で押しかけるのも迷惑です。あなた達はここで待っていてください」
「はっ、了解しました」
白衣の男の指示に、その場にいる軍人達の代表格と思われる男が言葉を返す。返事を確認した白衣の男は、屋敷の方へと足を向けた。
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白衣の男はミズハの案内に従い、シュウの待つ客間へと通された。屋敷の中を歩くとき、男は終始何も言わず、何に目を向けるでもなく、ただ案内に従っていた。何か悪事をしようという素振りも、様子もない。レプト達の言葉が杞憂なのではないかと思われるほど、その男は大人しかった。
客間に辿り着くと、ミズハは外の廊下で待ち、白衣の男だけが中に入っていく。客間ではシュウが一人で白衣の男を迎えた。
「お待たせして申し訳ありません、どうぞこちらに」
シュウは客間の奥に敷いた座布団に座るよう白衣の男に示す。男はシュウの言葉に従い、座る。シュウも合わせて男の向かいに座った。白衣の男は自分と話す相手が眼前に座ったのを確認すると、淡々と言葉を並べる。
「今回は急にうかがってしまい申し訳ありません。何分、二年前の事件から私達は猫の手でも借りたいと言うほど忙しく……」
「いえ、お構いなく。しかし、普段ここにいらっしゃるグリド殿は今回見えないようですが?」
「彼は別の用で今回ここには来られませんでした。本来予定されていた時期での訪問も難しく、私が今ここに来た次第です。私にはこの辺りに来る予定が元からあったので、彼の頼みで。私の名前はフューザー、見ての通り研究者です。グリドとは……協力関係と言ったところです。彼は事業者で、私は研究者、お互いに利を分け合っている関係です」
フューザーと名乗った男は眼鏡の位置を人差し指で直しながら、揺れの無い声で話し続ける。
「では、前置きもほどほどに、本題に入りましょうか」
フューザーは適当に自分がここに来た背景を説明し、その後に本題に入ると宣言した。シュウはその言葉を受けると、身構えるように目を細める。反して、フューザーは全く表情に変化がなく、山谷のない声色で話を始めた。
「グリドのあなた方への要求は、この場所からの立ち退きです。これに応じていただいた場合、補償としてあなた方には都付近での永住権と、生活費用の援助を約束すると彼は言っています。これは前回の訪問でも……」
立ち退きに応じた場合の契約内容の復唱からフューザーは話を始めた。だが、その平坦に並べられた言葉の最中、シュウが声を上げる。
「どのような内容であっても、私達はこの地を譲ることはしません」
言葉を阻まれたフューザーは、顔を持ち上げてシュウの方を見る。シュウは、譲らない断固とした意志を瞳に宿している。彼は丁寧だが威圧するような声色でフューザーに言う。
「私達は遥か昔からこの地と共に生きてきています。私の何代も前からこの地を駆け、木々と同じ大気を吸ってきました。この地を離れるという事は、私達にとって以前までの生活を捨てる以上の意味があるのです。これは、利害で語れることではありません。どのような条件を出されても、私達はここから離れることはしません。この地を捨てることは、この地と紡いできた歴史や文化を一切合切捨てることに他なりません。そのようなことは、私達にはできません」
シュウは一切よどむことなく、しかし熱のある言葉をフューザーにぶつける。彼の心からの意志だろう。偽は一切存在しない。彼の言は、人の心の底に響くような実直さがあった。
だが、彼の言葉を受けたフューザーの反応は、なかった。無表情、一切の感情が存在しない。真冬の湖のように冷たい表情のまま、シュウに言葉を返す。
「かしこまりました。では、グリドにそのように伝えておきましょう」
「…………? え、ええ」
フューザーは、説得や要求を飲ませようとする努力などは一切せず、今起きたことを本来の交渉相手であるフィルという人物に伝えると言った。あまりにも淡泊な反応に、シュウは思わず眉を寄せる。もちろん、粘り強くされるなどということを求めてはいなかっただろうが、あまりの手応えの無さに驚愕したのだろう。
フューザーはそのまま、座布団から立ち上がる。
「さて……こちらの都合で急に訪問してしまって申し訳ありません。長居するのも迷惑かと思いますので、私達はこれにて」
「……まともなおもてなしができず、申し訳ありません。せめて屋敷の外までお送りしましょう」
「いえ、お気遣いなく。ただでさえお時間をいただいている身ですから」
見送るというシュウの言葉をフューザーは跳ね除け、そのまま部屋を後にする。シュウは予想していたような抵抗などが一切なく、困惑した表情のまま、彼の背を見送るのだった。




