命
少女が向かっていったのはリュウの屋敷の裏にある雑木林だった。リュウは草木を縫うように残っている少女の足跡を追う。多くの時間を要することなく、彼の視界には目的の少女が映り込んだ。彼女は一本の木の裏で身を縮め、間隔があってもハッキリと分かるほど震えていた。
「やあ」
リュウは先ほどもしたように声をかけた。自分以外の存在が近くにいることを知ると、少女は咄嗟に立ち上がってリュウから転がるように逃げ出す。
「落ち着いて、ゆっくり話そう」
リュウはどんどんと離れていく彼女の背に、声が届かなくなる前に制止の言葉を投げかける。距離を取ったまま、彼は少女に歩み寄ることはせずに話し続ける。
「近付かない。この距離で話そう。君に危険はない。怖がらなくてもいいんだよ」
リュウの言葉を背に受けると少女は足を止め、ゆっくりと、恐る恐る振り向いた。その顔には、刻まれるように深い悲壮があった。瞳は涙の奥で揺れ、唇は青くなり、全身が震えている。
リュウはそれを見ると目を見開いて驚く。だが、その感情を声には表さぬように口を開く。
「何をそんなに怖がっているんだい。教えてほしい。君を助けたいんだ。一つ一つでいい。ゆっくりでもいい。話してくれ。君もずっとこのままではいられないだろう? ……助けになりたいんだ」
彼の言葉は優しく、少女の冷えた恐れに温もりで触れる。
「オレは……殺した」
少女は震えた声で話し出す。
「知らない人だった。殺したいわけじゃなかった。なのに、体が止まらなかったんだ。自分の体なのに、誰か別の人が動かしてたみたいで……それで、何人も……」
少女は恐怖と動揺からか、支離滅裂に言い訳を零す。だが、リュウは彼女の言葉を受けて昨晩レプト達が宿にした建物の周囲の状況を思い出す。
(あの場所の至る所に燃えた跡があったのはこの子の力で間違いないか。多分、僕達の見た一人の犠牲者以外にも彼女は殺してしまっている。様子を見るに、自分の意志でやったわけじゃなさそうだ。恐らくあの場所で行われていた実験か何かが原因。だけど……)
少女の様子と周囲の状況から、彼女が人を殺してしまった原因は彼女自身にはなく、全く別の所にあるのだろうと推測する。だが、少女は自分が全ての原因だと考えてしまっているようだ。
「殺したんだ。肌の焼ける匂い、炎に焼かれて剥き出しになった血管の色……オレは、オレは……こんなことしたかったわけじゃ」
少女は両手で頭を抱えてその場にしゃがみこんでしまった。それを見たリュウは目を細め、慎重に思考を回しながら言葉を選ぶ。
(原因は彼女じゃない。どうにかして、それを彼女に理解させないと)
「君のせいじゃないよ。さっき自分でそうしたいわけじゃなかったって言ったじゃないか」
「けど! やったことは、やったことだ。オレは……」
「落ち着いて。君のせいじゃない。だから……」
リュウは優しい言葉をかけながら、一歩少女に踏み込む。だが、それを視界に入れた彼女は悲鳴を上げた。
「近付かないでくれ! オレは、意識しねえで他人のことを傷つけちまう。さっきだってそうだった。そんなつもり、なかったのに……」
少女はリュウが詰めた距離を後退って離しながらそう言い放った。リュウは足を止め、自分自身に恐れを抱く少女を両の目で見据える。
(殺人は彼女のせいじゃない。けど、彼女は自分の力の制御ができないのか? それも彼女の罪悪感を強めて……)
「君は、自分のその炎を好きなように扱えないのかな」
「分からない……こんな風に他人を傷つける力なんていらないのに……したくないのに」
リュウの問いに少女は首を振って応える。彼女は自分の力を操作できないらしい。彼女はそれを理解しているからこそ、他の者と距離を取ろうとしたのだろう。
会話の最中、少しの沈黙が広がった時、彼女は一言こぼす。
「こんなことなら、オレは……死んだ方が……」
「っ……」
少女の口から漏れたその言葉を聞いたリュウは。明確に怒気を纏う。彼はその怒りを抑えることをせず、少女に向かった。
「ふざけたことを言うな!」
「ひっ……」
リュウの言葉に少女の体は大きく跳ねた。そして、震える目線をリュウに向ける。だが、彼は少女が自分を恐れるのには全く構わず言葉を続けた。
「冗談でもそんなふざけたことは言うんじゃない。死んだ方がいいだって? この世界にない方がいい命なんて存在しない!」
「……けど、オレはこのままじゃ他人のことを傷つける……」
「死んでいい理由になることなんて存在しない」
リュウは少女の言葉を跳ね除け、全く聞かずに続けた。
「いいかい。死とは、可能性の喪失だ。これから成れたかもしれない何かに成れなくなる。出来たかもしれない何かを出来なくなる。死ぬっていうのはそういうことだ。軽々しく死にたいなんて言うんじゃない」
「だけど……オレは人を殺したんだぞ! これからも無意識にそんなことをしちまうかもしれないんだ! お前が今言ったことを他人に強要したんだ」
「君自身の意志じゃないんだろう。だから全部許されるとは言わないけど、君の責任じゃない」
「そんなこと言ったって……許されねえよ」
少女は自分のしてしまったことを全く許容できずにいた。喉の奥から嗚咽を漏らし、涙を流す瞳に構わず頭を抱えている。その様を見てリュウは沸騰した頭を冷まし、落ち着いた声に戻して言う。
「君のせいじゃない。君の意志でやったわけじゃないんだから。自分のことを許すのが難しいのは分かるよ。だけど、君が自分を責めてもやったことが変わるわけじゃない。そんなことに意味はないんだよ。だから一度自分に甘くなるんだ。完全に許さなくてもいいから。せめて、死んだ方がいいなんて思わないように」
リュウの熱のこもった言葉を受けて、少女は黙りこくる。彼女は次第に喉の奥から鳴る泣き声を抑え、頬に伝う涙をぬぐい始めた。
「でも……またさっきみたいに人を傷つけるかも。どうすればいいか分からないんだ。力をどう抑えていいか分からない……」
「……確かに、その可能性は否定できないか」
大分落ち着いてきた少女の言葉を受けて、リュウは考え込む。
「多分、君は外敵が訪れた時や、危険を感じた時に反射的に能力を使っている。自由に扱えないのは問題だけど、何も起きなければ力が出ることもないと思うよ」
「けど……」
「…………」
少女はリュウの言葉を受けても、自分の能力が暴発して他人を傷つけてしまうことに不安を抱いているようだった。他人を殺してしまったことによる恐怖は彼女の精神に強く根付いてしまっている。
リュウは少女が自分の提案について渋るのを見ると眉を寄せて悩んだ。だが、次の瞬間には何かを決意したのか、一つ息を吐く。その間に彼は腰に提げた刀に手を添えた。
「試そうか」
「えっ」




