揺らぐ灯
少女は屋敷の廊下を走った。裸足のまま、自分の足が痛むのを全く厭わず。行く先や目的地がある風には見えない。廊下の曲がり角に至る度に首を回して周囲に警戒を張るその様は、まるで肉食動物から逃げる小動物のようだ。
廊下を走っている内に彼女はいつしか日差しの当たる縁側に辿り着いていた。壁に覆われた場所を抜け、外へつながる道を見出した彼女は、焦がれるようにそちらへ足を向けた。
しかし、彼女のその歩を男の声が引き留める。
「お前は誰だ? ああ、リュウが屋敷に入れたという異郷人か」
声が耳に入ると、少女は体を弾かれたように反応させ、声の主のいる方へと顔を向ける。彼女に声をかけたのはリュウの父だった。彼は縁側の奥、少女と真正面から対するように立っていた。
「……っ」
「何をそんなに怯えている? 追い詰められた獲物のような震えだ。外界とは違う環境とはいえ、そこまで恐れることはあるまい」
言葉は堅いが、リュウの父は少女を安心させようと彼女にゆっくりと歩み寄っていく。だが、それに合わせて少女はじりじりと後退りした。恐怖に圧されているかのように、彼女は後ろへ一歩一歩下がっていく。
そんな時だ。少女の後ろの方の廊下から勢いよく床を踏む音が断続的に聞こえてくる。同時に、彼女の背後にはリュウが現れた。
「いた……どうしたっていうんだ」
リュウは自身の目的である少女を見つけると、次いですぐ、自分の父も同じ場にいることに気付いた。彼は少女を挟んだまま極度の緊張を持って父に向かう。親子は少女を挟んで話を始めた。
「……父上」
「リュウ。この子に一体何があった。どう見ても普通の状態ではないぞ」
「……火災の魔物を追い払う際、その魔物と戦闘をしました。非常に危険な、それこそ、命の危険があるほどの。彼女はそんな状態に慣れておらず、錯乱状態に」
リュウは適当な虚実を口にし、怯えた少女に手を伸ばす。
「さあ、こっちに……」
だが、リュウのその行動は最悪な結果を招く。
「やめてくれ!!」
少女はリュウの手を払った。同時に、彼女の払った手の周囲から、安定剤を打たれる以前にしたような火炎が発生した。
「つうっ……」
肌の焼ける匂いがした。少女の炎はリュウの腕にピンクの混じった赤色の跡を残して消える。命には全く別状のない、跡も消えるような軽度の火傷だ。だが、その赤とオレンジの混ざった炎は間違いなくエルフの里長の目に入っていた。
「リュウ! 貴様……一体何者だ!!」
一つの里を治める長は自分の息子に怪我を負わせた少女に向かい怒声を張り上げる。臓腑の震えるような圧のある声だ。
「あ……お、オレは」
少女は動揺と恐怖が秩序なく混同した表情を浮かべ、自分の手を見つめた。そして、ここに至るまでそうしていたように、床を蹴った。縁側から外に、彼女は屋敷の外へと駆けていく。
「待て!!」
里長は自分達に危険を及ぼす可能性のある異郷人へ明確な敵意の視線を向ける。
「父上!」
すぐに里長は少女を追おうとする。だが、彼の向かう先をリュウが立ち塞ぐ。
「待ってください。一度、落ち着いてください」
「落ち着けだと? リュウ、お前は何を言っているんだ。誰とも分からぬ異郷人が息子を襲ったんだぞ。奴に逃げられる、そこをどけ!」
「頼みます、ここは私にお任せください」
「リュウ、お前……」
里長が少女を追おうとするのをリュウが制止する。彼その場に膝をつき、自分の父に対して頭を下げた。
「彼女はシンギュラーです。あの能力で以て、私や他の者を助けてくれました。今回は乱れた精神状態のため……」
「嘘はやめろ。お前がよく嘘をつくことは分かっているが、このような局面で、嘘は言うな」
膝をつくリュウの白いうなじを睨みながら、里長は言う。
「里を揺るがすようなことだ。虚実を混ぜ込むようなことは、しないな?」
「……」
予め嘘は言うなと釘を刺され、リュウは次の言葉を選ぶのに苦心する。既に少女の姿はない。だが、一つ言葉を間違えれば里長は自分で彼女を追うのはもちろん、里の人間に指示を出す可能性すらある。
「あの子のことはよく知りません」
リュウは嘘を言わないように言葉を選びながら、自分の考えを率直に伝える。
「しかし、私達の里に害を与えるような者ではないと私は考えています。少なくとも今は。先ほどの言葉に嘘がないわけではありませんが、彼女が何かしらの理由で錯乱状態にあるだろうことは確かです。私が行って、様子を見てきます」
「お前に怪我をさせたことはどう説明する?」
「彼女の意志ではないはずです」
「もし、あれが彼女自身の意志で、危険な存在だった場合、お前自身で対応できるな?」
「はい」
「……行ってこい」
父親は息子の最後まで全く揺れのない声を聞き、この場は譲る。彼の言葉に虚実が混じることはあれど、意志に負い目がないことを感じてそう判断したのだろう。リュウは父のその言葉を受けると立ち上がり、頭だけで小さく礼をし、少女の消えた方へと駆けて行った。




